12.
夜の帳が降り切った街に家々の明かりが眩しく光る。その明かりから逃れるように浅田脩一が街路を走る。日課のランニングではあるのだが、その足取りはどこか重いものがあった。
その理由は先月の試合から来るものだった。それは脩一もよく分かっている。ただ、それをどう処理すればいいのかは脩一にも分からなかった。
今でも目の前の暗闇にあの時の場面が再生される。最後の一球の投げる瞬間のボールの感覚が指に甦る。
あの時に握りをボールの縫い目にもう少しかけていたら、あの時に滑り止めを少なめにしていたら。
そんな尽きない疑問が浮き上がっては消えていく。
あれから脩一の調子は上がってこなかった。
敗戦後に行われた新チームでの練習試合では、ストライクが入らず一回四失点でマウンドを降りた。
先輩たちの夏を終わらせたという精神的な負い目が、脩一の投手としての感覚を鈍らせていた。
気持ちの問題だと人は言う。チームメイトや先輩たちも気にしなくていいと言ってくれている。いい試合だった、と。
だが今の脩一の心を開いてくれる言葉はなかった。
そんなモヤモヤした頭のままだと、逆にランニングは捗る。いつもはここで折り返しという地点を越えて脩一はドンドンと走っていく。
気づくと駅前の辺りまで来ていた。
「ふぅ……」
脩一は公園の入り口で立ち止まると大きく息を吐いた。
視線を公園の方に向ける。ぽつりぽつりと街灯の明かりがあるもののやはり暗い。
何気なく公園に足を向けてみる。この公園ではないが、昔はよくブランコで遊んだことを思い出し懐かしくなる。
ブランコが見えてきたところで、脩一ははっとなって足を止めた。
昔聞いた『ブランコの鬼』という怖い話を思い出したからだ。小学生の頃聞いた話だが、すごく怖かった。
ぶるっと体を震わせる。蒸し暑い夏の夜の気温が少し下がった気がした。
あの話の最後はどうだっただろうか。そんなことを思いながらブランコに近づいた。軽く揺らすとキィという甲高い音を響かせる。
その瞬間、自分しかいないと思った公園の中に気配を感じた。突然響いたブランコの音に驚いたのだろうか。
脩一は気配のした方へと振り返る。別に誰がいても問題ないのだが、なんとなく気になったのだ。
(ホラー映画なら真っ先に死ぬパターンだな)
脩一は、自分の行動に苦笑いした。
よく目を凝らすとベンチに誰か座っているようだ。年恰好からみて若い女性なのは分かった。
それが分かると、急に自分のしていることが馬鹿らしくなってきた。そして自分の行動が不審者じみているところに気づいて再度苦笑いをする。
(今から引き返すのもそれはそれで不審者っぽいし……)
脩一はそのままベンチの前を素通りすることにした。そしてそのまま公園の反対側に抜けてランニングを再開しようと考える。
ゆっくりと歩いてベンチに近づき、通り過ぎる。
自分が通り過ぎた後、ベンチも座っている女性が顔を上げた気がした。脩一はそれを感じ思わず振り返った。
「浅田、くん?」
「あ……」
かけられた声に反応できなかった。――愛沢奈亜がそこにいた。
「浅田君、どうしてこんなところに?」
「あ、愛沢さん……」
やっと出た声は奈亜の名前を呼んだだけだった。奈亜はそのことを気にかける風でなく、そっと顔を逸らすと目元の辺りを手で拭った。
その動作が脩一の気にかかる。
顔を脩一の方に戻した奈亜の目元に注目すると、微かに光るものがあった。
「どうしたの?」
「愛沢さん、なにかあった?」
脩一は慌てて質問を口にした。
「えっと、ちょっと待ち合わせを……ね」
奈亜の答えは少しひっかかる言い方だった。気まずそうに視線を落としている。いつもの奈亜には見られない態度だ。
「誰を待ってるの?」
「……峻」
峻の名前を出すとき、奈亜は少し逡巡した。脩一は顔をしかめる。
「待ち合わせって……こんな遅くに?」
周りはすでに真っ暗だ。脩一が腕時計に視線を落とすと、時刻はすでに午後の八時をまわっている。
「うん……ホントはね、待ち合わせは七時だったんだけど」
「一時間も経ってるじゃん。峻、連絡取れないの?」
「うん……なんか、携帯の電源切ってるみたいだから……なにしてるんだろうね」
寂しそうに言う奈亜を見て、脩一の胸には言い知れぬ思いが沸き起こる。
「よいしょ!」
脩一は大げさに声を出すと奈亜の隣に座った。
「……浅田君?」
脩一の行動に奈亜は驚いた顔を向けてきた。そんな奈亜に脩一は笑顔で答えた。
「俺も一緒に待つよ。こんなとこで一人でいるのは危ないから」
奈亜はしばらく脩一の顔を見た後、
「……ありがとう」
そう呟いて前を向く。
脩一は奈亜の横顔から視線を外して空を見る。綺麗な星空だった。
(峻、お前なにしてるんだよ……愛沢さん、悲しんでるぞ)
この星空と同じくらい綺麗な横顔を憂いの色に染まらせる峻に、脩一は心の中で問いかけた。