【短編・1話完結】毒虫変身:グレゴール症候群 《どうして好きだったんだろう。君って本当に、気持ち悪い》(バッドエンド)
巨大な毒虫と化す奇病、グレゴール症候群。この国に蔓延する病である。
僕はザムザ。毒虫と化した男。この国の、毒虫のうちの1匹。役に立たず飯を食らう害虫。
「具合はいかがですか」
「気分が悪いです」
医者の声に、僕はいつもの言葉で答える。グレゴール症候群の原因は、一説によるとストレスと言われている。悪化の要因もストレスらしい。
「どうして気分が悪いのですか?」
「愛されないからです。こんな気持ちの悪い毒虫、誰も愛しません」
「愛されることばかりが幸せではありませんよ」
SNSに妻子の写真を投稿し、友人からのコメントを多数貰う医師は言った。
「人間だった頃から、孤独でしたし……」
「一人で生きるのも良いことですよ」
「お金もありません」
「ですから、お金ばかりが幸せではないんです。別の形の、あなたなりの幸せがありますよ」
「学歴も」
「ですから――」
診察が終わり、医者は最後に言う。
「グレゴール症候群にかかっても、愛される人はいます」
待合室には、大きな美しい蝶を撫でる男がいた。グレゴール症候群は罹患者を毒虫にするが、美しい蝶にすることもある。しかし、僕は蝶ではない。
「今日、頑張ってリボン結んできたんだぁ」
「すごくかわいいよ」
蝶は細く柔らかな体をひるがえしながら、着飾った姿を男に見せている。医者は僕に言う。
「ほら、ザムザさん、努力を見てくれる人はいるんですよ」
「僕がリボンで着飾った姿を、見たい人がいると思いますか」
僕は硬く太い、青色の体をきしませながら聞いた。
「……グレゴール症候群は、治る方もいます」
「戻ったところで……」
「きっといい人が見つかりますよ。お大事に」
医者はそう言い、去っていった。
待合室のテレビでは、蝶と化した女子大生の《感動》のドキュメンタリー番組が放送されている。
『死にたかったんです。でも、彼が助けてくれました。頑張って良かったです』
《世界は優しい》と銘打ち、番組は幕を閉じた。
クソがよ。僕は心の中で毒づいた。
「クソがよ……」
女の声。一匹の毒虫が、テレビに悪態をついていた。僕は思わず振り向く。
「蝶だけ愛されるなんてクソだよねぇ!? 世の中カスだよ!」
「あ、はい……」
「世界は優しくないんだよ。結局美談になる患者だけが注目されるの。私らキモい虫は、石の下に閉じこもって姿見せるなってのが総意だよ」
赤い色の毒虫女はまくしたてる。
「たまに毒液を撒いて捕まる患者がいるけどね。気持ち分かるよ。世の中の奴らに、水鉄砲で毒ぶっかけてやりたいよ私も」
「……」
「何、黙っちゃって。引いた?」
「ホースの方が沢山の人にぶっかけられるんじゃないですか?」
「君、私よりエグいこと言うじゃん」
夏の熱気の中、夜の川辺で二人は酒を飲んでいた。通行人は彼らを見て見ぬふりをし、見えないもののように扱う。
「いや、本当に世の中はクソだ!」
「そうですね。壊してやりたいです」
「君はよく分かってる! かーっ、世の中君みたいな人が多ければいいのに」
毒虫女は4本目の缶ビールに手をつける。
「いや、さすがにやめましょう」
僕は彼女を制止した。
「だからぁ、毒虫はアルコールくらいの弱毒で死なないってぇ」
「ダメです」
「何よ、名前も知らない仲のくせに」
「僕はザムザです。貴方は」
「私ぃ? マルムぅ」
「マルムさん、顔もすごく赤いですから、もう帰りましょう」
「嫌味か〜? 私は赤い毒虫だよ。酒でもっと赤くなったからって何さ」
「……」
「人間に戻りたい……戻りたいよぉ……友達も会ってくれなくなっちゃった……」
彼女は涙を流していた。
「何が《きっといい人が見つかる》だよぉ、《私なりの幸せ》ってなんだよぉ。テンプレ言ってんだろ、クソ医者ぁ! 私の幸せを勝手に決めるなよぉ!」
彼女も、僕と同じことを言われたようだった。
「せっかく綺麗な赤い甲殻です。酒の赤に染めたらもったいないですよ。帰りましょう」
「は……今、なんて言った……?」
「《帰りましょう》って」
「じゃなくて、その前……」
「《赤くて綺麗》って……」
川の向こうで、花火が上がった。
「あ、花火……そういう時期ですもんね」
「君、かなりねじれた特殊性癖?」
「いえ、虫好きの癖はありませんが……」
「奇遇だね、私もないよ」
いくつもの花火が、打ち上がっては消えていった。
