プロローグ
この世界には秘密がある
秘密とは隠されることであり、知られてはならないことである
もし知られてしまえば、たちまち混乱が起き、最悪世界的な被害が出ることになる
そんな秘密を抱えながら生きていくのは正直辛かったがこの生き方に誇りを持っていた俺にはさほど苦でもなかった
そう……あの時までは……
「うそ……だろ」
俺は現実を、目の前に起きた事を否定しようとした
だがいくら否定しようとしても現実は変わらなかった
目の前の現実『大切な人の体が刃物で貫かれている』という現実を俺はただ呆然と見ているしかなかった
「……た……すけ……て」
俺はその時、自分という存在を壊した
******
朝、今日もテレビのニュースを見ながら、世界が適度に平和であることを確認した
完全に平和では堕落してしまう。だから適度に平和なのが一番いいのだ
文明はこれからも進化してもらわなくてはならない。その為の必要最低限の刺激は今日も保たれていた
テレビを消し、横に置いておいた鞄を手に取る。そして戸締りを確認し鍵をかける
「うし、これでよしっと」
ちゃんと閉まっていることをもう一度確認すると空を見上げる
今日は春らしい暖かな1日になりそうだ
学校へ向かうため坂道を登る。周りを見れば同じように坂道を登る生徒の姿がちらほら見える
この時間は部活の朝練習に参加する生徒が登校する時間なので人の数は少ない
そう言う俺も朝練のためにこうやって坂を登っているわけだが
その後何も起こらず学校にたどり着いた俺は正面の校舎を迂回するように校舎の裏へと向かう。朝練と言えば運動部なのだが、俺もその例に漏れず運動部だった。少々特殊な部活ではあるが
この学校、名前を時乃原宮高等学校といい、ここ原宮市にある私立の高校である。格安な学費と優秀な設備と特別な奨学金で有名である。なので原宮市の学生のほとんどはこの学校に進学する
他方からの進学希望者も多いらしいが出来るだけ地元の生徒を優先させるため、特に優秀だったり、異常に熱意があったりしない限り他方から入るのは難しい
運良く俺は地元の人間だったのでたいして苦労する事もなくこの学校に入る事が出来た
そんな学校には特殊な部活のひとつやふたつ付き物である
俺は学校の裏にある、綺麗な校舎には似付かない少し廃れた様な木造の建物の前に立つ
その特殊な部活が目の前の建物で行われている。引き戸の横には看板が掛けてありそこには『特殊戦技研究部』と書かれていた
いつ見てもおかしいと思ってしまう名前だけれど意外と的を得ている気もする。そんな部活に実を言うと俺も所属している
しかも部長という立場で、だ。入学して早々にはた迷惑な先輩に絡まれて1年生開始1週間という生き焦っているような早さで部長になってしまったのである
しかもこの部活、その時に出来たものでまだ出来てから1カ月しか経っていないのである
俺は引き戸の前で止まり、深呼吸してから引き戸を2回ノックする。馬鹿馬鹿しいことこの上ないのだがノックの数は、部員それぞれで回数が違うのである。考えたのは先輩で、曰く『どこぞのスパイで入られると困るからね。身分証明みたいなものだよ』である。初めて会った時からだがあの人の考えることは全くわからん
しばらく待っていると中から「はいはいはーい」という返事が聞こえてきた。ついでにこちらに近づいてくる足音も。
その足音が引き戸の向こう側で止まることを確認した俺は向こう側に立っているであろう人に自分であることを伝える『名前』を名乗る
「No.1神龍。来ました」
いつ名乗っても恥ずかしい。それにあまりこの名前は好きじゃないのに
「おお、来たか!ちょっと待っててくれ」
そう言うと引き戸がガチャガチャと揺れる。何度も言っているのだがいちいち鍵をかける必要はないと思う
長い死闘の上やっと引き戸が開いた
「お待たせ。この引き戸やっぱり変えるか。鍵を開けるのにこんなに時間がかかっては不便だしな」
「そんなに時間がかかるのはいちいち鍵をかけるからですよ。開けておけばいいじゃないですか、先輩」
中から出てきたのは案の定、噂の先輩だった。真っ直ぐ綺麗な黒髪を無造作に遊ばせ不敵な笑みを浮かべながら腰に手を当てている
この人が先輩こと、時乃未耶先輩。一つ上の2年生でこの時乃原高校の理事長の娘でもある
こんな部活を作れたのもひとえに先輩の我が儘と権力によるものだった。本来はそんなものに拘らず普通の生活を過ごしているが、それでも退屈していたらしく滅多に使わない権力を使って、部活の設立と場所の確保をほぼ一人でやってしまったのである
そこまでされてしまうと今更、辞めますと言えなくなってしまうという心理状況も利用して半ば無理矢理入部させられてしまったのである
「いつまでそこに居るつもりだい?それとも部活をしたくないのか?」
目をネコのようにして口元をつり上げている。弄る気まんまんだな。こういう時は相手にしないのが一番だ。それぐらいは分かってきた
「さっき三回返事してましたけど、俺以外全員居るんですか?」
返事の回数にも無駄に意味があって、その時の人数を表している。これを考えたのも先輩で……もう面倒だ、暗号とかそういうのは全部先輩が考えた。他の部員は全く関与していないのである。すべて先輩の自己満足の結晶で俺達はそれに付き合わされている訳だ
「ああ、みんなもう来てるよ。今日は早かったみたいだから」
先輩も少し意外そうにしている。確かに、いつもは先輩が一番に来ていて、次に俺。その後に他の部員が来るのだが。先輩の言うとおり今日は他の部員が早かったようだ
他がいるなら先に挨拶しておくか……俺がいないからって危ないことをしていないとも限らないしな
その時、建物の中心辺りから何かがぶつかりあう音が聞こえてきた。その音は床を激しく踏みつける音とともに断続的に聞こえてくる
「あいつら……まさか!?」
「そう。そのまさかだよ。朝からかる~~い模擬戦してるよ」
先輩から一番聞きたくなかった言葉がでてくる。この人は先輩のくせにそんな危ないことを止めなかったのか!?
