第一話 パパママサンタトライアングル
「かえんお姉ちゃん、サンタさんに会ったことある?」
「サンタさんって、毒蝮さんのことか?」
「どくまむしさんてだぁれ?」
「え? エリは毒蝮三太夫さんをしらないのか? TBSラジオ聴いたことない?」
「きいたことない。そんなんじゃなくて、サンタクロースさん」
「ああ、そっちか。そうだな、あれはと──……」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「いや。残念ながら会ったことねえなあ。エリはどうなんだ?」
「まだ。でも、今年はゼッタイに会うんだ」
「あたしは毒蝮さんに会いたい」
──ええと。状況を説明しよう。
ここは、どんぐり電器店の2階事務所。僕にとっては自宅。わが家は商店街の一角で昔ながらの電器店を営んでいるのだ。繰り返しになるけど店名は「どんぐり電器店」。何故にどんぐりかというと、わが家の名字が椚木だからだ。クヌギの実はどんぐりだ。
で、さっきから子供らしい可愛い質問をしているのが、近所に住むエリちゃん小学二年生。一方、その質問に無茶振りをして答えているのが僕の姉ちゃん。名前は──
「ぐえ」
突然僕の首が絞まった。端的に言えば姉ちゃんに締められた。
「シゲル、あんた今あたしの名前とか年齢と考えなかったか? あん?」
いくらなんでも鋭すぎだろ。
「かえんお姉ちゃん。シゲルお兄ちゃん死んじゃうよ」
「ん? 大丈夫だよこのくらい。いいか、シゲル。確認しとくと、あたしは椚木火炎。火と火と火とで火炎。23歳。どんぐり電器店かえん調査室室長な」
「……」
──ということらしい。
ちなみに僕は椚木繁、21歳。大学生で、アルバイトで家業の手伝いをしている。姉ちゃんはとうの昔に大学は卒業して(その事実から年齢が察せられるだろ?)、どんぐり電器店の正社員となった。肩書きはいきなり部長。もちろん、社長は親父で専務はお袋だ。
なお『どんぐり電器店かえん調査室』なる、消防庁に設置された火災対策本部みたいなものの正体は『どんぐり電器店お客様相談室』。そもそも、〝火炎〟なんていう物騒な名前は完全に姉ちゃんの自称。 クヌギに火なんて、燃え易すすぎだろ? 本当は──
「シゲル、また首締められたい?」
よっぽど本名が嫌いらしい。──というか、似合わないんだよな、実際。僕だけじゃなく、近所の人や友達にさえ〝火炎〟と呼ばせているんだから徹底している。唯一、お袋だけは例外だが。──まあ、ヒントだけ出すとしたら、僕の「繁」という名前と同じような発想だってことだ。
「エリちゃん、今年はサンタさんに何をお願いしたの?」
姉ちゃんが毒蝮さんで混ぜっ返してしまった話を元に戻す。だいたい、サンタさんと三太夫さんじゃ全然違う。
「え……、んーっとね、シゲルお兄ちゃんにはないしょ」
そうですか。
「じゃ、あたしには?」
エリちゃんは姉ちゃんの耳元に口を寄せると、ぼそぼそと何かをつぶやいた。
「ほうほう。それはそれは楽しみだなあ」
にやにやする姉ちゃん。気持ち悪いよ。
「よしエリ、クリスマスが過ぎたら、是非見せてくれよ。シゲルも喜ぶぞ」
喜ぶ? 僕が?
