7.
脩一と別れた後、峻は一人で校舎の中を歩いていた。特に目的があったわけでなく、単なる時間つぶしだ。
ただ、あまりにもやることがなさすぎるせいか、余計なことを考えてしまう。今の峻の頭の中には、ついさっき脩一から言われた言葉が浮かんでいる。
「……いつまで続けるつもり、か」
脩一から言われた言葉、いつまで幼馴染を続けるのか、という質問。とっさに返答することはできた。少し前までなら自信を持って言うことができた返答だろう。だが、今の峻には、それが本当に正しいことなのか分からなくなっていた。
二人は今までも幾度となく喧嘩をしてきた。今回もその中の一回だと思うのは簡単だった。しかし、今までの喧嘩と決定的に違うことがある。それは、二人とも周囲には、なにもなかったと取り繕っている点だ。
今までは幼馴染という関係だからこそ、互いに言うことを言って喧嘩をしたし、仕方ないなと仲直りをしたりもした。だが今回は、その真逆だ。二人は今、幼馴染と言う関係だからこそ、なにも行動を起こせないでいる。
今まで二人を繋ぎ止めてきた幼馴染という絆の鎖が、今は二人をがんじがらめに絡め取っているのだ。
(そうまでして続ける必要があるのか? 今の関係を)
そんな考えが峻の頭に浮かんだ。かつてアメリカとソ連が多くの諸外国を巻き込んで対立したことがある。ただ武力を使うことなく行われたこの対立は、冷たい戦争、所謂冷戦と呼ばれたものだ。峻には今の二人の関係がそれに似ているように感じた。実際の冷戦は、核戦争一歩手前までいっている。もしかしたら世界を終わらせていたかもしれない。
『第三次世界大戦がどのような武器を使われるか分からないが、第四次世界大戦は石を持って行われるだろう』
天才科学者アルバート・アインシュタインの言葉だ。これを今の二人の関係に当てはめる。世界と一個人の人間関係という規模の違いはあるが、結末は意外にも同じだ。
ある一線を超えれば、すべてが更地になるのだ。
第三次世界大戦の結末が、核の撃ち合いによる文明のリセットだと言ったアインシュタインのように、峻も今の状態の先にある最悪の結末は、この件に関わった人たちとの人間関係のリセットだと思えてならなかった。
しかし、そういう可能性があるからといって、簡単に奈亜との関係を終わらせることができないのもまた事実だ
(いや……そんなことには……)
峻は頭の中で、その考えを否定しようとする。
(ありえない……俺と奈亜の関係がそこまでこじれるなんて)
二人には今まで積み重ねてきた時間というものがある。それがこんなに脆いものだと峻は思いたくなかった。
(まだ俺たちならやり直せるさ……またいつもの二人に)
峻もまた幼馴染という絆の強さを信じていた。そして、それが体に巻きついていることを見て見ぬふりをする。
背中合わせに二人を縛る鎖。互いの顔は見えない。二人とも前を向けばまったく違う景色が見えているのに、距離だけはすごく近い。相手のことを感じ取れてしまう。だから無理やり外してしまうことができない。
「はぁ……」
結局、堂々巡りに陥った自分へ、幻滅したように峻はため息をついた。結論は結局出そうにない。
そんな時だった。
――タッタッタッタッ。
廊下の先で足音が聞こえて、峻は顔を上げた。見慣れない制服の女子が、こちらに向かって歩いてくる。
(あれ?)
