93話
勇者の依頼を受け取った翌朝。
朝食を食べて、腹ごなしにギルドへ報告に向かう道中に、どこかで見た事があるような人物を見つけた。
パッと見た感じでは分からなかったが、安定した重心と隠し持った武器が異質だった。
耳と尻尾が見えないので獣人ではなさそうだが、独特な雰囲気を持っている。
不思議と悪い印象はないので少し考えていると、揺れる赤い髪を思い出した。
あぁ。
思い出すと同時に、こちらの視線に気が付いたのか予備動作なしで一気に距離を詰めて、隠していた武器で襲い掛かってきた。
「どうどう」
無害を強調するために軽く手を挙げる。
一同の攻撃の手が止まった。
どうやら向こうもこちらが誰か気が付いてくれたようだ。短い期間であったが覚えてくれてよかった。
だから、アーシェ。お前も武器を下ろせ。
氷の銃剣を装備したライフルを手に持ち、真横から突き刺そうとしていた。
死んだらフレアが悲しむ。
そう、この人等はフレアの家にいた従者たちである。
街中に溶け込む擬態も然る事ながら視線を感じた際の躊躇の無い攻撃。暗殺者みたいな従者達である。フレアの家は暗殺一家の末裔ではなかろうか。血生臭い人材が豊富すぎる。
互いに臨戦態勢を解く。
「失礼したしました。獣人の国ゆえ確認を怠りました」
「申し訳ございませんでした。そして、ご無沙汰しております。シラズミ様」
「あぁ、いいよ。いいよ。無事だったし。こういうところなら仕方ない」
こっちも、ここに着くなり獣人にぶん殴られたからな。
仕方ない。
「こんなところで会うとは奇遇ですね」
「そうですね。出会えて驚きました。私達は仕事で来ていますが、シラズミ様は何故こちらに?」
「まぁ、私用で」
2人とも執事やメイドの服を着ていないので印象が違って見える。
見た感じ仲睦まじい恋人のように見えるが、そうでは無いのだろう。
潜入のお仕事なのだろうか。あまり深入りして仕事の邪魔をするのも悪い。
早々に切り上げようとした時にアーシェが声を掛ける。
「シヒロ様。この人達は誰でしょうか? 合図をいただけるなら何時でも処す準備は整っています」
処すな。知り合いの従者だ。そのまま何もするな。
「承知しました。心変わりがあればいつでも言ってください。すぐに済ませます」
血生臭さにあてられたのか、こいつまで攻撃的になっている。
いや、最近はこんな感じか。
「そうですか。その私用というのはもう片付けられたのですか?」
「一応は終わりました。今は、次のための準備中ですかね。そちらも早く終わると良いですね」
「お気遣いいただきありがとうございます。長引きそうだと覚悟していましたが杞憂だったようです」
「ん? どういう事です?」
「私達の仕事は、たった今終わりました」
「この国にいるあなたを見つけるのが私達の仕事なのです」
「早々に見つられたのは、運が良かったです」
「え、あ、そう、ですか。また何で?」
ピッと指を伸ばす。
「一つ目はシラズミ様にお預けしてる白い生き物についてご相談があります」
「あぁ......はい」
忘れていたがハクシは一応フレアの家からの預かりとなっている。
話を聞くと、案の定というか。返却要請だった。
少し寂しい気持ちもあるが、何の権限もないので返せと言われたのなら断る事は出来ない。
ハクシを返却しようとするが.......どこいった?
