5.
「へぇ、睦ちゃんは甲城志望だったのか」
晩ご飯も一段落着いた頃、まだ各自席には座っているものの、場は雑談タイムに入っていた。――一名を除いて。
(……やっと落ち着いて肉が食える)
峻は目の前の二人が散々食い荒らした後のプレート上に、自分用の肉を並べていた。そんな峻の耳に、奈亜と睦の会話が入ってくる。
「うん、奈亜姉の後輩になりたいから!」
「もぉー、相変わらず睦ちゃんは可愛いなぁ!」
「ちょ、ちょっと奈亜姉! 苦しいよぉ」
「ごめんごめん、あははは」
会話というよりはじゃれ合っていると言った方がいいかもしれない。峻はプレートに残ったままの玉ねぎのスライスを口に放り込む。さっきから野菜しか食べていないが、病みつきになるくらいにおいしい。ただ、それは峻が今まで焦げ肉にしかありつけていない理由にはならないが。
「うん、それで明日の説明会に参加するんだぁ」
「説明会? 明日?」
「うん、学校説明会」
「へぇ、そんなのあったんだ。峻と行くの?」
「うぅん、えっとね……今日、峻兄のバイト先で会った董子さんって人。奈亜姉も知ってるんでしょ?」
「董子と!?」
睦の口から董子の名前が出ると、奈亜は驚いた顔をしながら峻の方を見た。峻は少しバツの悪そうにして、事情を説明する。
「明日の説明会、睦と一緒に行ってやることができなくてさ。そうしたら俺の代わりに董子が一緒に行ってくれるって言ってくれたからお願いした」
「……私に言ってくれたらよかったのに」
「お前に言う前に、董子が申し出てくれたんだよ」
「…………」
二人の視線が交錯する。少しだけピリッと空気が張りつめた。そんな二人を睦が交互に見ていた。それに気づいた峻が一方的に視線を外すと、なんでもなさそうな表情をして言った。
「ただそれだけのことだ。特に深い理由はないって」
「……そう、ならそれでいいんじゃない」
それに答えるように奈亜もふいっと視線を逸らした。
「峻兄……」
睦がぽつりと峻を呼ぶ。
「ど、どうした?」
まずったか、と思った峻が慌てて返事をする。
「お肉……焼けてるよ?」
「え? ……あぁ!」
睦に言われて、峻がプレートに視線を落とすと、その上に片面は赤みを残したまま、プレートに接している面がこんがりと焼け過ぎているお肉が数枚。自分用に育てていた肉が哀れな末路を辿ってしまい、峻は悲鳴を上げる。
「あははは! 峻兄おもしろい!」
峻の悲痛な表情を見て、睦が口に手を当てて笑う。
「バカだよねぇ、峻は」
「うっさい……」
その横でニヤリと笑う奈亜へ力なく言い返しながら、峻は片面焦げ肉を自分の皿に取る。焼け過ぎた肉はタレに入れると、ジュッというしてはいけない音がした。
(……とにかく次を焼くか)
峻は気を取り直すと、またプレートの上に肉を置く。もう残りが少なく、あまり失敗できない。
皿の肉を口に運ぶと、今日はもう味わい飽きた焦げ付いた肉の味がした。実際焦げているのだから当たり前である。
「あ、そういえば奈亜姉は夏祭りどうするの?」
睦が無邪気に聞く。だが、峻にはその話題がクリティカルすぎて肉を運ぶ手が止まる。
「私は……」
珍しく奈亜が口ごもった。峻の方にチラリと視線を向ける。が、峻はその視線から逃げるようにプレートへ肉を置く作業に戻っていた。そんな峻へ、奈亜はちょっとムッとしたような顔をした後、
「ごめんね、睦ちゃん。夏祭りは私、他の人と行く予定があって」
「もしかして彼氏さん!?」
「まぁ、そうだね」
「うわぁ、奈亜姉はやっぱりすごいなぁ! 彼氏さんと夏祭りデートか、憧れるなぁ」
睦の憧れるポイントに入ったのだろう、また目を輝かせて話に食いつく。昔から付き合いのある睦も、奈亜の恋愛歴はよく把握していた。
(そんなとこ憧れなくていいぞ!)
