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幼馴染の恋愛模様  作者: こ~すけ
5章 夏の終わりに
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1.

「お前、それでいいのかよ」

「……なにがです?」

 峻はロッカーに脱ぎ終えたウェストコートを収めた。

「なにがって! 奈亜とそんな状態でいいのかよ?」

 少しイラついた様子で、海人が峻に言う。二人の間にあった出来事は、海人にとって衝撃的だった。まったくそんな予兆も感じさせないまま、いつの間にか二人の関係は破綻してしまっていたのだ。それを最初に海人へ教えてくれたのは、なんとこの『フォレスト』のマスターだった。

「峻君の様子がここ数日おかしいので、相談に乗ってあげてくれませんか?」マスターがそう言ってきた時は、そんなに深刻には考えていなかった海人だが、今日峻と話してみて、その深刻さにしばし愕然としたのだった。

「いいですよ、あいつが自分で選んだことじゃないですか」

 峻の方は、相変わらず淡々と答える。その表情には、憂いすらも感じられない。

 その二人に出来事からすでに五日が経過していた。もっと早くに気づいてやれなかった自分に怒りを感じながら、勤めて冷静に海人は言った。

「奈亜の場合、その場の勢いで言っちまうことが多いだろ。もう一回ちゃんと話せよ」

「なにを話せって言うんです?」

「お前が遅れた理由だよ!」

 海人は峻の肩を掴むと、先ほどから目を合わせようとしない峻を自分の方へと向ける。そして、感情の光が乏しい峻の目を見て言う。

「お前、今話さないと本当に取り返しのつかないことになるぞ! そんなのお前も望んでいないだろうが」

 海人の言葉に圧されたように、峻は顔を背ける。目を細めて少し考えているように見えた。

「……嫌です」

 一拍後、峻の口からぼそりと言葉が漏れる。

「なに?」

「嫌だって言ったんです。遅れた理由は、俺は話しません」

「なんでだよ?」

 すると、峻は海人の方を向き、会ってから初めて瞳に強い光を宿して言った。

「奈亜が傷つきます。海人さんだってあいつの状態は知っているはずでしょう?」

 今度は、その言葉に海人が圧される番だった。たしかに海人も奈亜の身に起こった凄惨な出来事はよく知っているし、峻と示し合わせて昔からその手の話題は避けてきた。

(……そのツケが回ってきたっていうことかよ)

 海人は唇をグッと噛み締めた。今さらそんなこと関係ないとは軽々しく言えないのは、海人も同じだったからだ。

(けどな……峻。人はいろんなものを超えていかないといけないだ。奈亜も……その時なんじゃないのか)

 海人は、目の前の年下の親友をじっと見つめ返す。

「けど、奈亜はお前のしたことで傷ついたはずだぞ」

「それは……」

「結果的に、お前は奈亜を傷つけてるんだ。それなら真実を伝えてやれ! 奈亜もそれを望んでいるはずだ」

 峻は目を閉じた。今の海人の言葉を反芻しているように見える。もしかしたら気持ちが通じたかもしれない。海人がそう思った矢先、峻は目を開いた。

「言えません」

「峻!」

「あいつは俺のことなんかで傷つくよりも、きっと両親のことでの方が傷つきます。あいつの過去の傷をえぐり出すようなことは……俺にはできない」

 峻が拳をグッと握り込む。拳はブルブルと震えている。余程の力がこもっているのだろう。

「……なら、いっそ俺から――」

「ダメです!」

 海人の言葉を峻が遮る。

「もし勝手に話して、奈亜をこれ以上傷つけたなら……海人さんでも許しません」

 峻は、今日一番の気持ちが入った言葉と視線を海人にぶつけてきた。それを見て、海人はなにも言えなくなってしまう。

 その間に、着替えが終わった峻は、更衣室を出ていく。

「峻……」

 海人が呼びかけると、峻はドアの前で足を止める。そして、海人の方に振り返って言う。

「海人さん、ありがとうございます。……心配してくれて。俺は大丈夫ですよ。あいつに怒られるのには……慣れてますから」

 その顔に儚い微笑みを浮かべていた。

 パタンと軽い音がして、更衣室の扉が閉まる。海人はその音を聞きながら、ロッカーにもたれ掛った。

「バカ野郎……」

 自分でも無意識のうちにそんな言葉が漏れていた。




 あれから五日が過ぎていた。

 あれほどのことがあった割に、あっさりと過ぎている感覚を峻は持っていた。

「ただいま」

 玄関に入って無意識に声をかける。返事はなかった。

 洗面所で手を洗った後、リビングへ通じる扉の前で、峻は気を静めるように一息ついた。そして、扉を開ける。

「ただいま」

 と同時にもう一度声をかけると、カウンターで皿に盛りつけを行っていた母親の恵美と、すでにイスに座って夕食の冷しゃぶとトマトサラダに箸をつけていた奈亜がそれぞれ顔を上げて峻の方を見た。

