113話
◇◆◇ シトゥン国 外壁
乱れる呼吸が治まらない。
酸欠で視野が狭くなっているのがわかる。
限界は次か、その次か。
どちらにせよ長くはない。鈍くなった我が身ならよく頑張った方だろう。
こんなことになったのは鬼神とオーガの群れのせいだ。
突如としての侵攻。
そしてシトゥン国へ宣戦布告代わりの投擲による強襲。
こちらの心の整理も体の不調さえお構いなしだ。
泣き言をつぶやく暇さえない。
だが、父上であるならどんな状態でも駆け付ける。
何処へだって最短で進む。
その名を受け継いだのなら私もそうすべきなのだ。
誰であっても、何であっても。
ぼやける視界の前に仁王立ちしているオーガを睨みつける。
「ほうこれは凄いな。3体もやられたか。予想よりも優秀な戦士がいるのは喜ぶべきだな」
焦点が合わずとも分かる。
先ほどまでのオーガとは訳が違う。
確実に止めを刺しに来たか。
「名を聞いても良いか」
その声は柔らかであり、こちらに対して敬意すら感じる。
しかし言葉から伝わってくる力は、あの時の魔王やシヒロにも匹敵する。
だからと言って私が臆する理由にはならない。
毅然と胸を張り答える。
「テメェから名乗れ。礼儀知らずが!」
「フハハ!! 確かにそうだ! その通りだ! これは一本取られた。よし、では名乗ろう。鬼神・戦鬼だ。そちらは?」
よりにもよって本家本元が現れた。
いや、これは好機でもある。
どうせもうあとはない。全力で一矢報いてやる。
「ホノロゥ」
「よし。ホノロゥ。戦鬼を前に怖気づかん胆力。実に見事だ」
怖気づいていないのではない。感覚がマヒしているだけだ。
戦闘での興奮と尋常ならざる者達との遭遇により脳が焼かれている。
「さて、互いに名乗り合った。あとは互いに武勇を示そうではないか」
拳を握る戦鬼にホノロゥは指を1本立てる。
「ん? なんだ」
「1つ質問だ。何でアンタら1対1で戦おうとするんだ。一度に襲えば勝ててただろう」
「あー、そうか。知らんのは当然だな。まぁ単純だ。我々はな『鬼.....」
言い終わる前に白狼となり飛び掛かる。
不意打ち上等。タイミングはバッチリだ。鬼神は咄嗟に腕を上げて首を防ぐ。
反応が早いが、狙いはそこではない。
爪と牙を用いて相手の足に深い傷を負わせる。
よろめいたところを背後に回り後ろから首筋へと嚙みついた。
このまま脊髄を噛み砕くべく、あらん限りの力を顎に集約させる。
「不意打ちときたか! その後の動きも非常に洗練されていたぞ。噛まれるまで気が付かなんだ! 悪くない! いや、むしろいい。以前の戦よりだいぶ良い。無駄に寝て待っていただけのことはあったな!」
全力で噛みついているのに、この鬼神は平素と変わらぬと言いたげの態度で話している。
ワザと余裕のある振りをしているのか、それとも本心で語っているのか知る由はない。
知った所で! 私がやるべきことは変わらない!!
このまま力尽きたとしても! この牙は離さな......
「ハッ!!!」
急激に膨れ上がった筋肉に押し負け、吹き飛ばされてしまう。
地面に数度転がりながらも臨戦態勢を取る事が出来た。
クソっ。
心の中で悪態をつく。
見た所ダメージがあるようには見えない。
鬼神の足の傷はすでに無くなっており、首筋に至っては痕すらついていない。
あぁ、知っていたさ。
私が敵うわけがないということを。
「ぬぅん!!」
踏み込む力で地面が揺れる。
一瞬にして迫りくるが反応することも躱すほどの力も残っていない。
振りぬこうとする拳が辛うじて見えた程度だ。
そして......体が木っ端のように吹き飛んだ。
「軽やかに躱すではないか!」
弱すぎて軽すぎて、当たる前に吹き飛んだだけだ。
何とか着地をして余裕の表情を見せるが、涙ぐましい虚勢だ。
立つのがやっとである。
攻撃的な笑みを浮かべながら鬼神という死がゆっくりと近づいてくる。
ここまでか。攻撃は当てた。一矢は報いたと言っていいだろうか。
あと出来る事と言えば、目を逸らさず眼前の死を睨みつけるだけだろう。
一歩、一歩と近づくたびに死の匂いが濃くなっていく。
その時、ガコンと外壁の門が開く重厚な音が聞こえた。
私は目を離さない。
しかし鬼神がそちらを一瞥した。
その瞬間に何かが高速で横切り、目の前で弾けた。
鬼神が大きく二歩ほど退かされた。そして横切ったモノが何だったのか目に映る。
槍だ。
見間違いでないならば我が国の国宝である。
国宝とは言ってもこの槍自体に特に変わった効果が付与されているわけではない。
あえて言うなら重く頑丈な槍ではあるが、本来の価値は繊細な彫金と装飾のところにある。
端的に言えば観賞用の宝槍である。
そんな宝槍を目を見開き驚いている鬼神には何とも言えない笑いが出そうだが、疑問が一つ。
一体だれがこの国宝を鬼神に向けて放ったのか。
罰当たりだ。反逆罪で訴えられても仕方ない。
普通なら恐ろしくて誰もしない所業であり、鬼神を下がらせるなど誰もが出来ない所業でもある。
だが私には誰がしたのかすぐにわかった。
これを誰が投げたのかを。
統制が取れた見目麗しい宝槍の柄の部分が異様な形で歪んでいた。
尋常ではない力によって、いびつに歪んだそれは手の形のようだ。
あぁ、まったく。
本当にまったく。
力が抜け、膝から崩れ落ちてついには笑ってしまう。
国宝だぞ。弁償できるのか?
