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51話


どこか古めかしい小さな部屋。

そこに、カタカタと回る古い映写機と、一人分の椅子が置いてある。


ここは.......何処だろうか。

何故こんな所にいるのだろうか。


疑問に思いつつも、椅子に座ると映像が流れ始めた。

映し出されたのは、生後間もない赤ん坊の映像。


ん?見覚えがある。

いや、正確には知っている?


ゆっくりと動き出す映像に、とても懐しいモノを感じる。


........あぁ、思い出した。これは自分だ。

昔の自分だ。


そこで全て理解した。

ここが何処で、なぜ居るのか。


だとすると、これを見るのも久しぶりだな。

今回はこういうパターンか。


映像は進む。


真暗な映像が流れ、小さな泣き声が聞こえてくる。


.........。


思い出したくない記憶が甦る。


身が凍るほどの寒さ。

ぬるぬると纏わり付く気持ち悪い感触。

鼻に突き刺さるような悪臭。


ここはゴミ箱だ。


生まれてまもなく、捨てられた。

へその緒どころか、胎盤すらくっついている状態だ。

祝福はなく、まるで恥を隠すようにゴミ箱に捨てられた。

ここまで来ると、笑えてきてしまう。

それでもこのときの自分は小さな声で、孤独に死にかけながらも泣いていた。

母親を求めて泣いていたのか、それとも死に対する抵抗だったのか。

分けも分からず泣いていた様な気もする。


不意に、ガタリと大きな音がする。

世界が大きく揺らぎ、光が差し込んだ。

そこから、ゆっくりと差し伸ばされた手に抱きかかえられる。

奇跡的にも、救われた。

それが後に、母さんと呼ぶ女性だ。

あの時、汚れることも気にせずに、ゴミに塗れた自分を宝物のように優しく救い上げてくれた。

あの時の手の温かさは、今でも思い出すと目頭が熱くなる。


映像が流れ、違う場面が写される。


初めて妹が出来た時だ。

絶対に兄として守ろうと誓ったのを思い出す。


場面が変わる。


弟が出来た。

兄としてこの2人を守ろうと幼いながら心に誓ったのだったな。

今思えばなんとも幼い誓いだったと思う。


映像が切り変わる。

映し出された映像は、それから幾ばくかの月日が流れている。

そして、倒れた自分が映し出される。

残酷。

とても、とても残酷。

それは、幼い誓いを吹き飛ばし、愚かだ、と現実を連れてきた。


認めたくない事実が浮き彫りとなり、大きくて深い絶望的な差を見せ付けられた。

安直に言えば、才能だ。


当然だ。この2人は、自分とは違い母さんと父さんの血を受け継いでいる。

ありとあらゆる物を吸収して、一を知れば十を理解し百の行動に移した。

眩い程の才能。

醜く嫉妬するのには十分すぎる程だ。

それでも冷たくあしらったり、暴力を振るうことは無かった。

聞かれたことには正直に答え、アドバイスもした。

兄としてそれが当然だと思ったからだ。

でも、心情はそうではなかった。

何度も嘘を教えたくなった。

手を上げそうになった。

だが、幼ない誓いがそれ等を許さなかった。


そして、その日はやってきた。

初めて妹に負けた。

枕を噛み締め、小さく泣いた。


弟に負けた。

悔しさもなくただ漠然と何かを諦めた。


しばらくは、無気力が体を支配し、立ち上がる力さえ消え失せそうだった。

だが、皮肉にも救ってくれたのは妹達だった。

無邪気にも慕ってくる妹達が「兄」という立場を支えてくれた。

守れるほど強くはないけれど、せめてこの妹達に尊敬される兄であろうと新たに誓った。


その後も幾度も負けたが、まだ戦績は負け越していないので兄としての面目は保っている。


その後も、カラカラと映写機は回り続ける。

己の人生をなぞる様に、映像は流れ続ける。

そして、カラン。と映像が切れた。


ようやく終わりかと立ち上がり部屋を出る。

