20話
ポタリ........ポタリ.......と水滴が落ちる。
「...........シヒロ」
濡れたような声で小さく呟く。
「なんだ」
「この先どうしたらいいのか分からない」
そんなこと自分に聞かれても困るんだが。
「夜も更けたし、体を拭いて、寝間着に着替えて寝ればいいんじゃないか? ベッドは一つしかないから一緒に寝ることになるが。嫌なら下で寝るぞ」
そう提案するがゆっくりと首を横に振る。
「そうじゃないの。この胸のモヤモヤをどうしたらいいのか分からないの。体がムズムズして眠れないのよ」
呼吸は浅く、目は蕩けたように見つめ、頬を赤く上気させていた。
ただ事では無い雰囲気だ。
これが妹とかならまず間違いなく、油断させた後の闇討ちだと判断して手の打ちようもあるのだが、悪意も殺気も感じない。何より相手はフレアだ。
正直どうしたら良いかわからない。
よくわからない時は逃げの一手が自分の定石だ。
片手でそっとフレアの後頭部に触れ、もう片手でフレアの首を撫でる様に触れる。
「.........ぁ」
小さく煽情的な声をあげる。
7秒後全身の力が抜け覆いかぶさるように気絶する。
まぁ、締め落としたのだ。
痛みを感じないようにやさしく。
覆いかぶさるフレアをそっと横に寝転ばせ、毛布を掛ける。
勿論その時目を瞑っておく。
正直惜しいとも思ったのは内緒だ。
ベッドから降り、窓の方に向かい備え付けのいすに腰掛ける。
今夜はとても月光が明るかった。
「自分だって、どうしたらいいのか知らないんだよ.........」
苦々しい思いで月を眺める。
まったく分からないというわけではないのだ。
何となくの当たりはつけている。
だがどういう風にしたらいいのかが分からない。
眉間にしわを寄せ目頭を押さえる。
自分の人生の記憶からそれらしきものを探る。
確かあれは10歳の時、夜中に目が覚めトイレに行こうとした時だ。
母さんの息が切れながらも楽しそうな声をあげ、父さんは死んでしまうんじゃないかと思うような途切れ途切れの呻き声が聞こえてきたのだ。
聞きなれない両親の声がとても怖かったので急いで部屋に戻ったのを覚えている。
翌日、母さんはご機嫌で肌がツヤツヤとしており、父さんは疲れ切って燃え尽きていた。
恐らくだがきっと、フレアはあれを望んでいたんだろう。
「どうすればいいんだよ.........父さん」
何気なく口にした言葉で、ふと気づく。
このことを父さんが予想していなかっただろうか。
まさか、あの父さんだぞ。絶対にしているはずだ。
光明が見えた気がする。
だとしたら何かしらの手段を使って伝えようとするはずだ。
所持品は多くない。その中に必ずある。
..........父さんから貰ったプレゼントのメモ用紙。
急いでポーチに入れてあったカバンからメモ用紙を取り出す。
だがメッセージが書かれただけで、透かしもあぶり出しもなかった。
落胆しかけた時に、ジジイから貰った免許皆伝の巻物が目に入る。
初めは気づかなかったがこの字は父さんの字だ。
そういえば貰ってから一度も目を通していなかった。
一縷の望みをかけて開いてみる。
「...........良し! 当たりだ」
目次の欄に父さんの字を発見する。
他にも筆記が変わっていることから、恐らく自分以外の家族全員が何かしら書いているようだ。
急いで父さんの所まで巻物を開く。
..........嫌がらせかな。全部暗号化されていた。
面倒くさいが、まぁ、解読できないわけではない。ただ一番の問題は........字が小さい。
一時、巻物から目を離し一呼吸置く。
父さんは極度の心配性だ。
特に息子の事となると普段から想像できないぐらい取り乱すことがあるそうだ。
だからなのだろう。
伝えたい事が沢山あるせいか極小サイズの文字でビッシリと書かれており、近くで見なければ一面真っ黒に見える。文字数の節約も含めて暗号化しているのだろう。
ギュッと目を細め、この書かれている文章を解読していく。
そうは難しくない。父さんと一緒に遊びで作った暗号そのまま使っているからだ。
「『処方した薬の正体』.......『史宏の体質について』........『奥義』.........『女性関連で困ったら』、これだ!」
他にもすごく気になる事があるが、今はこの情報に比べれば些事である。
必要で重要そうな情報だけを読み進めていく。
・・・・・・
・・・・・
・・・・
柔らかい月光から、眩い朝日が窓から差し込む。
どうやら夢中に読み進めていくうちに朝になってしまったようだ。
窓を開けて空気を入れ替える。
「早朝の空気は美味いな」
ぼやけた頭がシャキッとする。
徹夜続きという事だけでなく、どうやら部屋に焚かれていたお香が思考を鈍らせる効能でもあったようだ。
取り敢えずキリも良い所なので、ここらで止めておく。
知りたい事は理解できた。
