101話
月明かりの下。
パチパチと焚火が爆ぜる。
静かである。
あまりの静寂に自分以外がいないのではないかと錯覚してしまいそうな程である。
怯懦の湖沼から急いで離れてここまで走ってきた。
夜も更けて来たので休憩のついでに濡れて冷えてしまった体を焚火で温めている。
移動しているときは気にならなかったが、休んでいると鈍い痛みが戻ってくる。
思っていたよりも無理をさせたようだ。
足を軽く触りマッサージをしながら状態を確認する。
怪我や炎症はなし。
しかし痛みと違和感はある。
「わからん」
原因不明。謎である。
ここまでして分からないのならしょうがない。足があって動くだけマシだと考えよう。
焚火の音のほかに、ふつふつとお湯が沸いてくる音も聞こえてきた。
暖を取るついでに温まる物でも飲もうと沸かしておいたものだ。
そろそろ頃合いだろう。
コップを取り出す。
収納袋を傾けて、コップに花の香りのする甘味料と数種類の香辛料、そして少しのアルコールを入れる。
軽くかきまぜた後に、先程沸いたお湯をゆっくりと溶かすように注ぎ入れて再びかき混ぜる。
甘い香りとピリッとした香辛料の香りが鼻腔をくすぐる。
軽く息を吹きかけながら少しづつ口に含むように飲んでいく。
しみじみと美味い。冷えた体に沁み渡る。
甘い味が痛みを散らせてくれている気がする。
「はぁ」
一息ついた。
警戒はまだ必要ではあるだろうが、おかわり位は飲んでもいいだろう。
それにしても今回は堪えた。
疲労が誤魔化せないほどである。
原因はこの不調。
今回のように、突然死地のど真ん中にいる事には慣れてはいるのだが、この体の不調ばかりはどうにもダメだ。
変に強張るから余計な体力を消耗してしまうし、想定した動きが出来ないので修正に神経を使って余計に疲れる。
ただ疲労などで鈍くなるだけならいいのだが、急に体の動きが鋭くなるのが厄介さに拍車をかけている。
できれば様子を見る意味も込めて、一夜を明かしたいが油断すればすぐ死ぬ身であれば動き続けなければならない。
少なくともこの湖沼にいる間は。
コップの中身を飲み干しおかわりを作りながら収納袋から軽い軽食を取り出す。
食べて飲んで少し回復してきた気がする。
今ならまだ体力にも余裕はある。
対処できるモノは出来るうちにした方が良い。
チラリと視線を落とし焚火の向こう側を見る。
んー、アレはなんだろうか。
さも当然と言わんばかりに焚火の近くでわらび餅が鎮座している。
バチッと生木が爆ぜる音に合わせて大きく身震いしている。
「.......」
アレを最初に見つけたのはカバンの中だ。
血と泥で汚れた服でも洗濯すればまだ着れるだろうかとカバンを覗き込んだ時にそれを見つけた。
汚れた服がわらび餅になっていた。
凄く驚いた。
理屈は分からないが、服で包んでいたアーシェの仮面が半透明なわらび餅の中に入っていたので間違いない。
見つかったことに向こうも驚いたのか、アーシェの仮面をペッと吐き出してカバンから出ていった。
動いていたことから生き物ではあるようだ。
そのままどこかへと行ってしまったので、変な生き物と出会った。でこの話は終わるのだが、暖を取ろうと火を付けたタイミングでまたもや現れた。
居て当然、そこが定位置だと言わんばかりに堂々とそこに居たので気が付くのに遅れたほどだ。
コップの中身をズズッと啜る。
敵意はないようだが何の生き物だろうか。
わらび餅そっくりではあるが類似の生き物をあえて挙げるならばクラゲだろうか。
毒性を持っている考えると危ない生き物に見えるのだが、わらび餅のイメージが強すぎて危機感が持てない。
ダメだ。一度冷静になって真剣に観察しよう。
角ばっていない丸いタイプ。
本格的なわらび餅というよりも、親しみやすい透明度の高いタイプ。
ツルツルでプルっとした弾力ある柔らかさが見ただけでわかる。
春が旬ではあるが夏に食ても美味しい和菓子の一つ。
