55話
魔王様の視点です
大きな湯船に、1人プカプカと浮いていた。
金髪の髪が湯に広がり、褐色の肌に絡みつく。
本来なら、心身ともに安らぐ所なのだが、その顔は曇り陰っていた。
怒っているようにも、悔やんでいるようにも、悲しんでいるようにも見え、その心情は激しく複雑で、グルグルと渦巻いている。
その原因となったのが、この指に付けられた指輪だ。
魔力を回復し、部屋で寛いでいるときに偶然見つけたものだ。
この指輪はいったい何なのかと調べると、面白いことが分かった。
曰く、勇者が作った魔道具。
説明によると、これは人の過去を僅かであるが追体験する事が出来る魔道具。
見れる過去は選べないが、発動条件は至ってシンプル。
嵌めた手で相手の体に直接触れること。
シヒロに使えば面白いのでは? と悪い顔をしながら思いつく。
しかし、このまま指輪を嵌めて普通に触っても面白くない。
どうせなら押し倒すついでに触れれば一石二鳥だ。
抵抗される前に弱味を握り、大人しくさせられるなら尚良しだ。
そして丁度いいことにシヒロは風呂に入っている。
服を脱がす手間も省ける。
行かない理由がない。
早速指輪をつけて、風呂場へと突撃する。
服を脱ぎ、扉の前まで来たが風呂場に気配がない。
入れ違いになったのだろうか、と考えるが微かに中で音がする。
魔力がないから調べられないだけか、と結論付けた。
魔族は人が持つ五感よりも魔力感知を重点を置いている。
魔力がないと言うだけでなんとも見つけづらい奴じゃ
そう思っていると、突然扉が開いた。
全くの予想外のタイミングで全裸のシヒロと鉢合わせになった。
凶暴と言っても過言ではない肉体が、視界いっぱいに広がる。
突然のことで、身じろぐ事すら出来なかった。
ここまでとは。
小さく、弱かった頃では感じられなかった事が、今ハッキリと感じる。
間違いなく、シヒロは........この命に届きうる力がある。
背中に汗が流れる。
たかが人間が、魔力を持っていない人間が、どうすればここまで力を持つ事が出来る。
何があればこうなるのだ。
疑問は尽きない。
だが、そんなことが小事と思えるような奇妙な感覚に襲われる
どうすればいいのか分からない。初めての感覚。
それが今、心の大部分を占めている。
近い感覚とするなら、旧知の友と会ったかのような高揚感。
絶対的に信頼を置ける武器を手に入れられたかのような安堵感。
これは、.........
咄嗟に扉を閉めた。
胸中を隠すように。
だが、すぐさま扉は開かれる。
その後どう取り繕ったか覚えていない。
上手く切り抜けられたと思う。
だが、そんな事よりも、知りたいと願ってしまう自分がいた。
この男の過去が知りたいと、もっと深く知りたいと。
手を軽く握り締め、指輪の有無を確かめる。
幸いにも過去を知る方法はすでに手に入れている。
心拍が跳ね上がる。
さらに運がいいことに相手は男だ。
今現在、相手のことをより深く知る方法を知っている。
一挙両得。
だからこそ、行動に移すことに躊躇はなかった。
体を投げ出すように飛びついて、そのまま押し倒す。
しかし、倒れない。
まるで地の底までに根付いた大木をイメージさせた。
倒せないなら。
指輪をつけた手でシヒロの背中に触れた。
今思えば、あまりにも無用心、何の覚悟も無く触れてしまった。
流れ込んでくる様々な映像、感情、感覚、そして彼の想い。
記憶の表層をなぞり、我が身に起こったかのように錯覚させる。
だが、その内容はあまりにも現実離れしていた。
狂気の坩堝。
吐き気すら催す悪意。
やめてくれ.........
「っうわ!」
不意に離され、悪夢から目覚める。
彼には何が起きたのか理解していないのだろう。
少しムスッとした顔をしてる。
記憶が混濁とする。まるで彼の記憶と混ざったしまったかのようだ。
その影響が出たのだろう。
彼から何処までも冷め切った視線で見られているように感じた。
お前では無理だ、その程度だ、と言われたように感じた。
そうは言ってはいないし、そういう風に思ってもいないだろう。
こちらの勘違いだとは理解してはいる。
だが、琴線に触れてしまった。
自分でも理解できないような怒りがわいてくる。
彼はあの悪夢からでも行動を起こした。
では、もし、自分であったなら?
理解はしているが、彼に対する八つ当たりを止める事が出来なかった。
あれを経験して、何故ワシを助けようと思う事が出来た?
何故、笑うことができるのじゃ?
何故....立ち上がれるのじゃ?