「ふたりきりで見せちゃ駄目だぞ。襲われるかも知れないからな」
「なんてこと言うんだ! 姉ちゃん」
「わはははは、冗談だよ」
「?」
エリちゃんが首を傾げている。まったく、なんでこんながさつな女に懐いてるんだろうなあ。いや、昔から女子には人気あったっけか。まあ、この湿気のない性格は弟としてはいっそすがすがしいとさえ思う。見た目は──しゃべらなきゃさぞもてるだろうに。
「それでね、かえんお姉ちゃん。これ」
「ん? ああ、クリスマスイブのステージか」
姉ちゃんが珍しくちょっと言いよどんだ。
「悪い、エリ。ちょっと姉ちゃん仕事が抜けられないんだ」
「ええ?」
「代わりにシゲルが見に行くから。それで許してくれ」
え? 僕? ちょっと待って──クリスマスイブは……
「何もないだろ?」
「はい……」
商店街の中心にある広場で行われるクリスマスイベント。エリちゃんを含む近所の小学生達は、低学年と高学年に分かれて、合唱を披露することになっているのだ。
僕は、エリちゃんの手からチラシを受け取った。商店街で作ったクリスマスイベントのチラシ。エリちゃんの出番のところが蛍光ペンで囲まれている。まあ、最初から見に行くつもりでいたのだけれど──ちょっと見栄を張ってみたいお年頃なのだ。
「お兄ちゃん、ちゃんと来てね?」
「もちろん。約束するよ」
「うん!」
元気よく、満面の笑みを浮かべたエリちゃんは、それじゃあねと事務所を飛び出していった。
「エリのやつ、シゲルに気があるんじゃねえか?」
「仲の良いお兄ちゃん止まりだろ?」
「……そうだな。後悔するなよ。あれは美人になるぜ。なにしろお袋さんが美人だからな。もっとも、似るのは顔だけだといいけどな」
「……」
エリちゃんの両親は半年前に離婚した。今はお母さんとふたり暮らしだ。姉ちゃんが言いたいのはそういう事だろう。
「サンタクロースか……」
「お、なんだシゲル。エリの家にサンタの格好で忍び込むか? プレゼント持って。通報されるぞ」
そういえば。
「エリちゃんが頼んだプレゼントって何?」
「メイド服」
『どんぐり電器店かえん調査室』こと『どんぐり電器店お客様相談室』についてもうちょっと補足しよう。……長ったらしいから、これからは『調査室』と略す。
『調査室』は、姉ちゃんが店で働き始めたときに作った部署だ。部署といっても、電話番号を新しくひとつ作っただけだけど。まあ、親父の意図としては、電話番をしていろ、ってことだったんだ。
電器店の相談室っていったら、故障の相談とか、配達の依頼とか、まあそんなのが普通だよな? もちろん、うちだってそのつもりだった。でも、想像つくだろ? 町の電器店の相談室にかかってくる電話なんてたかが知れているんだ。
そこで、暇をもてあました姉ちゃんはホームページを作った。『どんぐり電器店かえん調査室』の看板をかかげて、調査業務を請け負うことにしたんだ。
調査業務──簡単に言えばモノ探しだ。家電、AV機器、ビデオ、CDなどなど。製品ばかりではなく修理用の部品なども取り扱う。イメージとしては中古屋に商品を探して貰う感じだけど、もちろん中古には限らない。もともと、商店街のひとたちが、そんなような相談をうちの親父のところにもって来ていて、それをヒントにして姉ちゃんはホームページを作ったってわけだ。
とはいえ、姉ちゃんの設定した調査費用(手数料)はとんでもなく高くて、CDソフト探しなんかの依頼はほとんど(まったく?)ないと言っていい。開店休業状態だった。
しかし。
しかしである。
どこでどう間違ったのか、人捜しの依頼が舞い込んだ。
なんとそれを、姉ちゃんは解決してしまった。
以降、『調査室』には探偵事務所顔負けの依頼がチラホラと入ってくるようになったのだ。
なんていうか──なんなんだろうな?
人生は何がどう転ぶか判らない。人間万事塞翁が馬。風が吹けば桶屋が儲かる。
僕がアルバイトとして手伝っているのは、電器店の配達三割、姉ちゃんの調査の手伝い七割である。
そんなわけで、クリスマスイブに姉ちゃんが抜けられない仕事というのは浮気調査。しかも、依頼が二本バッティングしている。「かき入れ時だからな」とカラカラ笑う姉ちゃんは──妙齢の女子としてはどうなんだ?
