13.
「奈亜……」
峻は思わず呟いた。その呟きが聞こえたかのように、脩一が峻の方へと振り返った。
「あ……」
「ん? どうしたの?」
峻を見て、脩一が息を呑んだのを聞きつけ、今度は奈亜が振り返る。そして、峻の姿に気づき、目を見開く。
「奈亜? それに浅田君!?」
峻の隣にいた董子が驚いた声を上げた。奈亜と脩一の関係を知らなかったのだから当然だろう。
「ふ、藤宮さん」
脩一が動揺した声を出し、体を半歩後退させる。
この夏祭りの会場で、四人の視線が交錯した。その視線にそれぞれがそれぞれの想いを乗せている。周囲が夏祭りを楽しむ中、この四人だけが重苦しい雰囲気を漂わせていた。
「よっ」
その雰囲気の中、最初に声を発したのは峻だった。奈亜と脩一の二人に対して、軽い調子で話しかけた。
「おう、奇遇だな」
「…………」
峻の呼びかけに脩一が返事をする。奈亜はじっと峻を見たまま無言だ。
「あ、奈亜姉だ!」
そこにこの四人とは違い、祭りの雰囲気を堪能していた睦がやってきた。手にはいつの間に買ったのか、りんご飴が握られている。
睦の乱入により、交錯していた四人の視線が外された。
「おい、睦。そのりんご飴いつの間に買ったんだ?」
こんな状況だったが、峻は保護者の一面をのぞかせ、睦を睨む。
「えっとー……あそこの露店で」
睦が気まずそうに、頭をすくめながら少し離れたところにある露店を指さした。
「たく、買うのはいいけど、勝手に離れるなって言っただろうが」
「はーい……あ、それよりそっちの人が奈亜姉の彼氏さんなの?」
峻の小言を躱し、睦が興味津々で奈亜に聞く。
「あ、うん、そうだよ。浅田脩一君っていうの。私の同級生なんだ」
「へぇー、すごいなぁ! あ、私、桐生睦っていいます。峻兄の従妹です。よろしくお願いします」
脩一を羨ましそうに見つめた後、睦は思い出したように自己紹介の挨拶をして、頭を下げる。それに脩一が慌てて答えた。
「は、はじめまして、浅田脩一です。よろしく」
そのやり取りを見た董子が峻の方を見上げた。その視線の意味を理解した峻が董子へ説明をする。
「あの二人、付き合い始めたんだ。最近な」
「そう、なんだ」
峻の口から答えを聞いても、董子はまだ若干驚いたような表情を隠せずにいた。それほど、奈亜と脩一が付き合っていることが予想外だったのだろう。
「あいつが誰かと付き合うのはいつものことだけど、相手が脩一っていうのは予想外だったよ」
その驚きを肯定するように、峻は董子に笑いかけた。董子はその峻の微笑みを少しの間見つめた後、「そうだね」と小さく返した。
「睦、もう行くぞー」
「えぇ! みんなで回らないの?」
峻が呼びかけると、睦は頬を膨らませた。峻の提案に不服の表情をする。どうやら奈亜と脩一の二人とも一緒に祭りを楽しむつもりだったようだ。
「それは……」
睦の返しに思わず峻は言葉を詰まらせる。この場面、五人で回っても別におかしくないからだ。それに加えて、峻が言葉に詰まった理由がある。それは、
(……お前まで顔をしまめるなよ、バカ)
思いきり不満をあらわにする睦の向こう側で、奈亜がムッとした表情をしているのが、峻の視界に入ったのだ。それが峻が言葉に詰まったもう一つの理由だった。
「いいよ、峻。一緒に回ろうぜ。愛沢さんも別にいいよね?」
「えっと……私は別にどっちでも」
返事に詰まる峻の代わりに脩一が笑顔を見せながら言う。一方の奈亜は、ムッとしていた顔を慌てて取り繕うと、峻と脩一を交互に見ながら、あいまいに答えた。しかし、それを脩一は、奈亜が肯定したものと決めて、もう一度峻に言う。
「ほら、愛沢さんもこう言ってるしさ。いいだろ? 峻」
「私もそれがいいと思うな。せっかくのお祭りなんだし、みんなで回ろうよ、峻君」
董子も脩一の意見に賛成する。
(二人とも……)
董子と脩一、どちらも峻の複雑な心境を分かっているかのように、自然と話をまとめようとしてくれていた。脩一の方は、まだ昼間の会話を気にしていることが、峻にはなんとなくだが分かった。だが、董子の思惑は峻には読み取れない。しかし、峻はこの二人がまとめてくれた場の雰囲気に、ここは乗ってみることにした。
(いつまでも逃げ回るわけにはいかないか)
そう思うと、峻はスッと前を向く。同時に心もまた前向きになろうと思えた。