毎回状況は違うが、流石に82回も同じようなものを見れば飽きてくる。


はぁ、と大きな溜息をつく。




走馬灯は何回も見るものじゃないな。



◆◇◆



現実に戻される。


先程まで、辛うじて直撃だけは避けていたが今回は無理のようだ。

走馬灯を見ても、これから逃れられる術はないと分かった。


あとは、神にでも祈ろう。死にませんようにって。


体の内から聞いたことも無いような、何かが捻じ切れる音がした。


「!!!」


強烈な衝撃。

一瞬の視界の暗転。

しかし、強烈な痛みで、すぐに覚醒する。

吹っ飛ばされ、ピンポン玉のように飛び跳ね、地面を転がり、壁に激突してようやく止まる事が出来た。


揺らぐ視界で母さんを捕らえる。

嬉しそうに笑みをこぼしている。


あぁ、よかった。生きてる。


腹部に手をあてる。

衝撃が突き抜けたのか、背中全体が痛い。

内臓が千切れんばかりに暴れまわり、苦しさから呼吸することが難しい。

背骨が折れていないのが奇跡だ。


壁から這い出る。

明滅する視界。

意識が途切れないように、ここまでのダメージを再確認する。


四肢は千切れていない。

平衡感覚にダメージがあり、地面が傾いているように感じる。

関節は熱を持ち、全身から鈍痛がする。

視界はゆがみ、耳鳴りで音が聞きづらい。

骨は折れていないが軋んでいる。


はは。驚いたな。


ここまで長く対峙して、無傷とは.....恐れ入った。


「おーい! 途中動きが鈍くなったけど、もう終わりか?」


手に視線を落とすと、微かに震えている。

なるほど、直撃した理由はそれか。


この体は少し特殊だ。

通常の人より筋肉密度が高いそうだ。

だから、常人以上にエネルギーを消費する。

食べなければ3日で餓死する恐れがあるほどだ。

これはあくまで何もしていない事が前提。

もし、極度の緊張状態だったなら。

一定以上のダメージを受けたなら。

全力で動かなければならないなら。

ましてや、相手が母さんなら。

本当に、この体は燃費が悪い。

今は少しでも体勢を整えるために、時間がほしい。

時間を稼ぐために、肺に残った僅かな空気を搾り出して答える。


「違うよ。晩御飯。どうしようかなって」


こちらが諦めたと言っても、この強制親子の肉体コミュニケーションは終わらない。

そうか、の一言と同時に蹴りが飛んでくる。

こちらに決定権はない。

ならば余裕ぶって、強がったほうが時間を稼げる。

長年の経験によるものだ。


「いいねぇ。母さんは、出汁巻き卵が食べたい。日本酒でキュッと飲みたいね」


この状況を見ると、なぜ普通に会話が出来るのかと驚くだろう。

そもそも憎くてやっているわけではない。

母さんにとってこれは、ちょっと過剰なスキンシップという認識なのだ。

何処の家庭にでもある親子のスキンシップ。


こっちは命懸けだがな。


ふぅ。

呼吸が正常に戻る。


多少回復する事が出来たが、震えが大きくなっている。

そろそろ動けなくなる可能性が出てきた。

次あたりが最後かな。と覚悟だけはしておく。


どうやらその事に、母さんも察したようだ。

周りの温度が急に下がったのかと錯覚するほどの重圧。

深海に沈められたのかと思うほどの圧迫感と息苦しさ。

体の底から、恐怖という震えが湧き上がる。

膝を折ってしまいたいと思うほどだ。


背筋から詰めたい汗が流れる。

足の震えを止められない。

母さんが、本気で戯れつくぞ。と目を爛々と輝かせている。

口の端を噛み切る。

折れてしまいそうな心を奮い立たせる。


逃げるなよ。これは好機なんだから。


いつもなら、この後は一方的な惨状が待っているが、今回は違う。

これまでの攻防は全てこの瞬間のためだ。

今日この日、この場所だからこそ出来るとっておきの秘策がある。

あの母さんに一矢報いるどころか、勝てるかもしれない秘策が。


