120話
辺りを索敵するが反応は無い。
単純に考えれば、あの化け物に食われて死んだと思うのだが、あの男が身に着けていた金属製の所持品が一つもない所を見るに、その可能性はとても低いだろう。
そうなると逃げたか。あるいは隠れているか。
保険として初撃の時に打ち込んだマーカーの反応すら無いのは痛手だった。
ここから痕跡を見つけるのにすら手間取りそうだ。
「あァ。魔力が無いだけでここまで厄介とァな」
こちらの備えて来た準備の8割方が無駄になった。
「こっちはダメだァ。そっちはどうだ?」
「ない.......ない」
完全な奇襲で仕留めれなかったうえに手詰まりとなった。
情けないが、時間が無いこちらにとっては手痛い状態だ。
「使わないに越した事ァ無いんだけど」
持っていた武器の形を変えて、大きなラジオのようなものに変形させる。
大きなツマミを調整して声を掛ける。
「『集積』。悪ィが場所を教えてくれ。見失った」
ラジオから小さく短い機械音が鳴る。
「へぇ、すげェな。不死身かアイツ。3発くらってんのに、もうそんなとこまで逃げてんのか」
素早く武器へと変更し、教えて貰った地点へ大きく振り被りゆっくりと下ろす。
その場所へ極小の金属片が朝霧の様にゆっくりと降る。
本来の使い方ではないがこれで見逃す事は無い。
最悪痕跡は残せる。
「準備のほとんどが無駄になったが、全部じゃねェんでな」
「.......うで」
「ん?」
「........うで........ほしい」
「あァ。いんじゃねェ? こっそりパクっとけ。何ならこっちのせいにしても良いしよォ」
「.......あい」
「こっちにはアイツに対する決め手がねェからな。お前らに頑張ってもらわねェと。特にお前は今回のMVPだ。ご褒美みたいなもんよ」
腕ムカデが潜水服を覆うように巻き付く。
「第2ラウンドと行こうかァ」
一瞬の浮遊感と共に姿が消える。
◇◆◇
逃げても逃げても追いかけてきている。
いくつか囮の痕跡を残してはいるが一度も引っかからず足止めすらできていない。
何か確信を得るような原因がある。
初めは体に食い込んだ金属片が原因かと思いすべて集めて川へ流した。
一時的な効果はあったもののそれだけが原因ではないようだ。
変わらずこちらへ正確に近づいている。
そして幾ばくか逃げてようやく原因が分かった。
辺りに漂っている靄だ。
確かに靄が多いなと思っていたが、追跡者に集中していて気が付くのが遅れた。
これはただの靄ではない。
風が吹いても一切揺れ動かないのに、こちらが動いたときだけ動いている。
理屈は分からないが、これでこちらの動きを感知しているのだろう。
目を細め何処までこの靄が続いているのか見るが分からない。
どこまで続いているのか分からない状態で無理やる突っ切るのは無謀だろう。だからといってこのままではいずれ追い付かれてしまう。
行き詰まりを感じていたが、向こうを観察していて光明を感じた。
向こうは何やら移動に焦りを感じていると言う事だ。
慎重ではあるのだろうが荒さと苛立ちのようなものが目立つ。
もしかして時間がないのか?
