41話
結果から言うと被害は軽微だった。
煤火の狂人が現れたことを考えると、奇跡的と言っても良いだろう。
負傷者は従者が少数。
死者はゼロ。
まったくもって奇跡以外にない。
その奇跡を引き寄せたのはフレア=レイ=ブライトネス。
白い炎を纏い煤火の狂人を倒したのだ。
その奇跡の立役者は今、ベッドの上で天井を見上げていた。
「あれは一体何だったのかしら」
従者たちの話を聞いて、粗方の事は聞いている。
正直、現実感がない。
グッと天井に手を伸ばす。
「手、あるわよね。無くなったと思ったんだけどな」
手を握ったり、開いたり、手が存在していることを確認する。
ゆっくりと起き上がる。
まぁ、あんなことがあれば大概のことは記憶から抹消される。
「ファーストキス。だったんだけどな」
インパクトが強すぎて、今回の事はそれ以外ほぼ覚えていない。
指で唇をなぞる。
「柔らかかった」
あの時の感触を思い出し、あの時の感覚を思い出す。
ドロドロに溶かされるような感覚。
そして時折波のように迫り来る、味わった事ない様な快楽。
痺れるような情動。
キスだけでそれだ。もしその先まで行ってたとしたら.........
ある意味で手を出さなくてよかったと内心思っている。
想像以上であったため、そこまでの覚悟は出来ていなかった。
ブンブンと頭を振り考えを振り払う。
あの時の事を考えると変になる。
思考を切り替え、今後の事を考える。
彼の事を。
フゥと、一呼吸置く。
私どうしたらいいのかしら。
彼に対する想いは知っている。
惚れている。
好いている。
これは、とうの昔に意識している。
ならば、このまま玉砕覚悟で告白してみようか。
それも良いかもしれない。
ただ、それは今の関係をぶち壊してしまう。
優しく温かい関係が壊れ、互いに刃しか残らない。
どちらにしても今の関係は終わってしまうだろう。
怖い。恐ろしい。
だがこのままの関係を続ける事は望んでいない。
私は現状維持や停滞を望んでいない。
それはフレア=レイ=ブライトネスではないのだ。
一つの答えを出さなければならないだろう。
自分が望む結果であるために。
「彼は、強い女性が好きだって言ってたわよね」
それは一つの覚悟だった。
◆◇◆
驚愕であった。
フレア様から回収したシャツと思われるものを解析しているが、一切が不明である。
幾人かの従者からの証言で、何故あの時フレア様が助かったのか。
なぜ煤火の狂人を燃やせる程の白い炎が、このシャツを燃やす事が出来なかったのか。
フレア様が助かった理由は、答えはこのシャツにあると判断して解析をしているが。
誰もがこれが何なのか理解できなかった。
特に、使われている繊維だ。
何で出来ているのか。
何が使われているのか。
どのような方法で作成されたのかが分からない。
それでも分かった物もある。
傷つける事すらできない異常な耐久性。
明らかに異質、どこの地域でとかのレベルではない。
少なくとも人間界でこの代物は手に入らない。
そしてもう一つ。
フレア様が持っていたこの軽装備。
動物の毛皮で作られている物だ。
たが、その所有スキルが異常なのだ。
6つもある。
さらにこの耐久性は、はっきり言って素材だけでも国宝クラスはある。
このどちらもが携わっているのがあのフレア様の彼氏、シヒロ=シラズミ。
「一体何者なんだ」
魔界からきた魔人と言われた方が納得できる。
しかし、魔人はその身に必ず桁違いの魔力を宿している。
........我々は、劣人種に対する見識を改めなければならないだろうか。
「敵でない事を..........敵にならない事を祈ろう」
切実にそう思う。
◆◇◆
話題の中心の彼は、調理場でひたすら肉を焼いては食べていた。
「この調味料と肉は結構あうんだな。ん? これは混ぜるとうまそうだ」
まぐまぐ、もぐもぐ、と食べ進めていた。
「お前、人間だよな?」
「残念な事に人間ですよ」
手を止めることなく食べ進める。
初めてフレアと食事をした時のような反応だな。
「体のどこに入っていくんだ? いやそれよりも、怪我してるんだからもっと体に優しいものを小量ずつ食えよ」
「まぁ、大怪我したならそれでもいいんですが、かすり傷ですよ。ちょっと包帯で大袈裟に見えるかもしれないですけど。軽傷なら肉をたくさん食べないといけないというのが自論です。あと調理場使わせてもらってありがとうございます」
グイッと口に特大ステーキを頬張る。
「べつにいい。今回はフレア様を連れて帰ってくれてありがとうな。その礼だ」
ごくりと飲み込む。
「気にしないでください。さて、ご馳走様でした。それでは部屋に戻って寝ますね」
「おう、早く治せよ。後片付けはやっといてやる。.........あぁ、なんだ。職が見つからなかったら俺に声を掛けろ、お前だったらすぐに職に就けるぞ」
「職にあぶれた時はお願いします。ではよろしくお願いします」
そう言って、調理場から出る。
沢山食べたら眠くなった。
腕はまだ痛むが、この程度なら眠れるだろう。
塗ったばかりに比べればだいぶ楽になった。
治りかけている証拠だ。
部屋に戻りベットのマットレスだけ取り、床に敷く。
ベットに寝るとベットが壊れるからな。
そして眠気にその身をゆだねて深く眠る。
・・・
・・
・
夢を見る。
真っ白い部屋。
対面に黒い影。
ライフルを構え、ジッとこちらに照準を合わせている。
こちらも全神経を使いそれを待ち受ける。
バン!!
