35話
カツカツと足音を立てながら一人のメイドが調理場へ向かっている。
晩餐会の準備は整っており、招待客も到着する時間である。
メイドは料理の進捗状況を確認に来た。
「?。おかしいですね」
本来であるなら、この時間でも忙しく怒声や罵声に近い声が飛び交っているはずである。
それなのに、誰の声も聞こえず、作業の音だけが聞こえてくる。
扉の前に立つが、いつもの殺気だった気配が感じられない。
そっと扉を開けてのぞき込む。
いつもなら、鬼気迫り緊張状態が続いているのに、何やら余裕を感じる雰囲気だ。
そこで料理長と目が合う。
「おう、もう時間か?」
「え、ええ。そろそろお客様が到着なされます」
「わかった。持ってくよ。おーーーーい!!! 準備しろ!! 出来上がってる料理を持っていけ!!」
広い調理場に響き渡る様な声を出す。
「「「「はい」」」」
それに負けない声で応答する。
そこにも違和感がある。
本来なら、料理長を含め隠しきれない疲労を感じるのに、今回はそれを感じさせない.......
「シヒロさんはいないのですか? 見当たらないようですが」
料理の確認だけでなく。シヒロさんの確認もして来いとお申し付けられていた。
「.........あいつは、倉庫で掃除してるよ」
「あぁ。やっぱりご迷惑になったんですか?」
調理場での仕事は慣れた者でも疲労が隠せない。
それを昨日今日来た者に務まるはずがない。
たとえ料理が得意だと公言していても、ここではそれはあってない様なものだ。忙しさの桁が一つ違うのだ。
なので、料理長が仕事の邪魔にならないように倉庫掃除をさせられたと予想した。
だが、その質問にどこかバツが悪いように、料理長はガリガリと頭を掻く。
「逆だ。あの野郎。生意気にもこっちの仕事をほとんど終わらせやがった」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「こっちの残りの仕事は後片付けだけだ」
「え、あ、本当ですか?」
嘘をついてるとは思っていないが、その言葉を信じられなかった。
「嘘じゃねぇよ。明後日の朝の切り込みから、仕込み、棚卸し、食品の注文、とにかく全部終わらせやがった、それに晩餐会の料理もちゃんと作ってやがる」
食って見ろと、今日の晩餐会で出されるであろう料理を差し出される。
いつも出されている料理とは見た目も大きさも違っていた。
一品というにはとても小さいが、見た目がとても美しく、可愛らしく思えた。
「これ、1人分ですか? 随分と小さいようですが」
「一口だとよ。酒の肴や軽い前菜だと」
訝しげに食べてみる。
サクサクと下の生地のが心地よく、野菜、チーズ、食感が飽きないようにピクルスまで入っていた。
口の中で混ざりあい、美味しく楽しい料理だった。
小さいのでいくつでも食べれそうだ。
「良いと思いますよ。料理が得意というのは嘘ではないようですね」
「クラッカーオードブルって言うそうだ」
「これなら出しても問題ないですね」
そこが問題なんだと、料理長は言った。
本来なら一品作っても晩餐会に出すつもりはなかったそうだ。
何かあったら料理長が責任の全てを取ることになるからだ。
そういった面倒が起きないためにも、どんな料理を出してきても、出すつもりはなかった。
しかし蓋を開けてみれば結果は変わった。
どの料理の味にも邪魔していないのに華がある。
一口と小さいので、招待客で来るであろう女性や子供のことまで考えてある。
味と気遣い、心配り。
それを感じてしまい、出すことを了承してしまったとのことだった。
はぁ、と溜息をつき何とも複雑な心境で語った。
「魔力を持ってないのに、フレア様の恋人って言うんだから、家名目当ての貧弱で薄っぺらい野郎かと思ってたんだが.........人の5倍は働いてやがった。まるでこっちが動かされてる気分になったぞ。全くムカつく野郎だ」
気難しい料理長が人を褒めるのは滅多にない事だった。
「することが無くなった、と言いやがったから食料庫の掃除をさせてるぞ。晩餐会に出すんなら早めに持っていってやりな」
そう言って奥へ戻っていった。
昨日の食事の時もそうだったが、知れば知るほど理解できない人だった。
◆◇◆
仄暗い食糧庫で掃除をしている。
「ダラダラとするつもりだったんだがな」
つい大量に、大勢で作るという事が楽しく、夢中になってしまった。
気が付けば仕事がなくなっており、「やってしまった」と後になって気が付いた。
「掃除も終わりそうだ」
この棚で最後だ。
ゆっくりと丁寧に拭いていく。
この後、本当に晩餐会に出席しなくてはならないのだろうか。
取り敢えず掃除が終わったと報告したら逃げる事にしよう。
そんなことを考えていると、他の棚と違う違和感があった。
「なんだ? この棚だけ上下の材質が違うのか?」
薄暗くて分かりずらかったが、よく見ると棚の下だけ他の棚と材質が違う。
さらによく見ると、僅かだが隙間が空いている。
「ふむ」
軽く棚を引いてみると、下の部分だけ引き出しの様に動かす事が出来た。
そこから覗いてみると壁に小さなドアがある。
「おお、もしかして隠しワインセラーかな?」
食糧庫を掃除しろと言われているのだから、このいかにも何か隠していますよと言っているドアを調べて、この奥も掃除しなくてはいけないだろう。
「仕方ない、仕方ない」
そういいつつ笑みがこぼれる。
そしてドアを開けると地下に続く階段があった。
「ほう」
掃除のため、階段を慎重に降りていく。
すると、人が一人通れるほどの小さな廊下があり、その奥にまた扉があった。
「んー?」
距離といい扉といい、何かしらの悪意を感じる。
「ふむ」
奥へと進まず、慎重に壁や床天井を調べると天井に何やら突起物を見つける。
