107話
「それじゃ。また」
そういいアーシェの仮面を布で巻いてカバンに戻す。
ギルドでの挨拶と更新は終わった。
必要な用事が無くなった事を伝えると、タヌキは小動物のように小さくなりながら奥へと戻っていった。
リュコスちゃんはまだ戻ってこない。
少し手持無沙汰だったので約束していたアーシェと話す事にした。
近況だけ聞こうと思ったが話が面白くてつい話し込んでしまった。
アーシェは話し上手だ。
話す内容もそうなのだが抑揚をつけて楽しそうに話す声についつい時間を忘れてしまった。
聞いてください! シヒロ様! 魔族領には最高の短編小説を読み解くかのように計算された至極の料理りがありましてね、つまみ食いしたので間違いありません。
飲めば生涯のベスト3には入ると言われる極上のお酒の話を聞きました。聞いた感じだときっと好きになること請け合いです。
人族領では決して手に入れられない調味料があります。独自の発酵技術でしょうか。クセはありますが料理の幅が広がる事は間違いありません。
うーむ。
感化されてしまったか。
料理に対する開拓精神のような気持ちがジワジワと溢れてきている。
前世の知識なので不安はありますが大森林や湖沼にも珍しい食材がありますよ! もしご興味がありましたら生息場所と特徴なんかお教えできます!
毒がある物もありますが適切に処置すれば美味しく食べれる物も沢山! イメージするならフグみたいな感じですね! 滋養があふれてますよ!
んー。
ルテルの事もあるので今すぐに魔族領はいけないが、大森林や湖沼は最寄りにある。
危険度は承知しているが中心部に向かわなければいいか。そもそも襲われるどころか遭遇ていない事を考えると行ってもいいのではないかと考える。
未知の食材か。
行くべきか。行かざるべきか。
大森林か。湖沼か。
順番や事前情報の多さを考えるなら次は大森林か。
道具の調達と他の情報収集は必須だな。
他に必要なものを思い浮かべていると困惑しているわらび餅と目があった。
「どうした?」
「んー? 何か聞こうとしたが忘れたー。忘れたのが変ー? うーん普通かー。いやーそれ自体が何かおかしい......くはないのかー?」
何やら戸惑っているが、それについては心当たりがある。
アーシェだ。
アイツは認知されない。
意識や記憶に残りすらしない。
こういうのを見せられると改めてアーシェの怖さを再認識させられるな。
コツコツと廊下から足音が響く。
ようやくリュコスちゃんが戻ってきたみたいだ。受付嬢もセットでいる。
「すまん。待たせたな」
「お待たせいたしまして申し訳ありません」
「お気になさらず」
戻ってきた二人の空気が少し変だ。何やら衣服も乱れている。
謝辞を述べてるだけではなかったのか。
何か事情がありそうだが、あまり深く踏み込みたくないので気づかない振りをする。
「業務の途中で離席して申し訳ありませんでした。本日は更新手続きでよろしかったでしょうか」
「あぁ、それはもうタヌキがしてくれたから大丈夫です」
「そうでしたか。前回のようなご不便はおかけしていなかったですか」
「それも大丈夫です」
深々と頭を下げて前回の失態に付き改めてお詫びの言葉を言う。
タヌキと同じように今後も無いようにしてくれればと伝えた。
社交辞令のような雑談を交えながらそろそろ切り上げるかと思ったが少し聞いておきたい事があったのを思い出した。
この受付嬢なら多分知っているだろう。
「少し確認したいんですけど、聞いてもいいですか?」
「何なりと」
少し近づき、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟く。
「勇者はどうなった?」
反応はあったが言葉が返ってこない。
つまり知ってはいるようだ。
「答えづらいなら聞き方を変えるよ。勇者の周りにいた連中はどうなった」
軽く肩に触れ、優しく問いかける。
触れた肩からの反応で真偽を探る。