痛みと恐怖は、希望により誤魔化せた。


まずは、出だしが肝心だ。

母さんを油断させるか、注意を逸らせればいいんだが。

ふと、妹の発言が脳裏をよぎる。

ダメもとで試してみるか。


「母さん」

「ん?」

「こっちで気になる異性が出来たよ。惚れてるかもしれない」

「え!? 嘘っ! だれ? 紹介してよ!」


注意を逸らすと同時に、体を縛る重圧も消えた。

上出来といえる。



兄ちゃん。女は皆、恋話に飢えた獣なんだよ。



ありがとう。役に立ったぞ。


一直線に距離を詰め、蹴りを放つ。

角度、タイミング、威力。

どれをとっても最良で最高の蹴りが脇腹に直撃した。


「カワイイ子? それとも年上の魅力的な女性かな? どっち?」


全く効いていなかった。


「まぁ、聞ける状態だったら、ゆっくりと聞くことにするよ」


全身の毛が逆立った。

漠然とした何かを感じた。

例えるなら、描いた絵を消しゴムで消すような喪失感。


間に合え!!


蹴りと同時に持った収納袋の口を母さんに向ける。


蹴りは布石、本命はこっちだ。

吹っ飛べ!


圧縮された水が勢いよく噴出した。


これが秘策のうちの一つ。

ここの世界にあって、こっちの世界にはないモノ。

魔法だ。

魔力を持っていない自分は魔法や魔道具を使えないが、ルテルから貰ったこの収納袋なら使える。

そしてこれは、便利な機能がついている。

気がついたのは、大鍋の煮込み料理を作ったときだ。

もっと大量に水が出ればいいのにと思っていたら、一気に大量の水が出たことで、イメージすれば量が調節できることを知ったのだ。


そして、今回は巨大な滝をイメージする。

膨大な水が、母さん目掛けて直撃した。

しかし、母さんが立っていた場所には、巨大な障害物があるかのように大きな飛沫が舞っている。

吹き飛ばすことは出来なかったようだ。


いいさ。想定内だ。

この大量の水が目隠しとなり、こちらの姿も近づく音も消してくれる。

水の勢いに負けず、距離を詰め、飛沫のもとを狙い、手を硬く握り締め、全力で拳を振るう。


これが母さんに勝つための、秘さ.....


水の中から突然手が現れた。

認識した時にはすでに首をつかまれていた。


......っァ。


ミシミシと首に指が食い込んでいく。

そして空気が抜けるように力が抜けていく。

大量に噴出した水が弱まり、放水が止まった。

収納袋に入っていた水が全て無くなったことを意味していた。


「ふぅ、さっぱりした。それで今のは新ネタか? 今年は楽しみだな。正月ぐらいには帰るんだろ?」


帰れるなら帰りた........


女性特有の小さく細い指。

まるで冗談のように首へと埋没していく。

抵抗できない。

指一本動かす事が出来ない。

まるで全てを掌握されているようだ。


「それにしても流石、私の息子だな。ちょっと驚いたよ」


クスクスと小さく笑う。

こちらも、心の中で笑う。

ここまでは想定内。

ここからは自分次第だ。


歯を食いしばる。

このような状況は何度も体験して、もう慣れた。

無茶をすれば腕一本を動かすぐらいは出来る。


ゆっくりと母さんに向かって腕を伸ばす。


目は充血し、顔面蒼白となる。

ガチガチ、と歯の根が合わなくなる。

視界がドンドンと狭くなる。

鼻の置くから鉄錆の匂いがする。


「んー? 随分無茶するな」


すごく近くにいるのに、声が遠くから聞こえる。


届け。


震える腕は、少しずつ伸びていく。


と、届け。


視界が消え、目の前が真っ暗になる。


.....と....け。


伸ばした腕から僅かに何かが触れる感触がした。


これが最後の秘策。

対母さん、ジジイ用の技。

歯を食いしばり、力を振り絞る。




不動。


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