111話
◇◆◇シャワー室
彼のことについては王から直接教えて頂いた。
これまでの裏付けが出来てより強固な確信を得る事が出来た。
なので驚きは少なかった。
シャワーの水流が彼の肢体を舐める。
視線が釘付けになりそうなのを何とか止める。
あぁ、父上よ許して欲しい。
あなたの生存よりも、伴侶となれと言ってくれたことの方が嬉しく思ってしまった。
獣人としての本能。
実力はこの肌をもって知っている。
私が断る理由はない。
なので、こういった時に必要なのは既成事実。
知り合いの話によれば、互いに肌を晒せば自然とそうなると言っていたが、手を出してこない。
もしや忘れているのでは、と確認のために父上の話を聞いてみるが、知っておいてなお手を出してこない。
経験が無いよりの乏しいので、リードして欲しいところだったが、単純に魅力が無いせいかもしれない。
まぁ、あの体と比較されれば大抵は魅力のない体になってしまうのは仕方ないだろうとは思う。
どうしようもない差に少し気落ちをしていると、何かが足に当たりバランスを崩す。
幸運だと思った。
このまま倒れたふりをしてくっ付ければ何か起こるかも。
そんな期待を持っていた。
気が付けば、鈍く大きな衝突音と共に何かが私に覆いかぶさっていた。
巨大な亀裂が天井まで走っているのがとても印象的だった。
茫然としていた意識が戻る。
え、あ。こ、このタイミングで、か。
覚悟はしていたが、咄嗟の事である事でついいつも通りの口調と言葉が出てしまう。
「おい......離れてくっ、痛っ」
頭から伝わる死の気配。私は今、生殺与奪を握られている。
すでに私の意思で命の有無を選べないことを即座に理解させられる。
頭蓋を締め付けている腕の力が雄弁に伝えてくる。
選べ。
死ぬか。産むか。
鼓動は高まり、早まり、最高潮へと達した。
死の恐怖がそうさせるのか、高揚が体の奥底から湧き上がる。
ゆっくりと確実に頭蓋を締め付けてくる。
これがタイムリミットである事を暗に伝えてくる。
痛みが快感へと切り替わる。
あぁ、そうか。
そうだったのか。
この瞬間に、ようやく疑問が晴れた。
心と体が一致した。
なぜ今まで頑なに強固な態度を取っていたのか。
媚びればいいのにしなかったのか。
死の淵。苦境。そういった状況だからこそ目を逸らしていた醜い事実を照らし出した。
私は彼の圧倒的な力に屈したかったのだ。
あの湖沼のときのように。
微力な抵抗を上から押さえつけ、立場と言うものを理解させられたい。
可能であるなら。
微かな希望すら抱けないほど非力である事実を突きつけられて、笑われたい。
か細い心をへし折られたその後で心の端まで凌辱されたい。
あぁ、何と言う事か。
私は暴力に酔っている。
私は力に目が眩んでいる。
獣人の本能を醜悪に捻じ曲げたような自身の性癖。
目を逸らしたくなるほど醜く歪んだ根幹を彼が力をもってさらけ出した。
何と言う事か。
醜悪さを裏付けるかのように、彼の瞳に映る私の表情は見たことが無いような恍惚とした表情をしている。
あぁ、だけど、彼は私など見ていない。
私ではない。もっと別の何かを見ている。
あぁ、それでいい。それがいい。
私はもう受け入れている。
だから、雑に乱暴に.......
突如、後頭部から強烈な衝撃とともに意識が分断される。
そして気が付くと、私は部下に介抱されていた。
◇◆◇
「なー、だいじょうぶかー?」
「そんなに大丈夫じゃないかな。まぁ、ご飯食べれば何とかなる」
「なら食べるぞー」
左腕が動かない。
正確には動かないようにしたのは自分自身だが、後先考えないにもほどがあった。
どうしようねこれ。
対家族用の技だ。効果は充分である。
妹達は数分で動けるようになったが、凡才である我が身ではどうなるだろうか。
戻るかな。
まぁ、戻らなくても腕だけで済んでよかったと思おう。くっ付いてる分だけマシだ。
「試食会のつづきー。食べる食べる―」
「そうね。まずは食べちゃおうか」
獣人の人達はいないけど、何か切っ掛けがあれば別のを作ろう。
「鳥食べたいー」
「了解」
収納袋から蒸し焼きにした鳥を取り出す。
「あー」
「あらま」
美味しいところを無造作に切り取られて無くなっていた。
ルテルか。
「あーのやろー! ヘイぱーすー」
収納袋を手に取り、机の角でバシバシと叩き付けている。
壊れるからやめなさい。
『止めなよ全く。これだから。はぁ、野蛮な乱暴者は嫌だね』
「あぁー!?」
「はい、喧嘩はそこまで。まぁ、ルテルが悪い。楽しみにしてるんだから先に食べない。食べるにしても一言か声を掛けるか。一緒にな」
『はーい』
「あとでぶん殴る―」
という訳で、仲良く試食会を再開する。
わらび餅は渋っていたがルテルにも切り分けて収納袋に入れておく。
それではいただきます。
一口大に切り分けた肉を頬張る。
うんうん。肉は非常に柔らかくていい。
ちょっと心配していた詰め物も完璧に火が入っており、鳥の旨味を存分に吸ってかなりうまい。
ただ、最高と言うには少し......な。
『やっぱり充分美味しいと思うけどね。あえて言うのなら香りが混ざりすぎている感じ? 普通にお金とって良いレベルではあると思うけどね』
「んー、同じ舌だから分かると思うけどなー。皮に差した香草が多くて苦みがあるな―。他が完璧なだけに惜しい感じだなー」