押し込んでみると、横の壁が開いた。
「当たりかな?」
中に入ると、そこは小部屋だった。
小さな机と椅子、その上に何かの道具と幾つかの本が置いてあった。
「酒じゃないのか」
少しがっかりした。
とりあえず掃除をする前に、目の前にある本を読んでみる事にする。
忙しいなら読もうと思はなかっただろうが、焦ってやる必要がない。
むしろ時間を潰したいのだ。
薄汚れた本を取る。
本に書かれている内容は著者の日記のようだ。
面白い内容ではなかったので途中で読むのを止めた。
著者はバルド=レイ=ブライトネスと書かれている。
フレアの父親.......いや、古さから言って祖父か。
次の本を取って見る。
今度は今まで調べていた研究のような物が書かれている。
魔法、スキル、そして勇者の事。
これは面白そうなので最後まで見ることにする。
魔法については、魔法の原理という内容ではなく、鍛錬法について書かれていた。
古今東西ありとあらゆる方法を調べ、その中から合理的なモノだけを選び、混ぜ合わせたオリジナルの鍛錬法らしい。
自分では実践できないが、中々に面白い内容だった。
スキルに関する事は一番よく調べてあった。
剣術Lv1 とスキルを持っていない者なら、お互いに剣の縛りという条件ではどう足掻いても敵わない、それ程の開きがある。
だが、持っていないからと言って使えないという事もない様だ。
魔法が良い例らしい。
そして、スキルの持っている数は人によってバラバラであり、人の価値の簡単な指標としても使われているそうだ。
並の者なら3~4、才能あるもので5~6、天才なら7以上とされている。
スキルは持って生まれたものではなく、10歳前後で突如として顕現するそうだ。
それ以降はどんなに努力してもスキルは顕現する事は無い。
これを神の贈り物として与えられた力だと教会は言っているそうだ。
末文に、このスキルというものは、ある意味で幸福でありとても残酷だと締められていた。
最後に勇者について。
勇者というものは、特例中の特例、例外中の例外、この世界の理の外の存在だと書かれている。
魔法はこの世界の規則に当てはまらず、スキルも見たことも無い様なスキルが顕現し、それはどれもが強力なスキルだそうだ。
召喚されたという特殊性なのか、この世界の規則に当てはまらないものを無理矢理当てはめた結果からなのか分からないと書かれていた。
次の本を手に取る。
内容は家族にあてた物のようだ。
税金対策のため、隠した財産について書かれていた。
初めのページで見るのを止めた。
これは盗み見て良いモノではない。
なので見なかったことにした。
今度は机に置いてあるものに目を向ける。
オシャレなメガネ、黒い液体が入ったガラス瓶、球体の羅針盤。
恐らく全て魔道具だろう。
他に興味が湧くようなものもない。
これは家人に渡しておくべきだろう。
本と魔道具を小脇に抱え部屋を出ようとした時、黒い液体が入った瓶が大きく震えだした。
手を滑らせてしまい慌てて掴んだが、力が入ってしまい握り潰してしまう。
「おぅ。やっちまった」
弁償とかどうしようか、素直に話すべきか考えた.
.......取り敢えずこれは存在しなかったと事にしよう。
元々無かった物なら壊しようもない。
床は元々汚れていた。
掃除すればいい。
これで問題解決。
そんな証拠隠滅を頭の中で組み立てていると、中に入っていた液体は何やら生き物のように蠢き、小さな盃を形作り、地面に文字を書いていく。
「日本語.......か」
母国語だ。
ならこれは勇者が作った物だろうか。
書かれた内容は『この盃に強さの証明と己の存在を捧げよ。そ.......』であった。
これ以上は悪筆すぎて読めない。
「せめて綺麗な字で書いて欲しいものだな」
一呼吸置き「んー」と深く考える。
この状況。
この通りにするならば、何が起きるか分からないが、何かが起きることは間違いないだろう。
予定変更。
無かったことにするのではなく、初めからこれから起こるべき事があったという事にしよう。
そうと決まれば実行に移す。
差し詰め、この書いてある文字通りに従ってみよう。
盃は、黒い液体が集まったこれで良いのだろう。
強さの証明? 己の存在?
何かの暗号かと考えたが、もっと単純に考えてみる。
「こういう事かな?」
強さの証明という事はこの世界で言う魔石と予測する。
なので今持っている一番大きなクマの魔石を取り出す。
そして、自分の証明という事はDNA的な事でいいのか? と思い、唾を付ける。
それを盃から落ちないようにバランスを取りながらそっと置く。
そういえば、ギルドでの登録も似たようなことをしたな、と思い出していると全ての黒い液体が魔石を覆うように集まる。
しばらく蠢くと、フラクタル状の卵が完成した。
恐る恐る持ってみる。
しっとり、プニプニしている。
まるで薄皮だけの卵のようだ。
そして、中で動いているのが分かる。
生きているのだろう。
「これがあったという事にするか」
ビギリッと、その柔らかな感触から想像がつかないような金属が割れるるような音がすると、卵が割れ殻が零れ落ちる。
中身は白い蛇のような物だった。
ようなというのは、蛇というには下顎に柔らかな髭が生えており、空中に浮いているからだ。
パチパチと瞬きを繰り返し、こちらと目が合う。
「ギィー」
軋んだドアのような鳴き声を上げた。
「蛇ではないようだな」
ニョロニョロと空中を這うように近づくと髪の中に入っていく。
手がふさがっているので頭を振る。
「こら出ていけ」
「ギッ」
嫌だと言っているように短く答える。
正直面倒くさくなったので追い出すのは諦める。
「引き渡すまで大人しくしてろよ」