俺はすぐさま音のする方へと駆けだす。後ろで先輩がなにか喋っていたけどそちらを気にしている時間はない。俺がいない時にあいつらは何をやっているんだっ!
案の定そこには二人の少女が対峙していた
かたや、黒髪を首まで伸ばした、ネコ科のような目をした少女
かたや、長い栗色の髪をポニーテールにした、ややたれ目ぎみの少女
その少女の手には二本の短い木刀が握られている。二人は向かい合いながら微動だにしない。ただ微妙に肩が上下しているのが今までの運動量を物語っている。こちらに気付く様子はない。それほど集中しているのだろう、喜ばしいことだが正直に喜べないのは何故だろうな
どうにもこの緊縛した状況に体が勝手に動きを止める。俺も武道を嗜めている身。真剣勝負に介入するのが躊躇われるがそれでも止めなければならない。まだ二人とも未熟だから怪我をする可能性が高い
出来たばかりだし、あまり問題が起きると二人にもこの先辛くなるだろうし、責任問題としては部長の俺にも当然くる。そして一番大変なのは先輩だ。絶対に怪我をしたら先輩が自分のせいだと言うだろう。それで先輩に罰が下れば俺達が責任を感じて……後は悪循環だ。
そんな、今動いてしまえば関係なくなることを考えている間に二人に動きがあった。木刀を持った少女がそれを逆手に持ち変えたのだ
それを見たもう一人の少女の足に力が入る。おそらく一気に間を詰めて自分の間合いにするつもりなのだろう。でもそれはお互いの能力によって成否が決まる。この場合はきっと成功しないだろう。それほど今の二人の実力は拮抗している
空手の少女が足に溜めた力を爆発させるように飛び出す。それを木刀の少女が静かに構えて待つ
だがそれよりも先に俺は飛びだしていた。ほとんど無意識だったがそれだけ俺はこの二人に怪我をさせたくないのだろうか? 俺はそんなに優しかったかな。それとも……いや考えるだけ無駄だな
最高速で二人の間に入り、振るわれようとしていた木刀を左手で持っていた鞄で防ぎ、右からの拳を掌で受け止める。鞄の中で嫌な音が聞こえ、掌は冗談抜きに痛かった。おいおい普通に本気だったのかよ。止めに入って正解だったな
いきなりの乱入者に二人の動きが完璧に止まる。あと出来れば止まってないで早く体を引いてくれると嬉しいな。お前らの間に長く入っていたくない。正直に言う、怖いぜお前ら……
右側の少女がハッとしたように後ろへ飛び退き膝をついて頭を垂れる。毎回の事なのでそろそろ慣れてきたが大袈裟すぎるって……
「申し訳ございません! 師匠の命に背き好き勝手に模擬戦をしてしまいました! この責任はすべて私にあります。どうか罰を下すのなら私に!」
やっぱり大袈裟だった
すると左側の少女が一歩身を引き腰を折る
「それは違います。先に模擬戦をしようと言ったのはあたしです。九条さんが渋ってたのを無理矢理付き合わせてしまったんです。だから叱るならどうかあたしを叱って下さい」
俺はそんな二人をみてつい声に出してしまった
「二人ともバカだ」
その言葉にまったく同じタイミングで二人が顔を上げる。困惑した表情と少し侵害だという表情。やっぱりこの二人はどこか似ている気がする
「俺はどっちが悪いとか、どっちを叱るとか罰を与えるとかには全く興味がない。そんなことを考えたってまったく無駄だからだ。この場合はどっちから言い出したかは関係なく、二人が模擬戦をやっていたという事が大事だ。ここまで言えば後は解るか?」
俺は少し半目になって二人を見つめる。俺を挟んでお互いの表情を見つめて約10秒程。今度もまったく同じタイミングで同じように体を震わせた
そう。簡単な話だった。どっちかを、ではない。どっちも叱るのだ。でないと不公平だし、俺の気が納まらない。少し私情も挟んでいるが概ね間違った選択ではないと思う
「まぁまぁ、そのぐらいにしておきなよ。二人ともお互いに反省してるわけだしさ。あまり言いすぎると逆効果になることもあるよ」
先輩が俺の肩に手を置いて止めてくる。それなら自分で止めて欲しいものだ
「大体先輩が止めないのも悪いんですよ。そりゃ始めたのは二人ですけど、その場に居たのなら止めてくださいよ」
