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幼馴染の恋愛模様  作者: こ~すけ
4章 幼馴染と熱い季節
49/69

17.

 告白された相手への返事を保留する。という人生初の経験をした奈亜は、その出来事から約十分後、とぼとぼと夜道を歩いていた。

 まだ奈亜のことを心配する脩一を、半ば無理やり帰した後、奈亜も峻との待ち合わせ場所だった公園を出た。とてももうあの場所で、峻を待つ心境になれなかったからだ。峻には『かえる』とだけ書いたメールを送っておいた。

 時刻は午後九時過ぎ、もう二時間も待ったのだからいいだろうと決めつけた。

 メールに帰ると書いたものの、なぜか奈亜の足は、家の方角へと向かわなかった。

 今の心境で、あの誰もいない、過去の思い出の残響だけが滞留する空虚といってもいいあの家にはとても居られない。かといって、峻の家は恵美がいる。二人して食事に行っていることになっているから、一人だけで帰るのも気が引けた。それにそうなると、峻を待つ場所は、彼の部屋になるだろう。逆に、現在の思い出が溢れるあの部屋で、一人待つのも今の奈亜には耐えられそうもなかった。

 ゆっくりと時間をかけて歩く。

 頭の中では、漠然となにかを考える。しかし、考えるテーマですら形にならない。それじゃあ、考えるのを止めればいいとも思うが、人の習性というのはそう簡単にはできていないらしかった。そういえば、人は眠っていてもなにかを考えたり、整理したりしていると聞いたことがあった。

(えっと、誰が言ってたんだけ……テレビだったかな。それとも化学の米倉先生?)

 その情報源に思い当たる節がなくて、奈亜は首を捻った。しかし、結局どうでもいいことに気づいて、考えるのを中断する。

 ――チリン。

 どこかで鈴が鳴った。聞き慣れた音だ。

 奈亜が顔を上げると、いつの間にか『フォレスト』の前まで来ていた。闇雲に歩いていたつもりだったが、そうではなかったらしい。自覚をしないうちに、見知った道をたどっていたようだ。

 奈亜は、『フォレスト』に近づくと、そっと窓から店内を見た。店内は夜間の営業中で、昼間とは違い客が入っていた。六つあるカウンター席の四つが埋まり、二つのテーブル席にも人の姿がある。客の年齢層は少し高めで、みんな落ち着いた様子でグラスを傾けている。

 そして、カウンター内では、いつも奥にいるマスターが、客のロック用グラスに琥珀色の液体を注いでいた。その横では、ワイングラスを拭きながら、海人が五十代くらいの男性と話している。

 そこには、テレビ番組で見たことのある居酒屋のような騒がしい雰囲気はなく、どこか上品さが漂っているように感じた。昼間の『フォレスト』しか知らない奈亜にとっては、それがなんだか別世界のように見えた。

「ハァ……」

 思わずため息が零れる。奈亜は、ここには自分の居場所はないと直感した。

 今の時間の『フォレスト』は、大人たちの場所。それは、奈亜がまだ二十歳ではないから、とかそういった話ではない。精神的に齢を重ねて、この店が作り出す雰囲気を壊すことなく馴染むことができる人たちの場所という意味だ。

(今の私には、無理だな……)

 奈亜は、無意識であったが、ある種の救いを求めてここへ来た。今の時間に、ここに海人がいることは知っていたし、マスターも快く迎えてくれるだろうと、混乱する頭は自然に考えていた。が、そんな無意識の期待は、打ち砕かれてしまった。逆に、自分はまだまだ子供なのだと思い知らされたような気がしたのだった。

 奈亜はもう一度ため息をつくと、窓から離れた。




「マスター」

「はい?」

 目の前のカウンターに座る客に呼ばれて、初老の男は窓の外に向けた視線を店内へと戻す。「マスター」という呼び方は、長年呼ばれ続けてもう本名の代わりにもなっていた。

「お酒、入れ過ぎてるよ」

 手元を見ると、ロックグラスの半分を超えるほど、琥珀色の液体が入っていた。いつもの量の倍ほど入っている。

「あ、申し訳ありません。お取替えいたします」

「あぁ、いいよいいよ、そのままで」

 常連の男性客は朗らかに笑いながら、グラスを下げようとしたマスターを制した。

「それでは、多い分はサービスということで」

「お、ありがとう」

 蓄えた口髭で、半ば隠れた口元に笑みを作り、マスターがグラスを男に渡す。マスターは『ワイルドターキー』と英語で書かれたバーボンのボトルにふたをすると、男の前に静かに置いた。

「それにしても珍しいね。マスターがよそ見するなんて」

 グラスを舐めるようにして、バーボンで口を湿らせた男が言った。

「申し訳ありません。そんな失敗を犯すようでは、私もまだまだですね」

「いやいや、こういう失敗なら大歓迎だよ。逆なら困るがね」

 男は少し赤くなった顔で満面の笑みを作ると、またグラスを口に持っていく。近所で歯科を開業している男だが、この人懐っこい笑みがあるため、評判がいい。もちろん、腕もその評判に値する腕だ。

 会話が途切れたのを見て、マスターはもう一度窓の外に目を向けた。もうそこには、先ほどまであった人影は見られなかった。

(あれはたしか……)

 マスターはその人影に見覚えがあった。隣にいる海人や、昼間にバイトに入っている峻と一緒にいる女の子だ。名前は愛沢奈亜だ。

 表情までは見られなかったが、どこか思いつめた雰囲気をしているのが、マスターには窓越しでも分かった。長年、『フォレスト』で多くの人たちを見ているマスターならではだ。

 隣の海人に目をやる。海人は、男性客――こちらも常連客で、駅前の弁護士事務所に勤めている――と話していて、気づいてはいないようだった。今、海人に声をかければ、十分に追いつける距離だろう。

「…………」

 が、マスターは結局海人に声をかけることはしなかった。

 詳細には分からない。が、あれは本人たちにしか解決できないものだと悟ったからだ。――あれはそんな雰囲気だった。

(Love is blind. 恋は盲目ですか)

 マスターはそう心の中で呟くと、背後の酒瓶が並んだ棚を見た。その棚の一番上、そして一番奥に、ひっそりと置かれたワインボトルがある。高価なものではない。酒屋にいけば簡単に手に入る銘柄だ。もう四十年物になろうとしているそれは、生涯開けられることはない。これからも当時の想いを秘めたまま眠り続けることだろう。

 マスターは、自分の生きた年月が刻まれた顔の皺を、少しだけ深めた。

「マスター」

 と、そこで歯医者の男から声がかかる。

「はい」

 返事をし、振り返ったマスターの顔には、いつもと同じ穏やかな笑みが浮かんでいた。


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