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【短編・1話完結】毒虫変身:グレゴール症候群 《どうして好きだったんだろう。君って本当に、気持ち悪い》(バッドエンド)

作者: 無敵ざかり
掲載日:2026/02/17

 巨大な毒虫と化す奇病、グレゴール症候群。この国に蔓延する病である。


 僕はザムザ。毒虫と化した男。この国の、毒虫のうちの1匹。役に立たず飯を食らう害虫。


「具合はいかがですか」


「気分が悪いです」


 医者の声に、僕はいつもの言葉で答える。グレゴール症候群の原因は、一説によるとストレスと言われている。悪化の要因もストレスらしい。


「どうして気分が悪いのですか?」


「愛されないからです。こんな気持ちの悪い毒虫、誰も愛しません」


「愛されることばかりが幸せではありませんよ」


 SNSに妻子の写真を投稿し、友人からのコメントを多数貰う医師は言った。


「人間だった頃から、孤独でしたし……」


「一人で生きるのも良いことですよ」


「お金もありません」


「ですから、お金ばかりが幸せではないんです。別の形の、あなたなりの幸せがありますよ」


「学歴も」


「ですから――」


 診察が終わり、医者は最後に言う。


「グレゴール症候群にかかっても、愛される人はいます」


 待合室には、大きな美しい蝶を撫でる男がいた。グレゴール症候群は罹患者を毒虫にするが、美しい蝶にすることもある。しかし、僕は蝶ではない。


「今日、頑張ってリボン結んできたんだぁ」


「すごくかわいいよ」


 蝶は細く柔らかな体をひるがえしながら、着飾った姿を男に見せている。医者は僕に言う。


「ほら、ザムザさん、努力を見てくれる人はいるんですよ」


「僕がリボンで着飾った姿を、見たい人がいると思いますか」


 僕は硬く太い、青色の体をきしませながら聞いた。


「……グレゴール症候群は、治る方もいます」


「戻ったところで……」


「きっといい人が見つかりますよ。お大事に」


 医者はそう言い、去っていった。


 待合室のテレビでは、蝶と化した女子大生の《感動》のドキュメンタリー番組が放送されている。


『死にたかったんです。でも、彼が助けてくれました。頑張って良かったです』


 《世界は優しい》と銘打ち、番組は幕を閉じた。


 クソがよ。僕は心の中で毒づいた。


「クソがよ……」


 女の声。一匹の毒虫が、テレビに悪態をついていた。僕は思わず振り向く。


「蝶だけ愛されるなんてクソだよねぇ!? 世の中カスだよ!」


「あ、はい……」


「世界は優しくないんだよ。結局美談になる患者だけが注目されるの。私らキモい虫は、石の下に閉じこもって姿見せるなってのが総意だよ」


 赤い色の毒虫女はまくしたてる。 


「たまに毒液を撒いて捕まる患者がいるけどね。気持ち分かるよ。世の中の奴らに、水鉄砲で毒ぶっかけてやりたいよ私も」


「……」


「何、黙っちゃって。引いた?」


「ホースの方が沢山の人にぶっかけられるんじゃないですか?」


「君、私よりエグいこと言うじゃん」





 夏の熱気の中、夜の川辺で二人は酒を飲んでいた。通行人は彼らを見て見ぬふりをし、見えないもののように扱う。


「いや、本当に世の中はクソだ!」


「そうですね。壊してやりたいです」


「君はよく分かってる! かーっ、世の中君みたいな人が多ければいいのに」


 毒虫女は4本目の缶ビールに手をつける。


「いや、さすがにやめましょう」


 僕は彼女を制止した。


「だからぁ、毒虫はアルコールくらいの弱毒で死なないってぇ」


「ダメです」


「何よ、名前も知らない仲のくせに」


「僕はザムザです。貴方は」


「私ぃ? マルムぅ」


「マルムさん、顔もすごく赤いですから、もう帰りましょう」


「嫌味か〜? 私は赤い毒虫だよ。酒でもっと赤くなったからって何さ」


「……」


「人間に戻りたい……戻りたいよぉ……友達も会ってくれなくなっちゃった……」


 彼女は涙を流していた。


「何が《きっといい人が見つかる》だよぉ、《私なりの幸せ》ってなんだよぉ。テンプレ言ってんだろ、クソ医者ぁ! 私の幸せを勝手に決めるなよぉ!」


 彼女も、僕と同じことを言われたようだった。


「せっかく綺麗な赤い甲殻です。酒の赤に染めたらもったいないですよ。帰りましょう」


「は……今、なんて言った……?」


「《帰りましょう》って」


「じゃなくて、その前……」


「《赤くて綺麗》って……」


 川の向こうで、花火が上がった。


「あ、花火……そういう時期ですもんね」


「君、かなりねじれた特殊性癖?」


「いえ、虫好きの癖はありませんが……」


「奇遇だね、私もないよ」


 いくつもの花火が、打ち上がっては消えていった。