いつも体のどこかに巻き付いているのに今回は何処にもいない。気配もない。
本当にどこ行った。
ちょっと見当たらない事を伝えると、何でもないかのように次へと話を進める。
「2つ目は」
切り替えの早さと特に気にしていない様子から、この2つ目が本題なのだろう。
ハクシ以上となると本当に心当たりがない。
あるとするなら、治療のために肉をたくさん食べた事についての食費の請求だろうか。
少し緊張しながら言葉を待つ。
「フレア様です」
「フレア?」
予想だにしなかった人物の名前に不意に聞き返してしまう。
従者たちは小さく頷く。
フレアが何故? と疑問を抱いていると、一瞬頭上に影が横切る。
そして目の前で、パン! と小さな破裂音と共に火の粉が舞った。
舞い散る火の粉の中から人影が姿を現す。
「呼んだかしら? シヒロ」
以前よりも少し伸びた猩々緋の髪をたなびかせ、腕を組んで畏怖堂々と立っている。
見事な仁王立ち。
その目は自信を漲らせ、力強くこちらを見つめ返す。
あの日、別れた時よりもずっと綺麗になっていた。
別嬪である。
「ん。あぁ。久しぶりだな。フレア」
少し驚き、声が上ずりそうになる。
「そうね。久しぶりね。100年ぶりかしら?」
「1年も経ってないよ」
「知ってる」
楽しげに跳ねるような声に、どう接すればいいのか戸惑ってしまう。
前回の振られたことを思い出して、気まずく感じながらも見惚れるような笑顔に少しだけつられて微笑んでしまった。
後ろで鼻息を荒くしているアーシェは無視しておく。
手は出すなよ。
◇◆◇フレア=レイ=ブライトネス
眼前に佇む男を見上げる。
あぁ、私は......私を褒めてあげたい。初めて出会えたあの時の私に「良くやった」と言ってやりたい。
彼に対して何かを感じ取り、どんな形であっても関係を結べたのは流石であった。
ブライトネスの......女傑の家系として血筋のおかげだろうか。
あの時関係を結べていなかったのなら、私はシヒロにとってただの雑踏にいる一人の女でしかなかった。
後から気付いて、強く迫っても振り返りすらせずに消えていただろう。
当時は何も分からず掴んだものは何事にも代えがたいものであった。
それを必要とはいえその関係を一度自ら手放すのには身を裂く様な苦痛を伴い。今一度自分を見直し、もう一度出会うという無謀な賭けは勝利という形で手に入れた。
私はシヒロをシヒロのままに見る事が出来る。
向かい合って笑いあえている。
真っすぐ見る事が出来る。
確信を持って言える。
私は歪まず、正しく狂えている。
あぁ、あの時の......最後に見送ったあの姿のまま変わらない。
強いと言う事だけが分かり、現状の私では測れもしない。
最高だ。
胸の奥にドロドロに溶けた炎が渦巻く。
何時ぞやの冷めていた想いは何だったのか。ただの夢だったのかと思えるほどだ。
軽く食事でもしながら、これまでの事を聞いて......と思っていたがダメなようだ。
唇を軽く舐める。
今からすることに胸が高鳴る。
シヒロ。あなたは覚えているだろうか。
私を気絶するほど抱きしめた事を。初めてのキスを奪った事を。
例え忘れていたとしても、今からする事に文句は言わせない。
呼吸を整え、ゆっくりと歩いて距離を詰める。
そして、軽く飛び上がり、首に腕を絡ませた。
狂おしいまでに私をおかしくさせ、火を付けた責任を取れ。
息の温かささえ伝わる距離までに急接近する。
あと少しで唇を重ねようとしたその瞬間。世界がグルリと回った。
その最中、耳元で囁かれる。
「不意打ちで頭突きとは、妹みたいなマネして」
少し低い声が心地いい。
慨嘆の大森林での魔人とは全く違う。
ゆっくりと奥へと沁み渡るかのような心地よさ。ずっと囁いて欲しいぐらいだ。
余韻を堪能しつつも、事情が変わったことを把握する。
予定は変わったが、こうなってしまっったのならやるべきことをやろう。今の私を魅せてやる。
素早く体勢を整え、魔法やスキルを行使して近接格闘で抵抗する。
しかし、届かない。
躱され、透かされ、防がれ、崩される。
前の私なら、怪物か化け物だと感じただろう。今は、只々うれしい。
思い通りにならない。さすが、私が惚れた男である。そう感じている。
そして、何時ぞやのように抱きしめられる形で身動きが取れなくなってしまった。
腰に回した腕の太さ。強靭な力強さ。服越しからでも温もりと彼の香り。
あぁ、気が狂いそうだ。
分かりやすい程ゆっくりと締めあげてくるのは「参った」という余裕を与えているからだろうか。
舐めないで欲しい。まだ私はこれで終わりではない。
前回とは違う事を見せつけてやろうとした時、彼の肩越しから幾人もの獣人がこちらを見ていた。
呆気にとられたように見る者や、驚いている者。反応は様々だが女の獣人は目の色を変えてこちらを凝視していた。
あぁ、知っている。
ここに来る前に報告は受けている。何をしたのか。何をしていたのか。
何もしていなかったのだろう?