受付嬢が小さく浅い呼吸を2~3回したところで意を決したかのように小さく答えた。
「生存が確認できているのはシヒロ様とフレア様だけです」
......なんだ、そうか。無事だったか。
いや、さすがと言った方が良いのか。いらぬ心配だったな。
「こちらもひどい目にあったんだ。勇者からは目を離すなよ。特にあんたは目が良いだろう」
「........ご忠告ありがとうございます」
さて、気になっていたことは分かったわけだし、本格的に自分の時間を過ごすとするか。
憂いが無くなりギルドを後にした。
リュコスちゃんの案内で宿泊場所へと連れて行ってもらう。
この時、アーシェが言っていた言葉をよく思い出しておけばよかったとおもう。
◇◆◇リュコス
ギルドの受付嬢に謝辞という名目でギルドの奥の部屋へと通される。
普通の客間のように見える。
しかし案内されるのはその部屋の隅にある大きな柱。
偽装されているようで別の部屋へと向かうための昇降機のようだ。
それを使い下へと降りると、とても簡素な部屋へとたどり着いた。
「随分と深いところに作ったんだな」
「お偉い人専用の避難所ですから。しかし内緒話にはうってつけですよ」
内緒話の対策としては充分ではあるが相手は彼だ。不安は残る。
「それに気を逸らすための人材も使っています。時間稼ぎにもなるでしょう」
「そのためにアイツを使ったのか。上手くいくのか?」
「あの人以上の人材はいませんよ。現状、正体に疑問を持たれていないのは彼女だけです。私はギリギリどうか、というレベルですが」
「そこまでの奴だったのか。なるほど、その擬態を見破れてなかったのならお前以上の擬態だ。そうだろ? エルフ」
「バレていましたか」
「見事だと思うぞ。こういった気密性が高いところではないと分からなかった」
「.....流石にここだと厳しいですね」
髪や瞳の色が変わり始めると、顔や体つきまでが変化しだす。
「やはり【神眼】か」
「2代目ホノロゥにも名前を知られているとは嬉しい限りですね」
「閉鎖的なエルフが外で活動していたら有名にもなるだろ」
「私が活動的なのは半分勇者の血が混ざっているからですね。まぁ私から見ればあの人たちは閉鎖的というより外に興味がないだけです。危機感でも抱けば別なんでしょうけどね」
軽い挨拶を済ませて互いに席へと座る。
「それで、あの場でわざわざ目立つマネをしてまで呼び込んだんだ。重要な話なんだろうな」
「はい。それは勿論。想定外の事が起きているので確認も含めてです」
口でどう説明すればいいのか少し悩んで、切り出した。
「ホノロゥさんは、あの人の隣にいた人物をどう見ますか」
「あの子供の事か? 軽くは話したが、態度はデカいし変な訛りはあるが人間の子供だろ」
妙な含みはあったが素直な感想を述べる。
「そう見えましたか。そうですよね。私もそう見えていました。途中までは」
「引っかかるな。どういう意味だ」
「私から分かる事はほとんどありません。しかし唯一分かったのはアレは人ではなく生き物でもないと言う事です。私ですら判断できないのは彼とソレ以外いません。こちらに敵対している様子はなく謝罪を受け入れてくれたところを見ると中立的な立場ではないかとは思いますが、そちらにも気を付けてください」
なんとも問題が増えていく。
神眼すら見破れない相手か。
緊急で話そうとする理由としては充分納得できる。
「わかった」
「そして、ソレと彼との関係性ですが先程の会話からして対等以上ではないかと考えています」
たしかに、何でもないような会話だと聞き逃していたが。
怒鳴る子供に軽くたしなめるように注意して、それを聞き入れていた。
それは単純に力関係が同じか彼の方が強いという事になる。
「愚問だとは思いますが、くれぐれも両者ともに刺激をなされないようにしてください」
「......あぁ。それについては我が王も理解を示している。そちらの二の舞にはならないだろう」