まあ、姉ちゃんが受けた依頼についてはまた別の話だ。
さて、クリスマスイブである。
商店街の真ん中にある広場は黒山の──とまではいかないが、結構な人だかりができていた。仮設で組まれた舞台の上では、商店街の婦人会が何やら踊りを披露している。えーっと、どこら辺がクリスマスなんだろう。むしろ盆踊りのような……
それはさておき。
エリちゃんたちの合唱は夕方の4時から。つまりはこの踊りのあとだ。
しばらくして婦人会の踊りが終わると、舞台前のパイプ椅子から半分ぐらいの人が立つ。僕は空いた席へと座った。
「あら、シゲル君」
期せずして、隣に座っていたのはエリちゃんのお母さんだった。
うわさの美人お母さん。名字は高埜さん。下の名前は知らない。
「いつもエリがお世話になっているわね。今日のことも、エリ、シゲルお兄ちゃんが見に来てくれるんだって大張り切りだったわよ」
「エリちゃん、うちの姉ちゃんを誘いに来てくれたんですけど、姉ちゃん外せない仕事があって」
高埜さんは一瞬目を見開いて、それから下を向いて笑いをこらえ始めた。
「な……なんですか?」
「いやだ、ごめんさないね。あの子、そんな搦め手を使ったのね」
「搦め手?」
「ううん、何でもないわ。見に来てくれてありがとうね」
「高埜さん、さっきの婦人会の踊りも録画していたんですか?」
僕は、高埜さんの目の前にあるビデオカメラを指さした。ご丁寧に三脚に乗っている。
「このあいだ買ったばっかりなのよ。椚木さんに勧められてね。三脚はおまけで付けてくれたの、撮影が楽ですよって」
親父……。美人お母さんにデレデレなところが目に浮かぶ。
「ちゃんと録画できるかどうか練習よ。エリの合唱を取り逃しちゃまずいでしょ? でもねえ……」
「なんです?」
「ここ、ちょっと場所が良くないのよね。もう少しエリがしっかり撮れる場所に移動しようかしら」
なるほど。観客席に段差がついているわけではないので、前のひとが邪魔になるのは確かだ。
「それなら、席の外の方がいいんじゃないですか? 今ならまだ場所を選べますよ。すぐに混んでくるでしょうけど」
僕は観客席の外を指さした。パイプ椅子は舞台正面にだけ並べられている。その周りの空間を、高埜さんと同じようにビデオカメラや一眼レフカメラをもった親御さん達がちらほら囲みはじめている。
「そうね。そうしようかしら。ありがとうシゲル君。お姉さんにもよろしく伝えて頂戴」
「はい」
高埜さんは三脚に乗せたビデオカメラを抱えると、パイプ椅子から立ち上がった。
その後。開始時刻の4時までに、広場にはどんどんひとが押し寄せた。学校が終わった時間帯ということもあるだろうし、夕食の買い出しの時間だということもあるだろう。パイプ椅子を並べた観客席は満席になり、その周囲の空間にもひとが溢れた。
エリちゃん達が舞台に現れたときの拍手喝采は、たぶん、今日の出し物では一番大きかったんじゃないかと思う。他は見ていないけれどね。
その合唱──あえて感想を言うなら、可愛かった、かな。
町内会の小学校低学年中心の合唱団で、元音楽教師の大塚さんが指揮をした。
クリスマスソングを中心に、アンコールまで含めて七曲。約三十分の舞台だ。
エリちゃんは見せ場が満載で、特に、ソロの歌詞を一部忘れてしまったところ(一瞬、何かに気を取られたようだった)などは、すぐに気を取り直して歌詞を思い出し、観客から励ましも含めた盛大な拍手をもらっていた。
これは──あとで高埜さんにビデオを借りて、姉ちゃんにも見せてやらなくちゃな。
舞台上では今度は小学校高学年の合唱が始まっている。それにあわせて観客が入れ替わっていく。自分の子供の出番が終われば席を立つひとも多いのだろう。
座ったままあたりを見渡した僕は、観客席周囲の人混みの隅に、まだビデオカメラをまわしている高埜さんを見つけた。どうやら、高学年の分も含めて合唱全部を撮るつもりのようだ。
──ええと。
そんなに液晶を食い入るように見つめなくても、ビデオはちゃんと撮れるのに。
「エリちゃん、上手だったよ」
合唱の舞台がすべて終わった後、僕はお母さんと一緒にいるエリちゃんに声をかけた。高埜さんがちょっと微妙な顔をして僕を見る。
「よそ見して歌詞を忘れてしまったのに?」