仕方がない。お前らは知らなかったのだから。シヒロの実力を。強さを。
だが、それを今知ったのだろう? 私を通して。節穴ども。
知った所でもう遅い。
これは、私のものだ。
その獣人達に見せつけるように、大袈裟にガブリと全力でシヒロの首筋に噛みついた。
噛み千切る勢いで噛んだというのに、歯が立たない。
涎だけが出て首筋が汚れていくだけだった。
だが、それでも見ている獣人共には伝わったようだ。
私が首筋を噛んだ意味を。
お前らの流儀に則ったのだから分かるだろう? こいつは私のモノだ。欲しいのなら私が相手だ。消し炭になる覚悟があるなら掛かってこい。
燃えるような敵愾心に獣人は二の足を踏み視線をそらした。
それを見て満足した。
しかし、噛みついたことで余力を使い果たしてしまい、締め付けに対して抵抗できなくなってしまった。
呼吸が出来ない。
悔しいが本当にここまでだ。
肺に溜まった空気を絞り出して、「参った」とささやくと、力を抜いて解放してくれた。
少し長り惜しい。
優しくしてくれるなら何時間でもしていて欲しいぐらいだ。
呼吸を整えながら彼の首筋を見る。
薄っすらとだが、歯形が付いていた。
妙な満足感に包まれる。
「嬉しそうだな」
「そう? 割と悔しいわよ。敵わなかったんだもの」
そうは言っても口角は上がる。
「どう? 結構強くなったでしょ?」
「まぁ、そうだな。結構、見違えたな」
「ふふっ。ありがとう」
何よりも嬉しい言葉を貰った。
だが、まだ満足は出来ない。油断はしない。
なぜなら私がいない間に余計な敵が増えている。
女の勘ではあるが、恐らく3人。
悪い虫に気に入られている。
いいだろう。誰が相手だろうが負ける気はしない。
◇◆◇
いやはや、フレアには驚かされた。
ゆっくりと歩み寄ってきたときは何かするんだろうと感じてはいたが、首に腕を回される瞬間まで反応できなかった。
敵意や悪意、殺意であればすぐにでも反応で来たが、見事にそういった「意」を消していた。
草を刈るように、虫を潰す様な類のモノであれば対応する事は出来た。
しかし、フレアのはもっと別種の様な......言葉にすれば難しいが、一番近いのは最近の妹だろうか。
その境地に至ったとしたのなら恐ろしい事この上ない。
「シヒロ様。あの女は誰ですか? 敵ですか?」
アーシェが話し掛けてくる。
恩人だ。だから、手は出すなよ。
「承知しました。敵ではなく恩人であるのなら何もいたしません。ただ、嘘はつきたくないので正直に言いますと、私は好きになれそうにないタイプです」
あぁ、火を使うからな。
巻き込まれそうだもんな。
「いえ、そうれもそうですが、もっと心情的なものです。彼女を見るとモヤモヤするような、ハラハラするような、何とも言えない気持ちになります」
不整脈か? 気を付けろよ。
「健康上のものではないと思いますが、心配していただきありがとうございます」
どういたしまして。
まぁ、何となく濁して見たが、アーシェは目に見えて動揺している。
それはどういったもので、どういった感情からくるものかは分からないが良い切っ掛けではある。
この際だから存分に悩んで欲しいものだ。
そして、助けを求めてこちらがアドバイスをするという形になれば最高だ。
思考を誘導する事が出来る。
こちら側に都合のいい価値観を与える事が出来る。
今後の事を考え、どういった助言をすればスムーズにいくか考えていると、腹に何かが這っている感覚がした。
素早く確保するとハクシだった。
おまえ、何処に居たんだよ。
「ぎぃ」と小さく鳴くと大きな欠伸をする。
フレアの従者は気が付けばいなくなっていた。
引き渡しはまた今度だろうか。
「くすぐったいから腕にでも巻き付いてろ」
そう言うと、シュルシュルと腕を伝って定位置に着いた。
何処に行ってたんだ、と思っていると今度はお尻を突かれる。
先程から忙しない。
誰だと思ったら、フレアだった。
「なるほど」
「なにが?」
良く分からないが、なにか納得したみたいだ。
「そういえばギルドに依頼されてたわよね? シヒロ」
「あぁ、そうね」
話を変えようとしているが、何で尻を触った?
「勇者の依頼でしょう? コネが効くから一緒にやりましょ」
「え、嫌だ」
「立ち話もなんだし、詳しくは個室を取ってるからそこで話しましょう」
話を聞いてくれ。