と峻は思うが、本来言うべきところで口から言葉が出てこなかった。その代わりに肉をひっくり返す。今度は完璧なタイミングだ。
「睦ちゃんも可愛いからそのうち男子から誘われると思うよ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。お姉さんが保証する!」
「そっかな。ありがとう、奈亜姉」
「どういたしまして。それと本当にごめんね、夏祭りは峻と二人で行ってください」
「うぅん、気にしないで。それに二人じゃなくて三人! 董子さんも一緒に行くんだよ。説明会終わったら、そのまま一緒に行こうって約束したの」
またしても睦の爆弾発言。本人が無意識なだけにその破壊力は抜群だ。
「へぇー、夏祭りも董子と行くんだ」
「うん、そうだよ」
睦が答えているものの、奈亜の言葉の矛先は峻に向いている。だが、峻はそれに構わない。奈亜と睦が話しているものとして峻はだんまりを決め込んでいる。
「そうなんだ……ふーん」
「奈亜姉?」
「あ、なんでもないよ。睦ちゃん、董子と楽しんできて」
「うん」
奈亜と睦が笑い合う。とりあえず表面上は微笑ましい光景だ。峻は依然としてプレートを見ていた。肉はそろそろ完全な状態だ。
「あー、私またお腹が空いてきちゃったなぁ」
その時、奈亜がわざとらしく棒読みのセリフを放つと、プレートの肉をひょいと取り上げた。
「な、奈亜!?」
「睦ちゃんももう少し食べない? ちょうど焼けたみたいだし」
「うん、そうする!」
「ありがとう、峻。わざわざ焼いてくれて」
奈亜がニッコリと笑って峻に言う。が、あきらかに内面は笑っていない。
(……こ、この野郎)
峻は肉の消えたプレートと奈亜の顔を交互に見た。そして、この後の悲しい結末を予想し、あきらめたようにプレートの隅に残った玉ねぎに箸を伸ばした。
リビングのテレビで今が旬らしいお笑い芸人が盛大に画面の中を走り回っている。なにが面白いのかはよく分からないが、その様子を峻はのんびりと見ていた。結局、予想通り肉にほとんどありつけず、押し付けられた食器洗いを終わらせてやっとテレビの前のソファに身を沈めた所だった。
その時、廊下に続く扉が開いた。
「上がったよー」
「おう」
バスタオルで頭を拭きながら睦がリビングに入ってくる。
「奈亜は?」
「もうすぐ上がってくるよ」
「了解」
そして、峻が食器を洗っている間に、奈亜と睦が一緒に風呂に入っていたというわけだ。
「なにかおもしろい番組やってる?」
睦がバスタオルを肩にかけると、峻の隣にちょこんと腰を下ろした。肩から少し上で揃えられた髪からまだ水滴が半袖のTシャツにぽたぽたと垂れている。
「睦、髪はちゃんと拭けっていつも言ってるだろ? ほら、まだ濡れてるぞ」
峻はそう言うと、バスタオルを肩から取って睦の頭を拭いてやる。
「うぅー、峻兄乱暴……」
「これが嫌だったら、ちゃんと拭いて出てこい」
「……別に嫌じゃないし」
「ん? なんだって?」
「なんでもないよ」
睦が峻の方を振り返って笑う。その顔は風呂上りで上気しているのか、少し赤かった。
「ねぇ、峻兄」
しかし、次の瞬間にはその笑みをひそめて、峻に問いかけた。
「奈亜姉となにかあったの?」
「えっ?」
「なんだか二人の様子がいつもと違うような気がしたから……」
そう言って、睦は顔を伏せた。
(気づいていたのか……)
うまく騙せたと思っていた。睦だから表面上さえ取り繕えば大丈夫だと勝手に考えていた。しかし、睦も外見はともあれ中身はしっかりと成長していたのだ。人の内面まで読み取って心配できるくらいに。
(まさか睦に心配される日が来るなんてな)
三歳下の従妹に複雑な表情を向けられて、峻は少し言葉に詰まった。
「やっぱり……なにか――」
「なんもないよ」
その一瞬の戸惑いをついて睦が言う。しかし、その言葉を遮って峻は断言する。
「いつもの俺たちだよ」
「ホント?」
「あぁ、本当だ」
峻が微笑む。自然の笑みを心がけて。
「睦、そんなことより買ってきたお菓子食べるか? 持ってくるからテレビは好きな番組にしていいぞ」
「ホント!? うん、食べる!」
峻が話題を変えると、睦はそれに乗ってきた。成長はしているものの、まだまだ深くまでは考えが及ばないようだ。
うまく躱せたな、と卑怯な自分に苦笑しながら峻はカウンターにお菓子を取りに行く。
「あ、そういえば心霊特集もやっているから――」
「きゃあああ!」
「……遅かったか」
峻が忠告する前に、そのチャンネルを引き当ててしまったらしい睦の悲鳴が響いた。テレビ画面には顔が腫れあがった女の人が男性を追いかけていた。
「峻にぃ……!」
「はいはい……」
その後、奈亜が風呂から上がってくるまで、峻は震える睦の背中をなぜてやることになった。