「それもご愛敬でしょう」
「あそこだけじゃないのよ。シゲル君は気付かなかったかも知れないけど、みんなでダンスをする場面があったでしょ? 今度は張り切りすぎて、隣の子とぶつかっていたわ」
「ああ、そういえば」
歌詞を忘れてしまった後のエリちゃんは、その失敗を引きずるどころか、取り戻そうとするような勢いで観客の目を惹いた。しょげてしまわないところに、将来の大物の風格が嗅ぎ取れるのだが──
今のエリちゃんはちょっとふくれていた。お母さんの公評が不満なのかも知れない。
そのとき。
商店街の一角でどよめきが起きた。剣呑な雰囲気が漂いはじめる。
「なんでしょうね?」
「さあ……」
僕と高埜さんとエリちゃんは、人の波に流されるようにして、騒ぎを覗き込んだ。
「何かあったんですか?」
「ああ、椚木さんとこのシゲル君か。ひとが倒れてるんだ。頭を殴られたみたいでいっぱい血が流れているんだよ」
人だかりのできた路地の中ほどに仰向けに倒れているのは、三十代半ばぐらいの男の人のようだった。 高埜さんが眉をひそめて、エリちゃんに現場を見せないように、その顔を隠すようにして抱きすくめる。
「もしもし、大丈夫ですか?」
駆けつけたお巡りさんの声に、男性は反応しない。気を失っているようだ。何か先の尖ったモノで殴られたのか、流れる血が痛々しい。足元には大きな紙袋が無惨につぶれて転がっている。
「あれ、このひと岡沢さんじゃないか?」
「ああ本当だ。娘さんの発表を見に来たのかな」
岡沢? ──あれ? それって──
僕は、野次馬の中でエリちゃんを抱いたまま棒立ちになっている高埜さんを見た。
岡沢というのは離婚前の高埜さんの名前だ。
お巡りさんが高埜さんに話しかける。彼女が小さく頷いているところをみると、なんと──本当にエリちゃんのお父さんのようだ。
エリちゃんはというと、お母さんにがっちりと抱き締められたままだ。
エリちゃんのお父さん──岡沢さんは、半年前に離婚して、住んでいたアパートを出て行った。出て行ったのは岡沢さんで、高埜さんとエリちゃんが残ったという。
「暴漢かな。不用心だな」
「でも、荷物も鞄もそのままみたいだしなあ」
「じゃあ、事故か……いや、もしかしたら怨恨か」
野次馬の無遠慮な憶測に、高埜さんが身を固くする。物取りでないとしたら、この場で一番疑われるのは高埜さんではないのか──
離婚直前の夫婦仲の酷さは、僕でさえ小耳にはさんだことがある。
そんなところに救急車が到着。
白衣の救急隊員が駆けつけて、岡沢さんを担架に乗せていく。「この中に、言い争っているのを見たり、何かを聞いた方はいませんか」
お巡りさんが周囲を見渡す。
ということは、ひとりで滑って転んだ、という線はないと、お巡りさんはそう判断したんだろうか。
広場からほど近い薄暗い路地。商店街の裏に抜けることが出来る道だが、狭く、ひと通りは少ない。大人がようやくすれ違える程度──そんな感じの場所だ。
「少なくとも、4時より前には誰もいなかったよ」と言ったのは酒屋の二代目だ。「その時間にここを通ったんだ。抜けた先にある鈴木さんのところに配達でね」
4時以降──つまりは、エリちゃん達の合唱の最中に何かが起きたってことか。
「別れた奥さんと揉めたりしたんじゃないのか?」
「私はそんなの知りません!」
言ったのが誰だか分からなかったにも関わらず、高埜さんは金切り声を上げた。
「だいたい、今日このひとが来るなんて聞いていません」
ふたたび高埜さんにお巡りさんが近づく。なにやら話をして、僕を指さしている。それはそうだろう、僕はさっき高埜さんの隣に座ったし、終わった直後に話もしているのだ。
何を聞かれるのかは想像が付く。僕は頭の中で整理をしてみた。
まず、4時前に椅子に座ったとき、隣に高埜さんがいた。高埜さんはその後、撮影場所を探して場所を移動した。
エリちゃんたちの発表中は舞台に集中していたし、観客もとても多かったので高埜さんを見てはいない。
その後、高学年の発表になって観客がひと通り入れ替わったところで、ビデオ撮影する高埜さんを見つけた。その発表が終わった後に、僕は声をかけている。
