3.
峻たちの通う高校、名前を甲城高等学校という。正式名称は甲城大附属甲城高等学校といい、一般的には甲城大附属と呼ばれることが多い。
同じ敷地内に大学と高校があるため、一般の高校よりも大きい敷地面積と、多くの施設も建てられていた。
その甲城大附属は峻と奈亜の家から歩いて十五分ほどのところにあった。もちろん自転車通学をしても構わないのだが、峻と奈亜はその選択を一度もしたことがない。幼少の頃から通学がいつも一緒の二人にとって朝のこの登校時間は、一日の始まりになくてはならないものだった。
校門が近づいてくるにつれ同じ甲城大附属の制服を着ている生徒の姿が増えてきた。校門は大学と高校と別々に存在する。大学生は車で通学している場合もあるため、事故防止のための当然の措置といえた。
その校門の前で、一人の男子学生が立っていた。ワックスで整えた茶髪に着崩した制服といった姿で見た目からは少し軽薄な印象を与えているこの男の名前は高木竜司。奈亜の彼氏だった。
「おはよー、高木君」
奈亜が声をかけると高木は軽く手を挙げてそれに答えた。その後で共に歩いていた峻の方を見てきた。その視線は鋭く、見ているというより睨みつけていると言った方がいい。高木は明らかに峻を敵視していた。峻と奈亜が並んで登校していることも気に食わないようで、いつも校門の前で待ち奈亜と教室に向かう。
一方の峻はというと、校門の前で奈亜を送り届け教室までは一人で向かっていた。
校門から教室まで歩くと、大抵の場合知り合いと顔を合わせることになる。会ったとしても話し込むわけではなく、朝の挨拶を交わす程度だ。だが峻の場合、その人数が多い。
「おっす! 桐生」
「桐生君、おはよー」
「桐生、元気か?」
「桐生先輩、おはようございます!」
先輩後輩、そして男女問わず峻に声をかけていた。それだけ峻の顔は広かった。確かに超美人の幼馴染と一緒にいるだけで目立つ。しかしそれに加えて、奈亜の相談に乗る際に いろいろなところに出向き、ついでにそこで起こっていた問題も解決したりするため、おのずと知り合いは増えていった。
そんな大勢の知り合いに峻は「おはよう」とか「元気です」とか極力一言で済むように返事をした。一人ひとり話していると時間がないのだ。そうやって廊下を進んでいき、峻は教室へたどり着いた。
峻は横開きのドアを開けて教室に入った。すると教室の中でも先ほどと同じく挨拶をされる。それに峻も同じように返し、自分の席へと向かう。
峻の席は教室の一番後ろで、廊下側でもなく窓側でもなく、ちょうど真ん中の位置だった。峻は自分の席に鞄を置くと、自分の右隣を見た。そこには黙々と小説を読む女子の姿があった。
「董子」
峻がその女子の名前を呼ぶ。すると女子は峻の声に反応し、慌てて顔を上げた。
「あ、桐生君」
「おはよ」
「お、おはよう」
今日初めて峻の方からした朝の挨拶に、少しつかえながら答えたこの女子の名前は藤宮董子。峻とは高校一年生からの友人だった。
うなじの辺りで揃えた黒髪を少し後ろ目で結ったツインテールの髪型。奈亜がテレビ画面の向こう側の綺麗さなら、董子は学年で一人はいる可愛い女の子といった感じだ。事実、董子の人気は高かった。そのほわっとした雰囲気は癒しに満ちていた。しかし告白成功率百パーセントの奈亜と違い、こちらは成功率零パーセントだ。
因みに峻とは高校一年生の時も同じクラスで、推理小説好きという共通点から仲良くなった。
「今日はなに呼んでるんだ?」
「えっとね、今日は『館シリーズ』の第一作目」
「あぁ、あれか。また読み返してるんだな」
「うん。あ、それより知ってる?」
董子が急に話題を方向転換した。その少し垂れ気味の目を輝かしている。
「なにを?」
「あの『金田小五郎』の実写映画が今週末公開なんだよ」
「あぁ、知ってるよ」
峻はすぐに答える。知っているも何も、登校の時に奈亜と行く約束をしたのがまさにこの映画のことなのだ。
「あの、桐生君」
「なんだ?」
改まって名前を呼ぶ董子。その顔はほんのりと赤みを帯びていた。
「もしよかったら、一緒に観に行かない? 桐生君も好きだったよね? 金田小五郎」
董子のその言葉を聞いた時、峻は心からしまったと思った。まさか董子の方から映画鑑賞に誘ってくれるとは思っていなかったからだ。
峻にとって董子は、多くの友人の中でも特に気の合う友人の一人だった。その人数は、董子を含めて三人だ。因みに奈亜はこの中には含まれない。完全別枠だった。
その三人のうちでも、董子から峻に何かをお願いすることは少なかった。だから峻としては、董子のお願いはできるだけ聞いてやるつもりでいたのだが。
「……すまん。週末は予定があるんだ」
そう言うと、董子は見るからに残念そうな顔をする。しかしすぐに気を取り直して言う。
「べ、別に今週末じゃなくてもいいよ? 映画はずっとやってるし、来週末でも……」
「違うんだよ、董子。その映画、今週末に奈亜と観に行くんだ」
「え……」
董子の瞳が一瞬驚いたように大きくなった後、何かを理解したようにその目を伏せた。
「そう……なんだ。愛沢さんと行くんだ」
呟くように言う董子を見て、峻の心は痛んだ。来週でもいいという風にまで言ってきたところから、よほどあの映画が観たかったことが伝わったからだ。
今週末に映画を観に行くことを言わずにおけばうまく収まったのかもしれないが、それは峻にはできなかった。
「……じゃあ仕方ないね」
董子が顔を上げて峻の方を見た。
「実は私、それほど興味はなかったんだ。原作呼んでいるから。でも、感想は聞かせてね?」
(そんなわけないだろ……)
峻は心の中で董子に言う。董子の顔に浮かんだ笑顔が無理やりなことは、峻にはすぐに分かった。けど、精一杯の強がりと配慮で少しでも峻が気まずい思いをしなくていいようにしてくれている董子の思いを踏みにじることはできない。だから峻はそれに気づかないふりをした。
「分かった。原作より少しでも劣っていたら酷評するがな」
「えー、それは少し可哀そうじゃない? あのトリックは映像化難しいと思うし」
「そうだな」
峻が笑いかけると、董子も同じように笑顔になる。その笑顔はいつもの董子の笑顔だ。
「なぁ、董子」
「なに?」
峻の呼びかけに董子が首を傾げた。
「映画のDVD出たら一緒に観ような。脩一のやつも誘って」
「へ?」
董子は先ほどと同じく一瞬驚いた顔をする。だが今度は笑顔になって言う。
「うん!」
そう言って満足そうな顔の董子を見て、峻は内心にほっとした。その時だった。
「おーす! 俺の名前を呼んだか?」
峻の背後から快活な声が聞こえてきた。