56話
静かな部屋に3つの寝息が響く。
小さな寝息。
大きな寝息。
奇妙な寝息。
そのうち小さな寝息が止まると、電源の入った人形のように一気に目を覚ました。
眼球だけを動かし、慎重に周りを確認する。
眠る前と同じ場所。
死んでいない。
生きている。
指を動かし、四肢があることを確認。
安全であることが確認できた。
目を細め、緊張を解く。
...........あぁ、生きてる。
ホッと全身の力を抜くと、腹のあたりに違和感と呻き声が聞こえた。
首を動かし見ると、魔王様(大)が腹を枕に涎を垂らしながら、うつ伏せで寝ていた。
まぁ、これはいつもの事だからいいのだが、問題が一つ。
魔王様は現在、成人女性だ。
つまり、女性特有の柔らかい双丘が股間を圧迫するような状態である。
「.........落ち着けぇ」
股間のコレがこうなっている理由は最近知った。
いつも死にかけた時と起床時になっているので、死に近いときに反応するものかと思っていた。
個人的な感覚だが、眠るときというのは臨死時の仮体験だと思っている、実体験として...............話がズレた。
つまり、何が言いたいかというと誤解だということだ。
間違っても、そういった気分でなったわけではない。
もちろん魔王様に魅力がないかと言われれば、それは違う。
別嬪さんだ。出会う形が違っていたらどうあったかは分からない。
だが、出会わなかった。最初に出会った子供のイメージが強すぎた。
だからこれはそういったものじゃない。
朝起きた時の男特有の生理現象だ。
しかし、魔王様がこの状態をどうおもうだろうか。
案外気にしない感じもするし、笑って許してくれそうでもある。
そもそも男として意識しておらず、寝具としてみている節がある。
しかし、可能性は低いが最悪を想定して行動すべきだろう。
何せ相手は魔王様。
逃げ切れる自信はあるが、今は病み上がりで無茶はしたくない。
天井を仰ぎ、ブツブツと独り言を呟きながら眉間あたりをコツコツと指で叩く。
.........さすが自分だ。平常時までもっていくことができた。
褒めてあげたい。
「さて」
一人、生理現象と戦っている間も魔王様は起きる気配がない。
何処にいたのか、ハクシは腕に絡みついている。
魔王様を横へと転がし、ハクシは腕から剥がし魔王様の頭に置いておく。
グッと伸びをする。
軽く体を動かし入念にチェックする。
問題はなさそうだ。
痛みや腫れは多少残っているが問題ないレベル。
直接ではないとはいえ、母さんと戦ったのに驚くべぎ回復ぶりだ。
「まぁ、それが一番の問題だよな」
自分に降りかかる外的要因の想定外は起きる。
だが、自分の体についての想定外は起きない。
傷の治る早さ、体調の良し悪し等、挙げればきりがないが理解できる。
だからこそ気になる。
本来であるなら、もっとダメージが残っているはずだ。
心当たりがあるとするなら昨晩のアレだ。
有無を言わせず、抗えない感覚。
間違いなく父さん絡みだ。
早急にこの事を確認したいが、腹にまとわりつく涎が気になって仕方がない。
「体を洗ってからにするか」
魔王様の涎で体のあちこちがヌルヌルで、カピカピになって気持ち悪い。
体を洗って、この不快感を取り除かないと、あの極小の文字を相手に集中できそうにない。
「デカくなっても変わらないな」
変わったのは涎の量ぐらいだ。
それにしても涎の範囲が広範囲である。
垂らしたというよりは、まるで舐められたみたいだ。
「......まさかな」
バカバカしい考えを振り払い、タオル片手に風呂場に行くが、湯船は空っぽだった。
おそらく魔王様が抜いたのだろう。
「どうしようか」
この風呂場には魔道具が使われている、魔力がない自分では湯を溜めることも使うこともできない。
「わざわざ起こすのは忍びないか........」
ふと視線を泳がすと、風呂場に置いてある桶に半分ほどだが水が溜まっているのを見つけた。
「これ使うか」
収納袋の水が使えればよかったのだが、母さんの時にすべて使い切ってしまった。
ザブザブとタオルを濡らし体を拭いていく。
「今更だが、魔力がないって不便なんだな」
多少さっぱりして戻るが、1人と1匹はまだ気持ちよさそうに眠っている。
起きてくるまで読んでおくか、と収納ポーチから巻物を取り出し、黒く塗りつぶされたようなところまで広げる。
そして、目を細め、拡大鏡の大切さをかみしめながら、極小の文字を読み進める。
この辺りに書いてあったような気がするんだが、あぁ、ここはフレアがいた時に読んだところか。