問題はエリちゃんの発表のときにそこにいたかどうかだろう。とはいえ、エリちゃんの失敗をちゃんと指摘しているのだから、ずっとそこにいたのは間違いない。撮影した映像が何よりの証拠になるはずだ。
だから、高埜さんは関係ない。
僕はお巡りさんに予想通りの質問を受け、想定通りの受け答えをした。
「馬鹿じゃねえのか! お前は」
夜、姉ちゃんに事の顛末を報告したら、いきなり馬鹿呼ばわりされた。
高埜さんにいらぬ疑いがかかることを防いだのに、罵倒される意味が分からない。
「シゲル、ちょっとつき合え」
「え?」
姉ちゃんはコートをひっつかむと、同じように僕の襟も引っ張った。
「ちょ、なんだよ。こんな時間からどこに……」
「いいから」
姉ちゃんに引っ張られてきたのは、事件が起きた路地だった。クリスマスイブの夜、既に遅い時間にもかかわらず人通りはけっこうあった。
「凶器はこれか」
姉ちゃんが用意してきた懐中電灯で照らしたのは、ビルの壁面からつき出したさびた金属──昔は雨樋からの配水管でも止めていたのだろう。いまはさびて変形し、ただの凶器となりはてている。
「ちょうど成人男性の頭の高さだ。運悪くぶつかったら危ないな。まあ、このくらいは警察ももう分かってるだろうな」
「どういうことだよ姉ちゃん。岡沢さんは殴られたんじゃないのか?」
「誰がそんなこと言ったんだ?」
──あれ? そういえば、最初に声をかけた八百屋の大将が言っていただけのような──
「頭から流血して気を失っちまうような凶器って何だと思う?」
「……ゴルフクラブ? ハンマーとか?」
「そんなものはだかで持ち歩いてるヤツがいたら、すぐに職務質問だろ?」
たしかに。
「シゲル、ちょっとここ立て」
姉ちゃんに言われるままに、岡沢さんが倒れていたあたりに立つ。
「でも、こうしたら!」
「うわっ」
いきなり足払いを喰らった。
バランスを崩した僕は、建物の壁にしこたま肩をぶつけた。
そして。
目の前には、例の金具が──
「あぶなっ」
「荷物の取り合いでもしていたなら、てきめんだよ。次だ」
「次?」
続いて姉ちゃんが突撃したのは商店街の端にある派出所だった。
「メリークリスマス、こんばんわ」
「おお、かえんちゃん。こんばんわ」
当直の幌木巡査が満面の笑みで迎えてくれる。気さくなお巡りさんで、住民うけもいい。
「夕方大変だったんだって? 岡沢さん。容体はどう?」
「ああ、まだ意識不明だ」
「それで……」
「おっと、「どんでんがえし」のかえんちゃんにも、滅多なことは言えないよ。捜査上の秘密もあるしね」
「じゃ、ひとつだけ。答えてくれなくても良い。岡沢さんの持ってたっていう紙袋、なかはプレゼント包装されたメイド服か?」
「!」
幌木巡査が息を呑んだ。それだけで十分答えになった。
「あんがと。これ、クリスマスプレゼント」
姉ちゃんはポケットから小さな箱を取り出すと、それを派出所のテーブルの上に置いた。クリスマス仕様のチョコレートだった。なお「どんでんがえし」とは『どんぐり電器店かえん調査室』の略だ。
『どんぐりでんきてんかえんちょうさしつ』
派出所を出た後は、今度はおもちゃ屋さんだった。既にシャッターが降りていたので、自宅側の玄関へと向かう。
「あれ、椚木さんとこの。こんな時間になんだい?」
家族でクリスマスパーティーでもやっていたのか、赤ら顔のご主人が赤い三角帽子をかぶったまま顔を出した。うちの親父と仲の良いおっちゃんだ。
「おっちゃん、申し訳ない。ちょっと買い忘れたものがあってさ」
「あれあれ、クリスマスプレゼントかい? どれどれ──」
おっちゃんは姉ちゃんを連れて売り場へと入っていった。それから10分、僕は玄関先で待たされた。
「おう、そんじゃ、しんちゃんにもよろしくな」
「うん。助かったよおっちゃん」
店を出てきた姉ちゃんは紙袋を抱えていた。ちなみに、しんちゃんというのは親父のことだ。椚木伸。うちの家族はみんな名前が漢字ひと文字なんだ。
「よっしゃ準備完了。急ぐぞ」
「急ぐってどこに?」
「どこって、エリの家に決まってるだろ?」
「え?」
「まだ分かんねえのか? だから、加害者はエリのお袋さんなんだよ」
「メリークリスマス!」
僕と姉ちゃんが、高埜さんとエリちゃんに声をかけたのは、ふたりが住むマンションの玄関前だった。ふたりは今まさに出かけるところ──という感じだ。
