123話
気が付くと部屋の中央で立ち尽くしていた。
何故そうしているのか思考が纏まらずただ茫然と立っている。
まるで何かをしようとしてそこへ行ったのに何をしに来たのかふと忘れてしまったかのようだ。
深く思い出そうとして何気なく頬に手を当てた。
あれ......腕あったけ? 肘から先を斬られてたような。と疑問が浮かぶ。
いや、前提としてそもそもが不動を使ったせいで動かせなかったのでは、と思い出した時。それが針の一刺しとなり蓄積されていた記憶の土石流が脳みそを叩いた。
「.........うぇっ」
視界が傾き、平衡感覚が狂いだす。
近場にあったバケツを急いで手に取り盛大に吐いた。
濃密で尋常ならざる情報量。
その中でも異彩を放っているのが腕ムカデがアメーバのように引き延ばされて霧散するシーンだ。
あまりにも鮮烈過ぎる。
そのシーンだけ新しい感覚器官を搭載されてうえで、既存の感覚器官を無理矢理拡張された状態で見せられているようだ。
眼球で見る世界が16ビットの様に粗雑さを感じるほどだ。
脳の処理能力が追い付いていない。
発熱している。
脳みそが煮凝りのようになるのではないかと思うほどだ。
拷問のような痛みと気味の悪い痒みに脳みそを掻きむしりたくなる。
「きっつ」
何が。
今もなお押し寄せる情報量に思考巡らせる余地がほぼ無い。
苦痛に歪んだ顔に脂汗が浮かぶ。
揺らぐ視界。
震える手で不快感ごと拭おうとした時に手の平のそれを見た。
「......」
手の平に何かの模様が書いてあった。
文字のようなものではない。もっと簡単な絵のようなもの。
目をすぼめて焦点を当てる。
するとそれが何なのか理解した。
「......あぁ」
それは家紋。弟が考案した我が家の家紋である。
これを知っているのはこの世界で自分だけ。
だが、これを自分で描いた覚えがない。
「こんなことするのは.......」
父さんか。
納得いった。
父さん関連であるなら、この症状はいずれは治まり死ぬ事はないのはわかった。
だが.......分かったところで何をやってもこの痛みが和らぐことがないのも知っている。
歯を食いしばり、ゆっくりと床へと転がり悶え苦しむ。
今はただ耐えるしかない。
・・・
・・
・
「うぉーいー。おわったぞーってどうしたー。大丈夫かー」
慌てて扉を開けてわらび餅が部屋へと入ってきた。
別れて日は立っていないのに懐かしさをかんじる。
体を起こせず、首だけ動かし返答する。
「まぁ、ちょっとだけ」
どれぐらい苦しんだか分からないが会話できるぐらいには治まってきた。
ただ、マシになったとはいえ痺れるようなむず痒さと頭の中を直接掻きむしりたい衝動はは未だ取れずに残っている。
「ベッドに連れてきたいけど私じゃ運べないぞー」
そうは言いつつ運ぼうと頑張ってくれるが、足を滑らせ腕にペチャリと潰された。
「有難いけど、先に水だけくれない? 胃酸で喉が焼けそう」
「了解ー。おりゃー」
気合と共に収納袋を持ってきてくれた。
それを受け取り水を飲む。
ただの水のはずなのに甘露のような甘みを感じる。
水が体に沁み渡る。
「どうよー」
「あんがと」
落ち着いてきた。
「なぁ、わらび餅」
「なんだー」
「.........慨嘆の大森林に行って、どれぐらい経ったかな」
「んー、多分10日ぐらいかなー?」
「帰ったのは?」
「その日には先に帰って待ってたぞー」
「そうか。そうだな。そうだった」
そんなに日が経っていたのかという気持ちと、言われればそれぐらいは経っていたかという納得の気持ちが混ざっている。
忘れていたことを思い出した感覚に近い。
「どうしたー。頭ヤバそうな感じかー?」
「いや、もう大丈夫だ。ちょっとボンヤリして酷い立ち眩みで倒れたみたいな感じだから」
「ここ最近で色々一気ににやったから疲れてんだなー。今日は早めに寝ようやー」
「......そうだな」
「明日から忙しくなりそうだしなー。英気を養っとこうやー」
そういい、寝る準備を整え横になる。
腕に絡みつくわらび餅のひんやりとした感触と気が付けばまた腕に巻き付いているハクシに挟まれながら明日以降の事を考える。
痛みはもうない。
記憶が全部処理され思い出した。
マッサージ屋はリピータと紹介のみで行い、価格料金は大幅値上げとしたこと。
子供たち受け入れのために内装の変更。
一番費用が掛かるであろう食費問題には、ここのボスと交渉して今まで閉鎖されていた食堂の再稼働を提案。
使用料という定額金、売り上げの一部を支払い、それらを含めて黒字である限りは責任者として扱ってもらえるうえに、食堂を使用する際に発生する光熱費と食材費は向こうが持ってくれることになった。