批評は完璧だ。
完璧であるがゆえにちょっとへこむ。
まぁ、そうね。試作としては充分な出来ではないだろうか。
「香りが混ざる感じのは使った薪の匂いが原因かもな。種類がバラバラだったから次は統一してみるよ」
『中の詰め物は最高よ。うんまい!』
「おかわりくれー」
不味くはなかったようで、そこは良かったかな。
続く鍋は鳥と違って、かなりの好評だった。
わらび餅が出した魚介の鍋だったが、あんこう鍋のようにこってりしているのに煮干しのようなコクと香りがあり大変美味だった。
〆に麵にしたのも良かった。バッチリな組み合わせだった。
「えっへんー」
「まぁ、これはわらび餅の功績だよな」
『今後はこういうので役立ちなよ』
「無能が何か言ってるよー。あほー」
ルテルからの返事はない。
言ってすぐに切れたのだろう。
収納袋にわらび餅が無言のパンチを浴びせている。
まぁ、あのプルプルしてるパンチなら大丈夫だろう。
軽く口を拭う。
ふぅ。ごちそうさまでした。
結構な量を食べたつもりだが、満腹とまではいかない。
食色が増しているのだろうか。
ひとまず、動かなくなった左腕を軽く揉んでマッサージして回復を促してみる。
「おいー、あのあほの何処がいいんだ―」
「まぁ、恩人だから」
恩返しが終わったら時の報復は考えている。現在は保留扱い。
「はぁー!!」
デカいため息だ。
「あー、ん?」
わらび餅がまた明後日の方向を見る。
シャワーの時もそんなんだったな。
「どうした? 何か見えるのか?」
「あー、来たかー。しゃーないー」
「なにが?」
遠くで乾いた音が聞こえた。
その音に咄嗟に体が動き、わらび餅を掴んで窓から飛び降りる。
ッ!
シャワー室で起きたひきつけが再発。
そのせいで壁を掴み損ねた。
地面への衝突に際しての防御態勢を取る。
その時、恐ろしいモノを目撃した。
高質量の何かが高速で建物へと貫通し、先程まで部屋だったところの屋根が無くなった。
んなっ。
驚愕と同時に地面に激突。
受け身は間に合った。
思ってるよりも地面が柔らかかった事もあり、そこそこの高さだったが痛みはなかった。
遅れて落ちてくる瓦礫に対して身をよじって躱す。
こちらも怪我無く事なきを得た。
運はまだ残っていたのは嬉しい事だが、使い果たしたようだ。
体全体が攣ったように上手く動かす事が出来ない。痛みは無視できるのだが。
最近の不調か不動のせいか。
どちらにしても埒が明かないので助けを呼ぶことにする。
耳をつんざく様なけたたましい警報音が鳴り響く。
参ったな。
声を張っても掻き消されるだろう。
近くに人の気配もない。
そうだ。わらび餅に応援を呼んできてもらおう。
「あー、......わらび餅どこ行った」
わらび餅の姿がいない。
落ちた時にどこかへ飛んでいったのだろうか。
◇◆◇シトゥン国 外部
半透明な生き物が歩く。
遠くまで離れたが、背からは警報音が鳴り響いている。
向かう場所は建物を破壊した人物へ。
行く道を阻むかのように隊列を組んでいたオーガ達が手を後ろに組み、無抵抗である事を示して道を開ける。
その脇を警戒無く突き進み、一番奥で鎮座している人物まで歩を進めた。
「よー」
「おぉ、誰かと思えば」
互いに歩み寄る。
「元気そうで何よりだー」
「そちらも。てっきり殺されたか捕らわれているものかと思っていました」
「んー、半分ずつ正解だなー」
気さくに語り合う。
まるで古くから知っているかのように。
「こちらも、どうにかできる手段は無いかと模索はしていましたが......」
「うそつけー、そんな風にした覚えはないぞー。後、話し方気持ちわるー」
「ふはは、バレたか。礼を覚えたがやはり合わんな。いや、それよりもあなたを捕らえた相手に興味があってな。ぜひ一戦交えてみたいと思って、こうして骨を折っている。ついでに助けられればとは思ってはいた。少しだけだけどな」
「うんうんー。それでいいんだよー。戦鬼なんだからー」
互いに笑いあう。
「生き残りはあとどれぐらいだ―」
「聞いた話だと、酒鬼、血鬼だけだな」
「減ったな―。まぁ、しゃーないかー。全員欲に忠実だからなー。それにしても淫鬼は意外だなー。最後まで生き残ると思ってたわー」
「眷属は今も健在なのはさすがと言えるがな」
「んでー、みんなはどんな最後だった―?」
「全員は知らんが。刃鬼と眠鬼はあなたを探してる途中で妨害され殺されたみたいだ。眠鬼の神器は形見代わりに使わせてもらってる。淫鬼は魔王に殺されたようだ」
会話を妨げるように魔法の絨毯爆撃がこちらを襲う。
「ん-む。良き心地だ。開戦の挨拶としては合格だな」
「お前は打って出ないのか―?」
「出ない! 惜しくはあるが淫鬼の眷属でガス抜きもした。今回は見るだけだ!」
「遊びすぎると相手がいなくなるもんなー」
「んむ! 我慢を覚えた! ところであなたはどうするんだ?」
「んー? どうとはー?」
「復讐戦はしないのか? 協力するぞ!」
「今は良いかなー。ちょっとプラプラしとくー。なんかあった時は声かけるわー」
「承知!」
「んじゃー楽しんでなー。私は戻るー」
「息災で」
ガハハと笑い声を背に受け、来た道を戻る。
「我慢かー。無理だろ―」
恐らくはこの国は滅ぶことになる。
「まぁ、いいかー。シヒロの欲しいのは瓦礫からみつければいいやなー」