13.
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ぽつりぽつりとある街灯が、自身の周りを照らす。昼間の太陽と比べると、ホタルの光程度でしかないその光も、今の峻にとっては大切な道しるべだった。
息を切らして、峻はその街灯の下を走り抜けていく。今日は起きてからずっと走っているように感じる。
董子の連絡で病院に駆け付けた董子のお父さんに董子のことを任せて、甲大病院を出たのが九時半過ぎだ。別れ際の董子は、だいぶ落ち着いた様子だった。お父さんが来たことで安心したのだろう。それに、出ていく間際に医者が言っていたが、お母さんの容体も、なんとか安定してきたようだった。きっと大丈夫だと信じたい。もう、親しい人が、誰かの死で悲しむのはたくさんだ。
また頭に過ぎりかけた幼い頃の奈亜の幻影を、頭を振って消し去る。
(……今は、昔の奈亜を思い出している暇はないな)
峻が約束していた公園に着くのは、十時を少し過ぎるくらいになるだろう。約束の時間からは、三時間が経過している。
もう待っていないかもしれない。というか、ほぼ十中八九はいないと思う。
峻も、これが他の友人ならば、すぐに家に帰って携帯を充電し、電話をかけて謝罪しただろう。しかし、約束した相手は、あの奈亜だ。
奈亜だったら、待っている可能性がある。それは、幼馴染としての峻の直感だった。
病院から公園まで走る速度をまったく落とさず、峻は走り切った。マラソンのラストスパートのように、気力を振り絞り、公園に駆け込む。
「はぁ……はぁ……」
膝に手をついて、休憩しながら辺りを見回す。公園にある時計は、峻の予想通り十時を少し回っている。
「奈亜……」
かすれ声で、奈亜の名前を呼んだ。かなりトーンは低いが、夜の時間帯なら十分だ。
一度止まったために、鉛のように重くなった足を引きずりながら、峻は公園の奥に進む。
「奈亜?」
少しずつ息が整ってきたため、呼びかける声も少し大きくなる。だが、それに対しての返事はない。
ブランコが見える。なぜか少し揺れていた。
(気味が悪いな……)
そんなことを考えながら、もう一度周りを見る。
ベンチがある。が、誰も座っていない。この公園で待ち合わせをする時は、奈亜はいつもこのベンチに座っていた。
「……遅かったか」
峻は天を仰いでため息をついた。
――結局、公園には、奈亜の姿はどこにもなかった。
「……ただいま」
無駄足を踏んで、意気消沈気味に家にたどり着いた峻が、玄関で靴を脱いでいると、リビングの扉を開けて、恵美が顔を覗かせた。
「あら、おかえり。ずいぶん遅かったじゃない」
「あぁ、うん……」
峻は、恵美と目を合わせず聞いた。
「奈亜は? 二階にいる?」
きっととてつもなくご機嫌斜めになっているであろう幼馴染の所在を聞く。奈亜は、話すのさえ嫌だと言ってくるだろうが、謝らなければならない。今日のことは全面的に峻に非があったと言えるのだから。
「え? あんた一緒だったんでしょ?」
しかし、峻に返ってきたのは、予想外の答えだった。峻は、バッと顔を上げて恵美を見る。
「帰ってないのか?」
「なっちゃん、あんたと晩御飯食べに行くんだって言って出てったきりよ? そういう予定だったんじゃないの?」
「……あのバカ」
「あ、ちょっと峻! 待ちなさい!」
峻は、恵美の問いを無視して二階に駆け上がった。そして、部屋に入ると、携帯に充電器をさし、最低限のバッテリーを確保して電源を入れる。
電源を入れた途端、複数の着信やメール受信を伝えるように携帯がひっきりなしに振動した。
峻はメールボックスを開く。その一番上に表示されたのは、奈亜からのものだ。送信時刻は、午後九時八分になっていた。本文を開くと、
『かえる』
とだけあった。
峻は携帯で時刻を見る。今から約一時間半前だ。
峻の家と公園まで約十五分。どんなに遅くても帰ってないとおかしい時間だ。
峻は、次に奈亜の携帯に電話をかけた。
ぷるるる……ぷるるる……とコール音だけが繰り返される。
焦る気持ちを抑えながら、峻は耳に携帯をあてて待つ。
『……もしもし?』
そして、十数コールの末、電話が繋がる。
「奈亜か!?」
多少食い気味に、峻が聞いた。
『……うるさい』
間違いなく奈亜の声だ。峻は、ホッと一旦胸を撫ぜおろす。
「奈亜、今どこだ? どこにいるんだ?」
『……学校』
奈亜が答える。
(学校? なんでそんなところに……)
奈亜の行動の意味が分からない。峻は、不思議がりながらも言う。
「附属だな? 分かった。今から迎えに行くからそこ動くなよ」
『……いらない』
「は?」
『……迎えはいらないって言ったの。もうすぐしたら帰るから……家で待っててよ』
「そんなわけにいくか! お前になにかあったらどうするんだよ! 今すぐ行くから! 校門のところで待ってろ! いいな? 十分以内に行くから!」
『……うん、分かった』
「もしなんかあったら、すぐに電話してこいよ。……今からは必ず出るからさ」
そう言って峻は電話を切った。董子のことを優先して、奈亜を放っておいたことが、予想以上に深刻なことになっている。
峻は、ギリッと歯軋りをして、部屋を飛び出した。階段下で、恵美が心配そうな顔をして立っていた。
「……大丈夫なの?」
「あぁ、奈亜のやつ、今学校にいるみたいだから迎えに行ってくるよ」
「本当に?」
「うん、心配ないって。すぐ帰ってくるよ」
忙しなく靴を履きながらそう言って、峻は帰ってきたばかりの家から再び走り出た。
(奈亜……奈亜……)
峻の頭の中には、不安が広がっていた。しかし、それを振り払うように首を横に振る。
(奈亜、すぐ行く。行って謝るから……待っていてくれよ)
奈亜の無事を祈りながら、峻は夜の学校に向かって走った。