ダメだ。最終的にきな粉と玉露が頭から離れなくなった。
どう頑張ってもわらび餅のイメージに引っ張られる。
よし、考え方を変えよう。
一度逃げたとはいえ、何故かここに戻ってきている。
何かの習性のせいだと言えばそれまでだが、この佇まいからは知性を感じる。
つまりは何か目的があるのだろう。
それを探るという意味も込めてこちらから行動を起こして様子を伺ってみるか。
すぐに動けるように警戒しながらもゆっくりと立ち上がり、飲みかけではあるがコップをわらび餅の前に置いてみる。
プルッと震えて反応はしたが逃げるそぶりは見せない。
果たして。
興味を示したのかコップへと近づく。
一応、警戒しているのかコップの周りを一周して様子を伺っている。
そして、ぴょんと飛び跳ねてコップの中へと入った。
熱くないのだろうか。
少し大きくなってコップから出て来る。
その後、緩慢な動きで焚火から離れていった。
良く分からないが満足したのだろうか。
コップの中身がなくなっている。キレイに飲み干したところは評価すべきだろう。
まぁ、居なくなったのならそれはそれでいい。空になったコップを回収しようと近づくとわらび餅が戻ってきた。
そこには一輪の花を携えている。
その花をコップに添えて丁寧に返却してきた。
このわらび餅、随分とシャレたことをするじゃないか。
あまりの心遣いに恐怖よりも感心してしまった。
正直嫌いになれない。
「小粋だな」
それにしても想像以上に知能が高い。
本当に何が狙いなのだろ......
「ん?」
耳を澄ます。
微かだが、遠くで金属の音がした。
すぐに火を消して地面へ耳を当てる。
いる。多いな。それもまだ増えている。
これ程の数に気が付かなかったとは気が緩んでいたようだ。
反省はあと。
集団はゆっくりとこちらへと近づいている。
風下に居るのが幸いだった。
向こうに焚火などの匂いが伝わらずに済む。しかし、それも時間の問題だろう。
異様に警戒しながらも真っすぐこちらへと進んでいる。
まるでこちらの場所が分かっているかのようだ。
狙いは何だと予想を立てるなら、恐らく自分だろう。
こんな所へ飛ばした勇者が確実に死んでいるかの確認と、生きていた場合は止めを刺すためといったところか。
人数と警戒具合から本気度が伺える。
まぁ、迷子の集団という可能性もあるかもしれないが、近づいてくる統率された足音がその可能性の低さを証明している。
大きく息を吸い込み静かにゆっくりと息を吐く。
この場で逃げるだけなら簡単だが逃げ続けるのは難しい。
痕跡を辿られれば人数の多さから持久負けするのは明確。
ではどうするか。
こちらの体力が無くなるよりも先に向こうの人数を減らしていく。
隠れ、釣り出し、時には強襲などして、撤退した方が良いと判断させるまで削っていく。
幸いまだこちらが気付いたことには気付いていないだろう。
確実に削れるチャンスがあるなら削っておきたい。
狙うは先行している3人組。
前2。後1。
足音からも3人組は優秀である事が分かる。特に練度が高いのは後ろ。
好都合だ。体力があるうちに向こうの出鼻を大きく挫く事が出来る。
見せしめも兼ねて手痛く潰そう。
殺しは可能な限り無し。
まずは足手纏いを増やして数の利と士気を減らす。
月明かりで動く影。
微かに聞こえてくる息づかいが距離の近さを教えてくれる。
そして、他の2人と比べて前の1人だけ警戒心が薄い。
こいつから切り崩す。
息を止めてその時を待つが、風がそれを許してくれなかった。
突如として風向きが変わる。
一定の間隔で進んでいた足音がピタリと止まった。
こちらの匂いが向こうへ伝わったようだ。
不味いな。
警戒された。
問題なのは向こうがどう判断しているかだ。
近いと感じて不意をつけると思っているのか。
それともこちらの狙いに感づかれたのか。
待機か、出直しか。
選択を迫られる。その時。
「シヒロ殿!!」
突如として耳鳴りが起きそうなほどの声で名前を叫ばれる。