「有難いです。ついでにそちらが望んでいたオオトリでの資料を渡しておきます」
円盤のような魔道具を受け取る。
「詳しい事はそちらを見て頂き、調査結果だけを端的に伝えます。オオトリでの機密文書の無断閲覧。『勇者の置き土産』事件については、ほぼ彼である事が分かっています。分かってしまったので今後の対応は保留状態という感じですね」
「後で確認しよう」
魔道具を受け取る
「まぁ、驚きはしないですよね。彼の実力は自身で経験されていますから」
「そうだな」
「それをふまえて少し質問なのですが獣人として彼をどう思いますか?」
「強さに関して異論はない。あえて言うなら魔力が無いから遠距離からの無差別攻撃を防ぐ手段があるのかと気になる程度だ。何か対策はあるとは思うが」
「いえ、そうでは無く。異性としてです」
僅かな沈黙が支配する。
「......それは、わからない」
「意外ですね。獣人の方なら垂涎ものかと思っていました。あなたの部下にもそういった人はいるでしょう?」
「.......そうだな」
分からない。
どうありたいのか、どうしたいのか。心が定まっていない。
好きとか嫌いとかそういう話ではない。
この感情の名前が分からない。
探るように首筋を軽くなぞる。
噛まれた痕が他の皮膚とは違う感触をしている。忘れられないように主張しているかのようだ。
なぞるたびにジクジクと噛まれた首筋が熱をもち疼いていく。
あぁ、あの瞬間を思い出す。
抗う気を挫く力。
首筋に食い込む硬い歯の感触と唇の柔らかさ。
灼熱の痛み。
血を吸われる苦痛。
肉体の一部が失われた喪失感。
あの時の感覚が、傷痕から脳へと伝わり思考のヒダを掻き分け侵入してくるかのようだ。
抗いがたい何かが私を犯している。
どうしたいのだ。何がしたいのだ。
彼が強い事は分かっている。では何故強硬なまでに強気の姿勢を崩さない。
強者に従う事に何の疑問がある。
何故できない。
わからない。
「首、どうかしたのですか?」
「いや、少し気になっただけだ。問題ない」
「そうですか。正直に言えばあなたほどの実力や家柄があれば彼を縛るのに丁度良いと思ったのですが、無理強いは出来ませんね。残念です」
「王が命ずればそのように振る舞う。お前が気にする事ではない」
「それもそうですね」
「そういうエルフはどうなんだ」
「私ですか。必要ならしますが無理だとは思います。異様に警戒されていますし女としての魅力には些か自信がありません。まぁ、一応試して見ます。胸元を緩めて会ってみましょう」
そういいボタンを緩める姿にモヤリと思考が曇る。
「さて余計な時間を取らせてしまいましたね。そろそろ戻りましょうか。思っていたよりも時間が経っています。彼が飽きて勝手に出歩かれると大変です。私でも見つけるのに骨が折れます」
「そうしよう」
先ほどの感情を振り払うかのように席を立ち昇降機へと向かう途中、受付嬢の足が止まる。
「良ければ、あなたが何で悩んでいるのか見てあげましょうか?」
瞳の色がにわかに変わっている。
神眼にはそのようなことも出来るのか。
とてもありがたい申し出ではある。あるのだが。
「いや、いい。これは自分で決着をつけなくてはならない」
「これは余計なお節介でした。そしてお節介ついでにもう一つ。お体は大丈夫ですか」
「誤魔化せないか。こればっかりはどうにもならない。魔法もポーションも効果が無い。まぁ、名誉の後遺症だな。いずれはホノロゥを名乗ることも出来ないだろう」
「獣人の特有の......ですか。心中お察しします」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
止めた歩みを再び進ませ昇降機へと向かう。
今思えば、この時にはすでに本当は何を求めているのかは知っていたのだ。
ただそれを認めたくなくて目を逸らしているだけなのである。
この事を知るのはもう少しだけ後の事。