「……なら、そうするか。みんなで回ろう」
「やったー!」
峻が答えると、睦が嬉しそうに飛び跳ねる。みんなで回れることが余程嬉しいようだった。
「それじゃ、次に――」
「ちょっと待った!」
「なんだよ?」
とりあえず話がまとまったことで、峻は次のガラクタ細工へと向かおうとする。しかし、それを遮って奈亜がストップをかけた。
「もうちょっとゴジラ見させてよ。まだ細部まで見てないし!」
「あ、私ももう一回見に行く!」
そう言うと、峻の返事を待たずに展示スペースの方へ奈亜は駆け出す。それに睦も続いた。その後ろ姿を見ながら、脩一が峻へと尋ねる。
「なぁ、峻」
「なんだよ?」
「愛沢さんってああいうの好きなの?」
「見りゃ分かるだろ。……大好きだ」
峻が少し呆れたようにそう言うと、脩一は少し顔を引きつらせる。
「へ、へぇー」
「覚悟しとけよ。この後、絶対に語り始めるからな。しっかり聞いてやれ」
「お、おい、マジかよ! 俺、あんまり分かんないぞ」
「頑張れ、彼氏」
峻はそう言うと、脩一の方に手をポンと置く。そしていたずらっぽい笑みを浮かべた。それはとても自然な笑みだった。峻自身、そのことに気がつく。
(少し楽になった気がするよ。……ありがとうな、脩一)
奈亜と脩一の二人と行動を共にすることを決断したことで、少し踏ん切りがついたように峻は感じた。まだ少しではあるが、それがとても大切なことだ。
隣で顎に手をあて、この後の対策に頭を悩ませている友人に向かって、峻は心のうちで感謝した。
「あのね、それでその時に――」
先頭を歩く峻と董子の後ろで、奈亜が脩一との会話を楽しんでいた。正確には、会話ではなく奈亜が一方的に語っているだけになっている。脩一は悩んだ末に、聞くことに専念することを選んだようで、うんうんと頷きながら奈亜の話を聞いている。ただ、内容を理解しているかは別である。
(あいつ……根気あるな)
峻はチラリと後ろを振り返り、微笑みを浮かべて奈亜の話を聞いている脩一に感心した。すでにガラクタ細工の半数以上は回っている。それだけの間、まだ一番目のガラクタ細工の話題を出され続けているのに、脩一は嫌がる素振りも見せない。日頃から厳しい野球の練習で、精神力を鍛えているおかげもあるのだろう。ただ、確実に鍛錬の無駄使いだ。
「あ、あれすごい!」
峻がそんなことを思っていると、睦が声を上げた。露店の一つを指さしている。
「お、輪投げか」
その露店を見て、珍しく峻が反応した。くじ引きとかではなく、こういう実力で勝ち取るゲームは峻の好みだからだ。
「峻兄、やってよー! あのぬいぐるみ取って」
睦が峻の服の端を引っ張りねだる。睦が指さす方向には、可愛いというべきなのか非常に微妙なラインの造形をしたネコのぬいぐるみがあった。
「まぁ、ぬいぐるみは別として……挑戦してみるか」
そう言うと、峻は他の三人に声をかける。
「ちょっと輪投げしてくる。少し待っててくれるか?」
すると、奈亜が峻の言葉に反応し、露店を見た後、脩一に話しかける。
「あ、輪投げだって脩一君もやったら?」
「あ、いいね。峻、俺もやるよ」
「その意気! 董子も一緒に見てようよ」
「うん。峻君、頑張ってね」
「おう、見ててくれ」
俄然やる気になった峻と、奈亜の語りから逃げ出した脩一が、露店に近づく。輪投げの露店はかなり大きなスペースが取ってあって、そこに景品が所狭しと並べてあった。輪を投げるスペースから近場にあるのは、ジュース缶とかよく分からない置物とか手ごろなもので、そこから遠くになるにつれ、景品は豪華になっていく。
景品スペースは途中で一段上がっており、その上の段には景品の現物ではなく、トイレットペーパーの芯に「特賞」や「一等」などと書かれている。ちなみに特賞は二つあり、高級炊飯器、掃除機セットか、新型のゲーム機のようだ。
トイレットペーパーの芯に輪を通せば賞品を貰えるが、当然芯を倒してしまうと認められない。値段は、一回五投で三百円と五百円がある。五百円の場合、投げる輪っかが少し大きくなって取りやすくなるのだ。
「峻、いくらのやつにする?」
脩一の問いに峻はサラリと返した。
「三百円の方。それで十分」
「すごい自信だな」