確かキスのとこまで読んで.........って違うな。もう少し前の...........ん? ほぅ。
思いがけず興味の湧く情報に、自然と読みふける。
へぇ、そんな方法が、指の形が重要なのか。
うぅむ、そういう世界もあるのか、趣味嗜好は人それぞれとは言うが、理解しがたいな。
そうか、そうだよな、人によっては好みのポイントが違う.........なかなか難しい。
凄いな、こんな判別方法があるのか。試してみたい。
なるほど、奥深い。
目的を忘れ熟読。
すると目の前で、白い物体が顔を覗き込む。
ハクシだった。
視界に入るまで気が付かなかった。
何か構ってほしそうな顔をしている。
邪魔だな。
ハクシの目の前にゆっくりと指を近づける。
何? と首をかしげる。
ゆっくりと指を回すとつられて首がゆらゆらと動かす。
テーブルのところにまで指を動かすと、つられて移動する。
そして、油断したところをくすぐる。
「ぎゃひ、ぎゃひ」、喜びながら身をよじる。
さて、続きを読むか。
すると今度は、魔王様(小)が逆さまでのぞき込む。
いつの間に起きだんだ。
「何を見てるのじゃ?」
どうやら読書はここまでのようだ。
知りたいことは知れなかったが、後悔はない。いいことが知れた。
「真っ黒な絵の何が楽しいのじゃ?」
魔王様は泡の上に乗っかり浮いていた。
魔法ってそんなこともできるのか便利だな。
「絵じゃない、文章だ。近づいてよく見ればわかる」
「文字が書いてるのか? ムムッ」
泡から飛び降り膝の上に座る。
目を細め限界まで顔を近づける。
「..........これ書いたやつ阿保じゃろ。読みにくいのじゃ」
「伝えたいことがたくさんあるんだよ」
「見たことない文字じゃが何と書いてあるのじゃ?」
「いろいろだな。一番伝えたいことは愛してるって事だ」
「恋文か? 狂気を感じるのじゃ」
「そういうのじゃなく、家族愛。少し心配症なんだよ」
「そうか、やっぱり狂気を感じるのじゃ」
失礼なことを言いつつ、目を細め凝視し続ける。
そういえば風呂場でのこと謝ってなかったな。
雰囲気から言ってこのまま無かったことにしてもいいが、後々面倒になってしまうことがある。
弟がこのタイプだ。
思い出したならすぐに行動すべきだな。
「あぁ、魔王様」
「ん? なんじゃ?」
「昨日の風呂場でのことなんだが..........」
「あぁ! もういいのじゃ。その話は水に流すのじゃ。ちょっと虫の居所が悪かっただけじゃ。もう蒸し返すのは無しじゃ」
「んー、そうか? まぁ、そういってくれるなら」
「............なぁ、シヒロ」
「どうした?」
クルリと振り返り、こちらを見る。
「ここはいつ出る予定じゃ?」
「体も回復したし、すぐにでも出れるぞ。思っていたより時間は経ったが日が出ているうちに帰れると思う。準備するか?」
「あぁ、いや。そういう事ではないのじゃ」
ジッとこちらの目を覗き込む。
どこか寂しげだ。
「...............なぁ、シヒロ。ワシと」
「ワシと?」
「あぁ、いや.........ちょっと手合わせをせんか?」
「なんでまた、そんな事しないといけないんだ?」
「ほら、あれじゃ。病み上がりのリハビリも兼ねてどうかと思ったのじゃ。ワシも体格が変わったりできるようになったじゃろ? 問題ないか知りたいのじゃ」
「あー、なるほどな。確かに悪くないか」
「じゃろ!? ならば善は急げじゃ!! ついてくるのじゃ!!」
膝の上から飛び降り、走っていった。
「転ぶなよ」
巻物を片付け、後をついていく。
着いた場所は、母さんと命懸け親子のスキンシップをした場所だ。
元は鍾乳洞だった場所だが、母さんの登場で倍ほどの広さに整地された状態になり、母さんと自分が暴れたことにより、所々ひび割れが目立ち、巨大なクレーターのようなものまである。
「本当、よく生きてたな」
あまりにも悲惨な現場に心の声が漏れてしまう。
「ん? どうしたのじゃ?」
「いや何でもない」
「そうか。それより準備はよいか? 良いなら始めるのじゃ」
「あいよ」
その了承の言葉とともに魔王様が距離を詰める。
不意を衝くため走ってくるか、距離を取って魔法を使うか、と予想していたが、まるで散歩でもするかのようにゆっくりと歩いてくる。
目算を外されてしまった。
怪我をさせないようにするためには、どうすればいいのかと戸惑っていると、間合いに入られる。
そして、先ほどまでのゆっくりとした動きから打って変わり、鋭く強烈な掌底を繰り出した。
うおっ!
