110話
走って走ってようやくシトゥン国が見えた。
並走する獣人達が一斉に吠えるとゆっくりと門が開く。
それに滑り込むように入ると同時に門が閉まった。
ふぅ。助かった。
少し呼吸を整えながら自分の姿を見てみる。
「あぁ」
結構頑張って走ったからなのか無事だったズボンまでもがボロボロになっている。
無事なのは自前で持っていた靴とパンツぐらいだ。
ギリギリ裸ではない程度である。
「おー、着いたかー。何かひどい格好だなー」
背負っていたわらび餅が覗き込むように全身を見てくる。
「頑張った証拠だよ」
「それにしてもー、うはー、べたべただなー」
ペチペチと頭を叩く。
汚いからやめなさい。
だが、わらび餅が言っている事は事実だ。
頭から血を被ったような状態だから病気になる前にはやく清潔にしたい。
さっさと宿屋へと戻ろうと考えていると声が掛かる。
「おい。その恰好で往来を歩くつもりか」
声の方を向くとリュコスちゃんが立っていた。
いつの間に。
獣人の方達が一斉に頭を下げる。
え、こっちも下げたほうがいいのか。
こちらも頭を下げると、ペチペチ叩いていたわらび餅が頭から転がり落ちる。
「うおー」
慌ててキャッチする。
リュコスちゃんから冷たい視線を感じる。
「何をやっているんだ。他の者は急いで今回の顛末を報告しに行け。私は本人から直接聞く」
獣人達が短く返事をする。
そしてこちらに向かって軽く会釈をすると、人と建物の隙間を縫うように駆け抜けていった。
速いなー。
「お前はこっちだ。その恰好は刺激が強い。これを被ってろ」
そう言ってリュコスちゃんが着ていた服を渡してくれる。
まぁ、血まみれだからな。見ていて気分が良くなるモノではない。
着ようと思ったがサイズが合わないのは前回のことで知っているので、今回は可能な限り血が目立たないようにするため頭から羽織るように被ってみる。
これで多少は血が目立たなくはなっただろうが.......傍から見れば犯人を連行しているようにみえないだろうか。
多少の不安は抱きつつも、服を貸してくれる優しさと周りへの配慮が出来るリュコスちゃんへ改めて感心する。
少し口調は強いが、指揮を取る者として威厳を示すものだと考えれば当然ともいえる。
うん、立派なものだ。
同じ年の頃の自分と比較しても、疑いのない立派な振る舞いに尊敬の眼差しを向ける。
ただ、リュコスちゃんは目をかっぴろげてこちらの太ももを刺すように見ていた。
見なかったことにした。
「なるほどー刺激かー。確かに保養ではあるがー、過ぎたるは毒だなー」
抱きかかえていたわらび餅が、こちらのお腹を優しく撫でてくる。
くすぐったいし、汚いからあんまり触らないの。
わらび餅の声にリュコスちゃんが正気に戻る。
「付いて来い」
「どこへ?」
「ひとまず体を洗ってもらう」
それは助かる。真っ先にしたい事だった。
促され付いて行った先は宿舎のような場所。
シャワーを使わせてもらえるようだ。
「おー、シンプルだなー」
「客人に使わせるには質素で申し訳ないが」
「充分です。ありがとうございます」
中は風呂場の無い銭湯と言えばいいのか、仕切りの無いシャワー室といった方がいいのか。
とにかく開放的である。
少し恥ずかしさはあるが充分である。
服だったものを脱いでいるとリュコスちゃんが声を掛ける。
「それをまた着る気か? 新しいのを用意する。服は廃棄しておくぞ」
これまたありがたい。1着浮いた。
ラッキーだと思いながらシャワーの前に立つ。
だが案の定と言えばいいのか全て魔道具だ。
使う事が出来ない。
うーむ。
出来るか分からないがわらび餅に頼むか、実績のあるハクシを呼びだして尻尾を使かわせてもらうか、どちらにするか悩んでいると、横から腕が伸びる。
「こう使うんだ」
スイッチのようなものに触れると温かい湯が出て来る。
心地よい湯が黒ずんだ血を洗い流してくれる。
あぁ、気持ちいい。
「どうもありが」
お礼の言葉が詰まる。
隣にはこちらと同じく全裸のリュコスちゃんがいた。
先ほどと同様にスイッチを入れてシャワーを浴びる。
え? なんで......何で隣でシャワーを浴びているの?
まぁ、ここはシャワー室だ。裸でいる事に疑問はないし、シャワーの使い方を教えるついでに浴びに来たのかもしれない。
そうなのか? どうなんだ。
疑問に思うこちらの視線に気が付いたリュコスちゃんと目があう。
「なんだ?」
「あぁ、いえ。なにも」
「そうか。まぁお前に比べれば貧相な体だ。見てもつまらんぞ」
「いえ、そんな。気を付けます」
逃げるように視線を戻す。
しかし、向こうはこちらの体を面白いと思っているのか......まぁ、釘付けである。
指摘するのもアレなので、気が付かない振りをして体にこびり付いている血を擦って洗い落とす。
「へいへいー。私も頼むー」
膝辺りをペチペチ叩かれる。
特に汚れているように見えないが、要求に従って半透明な髪を洗うことにする。
独特な柔らかさと手触りである。
素麺かところてんに似ている。
「おぅおぅー、そこそこー」
わしわしと洗っていると、またもや横から腕が伸びる。
「これを使え。良く落ちる」
一旦シャワーを止めてくれて、小指サイズの小さな丸薬のようなもの渡された。
「それを潰して頭に振りかけるとよく泡立つ」
石鹸かシャンプーのようなものだろうか。
言われたとおりに指で潰し頭に振りかける。
みるみると泡が湧きたち体をすっぽりと覆ってしまう。
おお、これ欲しいな。
「んー? おぉー」
髪を洗われていたわらび餅がふらふらと、どこかを見ながら歩いている。
泡でも追いかけているのだろうか。
「転ぶなよー」
一応注意はしておくが外に出なければ放っておいてもいいだろう。
こちらは洗い残しが無いように念入りに体を擦る。
んー。
それよりも気になる人物がいる。
チラリと横眼でリュコスちゃんを確認する。
会った時からどことなく元気がない。表情も少し暗い。
話し掛けて見たくはあるが、こういう表情をしてる時はそっとしておくのが良い。
妹の時もそうだった。
思い出すと、鼻の奥からつんとした鉄の匂いがする。
早めに洗って切り上げよう。
気持ち急ぎめで洗っていると、リュコスちゃんがボソリと呟く。
「父上はどうだった?」
ん? 父上?