「あ、おかえり。今、峻の方は準備中だから座って待ってなさい」

「分かった」

 恵美にそう返してから、峻はいつもの定位置である奈亜の隣へと腰かける。

「おかえり、峻。ごめんね、先食べてる」

 峻が座ったのを見て、奈亜が言う。

「ただいま。いいよ、別に待つ必要はないっていつも言ってただろ」

 峻も奈亜の方をチラリと見て言葉を返した。はたから見れば、なんの変哲もないやり取りだった。

 しかし、今まで奈亜が峻の帰りを待たずに、先に夕食を食べ始めるということはなにか特別なことがない限りなかった。いつも峻がイスに座ったのを見て、「いただきます」と言っていた。

 時には「待ちすぎて死にかけた」と峻にとってはものすごく理不尽なことまで言われる始末だった。だが、今奈亜の皿の上にある料理は、すでに八割方なくなっている。これが今の二人の関係を明白に示している。

 そして、峻が隣に座っても、奈亜は「今日のバイトはどうだった?」とは聞かない。つい先日まで一度は出ていたこの会話も耳にしなくなっていた。

「いただきます」

 二人とも無言の状態を保ったまま、峻は料理に箸をつけ始める。恵美も自分の席に座り直して、食事を再開した。

 特に会話がないため、テレビの音がやけに耳につく。顔を上げてテレビを見ると、ニュースで夏祭りの特集のようなものをやっていた。露店が立ち並び、浴衣を着た老若男女が楽しそうにインタビューに答えている。

(そういえば……ここの夏祭りも明後日か)

 峻はテレビからカレンダーに目を移す。商店街などに張られていた『納涼祭』のポスターの日付を思い返した。

(今年は欠席だな)

 峻自身は、あまり祭りは好きではない。というより人ごみが嫌いだ。あの喧騒の中を歩くののなにが楽しいのか、峻にはいまいち理解できない。

 そんな峻だが、地元の『納涼祭』には参加したりしなかったりだ。本来行く気はさらさらないのだが、それでも行かなければならない時がある。それは、奈亜に予定がない時である。

 しかし、今年は大丈夫だろうと峻は思った。その理由は深く考える気にはならなかったが、とにかく自分に声がかかることはないはずだった。

「ごちそうさまでした!」

 奈亜が元気よくそう言うと、食器をまとめて立ち上がる。

「おいしかったー! おばさんの冷しゃぶ最高!」

 料理への感想を満面の笑みで語りながら、シンクで食器を洗い始めた。

「そう、よかった。あ、なっちゃん、冷凍庫の中にアイスが入ってるから食器洗ったら食べなさいな」

「ホント? うん、いただきます! あ、でもお風呂に入ってからにしようかなぁ。その方がおいしいかも。ねぇ、峻、どっちがいいと思う?」

 奈亜はそう言ってから、ハッとした顔をして泡のついた手を口元に持っていくと、顔を逸らした。笑みが消え、少し顔を背ける。

「風呂に入ってからの方がいいんじゃないか? 体が温まった方がおいしいだろ」

「そ、そうだよね。……うん、そうする」

 淡々と告げる峻に対して、奈亜はぎこちない微笑みを返した。

 二人を繋げて回っていた歯車が不快な音を立てるのが、峻には聞こえた気がした。しかし、そんな二人にも共通認識がある。それは恵美に迷惑をかけないことだ。これは二人の暗黙の了解だった。だからこそ峻は食事の席も隣に座るし、会話も平然とするようにしている。ただ、それが奈亜もできているかというと、見てのとおりではある。


「あんたたちまた喧嘩してるの?」

 案の定、奈亜が風呂に行くと、恵美が峻に問いかけた。峻は、氷を入れたコップにオレンジジュースを注ぎながら答える。

「いつも通りだけど?」

「どこがいつも通りなのよ」

 恵美が呆れたように言う。ここ数日のことは、恵美もお見通しだったようだ。

「なっちゃんの誕生日の夜、なにかあったの?」

 正確に日にちまで特定されているのが分かって、峻の口元に思わず苦笑いが浮かぶ。

「なにもなによ」

「あれだけ焦って帰ってきておいて、なにもないことはないでしょう」

 恵美が少し口調を強める。しかし、峻はなにがあったかを話す気はさらさらなかった。

「なにもないって。母さん、気にしすぎだよ」

 そう言って、峻はオレンジジュースを一気に飲むと、自分の部屋へと足を向ける。

「……ならいいけど。明日からちーちゃんが来るんだから、喧嘩なら今日中に終わらしときなさいよ」

 恵美があきらめたようにそう言った。

「はいはい。あ、奈亜に風呂から上がったら声かけるように言って。次、俺が入るし」

「分かったわ」

 そう言うと、峻は自室への階段を昇り始める。

「喧嘩なら苦労しないんだけどな」

 そう自虐的に呟く。

「……ん?」

 階段の途中で、峻はピタッと足を止めた。さっき恵美がなにか聞き捨てならないことを言っていた気がしたのだ。

(なんだったかな?)

 八割聞き流していたので、きちんと思い出せない。今さら戻るのも気がひける。

「……ま、いいか」

 どうせたいしたことじゃないだろう。峻はそう割り切ると、また階段を昇り始めた。


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