応用である『母さんを虜にさせた舌技・100選』の所まで読み終えた。
まだ2割も読み終えてないが、それは時間がある時でいいだろう。
今度は、拡大鏡を用意しよう
目頭を揉みながら心に誓う。
ベッドの方でフレアがゴソゴソと寝返りをうつ音がする。
不意にそちらを見ると、フレアの白い背中が見え、心臓が高鳴る。
そういえば素っ裸で寝てたんだな。
少し戸惑ってしまった。
動悸がする。これが異性に興奮するってことなのだろう。
眼福ではあるんだが、これ以上は目の毒になりそうだ。
ベッドに近づき毛布をかけなおす。
その時、丁度フレアの顔がこちらを向く。
相変わらずの別嬪さんだな。
髪の色と一緒で眉とまつ毛も同じ色をしていた。
まじまじと顔を見ていると、薄目を開けフレアと目が合う。
瞳の色まで同じか、意識してみてなかったから新鮮だな。
「........シヒロ?」
「あぁ、おはよう」
「ここ何処?」
「宿屋だ。まだ朝早いから寝てていいぞ」
「いい。起きるわ」
そう言ってそのまま起きようとする。
毛布がズルズルずり落ちて胸が見えそうになる
慌ててベッドに抑え込む。
「........なに?」
「落ち着いてよく聞くんだ。着替えはあそこのテーブルに置いてある。向こうに行ってるから見えなくなったら起き上がってくれ」
そう言ってすばやく移動する。
少し経ってから、絹を裂くような悲鳴が部屋に響いた。
・・・
・・
・
その後は殴る蹴る、罵倒するの繰り返しだった。
痛くはないんだが、殴ってるフレアの手や足が心配だ。
案の定、変な角度で蹴ってしまったようで、足を摩りながら涙目で怒っていた。
何とか宥めて宿屋を出るが、また怒り出した。
どうやらここは男女の営みが目的な場所だったらしい。
あのおっさんも変な気を回して
そのあと「一人にさせて」と怒りを抑えるためどこかへ行ってしまう。
怒る気持ちは何となく察するが、何も起きてないんだからそこまで怒ることも無い様な気がする。
複雑な乙女心って事なのだろう。
そう解釈し、フレアが頭を冷やしてる間に、帰りの足を確保するためギルドに寄ることにした。
「いらっしゃ~い」
相変わらず、視覚的暴力をふるってくる受付嬢がそこにいた。
「あー、アズガルド学園に行く依頼とかないかな。無いならそこまでの移動手段とか教えてもらえると助かるんだが」
「ん~、残念ながら依頼はないわね。今も大暴走のせいでアズガルド学園に向かう人とかいないから一緒に便乗って方法も取れないし。大きく迂回するか、しばらく待ってもらわないといけないわね」
なるほど、足止めと喰らうってことか。
これはフレアを背負って走るしかないかな。
でも、フレアはあまり乗り気じゃないからな、揺れないように慎重に運んでいるのに何が気に食わないんだろうか。
「あ! 思い出した。あなた昨日料理した人でしょ」
「ん? ああ、そうだな」
「かなり美味しかったわよ。あんな食材でアレだけ美味しいものが作れるなんてビックリしちゃった」
「そう言ってもらえると作った甲斐があったよ」
「あれを食べてから不思議と力が湧いてね........昨晩は燃えに燃えちゃった」
こちらに熱い視線を向ける。
背中にゾッと寒気が走る。
「やぁね。冗談よ冗談」
そう言って笑っているが目が笑っていない。
何があってもすぐに逃げれる準備だけはしておく。
「それで要件はそれだけかしら?」
「んー。そうだな、出来ればこの街について詳しく聞きたいな。しばらく足止めされそうなんでな」
「そんな事でいいの? 問題ないわよ」
コホンと軽い咳払いをする。
「ようこそ。ここは慨嘆の大森林から魔物の侵入を防ぐ要塞の一つガロンドよ。ここでの特徴をあげるとするなら特殊な奴隷制度かしら」
「奴隷?」
「あら? 知らないの。この街の半数は奴隷よ。ほら、今回の大暴走の肉壁班とかあれほとんどがギルド所有の奴隷たちよ」
「そうなのか」
「じゃなければ、進んで死線の第一線なんかに行かないわよ」
「なんかここいらの奴等を見てると、持っていた奴隷のイメージとは違うんだが」
「みんな生き生きしてるでしょう。ここは奴隷でもある程度の自由が許されているわ。ただしこの街を離れないこと、死んでも文句は言わないこと、大暴走には強制参加が絶対条件。でもきちんと報酬は貰えるからそのお金で好きな物を買っても良いのよ。そう考えると一般の人と変わらないわね、他に比べれば楽園よ。長生きは出来ないけど」
そうなのか。
「もちろん貴方も奴隷を買う事もできるわよ。可愛い子から、ダンジョンに潜るための戦力まで、目的に会った奴隷がきっと見つかるわよ。今なら大暴走の直後で魔石や素材を買い付けに来た行商人が沢山来てるから色々な奴隷が売られていると思うわ。買うなら今がお得ね」
そう言ってこの街の地図を取り出し、「ココと、ココがお勧めよ」と奴隷市場を教えてくれた。
「ちなみに私の名前を出すと色々サービスしてくれるわ。ウォーザリーよ。遅くなったけどよろしくね」