予想に反しての鋭い掌底を慌てて半身になって躱す。
すると、掌底をねじり無理やり肩をつかむと次の瞬間、膝裏に衝撃が走った。
これが狙いか。
掌底で体勢を崩し、蹴りで転ばす。
こちらの動きを理解したような一連の流れに驚きが隠せなかった。
本来なら後頭部を強かにうっていたかもしれない。
だが残念なことに蹴り飛ばす力が足りなかった。
分が悪いと思ったのか、小さな舌打ちとともに距離を取る。
いい判断だが、疑問が残る。
間の外し方といい、こちらの行動の読みといい、攻め方といい、臆病なほどの警戒具合を考えると、どうもこちらの動きを少なからず知っているように感じる。
魔王様の前で戦闘をした覚えはない。
なら、飛びぬけるほどの才能で、予測しているという事になる。
それにしても、手合わせという割には危険なことしてくるな。
信頼の裏返しという奴だろうか。
今度はこちらが攻めに移る。
魔王様に怪我をさせないためにも、投げと締めを主体に挑むが、全ての動きに対処される。
まるで事前に知っているかの様な動きだ。
そして、才ある者の所以か、一度見た動きを独自に学習し、自分の物へと昇華させている。
伸び代と才能があるって羨ましいね。
姿勢を低く構え、魔王様の攻撃をかわすと同時に足を掬い、バランスを崩した魔王様を力づくで遠くへと放り投げる。
クルリと一回転し、綺麗に着地した魔王様を前に手招きをして挑発をする。
まぁ、妹達ほどではないな。
・・・・
・・・
・・
手合わせが終わり食事を作っている。
食事前の良い運動になった。
だが、魔王様の機嫌は悪い。
「朝食できたぞ」
「ふん!!」
まぁ、何に怒っているのかはこちらも理解している。
手合わせの途中で魔王様が本気になり始めたのだ、これはまずいと考え、手を挙げてこちらが降参する形で無理矢理終わらせた。
それに納得せず、飛び掛かってくる王様を取り押さえようと服をつかんだら、盛大に破いてしまったのだ。
「悪かったって」
そういい朝食をテーブルの上に並べ、席に着く。
「いただきます」
「いただくのじゃ」
パクパク、モグモグと豪快に食べ進める。
お腹がすいてイライラしていた部分もあるのかもしれない。
「ふん! 確かに手合わせにふさわしい服装ではなかったと思うし、少し興奮して我を忘れたところも原因があるかもしれないのじゃ。おかわり!!」
グイっとスープのお代わりを要求する。
「すべてシヒロが悪い、と言い放つほど愚かでないワシに感謝するのじゃ!」
「ありがとうございます。はい、お代わり」
スープを受けるとグビグビと一気に飲み干す。
「だが、魔王たるワシの私物を壊したことは、たとえシヒロであっても寛容できないのじゃ。おかわり!!」
「はいよ。もう少し味わって飲んでくれよ」
「ふん! それならもう少しずっしりと重いスープにすべきなのじゃ。軽く柔らかくスルスル飲めるスープが悪いのじゃ」
「そうですか。美味しいか?」
「美味いのじゃ」
「なら、よかった」
出店の時に作ったパンを手でちぎりながら、モグモグと食べる。
少しづつ機嫌が戻ったのか、食べるスピードが落ちてきた。
「だからじゃ、シヒロ。お前に挽回のチャンスをやるのじゃ」
ニヤリと笑う。
いつもの魔王様に戻ってきたようだ。
「そいつは嬉しいね」
「破いた服の代わりに、シヒロ。お前が作るのじゃ」
「えー.........」