峻はそれを見て首を傾げた。見た感じその女子は説明会の参加者のようである。が、ここにいるのは不自然だ。
現在、峻がいるのは第二校舎で、音楽室や美術室といった特別教室が多数を占める場所だ。しかし、午前中に説明会で使う予定の第一多目的室は、第一校舎の方にあり、参加者がこちらに来る理由はない。だからこそ、峻は人気の少ない第二校舎を選んで思案していたのだから。
黒色のお下げ髪に、黒縁の眼鏡をかけた一見すると地味な感じがする女の子だ。典型的なデザインのセーラー服がその雰囲気に拍車をかけているのかもしれない。
女の子が峻に近づいてくる。そして、そのまま歩くスピードを緩めることなく、峻の横を抜けようとした。
「あ、ちょっと……」
峻はその女の子に声をかけた。女の子はピタッと体の動きを止めると、ゆっくりと振り返る。
「……なんでしょうか?」
呟くように女の子が言う。しかし声に怯えた様子はない。声の音量が小さいだけで、はっきりとした口調だった。そして、その表情には猜疑心が現れている。
「えっと……」
とっさに声をかけてはみたものの、なんと言えばいいのか考えていなかった峻は、少し口ごもる。
すると、女の子の表情が一層険しくなった。
「……あの、私急いでいるので。用がないならこれで失礼します」
峻が遊びで声をかけたように感じたのだろう。固い口調でそう言うと、また歩き出そうとする。
「あぁ、ちょっと待ってくれ!」
それを峻が再度引き止めた。
「……なんですか?」
もう一度振り返った女の子の顔には、今度は怒りが現れている。
「君、迷ってない?」
言葉を選ぼうにも、時間がないことを悟った峻は、率直に簡潔に思ったことを言った。
「――っ!?」
すると、女の子は動揺したように上体をぐらりと揺らした。
「……いえ、わ、私は迷ってなんか」
さっきまで澱みない調子で話していた言葉が詰まっている。このことから峻は自分の言っていることが正解だと確信した。廊下の天井から下がっている時計を見ると、時刻は十時。まだ余裕はあるが、女の子を見過ごす理由にはならない。
「案内しようか? 第一多目的室まで」
「…………」
女の子からの返答はない。峻に図星をつかれたことが恥ずかしかったのか、顔を伏せている。
「あ、俺は一応……ってのもおかしな言い方だけど、ここの学生です。今日の説明会の参加者の方ですよね? よかったらご案内いたします。ここの校舎は似た造りになっていて毎年迷う人がいるんですよ。俺の役目はこちらの校舎に来られた方を案内することなんです」
一息ついた峻は、今度は言葉を選んで丁寧に言う。『フォレスト』で鍛えた営業用スマイルも浮かべながら、なるべく相手がお願いしやすいように、多少の嘘を交える。
峻がこの第二校舎にいた理由は、まったく説明会とは関係ないが、校舎の造りが似ているのは本当だ。初見なら迷ってもおかしくはない。
「そ、それじゃあ、お願いします」
「分かりました。では、案内いたします」
そう言って、峻は歩き出した。
峻たちがいるのは正確には、第二校舎の三階だ。目的の第一多目的室は第一校舎の五階にある。
甲城大附属は、真上から見ると、カタカナのコの字の形をしている。並列した二つの校舎がそれぞれ第一、第二校舎と呼ばれていて、二つの校舎を結ぶ箇所を中央と呼んでいた。
二つの校舎が五階建てで、中央が四階と屋上に渡り廊下がある造りだ。
その第一校舎の五階に向かう間、二人の間に会話はなかった。ただ黙々と歩いているだけだ。
峻の方から見知らぬ女の子にあれこれ話しかけるのも気がひけたし、学校の説明はこの後たっぷりとされるのだから必要ないと感じたからだ。
中央三階から第一校舎に渡り、五階へと階段をのぼる。すると、すぐに第一多目的室が見えてきた。
「はい、あそこが第一多目的室です」
峻は立ち止まってドアの上に掲示してあるネームプレートを見ながら女の子に言う。女の子に視線を戻すと、制服に名札がついている。『葛城楓』、名札にはそう書いてあった。
「えっと……葛城さんかな。説明会、頑張ってください。で、この学校そんなに悪い所じゃないから、よかったら志望してくださいね。それじゃ」
説明会の手伝いで来ているので、峻も一応は営業をしておく。ただ、なんの功績も残らないが。
「……あ、あの」
「ん?」
立ち去ろうとした峻に、初めて楓の方から声がかかった。そして、
「ありがとうございました」
そう言って、優希は頭を深々と下げる。
「どういたしまして」
峻はそう返すと、手を上げてその場を立ち去った。峻が階段をおりるために角を曲がるまで、楓はその姿を見送っていた。