これで後ろ盾と食費問題がある程度解決できるうえに、食堂での心象が子供たちに対する多少の迷惑は目を瞑ってもらえるかもしれない。
あぁ、いや、違うな。食堂に関してはもうすでに稼働している。
入りは少ないが、数は増えているので上々のはずだ。
そして明日は子供の受け入れと特別メニューの依頼とマッサージが被っている。
ふぅ。と小さく溜息をつく。
なんとも色々とギリギリのラインである。
ただ、それでも始める上での面倒な手続きや処理などは全て完璧に終わっている。
さらに言えば、ボンヤリとこうしたらいいな。と思っていたことが完璧に調整されており、今はやるだけでいい状態になっている。
忙しくはあるだろうが文句なしである。
「........」
色々言いたい事はあるが、一言だけにしておこう。
「......ありがと。父さん」
◇◆◇ 女神の指・食堂
何時頃からだろうか。あったことも忘れていた食堂がにわかに活気づいている。
まぁ、初日にボスから告知があったとはいえこうも客足が伸びるとは誰も予想できなかっただろう。
だが、今となっては理解できる。
理由としてはまず値段が安い。
本当にビックリするほど安い。
身内価格として割引されている事もあるが、それを抜きにしても安い。
さらに食堂の後ろ盾としてボスがいるのが強い。
これだけで余計な事をしようと思う者はいなくなり、大体のいざこざは収束できる。
そして、個人的ではあるが最大の理由が値段以上に味が良い。
めちゃくちゃ美味しいというわけではないのだが普通に美味しい。
点数で表すなら70点ぐらいではあるのだが、誰が食べても美味いと感じる味である。
下手に自分で作るよりも安く、同じ値段の外食よりもうまいとなるとリピーターが増えるのも仕方がない事だ。
ただ回している人数が2人しかいない。だからこそなのだろうがメニューは一品のみ。
仕入れによって内容が変わるためメニューは日ごとのランダム。
限定100食。
皿などの器は持参する。
この辺りがこの食堂のデメリットではあるが、この値段を保持するためと言われれば反感を抱く者はいない。
いたとしても来なければいいだけである。
「えー、お待たせしました。本日のスペシャルメニューです」
そういい、男が巨大な鉄板を運んでくる。
そこには景色が歪むほどの熱気と食欲を殴りつけるかのような暴力的な香り。
そして夢にまでで出来そうなほどの巨大な肉の塊。
アツアツの鉄板に弾ける油が万雷の拍手のようだ。
「あぁ、待ってた」
「最高だ」
「早く! 早く!!」
何よりこの食堂が最高なのはお金を上乗せすれば1日に1回のスペシャルメニューが予約注文できるところである。
通常メニューに比べれば尋常ならざる値段が掛かるがそれ以上の御馳走が提供される。
値段が値段だったので今回は3人での分割である。
「ご注文は『お肉ガッツリ系』とのことでしたので、『スペアリブ』をにしました」
初めて聞く名前ではあるが、目の前の肉は最高を予感させるには充分だ。
周りの羨望の眼差しに優越感を刺激する。
「食べ方はご自由なのですが、この料理には最高の食べ方があります」
骨が付いたまま食べやすいように肉を切り分けながら説明する。
堅ッ苦しい食べ方なのかと少し辟易とするが問題を起こして没収となるのはごめんだ。と皆黙って聞く。
「両手で掴んで、下品に齧り付いてください」
それは最高だ。
大の得意だ。
「それでは」
言葉を最後まで聞かず、フライング気味に齧り付く。
柔らかい。
蕩けるような柔らかさ。
ホロホロと崩れながらもしっかりと肉のボリューミーを感じさせている。
脂が暴力的にまで旨く甘みさえ感じる。
口いっぱいの幸福を噛みしめていると気が付けば一瞬で無くなっていた。
誰かが盗んだんではないかと思ってしまうほどだ。
惜しむように骨を齧る。
面白半分であることと、味に不安があるという理由で3人で割るんじゃなかった。
こんなに美味しいと知っていたのなら.......。
「おかわりとかあったりする?」
「無いです」
「次の予約は?」
「今月は埋まってるので未定です」
「私を基本料の半額で相手するって言ったらねじ込めるんじゃないか? サービスもするぞ?」
「ボスに怒られるのでダメですね」
ボスが出てこられると力尽くもできない。
クソ。こんなの生殺しじゃないか。
「.......ぐぅ」
あぁ、こんなに美味しいと知っていたのなら.......。
ガジガジと骨の中の髄までしゃぶる。
くそぅ。