奈亜の夜
その夜、愛沢奈亜は不機嫌だった。原因はハッキリしている。幼馴染である桐生峻のせいだ。
奈亜に内緒で、峻は学校の同級生である藤宮董子と遊ぶ約束をしていた。それが奈亜には気に食わなかった。いや、峻が遊ぶ約束をしていたこと自体は許容範囲内だった。問題は遊ぶ相手だ。
もし遊ぶ相手が男友達だった場合、奈亜の機嫌はここまで悪くはならなかっただろう。だが相手は女友達、しかもあの藤宮董子である。
董子と奈亜が初めて会ったのは高校一年生の時、下校しようと学校を出た奈亜に峻が紹介してきたのだった。紹介されたのは二人。
一人が浅田脩一という男子生徒で、野球部所属らしかった。どこから見てもスポーツマンといったイメージで、練習に行く前なのか、大きなスポーツバックを肩から下げていたのが印象的だった。
そしてその時紹介されたもう一人が藤宮董子だ。奈亜の董子への第一印象は『すごく可愛いらしい子だな』だった。落ち着いたというより大人しい雰囲気の子で、奈亜にはない魅力があった。男子にもきっと人気があるんだろうなーとそんなことを考えた。
この時点では、奈亜は特に董子のことを意識してはいなかった。峻はよく誰かの相談に乗っていることが多く、その相手が女子生徒ということも間々あった。だから今回もその過程で知り合った程度なのだろうと思っていたのだ。
しかし次の瞬間、奈亜のそんな呑気な思いは打ち砕かれた。
「桐生君」
「ん? どうした、董子」
ただそれだけの会話だった。董子が峻を呼んで峻がそれに答えただけだ。だがそれを見た瞬間、奈亜は頭を思いっきり殴られたような衝撃に襲われた。なぜそう感じたのかは分からない。しかし、奈亜の中で董子への警戒レベルが最大になった瞬間だった。
それから一年、峻はまだ董子と一緒にいる。しかも二年連続で同じクラスだ。それが奈亜にはとっても不安だった。
「峻の馬鹿! 大馬鹿!」
いまだ冷めない気持ちを込めて奈亜は叫んだ。家の中にその声が響く。
時刻はすでに深夜だ。その時間帯に出すにはいささか大きすぎる声だった。しかしそれを咎める人はこの家にはいない。シーンとした沈黙だけが奈亜に返ってくる。奈亜は自身のベッドの上で枕を抱きしめた。
「峻……」
奈亜が小さく呟く。顔を上げると、窓から峻の部屋が見える。と言っても見えるのはカーテンから漏れる明かりだけだが。
「あんたは私の幼馴染なんだから……しゃんとしてよね」
そう言いながらゴロンとベッドに寝転んだ。そして右手を天井へと掲げた。
七年前のあの日、この手を握ってくれた峻の手の温もりは今も奈亜はハッキリと覚えている。そして峻は今も変わらずその手を奈亜に差し伸べてくれていた。それが奈亜にとって堪らなく嬉しかった。しかし、もしその手を失ってしまったら、それが奈亜にはとても恐ろしかった。
峻の部屋の電気が消える。それが奈亜の思考を引き戻した。峻は明日の為に寝るのだろう。
(明日、どうしよう……)
奈亜は悩んだ。峻と董子の集合場所に行けば簡単に邪魔することくらいは可能だ。だがすでに映画の件で一度邪魔している。これ以上邪魔すればさすがの峻も許さないだろう。峻を本気で怒らすと後がものすごく怖いのは奈亜が一番よく知っていた。
「……こうなったら」
奈亜の目に決意の光が宿る。そして、ある作戦を思いついた。
「完璧!」
奈亜は一人きりの寝室でニヤリと笑った。