 秋。二匹の毒虫は山へ出かけた。誰も彼らについて、触れようとしない。毒虫は山道を行く。


「私はねぇ、寂しかったんだよ!  毒虫になったら腫れ物、というか《いないもの》みたいに扱われてさ。ザムザくんと遊んでるのが、今は一番楽しいや!」


「僕もです、マルムさん。僕、誰かとこういうことするの、初めてです」


「ねぇねぇ、紅葉と私、どっちが綺麗?」


「マルムさん……」


「ほう、正直だな」


「いや、今のは回答じゃなくて、呼びかけで……」


 泥の中からすくい取った、幸せの形をした時間が過ぎてゆく。


「あの。僕達、ずっとこうしていられますかね」


「……さあね。でも、今は君といるのが楽しいんだって」


「グレゴール症候群って、治る人もいるんですよね」


「まあねー」


「僕達の片方だけが治ったらと思うと、怖いんです」


 僕は本心を語った。


「今でも、人間に戻りたいですか」


「戻りたい……けど、8050問題って知ってる?」


「中高年になっても治らないグレゴール症患者と、その親の話ですよね」


「そう。けど親の話はぶっちゃけどうでもいいっていうか……お互い、あんま信用できる親でもないでしょ?」


「まあ……」


「私が今言いたいのは、50歳になっても治らない人がゴロゴロいるんだから、私達もそう簡単に治らないでしょって話」


「なるほど」


「……ふむ」


 彼女は急に、僕を見つめる。


「あんまり、見ないでくれませんか……綺麗な生き物じゃないので」


「……ザムザくんって、紅葉の中だと青くて映えるね」


「え……」


「手、触っていい?」


「……はい」


 ぬるりとした粘液を分泌する、硬く尖った前足を2匹の毒虫は絡ませる。


「このぬるぬるも、ごつごつした感触も……落ち着くの」


 紅に染まった森は呪い、祝う。


「好きです。マルムさん」


 風に吹かれ、紅が散った。





 1年が経った日の、冬の昼下がり。


「マルムさん、今日何食べますか」


 僕は彼女に、部屋のドア越しに話しかけた。


「あ、ああ……なんか適当にお願い。ちょっと具合悪くて」


 彼女は、ドアを開けずに返答する。


「え……」


「そんな泣きそうな声しないで。軽い体調不良だから」


「……分かりました。プリンとか買ってきます」


「ありがとー」


 僕が家に戻った時、彼女は居なかった。





 僕は探した。必死に街を走り回った。彼女だけが、彼女だけが僕を人間でいさせてくれるから。


「ねえ」


 深夜2時。僕はよく知る声に振り返る。しかし、そこには知らない人間の女がいた。


「私だよ、ザムザくん」


「マルムさん!?」


「ほんと、不思議な病気だよね。私、治っちゃった」


 小高い橋の上で二人は対峙する。月明かりが、川の深い水を照らす。


「友達も暖かく迎えてくれてさ。職場にも復帰できることになって。なんか色々上手く行きそうなんだ。ほんと、ごめんなんだけど……」


「マルムさん」


「私、さよならを言わなきゃって……」


「マルムさん!」


 僕は衝動に駆られ、彼女を抱きしめた。


「っ……言い方は悪いんだけど、君って代替品だったんだよ。私はもう、貴方の同類じゃないから……どうか忘れて欲しい。その方がお互い、幸せになれるだろうからさ。君なりの幸せって、あると思うから……」


 僕の粘液が伝い、彼女は身震いする。彼女は優しい人だ。ただ、僕に対する不快感が、彼女の優しさを上回っていた。僕を遠ざけたいようだった。


 同類を見る目ではなく、害虫を見る目。彼女の言う通り、彼女は僕の同類ではなくなってしまった。立場や属性が変われば、人は――


「ぬるぬるの粘液は、一見優しく包み込むようだけど……誰だってぬるぬるより、ふわふわが好きなの。好きでぬるぬるを選ぶ人は、いないと思う」


 彼女は続ける。


「どうして好きだったんだろう。ごつごつの虫の足は、一見芯があるようだけど……そう見えるのは外側だけだよね。私、こんなので落ち着いたり幸福感得てたんだって思うと、吐き気がして……」


 視界が点滅する。こんなの、現実じゃない……じゃあ、彼女と過ごした日々も、幻覚なのか。どっちを選ぶ? 《彼女と過ごし、拒絶される現実》か《彼女と過ごしたのも、拒絶されるのも幻覚》か。


「君って本当に、気持ち悪い……」


 視界から彼女が消える。僕は橋から落ちていた。めまいからか、あるいは自ら後退したのか。それは分からない。


 薄れゆく意識と、滲む視界の中、水面越しに橋を見上げる。そこに彼女はいなかった。


「きっと、いい人が見つかるよ」


 幻聴が現実か、彼女の声だけが聞こえた。


 僕は、深く冷たい青の中へ溶けていった。

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