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幼馴染の恋愛模様  作者: こ~すけ
4章 幼馴染と熱い季節
42/69

10.

 それから奈亜が準備を終えて家を出たのは、一時間以上後のことだ。太陽はちょうど真上まで昇っている。その太陽の日差しを避けるように、道行く人は日傘を差したり、帽子を被ったりしていた。手に花を持つ人は、これからお墓参りにでも行くのだろう。奈亜はそれらの人を流し見ながら、お隣である峻の家へと入る。


「こんにちはー」


 靴を脱ぎながら声をかける。すると、リビングから「はーい、いらっしゃい」と返事がした。恵美の声だ。


(峻、まだいるのかな?)


 奈亜がそう思ったのは、いつも峻が履いている靴が玄関に残ったままだったからだ。しかしすぐに思い直す。峻がいつも履いている靴とは別に、外出用の靴を持っていたことを思い出したからだ。きっと今日もそっちを履いて行っているに違いない。

 奈亜はそう考えると、廊下を歩いてリビングへの扉を開けた。


「こんにちは、おばさん!」


「こんにちは。今日はなっちゃんにしては遅かったわね。昨日、遅くまで峻とゲームしてたせいかしら?」


「えへへ、ごめんなさい。――峻は?」


「二時間くらい前に慌てて出ていったわよ。……まったくあの子は、もう少しゆとりを持った行動ができないのかしら」


 恵美がハァっとため息をつく。しかし何かに気づいたように顔を上げると、奈亜に向かって微笑みかける。


「そんなことより、なっちゃん誕生日おめでとう。 ――これ、少ないけれど」


 恵美は奈亜の誕生日を祝福した後でテーブルの上に置いてあった白い封筒を奈亜へと差しだす。


「お、おばさん、いいよ! いつも迷惑かけてるのに……」


「そんなこと言わないで。迷惑だなんて思ってないから。それになっちゃんには逆にお礼を言いたいくらいなの。いつも峻のこと支えてくれてありがとうね」


 奈亜がその封筒を受け取るのを断るが、恵美は意に介さない。奈亜に近づくと封筒を奈亜の手に握らせた。奈亜も再度断ることはせずに、その封筒を受け取る。


「ありがとうございます、おばさん」


「いえいえ、それで好きなもの買いなさい。あ、そういえば峻が今日の夕飯はいらないって言っていたけど、なっちゃんは聞いてる?」


「うん、一緒にご飯を食べに行く約束をしてます」


「へぇ、あの子もそういうことができるようになったのねぇ。少しは成長したじゃない」


 恵美の問いに奈亜が答えると、恵美は少し感心したように頷いた。


「楽しんできなさい。ま、相手があの息子だけどね」


「ははは! ――うん、楽しんできます。峻が前々から用意してくれたみたいだから」


「そうなの。だからあの子、今日は服装もきっちりしてたのね。なっちゃんみたいに普段から服装に気にかけてくれればいいんだけど」


「そんなことないよ。私だっていつもは着回しばかりだし」


「そういえば、今日は新しい服装ね」


「うん、この前買ったの」


 奈亜は微笑みながら自分の服装を確認する。董子と買い物に行った時に買った服だった。買ったのは数日前のことだが、まだ一度も着ていない。今日の為にとっておいたのだ。


(峻に感想聞いてみよっと)


 奈亜はふふっと含み笑いを漏らした。奈亜の頭の中では、奈亜の服装を褒めてくれる峻の笑顔が浮かんでいた。





 フォレストでのバイトは、今日もいつもどおりだった。のんびりとした時間を過ごし、そして時刻は午後六時を迎えようとしていた。

 その時、コップを洗っていた峻にマスターが声をかけてきた。


「桐生君、今日はこの後予定があると言っていましたね。だったら少し早いけど上がっていいよ」


「え、いいんですか?」


「えぇ、あとは私一人でできます。それに今日は夜の部はお休みですしね」


「あ、ありがとうございます」


「はい、お疲れ様」


 にこやかに笑うマスターに向かって、峻は頭を下げる。峻がマスターに今日のことを話したことはなかったが、どうやら誰かから聞いていたみたいだ。といっても、その誰かに該当する人物は一人しかいないのだが。いつもなら夜の部があるため、この時間帯に来ているだろうその人物の顔を思い浮かべて峻は苦笑する。


(ありがとう、海人さん)


 事あるごとに影からサポートしてくれる海人。本人の前では絶対に言わないが、峻にとって海人は憧れのような存在だ。あんな人になりたいと峻は常々思っていた。

 峻は控室に入ると、手早く着替えを開始する。店の制服を脱ぎ、私服に着替えていく。夏であるため、服の枚数は最小限だ。

 着替えの終盤、峻が上着を頭から被った時、ポケットに突っ込んだ携帯電話が震え始めた。マナーモード時特有の振動音が控室に響く。

 上着に袖を通した後で、携帯電話のディスプレイを見ると、『藤宮董子』と表示されていた。


(なんだろう? めずらしいな)


 普段滅多にかかってこない董子からの電話に、峻はほんの少しだけ驚いた。だがそれだけだ。特別に深く考えることなくディスプレイに表示された『通話』の文字を人差し指でスライドさせた。


「もしもし?」


〈…………〉


 峻が応答する。が、電話口からはなんの反応も返ってこない。


「もしもし?」


 もう一度同じように繰り返したが、反応もまた同じだ。通話ボタンのスライドに失敗したかと思い、耳から携帯電話を離してディスプレイを確認するが、ディスプレイには『通話中』の文字が表示されていて、その秒数までしっかりと刻んである。