だとするなら有難い事だ。
向こうの索敵から逃れるのは現状難しいが時間制限があるなら話は変わる。時間が切れるまでたっぷりと逃げて隠れてやろう。
こちらには充分な程の食料と水が収納袋に入っているうえに、孤島でジジイや母さんから見つからずに逃げ隠れしてきた経験がある。
アレに比べれば容易いものだ。
3日までなら集中力を切らさずに隠れきって見せる。
長期戦のためにと腹ごしらえとして収納袋から携帯食を取り出し、水分補給をしていた時だった。
ドクンっと強く心臓が脈打った。
鼻の奥でツンとした鉄の匂いが広がる。
.......これは。
異常な程に大きな脈動、それが徐々に早さを増していく。
この感覚には覚えがある。
獣人の街オオトリに入る前に起きた事。
それは自分の食料に手を出されてキレた時に経験した感覚。
よりにもよってこんなところで。
余裕があったはずの時間が無に帰した。
優位であったはずなのに、こちらの方が分が悪くなった。
予想通り進まない。
最悪だ。全く楽しい人生だな。
嘆いたところで変わらない。前回と同じならこの後は急激に心拍数が落ちて気絶する。
そして気絶した場合に起こりうることは........想像に難くないだろう。向こうは殺しに来ている。
ここからできる選択は3つ。
何もしない。このまま気絶しても見つからない事を祈ってやり過ごす。
逃走。一時的とはいえ通常よりも動けるので、時間が許す限り全力で逃走する。
そしてもう一つ。
どれを選んでも死のリスクが高い。
迷う時間も惜しい中で、一番生き残れそうな手段を選ばなくてはならない。
これしか無いか。
ここからは時間の勝負だ。
大きく息を吸い込み全力で地面を踏みこみ......駆ける。
迅速に。
一目散に。
進行方向にある葉や枝や茂み等の邪魔になるモノを一切避けず、躱す時間すら惜しみ一直線に進む。
見つかっても構わない。駆ける。
決めたからには迷わない。
全力で走る。
「おォ? 観念したかァ?」
予想よりも早く見つかった。
だがやるべきことは変わらない。
決めた選択は殲滅。気絶するまでに向こうの奴等を全滅させる。
「正面突破とはカッコいいねェ」
武器を構えている。
予想に反して反撃の準備が早い。
このままでは自ら突っ込む形で攻撃を受ける。
ただ、それは少し前までの話。
今は体が羽のように軽い。
これなら躱せる........いや、ここからさらにもう一歩踏み出せる。
軽く地面が揺れるほどの踏み込みからの急加速。
撃たれるタイミングよりも早く武器を殴り、破壊する。
「ッチ」
舌打ちが聞こえた。
武器破壊は効果があったようだ。
勢いをそのままに巨大な体へ体当たりをする。
鈍い音が辺りに響く。
「その程度じゃ効かねェよ」
破壊した武器が逆再生の様に戻っていく。
だが、それでは遅い。
加速からの急停止。
それによって溜められた力を密着した状態で一気に解放する。
「こっからよ」
朱莉式 対兄専用技 『脱皮』
先程とは比べ物にならない程の炸裂音。
それと同時に巨大な潜水服の背部装甲が全て弾け飛んだ。
初撃は成功。無傷だから大成功だ。
「どうだい? 感想ぐらい言ってくれよ」
ちなみに、これを自分がまともに食らうとその日は背をつけて眠れなくなる。
「てめェ」
平坦な機械音声からでは読みづらいがイラついてはいるようだ。
イラつける程度のダメージしか与えれてないのか、ダメージを感じていないのか分からないな。
遠くで何かが掻き分けるようにこちらへ進んでくる音がする。
こちらの異常を察して腕ムカデが近づいているようだ。
今やこっちの方が時間が惜しい状況だ。探す手間が省けて良かった。
「探すほど会いたかったんだろ? どうする。ハグでもするか?」
「そんな習慣はねェんだよ」
装甲を弾け飛ばしたとはいえ、それでも巨大。
頭と胴体が一体化したような大きなボディには腕が回らない。
掴みやすい脚部へと組み付く。
「照れんなよ」
あらん限りの力で足を捩じり圧迫する。
「それよりも可愛い足だな。くれよ」
妹弟合作 対兄専用技 『捩じり文字』
足の付け根から大きな亀裂が走り、足の内部の部品がポップコーンのように弾け飛んだ。
潜水服の足が無残に捩じ潰れ、脆くなった所から強引に引きちる。
んー。飛んだのは部品のみ。血や肉のようなものは混ざっていない。
本体は胴体か。そもそもが無いのか。
肉体が無いなら不動は使えない。
不確かな状態でこちらの手の内を見せたくない。
使うとするなら効果がありそうな腕ムカデだ。
本当なら厄介なこちらに使いたかったが。
千切れた足の方を動かない腕へと差し込み盾として使う。
動く方の腕を破壊した足の付けへと突っ込んだ。