「こんな時間にお出かけ?」
「あ、あなたたちこそ何ですかこんな時間に! こ、これからエリと一緒にクリスマスディナーに……」
ディナーに行くような格好ではないし、大きな旅行鞄もディナーには似つかわしくない。そして、いくらクリスマスイブでも今からディナーは遅すぎる。
「高埜さん。昼間の合唱のビデオを見せてもらいに来たんだ」
姉ちゃんのその言葉に、高埜さんは硬直した。
「おっと、その前に、エリにクリスマスプレゼントだ。サンタさんから頼まれたんだぞ」
「サンタさんから?」
「そうだ。サンタさんも人手不足なんだ」
姉ちゃんはしゃがんで、エリちゃんと視線の高さをあわせた。「いいか、エリ。サンタさんがみんなの家をまわるのにはどれだけ時間がかかると思う?」
「いっぱい?」
「そうだ。サンタさんは何人もいるけど、でも、どんなに手分けをしても、エリやみんなのところにクリスマスイブの夜だけでまわるのは無理だ。だから、サンタさんはプレゼントを事前にママに預けておくモノなんだよ」
エリちゃんが首を傾げている。
「エリ、サンタさんにあててお手紙書いただろう?」
「うん」
「手紙、サンタさんちゃんと読んだって。ママが忙しかったみたいだから、姉ちゃんが代わりに預かってきた」
姉ちゃんはエリちゃんのお父さんについてはひと言も触れなかった。
姉ちゃんの買ってきたプレゼントは、岡沢さんが用意していただろうプレゼントと、恐らく同じモノだろうに。
そして、合唱の最中、エリちゃんはお父さんに気付いたはずなのに。
姉ちゃんは、プレゼントとお父さんを連想させるようなことは、ひと言だって言わなかった。
「ほら」
差し出された大きな紙袋を前に、エリちゃんはちらっとお母さんを見た。
「……あけてごらんなさい」
「うん」
中から出てきたのはメイド服──いや、これは、何か子供向け番組のコスチュームだろうか。やすっぽい生地で作られた、パステルカラーのメイド服だ。
「わあ、すごいすごい。サンタさんありがとう! かえんお姉ちゃんありがとう!」
姉ちゃんは立ち上がると、エリちゃんを回れ右させた。
「ほら、おうちの中で着替えてごらん」
「え? でも……」
「……いいのよ、エリ。お姉ちゃんの言う通り戻りなさい。お出かけは中止」
エリちゃんの顔には、はてなマークが沢山浮いているみたいだった。おずおずと玄関の中に戻り、そして、一人でエレベーターに乗った。
それを見送った姉ちゃんが口を開く。
「さて、高埜さん。あたしが見たいのは、高学年が発表した後半だ」
「……け、消したわ。エリが映っていないんですもの」
「はっ! まあそう言うと思ったよ。じゃあさ、婦人会の踊りも消しちゃったのか?」
「……」
「なあ、高埜さんのビデオカメラで、映像を編集するのってどうやるんだ? 説明できる? 買ったばっかりなんだよな? ああ、もしかしたら、うちのすけべ親父に教わったか。でも、普通はその日のうちに消したりしないよな。近所の子達だぜ。後から貸してくれって頼まれることもあるかもしれない、と考えるのが普通だろ?」
「……」
「高学年の合唱は、最初から撮ってないんだろ?」
しばらく高埜さんは唇をかんで姉ちゃんを睨んでいた。でも、ついに諦めたように下を向くと、玄関のコンクリートの上にがっくりと膝をついた。
「ごめんなさい。わざとじゃないのよ」
「あたしにあやまっても仕様がないだろ。あやまるなら岡沢さんと、エリに謝れ。今ならまだ過失傷害で間に合うだろう。逃げたりしたらもう駄目だ」
高埜さんは観念したのか、小さく頷いた。
「シゲル。お前エリについててやれ。高埜さんはあたしが派出所まで連れて行く」
「それは良いけど、その後はどうなるんだ?」
「岡沢さんは死んだわけじゃねえ。逃げないと分かれば……すぐに帰してもらえるだろ」
「わかったよ」
それから。
僕は、クリスマスイブの夜を、エリちゃんの家で過ごした。
『メイド戦隊パステルキューティ』とやらのファッションショーを堪能し、お母さんがいなくてぐずるエリちゃんを寝かしつけるのに四苦八苦した。
そして。
翌日、婦警さんと一緒に民生委員のおばちゃんがあらわれるにいたって、ようやくお役御免となった。
