2.
「えぇ!? 結局、『金田小五郎』見てないの?」
峻の何気ない一言で、董子が陳列棚に本を戻しかけた姿勢のまま固まった。
「なんで?」
「なんでって言われてもなぁ。その場の流れかな」
峻が頭を掻く。実際は奈亜の思い付き。そしてそれを押し切られる原因となった峻の寝坊のせいなのだが、峻はその辺の事情は言わないでおくことにした。
「へー」っと言いつつ董子が陳列棚に今度こそ持っていた本を戻す。因みに今、董子が持っていた本は、天才物理学者が活躍する推理物だったが、今日は董子の食指にかからなかったようだった。
「代わりになにを見たの?」
「あぁ、『十年経ったあなたへ』っていうラブストーリーだよ」
「あの小説原作の?」
「そうだ」
「…………」
峻が答えると、董子はなにかを考えるように黙ってしまう。なにを考えているかは、峻には見当もつかない。
「ねぇ、桐生君」
「ん?」
数拍後、顔を上げた董子が峻を見る。
「あのラスト、どう思った?」
『あのラスト』とは、最後の読者へ、または視聴者へ問いかける形で終わったあのシーンのことだろうと峻は思った。聞いてくるとしたらそこしかない。
「董子、あの作品のこと知ってるのか?」
「うん、だって原作読んだことあるから」
「へぇー……意外だな」
峻は率直な感想を漏らしてしまう。それに董子がピクリと反応した。
「い、意外って、私が恋愛小説読んだらそんなに変かなー? もしかして桐生君、私のこと血生臭い殺人事件が大好きな危ないやつだと思ってない?」
董子が少し拗ねたような表情になる。それを見て、峻は慌てて弁解の言葉を口にした。
「い、いや、そういうわけじゃないよ。確かに董子はどっちかというと連続殺人のイメージが……って違う」
しかし、慌てたために余計に墓穴を掘る結果だ。
「クスッ、桐生君慌てすぎ」
「……すまん」
挙句の果てに董子に笑われてしまう始末だ。峻はガックリと肩を落とした。
「でも、桐生君が私のことどう思ってるかよく分かったなー」
董子は目を閉じて顔を背け、両手を胸の前で組む。私は怒っていますとアピールしているようだ。しかし残念ながら迫力はない。効果は近くを通る男性の視線を強制的に自分へと誘導させてしまうといったところか。つまり怒った顔さえ魅力的ということだ。
「面目ない、としか言えないな」
峻の肩がもう一段落ち込む。それを董子は同じポーズのまま片目だけ少し開けて確認する。そしてその姿が余程可笑しかったのか、クスクスと笑いだす。
「と、董子」
「あははは、ごめんなさい。少し調子に乗りすぎました」
明るい笑顔を見せながら、董子はぺこりと頭を下げた。それを見た峻は、一つため息をつく。
(完全に遊ばれている……)
自分自身が原因と言えど、昨日といい今日といい、女の子にいいように引っ掻き回されている自分を峻は情けなく思った。
「で、桐生君。質問の答えは?」
「え……?」
と、ここで董子は逸れていた話を元に戻して再度質問をした。しかし峻は、いきなりの方向転換に頭が追い付かずに聞き返す。
「だから、あのラスト。最後に二人は会えたと思う?」
「あ……」
その質問を峻が聞くのは二度目だ。昨日、まったく同じことを奈亜も言っていた。まさか二日連続で聞かれることになるとは思わなかった。
「董子は、どう思う?」
だから峻も奈亜に返したのと同じ言葉を言った。明言を避けるためにだ。
「それって答えになってないよー。……まぁ、いいや。私が答えたら桐生君も答えてね」
しかし奈亜とは違い、董子はそう甘くはない。峻の退路を素早く潰す。
「私は……会えなかったと思うな。十年っていう月日はあまりに長すぎるよ」
董子は少し憂いを帯びた表情をした。しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの表情に戻すと峻に言う。
「はい、私は答えたよ。次は桐生君の番だよ」
(俺は……)
峻はその答えを心の中で考えた。
(あの二人は会えたか、会えなかったか……)
単なるフィクションの話だ。テキトーに答えても差支えなどあるはずがない。しかしその答えが峻にはすぐに出せなかった。答えを考えているはずなのに、峻の心の中ではなぜか奈亜と董子の顔が交錯した。
「――会えたと、思う」
峻がポツリと言った。答えたというよりは勝手に漏れてきたと言いた方が正しいような答え方だった。
「そっか」
董子はその答えを聞いて一瞬の沈黙を挟んだ後に口を開く。
「桐生君は会えるって思うんだ。フフ、桐生君、案外ロマンチストだね。もっとリアリストかと思ってた」
「そんなことはないと思うけど……」
「いいと思うよ。私、そんな風に考えられる人って素敵だなって思うから」
董子が少し恥ずかしそうに目を伏せた。峻も同じく恥ずかしかった。董子のような女の子に面と向かって素敵だと言われたのだから仕方がない。
沈黙が二人の間に訪れた。少し話しづらい雰囲気だった。峻はそれを打破しようと多少強引ながら当初の目的へと立ち返ろうとした。
「あ、董子。買う本、早く決めてしまおう」
「う、うん。そうだね、なににしようかなー」
董子も同じ気持ちだったようで、峻の路線変更にうまく便乗してくれた。
「うーん……これなんかよさそうだけどぉ」
そう言って董子が手に取ったのは、不思議の国で活躍しそうな名前の推理小説家の本だ。『国名シリーズ』などが人気だった。
「おっ!」
「え、どうしたの?」
陳列棚に目を通していた峻がいきなり声を上げた。それに董子も反応する。峻は棚から素早く一冊の本を抜き出して董子に見せた。
「これなんかどうだ? 隠れた名作の匂いがするぞ!」
そう言って峻が掲げた本の題名は、『そして誰も来なくなった』だった。
「……隠れた迷作の臭いしかしないよ!」
今日一番の笑顔を見せた峻に、董子はピシャリと言い切った。