「おやおや、責任転嫁かな? この部の部長は君だろ。責任は君にあるんじゃないかな」
「その場に居なかった俺にどうやって責任を取れと言うんですか。部長としてこれからこんなことが起らないように注意はしようと思いますけど、それでも仲間が怪我をしそうなら止めるのが仲間としての優しさとかじゃないんですか?」
「だけど、仲間のやりたい事を最大限やらせてやることも優しさだよ。私はそっちを選んだだけさ。それに口頭注意だけで今後とめる事が出来るようになるとは思えないな。具体的方法を教えてもらいたいな、部長殿」
先輩の顔がどんどん笑っていく。これは楽しんでる証拠である。この人は俺で遊ぶの好きだからな。最近はそれにも慣れてきたけど、さすがに今回は抑えるつもりはない
「最大限やらせることも優しさですが、それで怪我をしてしまったら元も子もありません。怪我をしない範囲でやらせるのが正しい事です。口頭注意で終わらせるつもりもありませんし。罰は与えますよ。入部の時にちゃんとその事については了解をもらっていますからね」
「ほう、ではその方法を教えてもらおうか。私も部員だからな、どういうことをするかを知る権利はあるはずだ」
先輩と口で勝負するといつも負ける。女は男より口が強いと言うけれど、確かにそうだと実感させられた。いや、今までも何回かあったけど
それにしても具体的な方法か。体罰は絶対にするつもりはないし、この部屋の掃除とかじゃ絶対に納得しないのが3人もいるし。3人じゃ全員じゃん。困った部員達だよまったく……
「どうしたんだい。まさか、なにも考えてないとかそういうことじゃないだろうね。罰を与えると最初から決めていたのなら考えているはずだろ。それとも私には言えないような内容なのかい。全く男っていうのはこれだから」
その言葉には少し反応してしまいますよ、先輩
「それはいささか早計というものじゃありませんか? 俺は確かに男ですが自分の権力を盾にそんなことはしませんよ。そもそもそんなことに興味なんてありません。罰も考えてますから」
そこまで言って、俺は後ろに居た二人に振り返る。二人はそこで正座して待機していた。でも、なんで正座なんだろ?
「二人には今から、3日間部活動の禁止を言い付ける。部活中はずっと筋トレのみをしてもらう。模擬戦はもちろん、型の練習も禁止にする」
二人が同時に正座の状態から項垂れる。この二人にとって部活動を禁止されることほど応えることはないと思っている。二人とも真面目だし俺以上に活動に熱心だったからな
「……君は意外にひどいことをするんだね」
先輩がどこか呆れたような顔をしている。確かに二人には辛いことだろうがそこまでの事だろうか?
そのとき学校の方から鐘の音が聞こえてきた。朝練終了を伝えるための鐘だ。後は登校中の生徒に遅刻するなと警告するためでもあるけれど
「もうこんな時間か。さすがにこんな話をしていたら時間が過ぎてしまうな。じゃあ朝はこれで終わりにするか、後輩」
「そうですね。結局朝何も出来なかったですけど、それはいいです。朝はこれで終了。いつも通り俺が掃除をしておくから、みんなは着替えてくれ」
そう言って隅の方に置いてある掃除用具入れからモップを取り出し掃除を始める
残りの三人は奥の方にある扉の先の更衣室へ向かう。先輩は普通そうだったが、残りの二人は自分のやった事に対する罪悪感からちらちらとこちらを覗き見ている
「少しでも悪いと思うんならせめて遅刻しないように急いでくれると嬉しいんだけどな」
俺のその言葉に二人は弾かれたように走って更衣室に飛び込んで行った。普段もこういう時も素直でいい奴らだとは思うんだけど妙に一途というか鉄砲玉というか……もう少し自分に甘くていいと思うんだけどな。あまり俺が言えた義理ではないけど。そういう所も含めてちゃんと見てやらないとな。今日も少し焦っただけだろうし、本当は1日だけで済ませてもいいぐらいなんだがそれじゃ二人も納得しないだろう。空いた間を埋めるためのメニューでも考えてやるか
そのあと掃除を終えた所で着替え終わった3人が出てきたので一緒に学校に向かう事にした
さて、今日の授業はなんだったかな……