父上って事は先代のホノロゥさんのことか。
どうと聞くと言う事は、向こうも大体の事情を把握していると言う事だろう。
おそらく、大きな獣人と茶の間で話した内容も知られていると考えていい。
「知っている事は全部話しましたよ」
「それでもだ。聞かせて欲しい」
その言葉強い意志を感じる。
.......なるほど、そういう事か。
なぜ、わざわざ隣で一緒にシャワーを浴びているのか理由が分かった。
この話をしたかったのか。
彼女にとっては繊細な話題である。誰かに聞かれれば問題になると考えていいだろう。
話す場所をここに選んだ理由は、仮に気づかぬうちに盗聴器をつけられていたとしても裸になるからリスクは避けられる。また遠くから聞き耳を立てていたとしても、シャワーの音が消してくれる。
それでも拭え切れないリスクはあるだろうが、それを犯してまで知りたい事なのだろう。
それはそうだ。
親子に関係することだから。
リュコスちゃんが複雑な心境になり表情が暗くなるのも仕方ない。
軽く咳払いをする。
「それでは、少し長くなりますが」
主観的な事も交えて、可能な限り伝える。
ホノロゥさんが発した言葉はそのままに、手合わせの動きや感想を全て伝えた。
話し終えてもリュコスちゃんからの返事はない。
どういった心境だろうか。
良いとは言えないのは想像がつく。
顔を覗き込むように見るのはさすがに野暮だ。
こちらとしては話すべきことは話した。長居はすべきでは無いはずだ。
早めに切り上げることに異論はないが、シャワーはどうしようか。
さすがに泡まみれで出たくない。
こんな空気だが、リュコスちゃんに頼んで出してもらおうか。
「おー、おぉ?」
先ほどからずっとフラフラとしていたわらび餅がこちらに向かって戻ってくる。
丁度いい。アイツに頼もう。
「おっとー」
「うわっ」
声を掛ける前にリュコスちゃんにぶつかった。
そして、ぶつかったリュコスちゃんがこちらへ倒れ込む。
「おっと」
怪我をしないようにしっかりと受け止めようとするが、思ってもみない体の弛緩が起こり、こちらもバランスを崩してしまう。
体の不調と先程まで走っていたことが原因だろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
このままでは押し潰してしまう。
体を無理矢理捩じり、巻き込むように覆いかぶさる。
ギリギリセーフである。
左手で頭を打たないようにクッションにした事は自分に褒めてあげたいぐらいだ。
だが代償は大きかった。
受け止める際の加減が出来ず建物に甚大な被害が出た。
床は大きく凹み、建物全体に大きな亀裂が入り、庇うために突き出した右腕は地面に埋没している。
さて、何処から言い訳をすれば被害が一番少なく済むだろうか。
大体手遅れである事は肌で感じている。
唯一良かったのは、シャワー問題は解決したことだ。
リュコスちゃんが浴びていたシャワーで泡が洗い流されている。
「あ、え.......」
リュコスちゃんが戸惑っている。
それはそうだ。こっちも戸惑っている状態だ。
冷静な対処が求められる。
まずは離れてから安否確認だ。
務めて冷静である事を確認したところで離れようとするが体に痛みが走る。
何でこんなタイミングで!
体のあちこちで同時に筋肉が攣った
「おい......離れてくっ、痛っ」
意思に反して筋肉が収縮する。
クッションにしていた左手が頭を掴む形で徐々に締め上げている。
最悪の未来が安易に予想できる。
埋没している右手を引き抜いている時間はない。
土中から直接掘り当て、左腕に拳を当てる。
不動!
ピタリと左腕の進行は止まる。
最悪は回避できた。
あとは息を整え、痛みを堪えながらリュコスちゃんから離れる事に成功する。
「何事ですか!!」
大きな音と建物が悲惨になっている事に気が付いた獣人が顔を出す。
「失礼しました!!」
何かを誤解したのかすぐさま顔を引っ込める。
のっそりとした動きで入り口に向かい、先程の獣人に声を掛ける
「悪いけど、あんたの所の大将を介抱してやってくれる? ちょっとこっちじゃできなくて」
「承知しました!!」
素直に聞いてくれて非常に助かる。
「おー? んー! って、おいー。どうしたー? 変な動きしてるぞー?」
「ちょっとね」
脱衣所には言っていた服が置いてある。
準備が良くて助かる。
「なぁー、その左腕どうした―?」
「説明すると難しいんだけど、端的に言うなら動かなくなっちゃった」
「あらー」