「なんつうかよ、カッとなると見境がなくなるタイプだな。あの女」
事態が一段落付いた年末、こたつでミカンをつまみながら姉ちゃんが言った。高埜さんのことだ。
「結局、諍いの理由はなんだったの?」
「理由? そんなものに意味はないよ。重要なのは結果だ。結果的に岡沢さんは後頭部に重傷を負った。それが全てだ。納得できる理由なら許されるってわけでもないだろ?」
「そりゃそうだけどさ」
「まあ……彼女の言い分は、カッとなったってことらしいけどな」
高埜さんの自首に同行した姉ちゃんは、派出所で彼女が自供するのを聴いていたのだ。
「何に?」
「連絡もせずに突然娘にクリスマスプレゼントを持って会いに来たから、ということだとよ。離婚のとき、旦那……岡沢さんが娘のエリちゃんに会えるのは1ヶ月に一回、しかも、事前に母親の了承がとれたときのみ、ってことになってたらしいからな」
「プレゼントをあげるあげないで揉み合いになって、運悪く岡沢さんが金具にぶつかったってこと?」
「まあな。本当かどうかはわからねえけどな」
「どういうことだよ?」
「そのまんまだよ。カッとなった彼女に悪意や殺意がなかったとは言い切れねえだろ?」
「約束を破ったのは岡沢さんの方なのに、姉ちゃんは高埜さんに厳しいんだね」
姉ちゃんはふくれていた。
娘の晴れ舞台だというのに、別れた男との諍いを優先した高埜さんに怒っているのか。
こういう事態も予測できたはずなのに、のこのこと離婚時の約束を破ってあらわれた岡沢さんに怒っているのか。
どちらかが正しくて、どちらかが悪い、そんな簡単な話ではないのだと思う。どちらもが、少なからず責任を負わなければならない状況だ。怪我をした分だけ、岡沢さんが割を喰っているとしても、一番割を喰うのは他ならぬエリちゃんなのだ。姉ちゃんにしてみればふくれたくもなるだろう。
それに、責任なら僕にもあるのだ。
「でもなあ、まさかあの場でビデオを見ているなんて思わないよ」
「まったく、だからシゲルは視野が狭いっていうんだ」
あの日。
高埜さんが高学年の合唱も録画していると僕が思ったあの場面。
あのとき、高埜さんは直前のエリちゃんたちの映像を見ていたのだ。
高埜さんは三脚の上にビデオカメラをのせて録画状態にしたまま、カメラから離れたのだ。岡沢さんに気付いてしまった彼女は、撮影どころじゃなくなってしまった。
そして、商店街中の視線が広場の舞台に集まっていたあいだに──路地で事故が起こった。
彼女がアリバイ作りを考えていたとは思えない。見逃してしまった娘の舞台を、娘が戻ってくる前に見ておきたかっただけだったのだろうと思う。
ただ、そこに僕があらわれた。
僕の勘違いが、彼女に欲をかかせてしまった。
このままばれずにすむのではないか、という欲を。
だから、事故後の展開は僕の負うところも大きい。
「ま、ほっといてもすぐにばれただろうけどな。ひとは多かったんだから、ちゃんと調べれば、高埜さんがビデオカメラから離れていたことを覚えているひとが出てきただろうよ」
だから、高埜さんはその日のうちに、ほとんど着の身着のままで町から逃げようとしていたのだ。
ただ。
警察よりも早く。
姉ちゃんが僕の話だけで、僕の勘違いと高埜さんの意図に気付いた。
そして、高埜さんにとって泥沼の展開になる前に動いた。
「姉ちゃんはどこで気付いたの? 高埜さんがわざとらしく ──今となってはだけど──エリちゃんの失敗を指摘したところ?」
「違ぇよ。明らかにトラブってる現場に、子連れで野次馬したところだ」
ああ、なるほど。
普通の親なら現場にさえ近づかない。
岡沢さんがどうなったか気になって仕方なかったんだな。
姉ちゃんはいう。
「あの女のためじゃない。エリのためだよ」
──そういうけど。
でも、さっきの話じゃないけど、理由なんか重要じゃない。
それこそ結果がすべてだ。
「高埜さん、よく姉ちゃんのプレゼントをエリちゃんに受け取らせたね。岡沢さんと同じモノだって分かっただろうに」
「買った店が違うからな。出所が違うならいいんだろ」
たぶん、エリちゃんは、サンタクロースに宛てた手紙を、お父さんの引っ越し先に送ったんだ。
──エリ、サンタさんにあててお手紙書いただろう?