秋。二匹の毒虫は山へ出かけた。誰も彼らについて、触れようとしない。毒虫は山道を行く。
「私はねぇ、寂しかったんだよ! 毒虫になったら腫れ物、というか《いないもの》みたいに扱われてさ。ザムザくんと遊んでるのが、今は一番楽しいや!」
「僕もです、マルムさん。僕、誰かとこういうことするの、初めてです」
「ねぇねぇ、紅葉と私、どっちが綺麗?」
「マルムさん……」
「ほう、正直だな」
「いや、今のは回答じゃなくて、呼びかけで……」
泥の中からすくい取った、幸せの形をした時間が過ぎてゆく。
「あの。僕達、ずっとこうしていられますかね」
「……さあね。でも、今は君といるのが楽しいんだって」
「グレゴール症候群って、治る人もいるんですよね」
「まあねー」
「僕達の片方だけが治ったらと思うと、怖いんです」
僕は本心を語った。
「今でも、人間に戻りたいですか」
「戻りたい……けど、8050問題って知ってる?」
「中高年になっても治らないグレゴール症患者と、その親の話ですよね」
「そう。けど親の話はぶっちゃけどうでもいいっていうか……お互い、あんま信用できる親でもないでしょ?」
「まあ……」
「私が今言いたいのは、50歳になっても治らない人がゴロゴロいるんだから、私達もそう簡単に治らないでしょって話」
「なるほど」
「……ふむ」
彼女は急に、僕を見つめる。
「あんまり、見ないでくれませんか……綺麗な生き物じゃないので」
「……ザムザくんって、紅葉の中だと青くて映えるね」
「え……」
「手、触っていい?」
「……はい」
ぬるりとした粘液を分泌する、硬く尖った前足を2匹の毒虫は絡ませる。
「このぬるぬるも、ごつごつした感触も……落ち着くの」
紅に染まった森は呪い、祝う。
「好きです。マルムさん」
風に吹かれ、紅が散った。
1年が経った日の、冬の昼下がり。
「マルムさん、今日何食べますか」
僕は彼女に、部屋のドア越しに話しかけた。
「あ、ああ……なんか適当にお願い。ちょっと具合悪くて」
彼女は、ドアを開けずに返答する。
「え……」
「そんな泣きそうな声しないで。軽い体調不良だから」
「……分かりました。プリンとか買ってきます」
「ありがとー」
僕が家に戻った時、彼女は居なかった。
僕は探した。必死に街を走り回った。彼女だけが、彼女だけが僕を人間でいさせてくれるから。
「ねえ」
深夜2時。僕はよく知る声に振り返る。しかし、そこには知らない人間の女がいた。
「私だよ、ザムザくん」
「マルムさん!?」
「ほんと、不思議な病気だよね。私、治っちゃった」
小高い橋の上で二人は対峙する。月明かりが、川の深い水を照らす。
「友達も暖かく迎えてくれてさ。職場にも復帰できることになって。なんか色々上手く行きそうなんだ。ほんと、ごめんなんだけど……」
「マルムさん」
「私、さよならを言わなきゃって……」
「マルムさん!」
僕は衝動に駆られ、彼女を抱きしめた。
「っ……言い方は悪いんだけど、君って代替品だったんだよ。私はもう、貴方の同類じゃないから……どうか忘れて欲しい。その方がお互い、幸せになれるだろうからさ。君なりの幸せって、あると思うから……」
僕の粘液が伝い、彼女は身震いする。彼女は優しい人だ。ただ、僕に対する不快感が、彼女の優しさを上回っていた。僕を遠ざけたいようだった。
同類を見る目ではなく、害虫を見る目。彼女の言う通り、彼女は僕の同類ではなくなってしまった。立場や属性が変われば、人は――
「ぬるぬるの粘液は、一見優しく包み込むようだけど……誰だってぬるぬるより、ふわふわが好きなの。好きでぬるぬるを選ぶ人は、いないと思う」
彼女は続ける。
「どうして好きだったんだろう。ごつごつの虫の足は、一見芯があるようだけど……そう見えるのは外側だけだよね。私、こんなので落ち着いたり幸福感得てたんだって思うと、吐き気がして……」
視界が点滅する。こんなの、現実じゃない……じゃあ、彼女と過ごした日々も、幻覚なのか。どっちを選ぶ? 《彼女と過ごし、拒絶される現実》か《彼女と過ごしたのも、拒絶されるのも幻覚》か。
「君って本当に、気持ち悪い……」
視界から彼女が消える。僕は橋から落ちていた。めまいからか、あるいは自ら後退したのか。それは分からない。
薄れゆく意識と、滲む視界の中、水面越しに橋を見上げる。そこに彼女はいなかった。
「きっと、いい人が見つかるよ」
幻聴が現実か、彼女の声だけが聞こえた。
僕は、深く冷たい青の中へ溶けていった。