改めてこちらも自己紹介する。
奴隷に興味はないが、どういったものか後学のために見ておくのもいいかと思う。
それよりも気になったのが
「ダンジョンに潜るって慨嘆の大森林以外にもあるのか?」
「それはあるわよ。基本的には儲けが少ないから行く人は少ないけど、興味あるなら教えましょうか? 丁度依頼もあるわよ」
可能性は低いけど、ルテルの落とし物が見つかるかもしれないな。
「ここの近くで、最近見つかったり、出来たダンジョンがあるなら教えてほしいんだが」
「それに答えるのには料金がかかってくるわね。情報は有料よ」
パチリとウィンクする。
不意に視線をそらしたくなる。逸らすと何されるか分からないのでグッと堪える。
「でも昨日の美味しい御飯と、大暴走で私のダーリンとハニーを助けてくれたお礼に教えてあげる」
「..........そいつはありがたい」
ダーリン? ハニー? 詳しくは聞きたくないな。
「最近見つかったのは大樹の洞からできた地下ダンジョンね。虫や寄生植物の魔物が中心よ。ここで採れる蜜を収入源にしてる人もいるわ。美容や調度品としても使われてるから依頼は多いわよ。でも、発見は最近だけど、かなり古い部類かしら。あとは...........それぐらいかしら」
今僅かだが間があいたな。
確かめるような間ではない。意図として隠すような間だった。
ぜひ詳しく聞いてみないとな。
大暴走で貰った報酬の金貨を一枚差し出す。
少しに苦い顔をする。
さらに一枚差し出す。
「もう、勘弁してよ。察しが良いと困っちゃうじゃない。お金の問題じゃないの」
畳み掛けるように、もう一枚差し出す。
金貨はこれが最後だ。
「分かったわよ。でもこれは受け取れない。代わりに貴方が依頼を受けてくれるなら教えてあげるわよ」
そう言って金貨を返却し、代わりに一枚の紙を差し出す。
「それにサインしてくれたら詳しく話すわ」
書かれている条件と報酬を見比べる。
基本は銀貨5枚、職員同行か。
ついでに依頼の写しも貰い。サラサラとサインして、ギルドカードを提出する。
「いい? 話すわよ」
今までふざけていた顔つきが引き締まり、真剣な顔つきになる。
「最近、何かの遺跡らしい物が発見されたの。初めに職員が調査に行ったんだけど恐らくダンジョンだろうという事になって、改めてギルドから直々に遺跡の中の調査依頼を出したのよ。だけど依頼を受けたパーティが帰ってこないのよ」
「ダンジョンの中で死んだんじゃないのか?」
「その可能性も否定できないんだけど........パーティの強さからしてそれはないと思うのよね」
「それだけヤバかったって事だろ」
「んー、それが何とも言えないのよ。誰も帰ってこないならそれも考えられるんだけど、何人かのパーティは戻ってきてるのよね」
「そいつらの話だとなんて言ってるんだ?」
ハァと大きなため息をつく。
「特に異常らしい異常はないって事らしいのよ。魔物もゴブリンがいる程度だって」
「そいつら適当に言って、実は行ってないんじゃないか?」
「勿論それも疑ったわ。だから職員も同行したんだけど結果は同じだったのよ」
「その後も何人かのパーティは帰ってこなかったとか」
「その通り」
可愛かったのに.........とぼそりと呟く。
手当たり次第だな。
「正直貴方に頼むのは気が引けるのよ。Cクラスと言ってもギルドカードを見る限り、かなり弱いじゃない。だから絶対にあの子を連れて行きなさいよ。むざむざ死にに行かせるのは目覚めが悪いしね」
フレアの事か。
「一人でも大丈夫な気がするがな」
「慢心は駄目よ。それとも好きな子を守るために遠ざけるって奴かしら? 素敵な考えだけど生きててこその冒険者よ。それにそのセリフはあの子より強くないと言っちゃダメよ。弱いなら強者に守られることを甘んじて受けなくちゃ。嫌なら強くなるべきね」
うふふ、とほほ笑む。
「有難い言葉だ。肝に銘じておくよ。それで、具体的な場所と、行くまでに注意しておくべき事があったら教えてくれ」
「少し待ってて」
棚に保管されている地図を取り出す。
「場所はここから1日半って所かしら、山道が多いからそういった装備と準備で行った方がいいかもね。出てくる魔物はガルト・トレントとフォレストウルフが中心よ。持ってきた情報に応じて報酬も上がるから頑張ってね」
ごついおっさんが二コリとほほ笑む。
悪い人ではなさそうなんだけどな。
「もし生きて戻ってきたら.........私が直々に癒してあ・げ・る」
急いでギルドから出る。
今まで感じたことがない危機感だった。
ギルドからだいぶ離れてから逃げるのをやめる。
「さて、足止めをされている間にすることも決まったし、フレアに話しておくか」
一緒に行くかどうかは別として、黙って一人で行くとまた煩そうだしな。
それに魔力で開閉する扉があったら大変だ。
探すか。