「もしもし? もしもし? 董子?」


 携帯電話を耳に当てなおした峻は、少し強い口調で呼びかけた。電話の相手は間違いなく董子であるし、董子であるならば無言電話のようなイタズラは絶対にしない。


「董子? 董子!? お前なのか!?」


 しかしそれ以外の選択肢はというと、思いつくものはすべて悪いものばかりだ。董子の身になにかがあった。そんな思いが浮かんできて、峻の口調はさらに強くなる。


〈…………ヒクッ〉


 そんな峻の声に反応したのか、電話口の向こう側で微かだがしゃくりあげるような息遣いが聞こえた。


「董子!? おいっ!」


 峻がさらに呼びかける。すると、


〈…………しゅん、くん?〉


 峻の名前を呼ぶ董子の声がした。しかしその声は今にも消えてしまいそうなほど儚いものだ。


「董子! どうした? なにかあったのか!?」


 峻が呼びかける。なにかあったかとは聞くものの、董子の様子からして十中八九、なにかあったのは間違いない。ただ、それによって董子の身になにが起きているのかが問題だ。


〈……あれ? 私……なんで峻君に電話してるんだろう〉


 しかし電話の向こうの董子の口からは、峻の知りたい情報が出ない。完全に放心してしまっているようだ。電話の相手が峻だと気づかないくらいに。


「董子、しっかりしろ! なにがあったんだ!?」


〈……私……お父さんに連絡をしなくちゃって……お医者さんに早い方がいいって言われて……万が一があるからって……〉


 董子の喋りは相変わらずに要領を得ない。が、その言葉の中の『医者』という言葉が峻の心に引っかかった。


「……医者? ってことは病院? 董子、今病院にいるのか!?」


〈……病院? そうだよ。救急車で来たの……でも、私は怪我してなくて……私じゃなくて……お母さんが……〉


 『お母さん』、その単語が出た瞬間に董子が大きく息を吸い込んだのが電話越しの峻にも伝わった。そして一拍の後、吸い込んだ分の空気とともに言葉が堰を切ったように吐き出された。


〈お、お母さん……! お母さんが事故に……っ! 目の前で! 買い物に一緒に行っただけなのに!! 血があんなに……! いやっ! いやっ!!〉


 董子は悲鳴に近い声でまくしたてると、言葉を切って静かになる。パニック症状が起きていることは明白だった。


〈……峻君……お母さんが死んじゃう。……ヒクッ……ヒクッ……ど、どうし、たら……ヒクッ……いいの?〉


 うって変わって弱々しい声が電話の向こうから聞こえてきた。叫んだおかげで気持ちが少し落ち着いたのだろうか。正常に働きだした感情たちのせいで、今さらながら董子から涙があふれてきたようだ。

 だが今度は峻の方が動きをとめていた。董子に言葉をかけてやらなければならない。そんなことは分かっているのだが、それが出せずにいた。

 その原因は峻の記憶だ。今、峻の脳裏にはある記憶が蘇っていた。明確に、そして鮮やかに脳内の駆け巡る『心の(トラウマ)』 という名の記憶。

 その記憶の中では、峻は小学校五年生。今から七年前のことだ。

 朝、学校に出かける時、峻の両親と共にいつも送り出してくれていた優しい笑顔の夫婦。幼馴染の両親だ。あの日も変わらずに手を振ってくれていた。……のに。

 峻の目の前には、次々と場面が映し出されていく。まるでスライドショーでも見ているかのように。

 青ざめた顔で授業中に峻と幼馴染を呼びに来た先生の顔。いつもは安全運転の母が、赤信号もいとわずに運転し、急速に流れていく街並み。

 白い壁と暗い廊下、そして赤く不気味に灯るドア上の蛍光灯。どこかから聞こえてくるサイレンの音が悲鳴のようだった。

 次に現れたのは黒い服に身を包んだ沈痛な面持ちの大人たち。聞き慣れない念仏と嗅ぎ慣れない線香の香り。

 ――そして、隣で涙を流し続ける幼馴染。

 自身の記憶の深淵に囚われかけた峻を呼び戻したのは、ピーピーっという電子音だった。我に返った峻が、とっさに携帯電話を見ると、ディスプレイには『充電してください』の文字が点滅している。

 それを見た峻は、思わず舌打ちをした。寝る前に充電しなかったことを後悔する。


「董子!」


 次の瞬間、峻は董子に呼びかけていた。


「どこにいる!? そこはどこの病院だ?」


〈……ヒクッ……甲大病院……〉


 董子が絞り出すように言う。病院は甲城大の附属病院だ。ここからは徒歩でも十五分で着く。


「董子、待ってろ! すぐに行く!」


 峻がそう言い切った瞬間、携帯電話のバッテリーが限界を向かえたようで、ピーっという音とともに通話が切れた。


「くそっ!」


 峻は暗転した携帯電話に悪態をつくと、控室から駆け出していた。

 フォレストのドアを勢いよく開けて店の外に出る。そして役に立たなくなった携帯電話を小物入れのバッグに放り込んだ。その時、峻の目に綺麗な包装が施された小箱が映る。奈亜へのプレゼントだ。峻は立ち止まってその小箱を見つめる。そして、峻は悔しそうに顔をしかめたままバッグを閉じた。


(……奈亜、ごめん)


 峻が再び走り出す。奈亜の約束とは正反対の方向へ。夕闇が迫りつつある病院の方向へと。


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