感触はまだ機械。
無い物として考えた方が良いか。
潜水服内の頑丈そうな部品を鷲掴みにして潜水服を持ち上げる。
「なァにしやがる!」
「まぁ、すぐにわかる」
茂みや木を掻き分けて腕ムカデが姿を確認した。
「..........うで」
それをめがけて大きく屈み腕ムカデへ向かって飛び掛かる。
「おィおィ、冗談だろう」
そして潜水服を鈍器代わりに振り下ろす。
「人の体にべたべた触りやがって変態野郎が!」
「避けろォ!」
割り箸が折れるような乾いた音と肉が押し潰れる音が響く。
充分な勢いで振り下ろしたつもりだったが、完全には潰すことは出来なかったようだ。
多くの腕が潰れながらも威力を吸収するような体勢で防御を取っていた。
このまま畳みかける。
可能な限り叩き潰して弱らせたところを不動を使って動けなくして、ガミガミに食わせる。
そして足をもぎ取った潜水服とサシでなら、制限時間内に何とかなるはずだ。
道筋は見えて来た。
腕ムカデ相手に、再度振り上げ叩きつけようとした時、潜水服が何かを諦めたような口調で腕ムカデに話しかける。
「仕方ねェ。緊急事態だ。使っちまおう」
その言葉と同時に防御に使っていなかった腕が一斉に指をパチンと鳴らした。
体中を虫が這っているような不快感と悍ましさに潜水服を投げ捨て身を引く。
身構えるが何も起きない。
猫騙しのようなフェイントだったのだろうか。
そんな事を考えていた時、片足でバランスを取る潜水服は驚愕していた。
効果が無かった。数多の即死が効いていない。
あり得ない。
あの一瞬ですべて無効化したというのか。
それは数百種類の致死性の毒を正確に抗体を見つけ出して1つ1つ解毒していくようなものである。
だが事実として効果が無く5体満足で生きている。
何か決定的な思い違いをしている可能性がある。
検証が必要だ。
コンマゼロ秒が濃厚に感じるほどの思考を駆け巡らせる。
あらゆる可能性を同時並行で考えるがどれもが矛盾が生じている。
そうなると本来の理屈では考えられない突拍子の無いようなことが起きているのではないだろうかという考えに及んだ。
例えば無効化したのではなく、そもそもが効果が無いのだとしたら。
何気ない考えだったが、これまでの行動や事前資料から信憑性の高さが高まる。
効果が無い。つまりはそう言った『理』がない。ルールが存在しないということ。
そしてアイツには魔力がない。
資料でもあった情報だが想像していたものとはまったく違う印象を受ける。
無いの意味が燃料が無いのではなく、燃焼機関そのものが無いのだとすれば。
つまりは魔力そのものが存在しない生物。
そんなものが存在するのか。
いや、存在する。その可能性は1つしかない。
「てめェ!! 地球人か!!」
「だったらなんだよ」
フェイントだったと判断し、退いた距離を一息で詰める。
そして今度は捩じ切った足を鈍器として使い、フロントガラスを叩き壊そうとしている。
納得がいった。
こいつに対する対処が根本的に間違っていた。
壊された武器は元に戻った。
武器を構えて攻撃を加える。
目の前で破裂音が響く。
何度も喰らったせいで慣れたのか脚部パーツで防がれた。しかし動きを止める事には成功した。
武器を変形させる。
最も攻撃力が高く貫通性の高い射出武器へと変化させ、軽い放電のあと迷わず発射する。
実弾は音速を遥かに凌駕した。
それは脚部パーツごと腕を貫通し、十分な威力をもって体を粉砕しながらも、はるか後方まで飛んでいくはずだった。
「痛ぇ」
バケモンかよ。
信じられない光景だ。
脚部パーツはバラバラに砕けているのに、腕は形を保っている。
大きく肉は抉れて血が流れているが貫通すらしていなかった。
だが、これではっきりした。
対処方法が分かった。
これなら一度引き返す事はしなくてよさそうだ。
「準備と保険ってのは大事だなァ」
「あぁ?」
「何が役立つか分かんねェもんだ」
言葉の意味は分からなかった。
だが、理解よりも事実が先に来た。
負傷した腕に鋭い痛みと焼けるような熱さが襲い、肘から先の感覚を遮断した。
空中でクルリと自分の腕が回転している。
「随分とボロボロにされてますね」
女性の声。
声の方へと視線を動かす。
得物は薙刀。
距離は反撃するには一歩ほど遠い。
問題ない。
斬られた腕を空中で掴み武器として顔面へ目がけて振り払う。
「普通は怯みますよ」
フワリと物理法則を無視したかのような動きで躱された。
だが動きが緩やかなのですぐに動けば捉えられる。
大きく踏み込み次撃を当てようとした時、空が一瞬暗くなる。
しまった。
大きな箱のようなものが大口を開け、丸飲みするかのように閉じ込められた。