エリちゃんはまだ小学二年生だ。
お父さんにクリスマスプレゼントをおねだりしたなら、それがサンタさんにすり替わることはない。
たぶん、岡沢さんが、これがサンタさんの住所だよ、と自分の引っ越し先を教えていたのだろう。離婚のとき、自分の住所を教えることは許されてなかったに違いないのに──こっそりと。
「高埜さんは、サンタの住所のことは知っていたのかな」
「さあな。エリに教えたのがはたしてどっちだったのか……」
なんだ、それ。
もし教えたのが高埜さんだったというなら。
それは岡沢さんにとって──ひどく残酷な話だ。
手紙を読んだ岡沢さんは、家に帰る前のエリちゃんをつかまえるつもりだったのだろう。郵送では、たぶん受け取ってもらえない。
でも、先に高埜さんに見とがめられてしまった──
それは、見とがめられるべくしてそうなった可能性もあるのか──
あの路地で何が起きたのか。本当のところは本人達しか知らない。エリちゃんに住所を教えたのがどっちだったのかも、僕たちが知ることはないだろうし──正直、知りたいとも思わない。
でも、悲劇の中心にクリスマスプレゼントという幸せの象徴があって、その発端が、エリちゃんがサンタクロースに宛てて書いた手紙なんだとしたら。
──それはあまりにも悲しい。
「子はかすがいっていうのになあ」
「だからといって、二枚の戸がうまく閉まらないのはかすがいのせいじゃねえよ。それは戸がゆがんでるんだ」
「そうだね」
姉ちゃんは相変わらず不機嫌そうだった。
だいたい、探偵まがいの依頼を終えたときや、事件を解決したときはいつも不機嫌なのだ。
なら、首を突っ込まなければいいと思うのだけれど、本人の中ではそういう結論にはいきつかないらしい。
「そういえばさ、姉ちゃんがエリちゃんにしたサンタクロースの話、面白かったね」
「ん?」
「ほら、サンタクロースは人手が足りないから、お父さんやお母さんに事前にプレゼントを渡しているってやつ。現代的で、子供達への説明にも結構説得力があると思うよ」
「あれなあ、設定の半分も説明できなかったんだよ」
「設定?」
「そ。サンタクロースは国家プロジェクトだって設定なんだ」
「はい?」
「だってよ、全国の子供達にプレゼントを買う予算をどこが出しているのか? なんてもし訊かれたら、それは国が出しているって言うしかないだろ? 厚生労働省のなかによ、サンタクロース課って秘密の課があるんだよ」
「秘密なんだ?」
「そうだぜ? だって、課の存在自体を子供達から隠さなきゃならないからな。その課に配属された人間はよ、公安と同じで、自分がなんの仕事をしているかを絶対に口外しちゃならないんだ。もし口外しようモノなら消されちまうんだぜ」
「こわっ」
「でよ、国家予算の中の不明朗な金が行き着く先は、サンタクロースのおもちゃ用予算なわけさ──」
滔々とサンタクロース国家プロジェクト説を語る姉ちゃん。
なんというか──馬鹿話に聞こえるけれど、これは姉ちゃんの優しさだ。
たぶん、エリちゃんが「サンタクロースの正体はパパかママだって、クラスの子がいってたけど本当?」なんて、いずれ訊いてきたときのために考えていたに違いないのだ。
いつの間にか、姉ちゃんの話は日本を飛び出して国際プロジェクトになっている。国連が中心になって 世界中の子供達を騙しているなんて、スケールでかすぎだろ?
まあとにかく、エリちゃんのためには僕も口裏を合わせる必要はあるわけで。こたつの上のミカンをつまみつつ、僕もサンタクロース国家プロジェクト説に大いにのることにした。
ここは『どんぐり電器店かえん調査室』。
人呼んで『どんでんがえし』。
「どんでんがえし、なかったね」と僕がぼそっとつぶやくと、「そうそうそんなものがあってたまるか」と姉ちゃんはふくれた。
師走の夜が更けていく。
明日は、商店街をあげての餅つき大会が開かれる予定である。
《パパママサンタトライアングル 了》
シリーズ継続の予定にしていますが、いつになるかはちょっと未定です。orz
初出 同人誌「エー文芸第七号」2009年