鬼神の驚愕した顔と、値段を聞いて驚くであろうアイツの顔が不思議と重なり笑えて来てしまう。
◇◆◇ 鬼神・戦鬼
驚いた。
これまでに驚かされたことは多々ある。
才気ある者の策略に嵌まったとき。
予期すらできずに背を刺されたとき。
イカサマ賭博を強運で捻じ伏せられたとき。
されど、ここまで驚いたのは記憶にない。
どれもが虚をつかれての驚きだったのに対して、これは正面から想像を超えるモノだった。
砦の門が開いたのは確認できた。
奥の人間が槍を構えて投げようとしたのも見えた。
だが、これほどの速さで投擲されるとは予想できなかった。
咄嗟に両手を使って防御に徹した。それでもなお防ぎきれず大きく後退させられた。
突然の出来事。
胸の高鳴りに反して頭は急速に冷える。
遅れて魂に火が付いた。
「フハッ!」
驚くべきことだ。ここまで好みのタイプに出会うとは。
アレの近くにいる獣人も普段であれば色めき心躍るのであろうが、どうにも色褪せて感じる。
「ハハハッ!!」
やむなしであろう!!
極上の相手がすぐそこにいるのだから。
受け止めた槍を構える。
何でもないただの槍だ。ただの槍だからこそ雄弁に語っている。
相手の力量を。
ここまで退けられた事実を。
「ダァハハハ!!!」
あぁ、だめだ。誤魔化し騙してきたが、もうダメだ!
そこそこでは足りない! 満足できないのだ!!
責任を取ってもらおう。全てご破産にしてもいいと思わせたのだから。
槍を強く握りしめ、門のほうへと体を向ける。
引き絞る弓の如く、零れる寸前のコップのように。
限界であった。
「ッ!! ......ぬぅ」
そんな熱した魂に冷や水を流すかのように、とある言葉が脳内を流れていく。
歩みを止め考える。
振り切るには少し魅力的だ。
.......どうすべきか。
どうすればより良く最高の戦いが出来るか。
本来通りに事を運ぶか。
それとも目の前の極上に飛びつくべきか。
.......あやふやな未来よりも、今ある確かを選ぶべきかと考えていると槍を投げた男が大声で叫ぶ。
「鬼神・戦鬼!!!」
ふむ、口上か。いいだろう。何を語るか聞いてからでも遅くない。
「引きつれる戦士の錚々たる顔ぶれ、それに負けずの勇猛さ! 大将の度量が窺い知れる!! 戦の鬼と呼ばれるにふさわしい力を持ち、伝承や伝説の偉人たちすらも曇らせる数多の伝説は健在である事は充分に周知した!! 誠に見事である!!」
......ほう。それで?
「その伝説が建国の祝いとしての参上、謝辞に尽くせぬ思いである! よって、代わりとして国宝の槍を授ける!!」
なるほど、なるほど。
心の内で深く、深く笑う。
煽られているのか、手打ちにしようと言っているのか判断は付かぬが愉快ではある。
この戦を、ただの挨拶という事にしようと言う事か。
少し考え、行動を改める。
決まりだ。
頭に流れる言葉に対して条件を付ける。
「このままご破算にしても良いと思っている。期日を決めろ。それ次第で予定通り退こう」
しばしの沈黙。
そして、いくつかの条件をもとに同意の言葉を得た。
「よぉし!!」
槍を持つ反対の手を掲げると、何も無い空間からとある球状のモノが現れた。
それを確かめ、しかと握る。
そして、あらん限りの力で息を吸い込み、口上を述べた男へ向けて返答する。
「良いだろう!! 返礼だ!!! 受け取れ!!!」
握りしめたソレを、全力で投擲する。
衝撃だけで人が消し飛び、後ろの建物一体を跡形もなく崩壊させるほどの一投であった。
しかし、強く肉を叩き付けたような音がしただけであり何も壊す事はできなかった。
ただ狙った男を3歩下がらせる事は出来た。
よし。上出来である。
楽しみが増えた。
また来るとしよう。
「撤退戦だ!!! 一斉に退け!!!」
その号令と共に今まで進攻していたオーガ達がアリの子を散らすかのように退いて行った。
この時、シトゥン国は歴史上初の災厄を退ける事に成功した。
◇◆◇
「あのー、上手くいったみたいなので、帰っていいですか?」
「......ご同行願います。シヒロ様には国家転覆罪の疑惑があります。無実である事は先程の事も含めて重々承知していますが、招集を拒否されますと、その」
「あー、はい」
「ドンマイだなー。気にするな―」
お前のせいだろうが。