耳をつんざくような音がする。
どうやら躱すのを失敗したようだ。
脳天に穴をあけられ、前に倒れる自分が見える。
「10回中8回か。新記録だな」
いつ撃って来るか分からない。
直ぐかもしれない。1時間後かもしれない。
そんな状態での8回だ。
上々といえるだろう。
目の前のライフルを構えた影が消える。
そして、新しい黒い影が現れる。
軽くステップを刻みながら挑発をしてくる。
殺気が部屋に充満する。
全身の毛穴が開き、嫌な汗が顔を舐める。
「準備運動は終わりだな」
いつ撃って来るか分からないライフルよりも危険な相手。
「さて、久しぶりに出てきたが容赦はしないぞ」
憎たらしいほど強い相手。
互いに手の内を知り尽くした相手。
我が妹だ。
こちらの手は知り尽くされているが、相手は妹だ。
別れている間の成長率は未知数。
少しでも見誤れば決着はすぐに付く。
過小評価など怖くてできない。
影が動く。
一足飛びでこちらに跳び膝蹴りをする。
何とも妹らしい、真っすぐで一直線な攻撃。
予想はしていた。
選択肢の一つとして覚悟はしていた。
だが、躱す余裕などないほどの速さ。
瞬きで命を落としてしまうほどだ。
辛うじて、両手と硬い額で受け止める。
ビリビリと痺れるような痛みが走る。
夢では痛みを感じないと聞いたことがあるがあれは嘘だ。
実際すごく痛い。
髪を掴まれ、もう片方の膝で側頭部を蹴り抜こうとする。
させるか!!
無理矢理掴み、思いっきり地面に叩きつける。
しかし、フワリと幽霊のように消えると、横合いから乱打が襲う。
何しやがった。
何をされたか理解できない。
確実に地面に当たったはずだ。
別れた時よりも圧倒的に強くなっている。
耳元で聞こえる風切り音が、クマのそれを凌駕している。
それを一呼吸でダース単位で襲ってくる。
体力切れがないからできる戦法だろう。
向こうは一つでも当たれば勝ち。
こちらは一つでも間違えれば負け。
それほどまでに実力差がある。
だからと言って、それで負けてやる理由にはならない。
今までの知識、経験を総動員する。
魔法のあるこの世界での経験も無駄にしない。
確認してからでは遅すぎる。
反射で動いてもまだ遅い。
もらってはいけない物だけを絞り、それだけを予測し、予想し、反射で防ぐ。
辛うじて、皮一枚を削りながら、ジッと耐え忍ぶ。
動く針の穴に糸を通すような作業だ。
僅かな隙に無理やり通すように。
キタッ。
隙ともいえない様な間隙に掌底をねじ込む。
しかしひらりと躱すと、鳩尾に深々と蹴りが突き刺さる。
肺がせり上がり、空気をすべて吐き出してしまう。
だが、
捕まえた!
腹に力を籠め、捻りを加えながら前に倒れこむ。
脚を挫かせる。
グギリと嫌な音が伝わって来る。
だが膝で顎を打ち抜かれ、僅かに弛緩した隙に逃げられてしまった。
受けた被害に対して、ようやく足を一本挫かせただけ。
割に合わない。
予想通りに予想以上の強さだ。
素質はこっちのはるか上。
勝てているのは年齢と身長と体重だけ。
正直負けたとしても、誰もが仕方ないと思うだろう。
だが負けたくないのだ。
理由は兄の尊厳を守りたいだけ。
あの2人に兄と尊敬されたいがために負けるわけにはいかない。
たとえそれが夢であってもだ。
迫り来る圧倒的な『必殺』に耐えるため、奥歯を噛みしめる。
夢の時間は始まったばかりだ。
読んでいただきありがとうございます。
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