聞く事に集中していたのでクラリとしてしまうほどだ。
なんでこのタイミングで、わざわざ居場所と存在を教えるようなことをする。
「我々は敵ではありません!!」
叫んでいる内容から察した。
こちらを油断させることと仲間を呼んでいるのか。
こちらの狙いはバレていないとは思うが、厄介になっている事は間違いない。
集まる前に一人でも削っておこう。
風のたなびく音に紛れ込ませ一番厄介な相手でろう後ろの人物に的を絞って飛び掛かる。
◇◆◇現・ホノロゥ
目的の物は手に入れた。我が父であるホノロゥの鍔の回収。
任務は達成。
あとは即刻持ち帰ればいい。
今回ために特別に使用が下りた勇者の魔道具を使い帰国を目指す。
これは、特定の位置から位置へと瞬間的に移動が出来るものであり、素早くダンジョンへ向かう際にも使われている。
これ以上ない程、早く安全に帰れる方法である。
だが、この魔道具も万全ではない。
その特定の位置へと向かわなければならないからである。
この移動が一番危険だ。
ましてや、次へ向かう特定の位置は湖沼付近にあり、何よりも慎重にならなくてはいけない。
全員がこの場に着いたことを確認した後、先行して様子を伺う。
静かである。
聴覚が研ぎ澄まされていく。
微かな風の音。
布がすれる音。
呼吸する音。
心臓の音。
金具が当たっただけで大音量ではないかと錯覚してしまうほど静かである。
いや、静かすぎる。
異常の類だ。
ここには何度か来た事があるがここまで音が無いのは初めてである。
虫の音すら聞こえない。
まるで巨大な災害が通り過ぎるのを息を潜めて待っているかのようだ。
何か危機が迫っている予感がする。
鼻を効かせてより慎重に周囲を警戒していると、風の音が変わったことが分かった。
風向きが変わった。
夜も更け気温が下がったからであろう。
ただ、運んできた匂いに戦慄する。
火の匂い、香辛料と甘い香り。
微かな酒気と暴の匂い。
一瞬にしてとあるイメージが浮かび上がる。
洞窟。
魔王。
そして劣人種。
首筋がジリジリと熱を発している。
間違いない。
湧き上がる様々な疑問をすっ飛ばして、部下が喉が裂けるほどの大声で敵意がない事を伝える。
本来なら処されてもおかしくない御法度であるが、今は、正しい。
同じくあの男を経験したから分かる。
この場で何よりも危険なのは湖沼でも在来種でもない。
魔王すら退けるあの男である。
敵意がない事を伝えているが死のイメージが拭えない。
心臓の音がうるさく高鳴る。
興奮して息が荒くなる。
私は、またあの暴力に苛まれるのか。
強く吹く風と共に月の光さえ飲み込むような黒い影が死角を縫うように最短でこちらに近づいてくる。
運悪く、阻む形で立っていた部下は叩き伏せ喉を踏みつられ、こちらが抵抗しようと動く前に首を掴れ締め上げられる。
冗談のような力だ。
雄弁に抵抗が無意味である事を分からされる。
もう一人の部下が助けに入ろうと割ってい入ろうとするが、踏みつけていた部下を蹴り上げ巻き込むように後ろへと大きく後退させられる。
全滅の2文字が脳裏によぎる。
ここまで来て。
無意味であり、無駄である事は重々承知しているが、何もしないよりはましだ。
腕を獣化し胴体へと爪を振り下ろす。
布が悲鳴を上げるかのような音共に切り裂かれる。
それだけだった。
服の下の肉どころか皮膚さえ切れず、痕すら付けられていない。
万が一もない。
もう為す術がない。
月光の下で照らされたその肉体は、人のそれとは明らかに乖離している。
見惚れてしまいそうだ。
首を締めあげる指が首の傷跡に沈んでいく。
「......ん、っあ」
荒い息づかいの合間に声が漏れ出る。
その声に反応したのか突如として指の締め上げが止まり、少しだけ緩む。
辛うじて薄目を開くと黒い瞳がこちらを覗き込んでいた。
「国に戻るって言ってなかった?」
「......説明するから離せバカ」