「別に特賞を狙うわけじゃないからな。睦がほしいのは、一段目のギリギリのところにある五等のぬいぐるみだし、なんとかなるだろ。お前はなに狙うんだ?」
「俺は……」
少し思案して脩一が隣を見る。そこには見物に来た奈亜がいた。その奈亜へ脩一が聞く。
「愛沢さんはなにがいい?」
すると奈亜は顔を上げて笑顔で言う。
「あのゲーム機! 狙うならやっぱり特賞だよ!」
自分がやるわけでもないのに、なぜか意気込みだけは大きい奈亜に峻は内心で苦笑する。
(ま、そうなるよな、奈亜の場合)
聞かなくても奈亜がそう答えるのは、峻には分かっていた。そう言われて昔から何度も特賞を狙ってきたのだから。
(それでも特賞取れたのは、一回だけだったけどな)
少し昔を思い出しながら、峻は脩一にはっぱをかける。今、奈亜の意気込みを酌んで、特賞を狙うのは、峻の役目ではないのだから。
「ほれ、お達しがでたぞ。特賞とって来いってさ」
「ははは……また難問だなこりゃ」
脩一は苦笑いを浮かべつつ、露店のおじさんに五百円を払う。どうやら大きい方の輪っかで、特賞を狙うようだ。その横で峻が三百円を出す。
二人にそれぞれ大きい輪っかと小さい輪っかが五個ずつ渡された。
輪投げのコツというか投げ方だが、フリスビーみたいに横向きに回転をかけて投げてはいけない。それでは、例え目標に入ったとしても、輪っかが地面で滑り、目標を倒してしまうからだ。輪っかへ縦向きに回転をかけて投げるのが正しい。そうすると、地面に落ちた時の滑りが最小限になり、ピタリと止まる。
「よし、やるか」
「おう!」
峻と脩一がそれぞれ一投目を構える。どちらも投げ方は熟知しているようで、輪っかをぶらぶらと揺らして、縦の回転が綺麗にかかるように反動をつけようとしている。
先に動いたのは脩一だ。特賞と書かれた芯へ輪っかを投げた。
輪っかは綺麗な縦回転がかかると、目標目指して飛んでいく。しかし、少し力が足りなかったか、失速し、輪っかは手前に落ちた。落ちたところにはジュースの缶が三本。それに見事かかったため、一応品物は入手できた。
「おしい! コースはよかったんだけどなー」
横で悔しがる脩一をよそに、今度は峻が一投目を投げる。こちらも綺麗な回転をかけて輪っかが飛ぶ。宙を舞った輪っかは、放物線を描き、目標に向かって落下する。
「おめでとー! 五等でました!」
露店のおじさんが大袈裟に叫んだ。峻の輪っかは、見事五等の芯をくぐっていた。
「わぁ、一発! 峻兄、さすがだよぉ!」
「一発で取るなんて……峻君、ホントにすごいね」
峻の右隣で見ていた睦がはしゃいでいる。そのさらに横で、董子が微笑みながら拍手をしていた。
「峻、お前……こういうのもできるのか?」
「偶然だよ、偶然」
左隣で、ジト目で峻を見る脩一を軽く躱しながら、五等賞品であるネコのぬいぐるみを睦に渡してやる。睦はそれを感動した表情で抱きしめると、上目遣いで峻を見て、満面の笑顔を見せた。
「ありがとー、峻兄!」
「どういたしまして」
峻は、子供をあやすように睦の頭に手を置いて撫ぜると、今度は董子に視線を向ける。
「さて、今度は董子のほしいものを狙うよ。なにがいい?」
「え、いいの?」
そう聞き返す董子の視線が、一瞬峻の背後、正確には奈亜の方へと向く。しかし、それを峻は気づかないふりをして言う。
「いいさ。みんなリクエストしてるんだし、董子もしなよ。輪っか余ってるから」
峻は口元を少し緩めた。笑顔にもならないくらいの微妙な笑みだ。
それを見て、董子は少し難しい顔で思案するが、やがて口を開いた。
「じゃあ。お願いしようかな」
「よし、どれ?」
「あれがいいかな。あの七等の賞品」
「七等ってまた微妙な……」
そう言いながら峻が品目にに目をやる。七等の賞品はどうやら古本のようだ。
「あ、あれは!」
しかし、次の瞬間、峻がその古本を見て目を見開く。七等の賞品は、「金田小五郎 本塁殺人事件 初版」とあった。
「……取るしかないな」
「お願いします!」
拝むようにして、両手を合わせて笑う董子を横目に、峻の目がきらりと光る。他の人は目もくれないかもしれないが、推理本好きの二人にはお宝の一品だ。
「よし、今度こそ取る!」
隣で脩一が気合を入れている。同じように峻も、もう一度気合を入れ直すと、賞品に狙いを定めて、輪っかを握り直した。