湧き上がる疑問と、力になれないことに対しての自分の怒りが拳を走らせた。
ぽす。と軽い音がした。
この結果は予想していなかった。
地面すら割るほどの拳が、優しく包まれるように受け止められた。
殺す気はなかったとはいえ、壁まで吹っ飛ばす勢いで殴った。
なのに、まるで握手でもするかのようだ。
どう足掻いても力不足だ、と無言のまま指摘されたような気がした。
悔しさと苛立ちで体が震える。
気がつけば、彼は脱衣所へと消えていっていた。
ゆっくりと咀嚼し、味わうように目を閉じる。
湯船に浮かぶ魔王は、大きく顔を歪ませる。
シヒロの記憶。
八つ当たりとして殴ってしまった自己嫌悪。
殴った拳を簡単に止められた事による力量の差。
あげればキリがないほどの感情が渦巻いている。
この感情をどうすればいいのか分からない。
『ーーーーーーーーーーーーッ!!!!』
あの記憶で見た。魂すら吐き出しそうな彼の慟哭が耳から離れない。
胸を掻き毟るような、悲痛な声........
「ッッッッ!!!!!」
握り締めた手を振り下ろす。
張っていた湯が炸裂するように消し飛んだ。
空になった湯船からゆっくりと体を起こす。
吹き飛ばした湯がまるで雨のように体を舐める。
「クソが..........」
屑、愚図、劣悪。
人と言うものは、人間と言う生き物は、ここまでも醜悪なのか。
彼は必死にあがいていた。
文字通り必死にだ。
身を削る彼の選択や行動に間違いはなかった。
ただ、彼の周囲が間違っていた。
「..........ッチ」
ボロボロに傷つき、心をすり減らし、そうまでして守った希望に最後は牙をつきたてられた。
救われない。
報われない。
その傷だらけの手には何も残らなかった。
ギリリ、と歯の根が軋む。
「安心しろ。シヒロ。わしは決して裏切らんのじゃ。命の恩人じゃしの」
魔王は彼を肯定する。
彼の行いを、彼の選択を、彼の想いを否定はしない。
「何処のどんな屑共か知らんが、そうまでしてシヒロを拒絶し、居場所を奪うというのなら、ワシが貰うのじゃ」
軽く手を叩くと、髪や肌についた水滴が弾かれ、何処からともなく現れた服を纏う。
「価値も分からん衆愚には惜しすぎる」
・・・・
・・・
・・
脱衣所から出ると、シヒロがベッドで眠っていた。
寝相がよくないのか、暴れたかのような状態だ。
「あまりにも元気に動くから忘れておったが、先程までに死にかけていたのじゃったな」
ベッドに腰かけ、寝顔を見る。
「なんでじゃろうな。今お前の顔を見ていると、泣いてしまいそうじゃ」
ゆっくりと顔を近づける。
ギリギリまで顔を近づけて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ワシと来い。魔族領に来い。そこでは決してあのような事は起こしはしないのじゃ」
返答はない。
静かに寝息が聞こえるだけだった。
短かい期間だが、シヒロの事を少なからず理解している。
だから分かる。彼は一緒に魔族領に行かないという事を。
おそらく、このダンジョンを出れば別れることになる。
そう予感させた。
共にいる時間は少ない。
「ワシから頼むと言うことは滅多にないのじゃぞ?」
答えない。
いや、答えていたのなら、その内容は決まっている。
だからこそ、何も答えられないこの場で頼んだのだ。
魔王の頼みを断るのなら、それは命を持ってわびる事柄だ。
死なせたいわけではない。
あくまでこれは順序。
本人に届いていなくとも、こちらから頭を下げ頼んだと言う順序が大事なのだ。
卑怯でだとしても、形だけでも誠意を持ちたい。
特に彼の事であるのなら。
「ここを出るまでに答えてほしいのじゃ。もし、ここを出ても答えがないのなら」
投げ出されているシヒロの手を掴み、ベッドに押し付ける。
形だけだが、シヒロを押し倒す。
仮初とはいえ彼をこの場に押さえ付けることができた。
だが、彼の心まではそうはいかないだろう。
唇と唇が触れるか触れないかのギリギリで言葉を続ける。
「お前を、うおぉぉぉぉ!!」
寝返りで簡単に押し返される。
そしてそのまま抱きしめられてしまう。
「........はぁ、動けそうにないのじゃ」
腕が体に乗っているだけだ。
重くはあるが、振りほどこうと思えば振りほどける。
だが、せっかくだ。このまま添い寝をしてやろう。
記憶を勝手に覗いた事に対する侘びと、ここまでの礼も込めて
「贅沢な奴じゃ」