敗北者
決戦の舞台は整った。新しいネタも、まずまずの出来だ。いや、これで十分なはずだ。エイジの方も、いつものカラオケボックスでのネタ合わせの稽古で、手を抜いていたようには見えない。本番の舞台に向けて、胸が踊り高ぶる。いよいよ、本番だ。
このとき、オレの気持ちはすでに負けていた。
なんてことはない。オレは気負ったまま舞台に立ち、いつもの冷静さを失っていた。
駄目だ、緊張が……。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる……。やつは……、エイジの方はどうだ? いつも通りか………。駄目なのは、オレの方だ。
舞台の結果は、火を見るよりも明らかだった。どうしようもない、散々な内容だった。極度の緊張で口が回らず、すべての掛け合いのタイミングを見失い、まったく上手くやることが出来なかった。
舞台から降りた後、エイジは特になにを言うわけでもなく、ただ一言。
「次は頑張んべー」
とだけ言った。
恵美も都合をつけて見に来てくれていたはずだったが、その日はオレの方から逃げてしまい顔を合わせることはなかった。
結局、賭けに負けたオレは、そのあとしばらくの間、一種のスランプに陥った。
内定していた会社には入社するにはしたが、幸いなことに会社は特に副業禁止というわけではなかったので、「賭け」の約束通り「お笑い芸人」をそのまま続けてはいたのだが、あの失敗からあれだけあったはずの自信もどこかに行ってしまい、その恥ずかしさから会社には黙ったままにしていた。
だがそんな「隠していること」は、いつかはバレるもので、一人の熱心なお笑い好きの女性社員によって、オレが「ソルティドッグのハゼ・ヨウイチ」だと特定されてしまう。
昼休みに自分のデスクで買ってきた弁当を食べていると、まだ話したことがない他部署の女性社員に突然声を掛けられる。
「あのさ。ハゼさんだよね?」
その女性社員は、何故だか嬉しそうな顔でオレに声を掛けてきた。
「はい。ハゼですが、それがなにか?」
なんの前振りもなく、そう聞かれれば誰でもそう聞き返すはずだ。
「土師洋一、ソルティドッグのハゼ・ヨウイチくんだよね?」
入社当初に人事に副業の確認を一度した以外、誰にも言わずに黙っていたので、このバレたことに驚いた。
何故ならオレたちは事務所のホームページ以外に、オレが身バレを防ぐ為に、個人やコンビでのSNS活動などは一切していなかったからである。
「ソルティドッグの土師洋一? あぁ、確か同姓同名のお笑い芸人がいましたよね」
もうすべてバレているのではと思いつつも惚けてみる。
「で、なんでソルティドッグが、お笑い芸人のコンビ名だって知ってるわけ?」
その女性社員は、もう勝ち誇った表情でオレに詰め寄る。
「そ、そんなのは、もし同姓同名の芸能人がいたら知ってたりするでしょ」
もうこれは単なる悪あがきだ。
「でも、ソルティドッグは、まだそんな知ってる人はいないはずよ。WEBでもSNSでも、あんまり見かけない。なんで? どうして知ってんの?」
もうすべてバレているはずだ。
「さぁー? どうしてと言われましても……」
椅子に座ったまま背中をのけ反り、逃げ場を失う。
「あーっ! もうなんで、この7ヵ月もの間、こんなに近くにいて気づかなかったんだろ!」
4月に入社して11月までのこの間、お笑い芸人としての自分を見せずにいたつもりである。それが一瞬にしてバレた。
「あの……何故?」
「何故? そんなの決まってるじゃない! あなたの見た目、なかなか特徴的よー! 廊下であなたを見たときに、すぐに気がついたわ!」
それならここまでバレずにいたのはたまたまだったってわけか。
「あっ、自己紹介がまだだったわね。アタシの名前は、小松川みどリ。あなたの2つ上になるのかな。アタシのことは、みどりさんて呼んでね」
これまた、なんて一方的な人だ。
「で、これ見てくれる!」
その小松川さんは、スマートフォンを取り出して、オレたち「ソルティドッグ」の舞台が映ったWEB画面を見せる。
「ジャーン! もう我慢できずに、あなたたちのブログを勝手に作っちゃいましたー! このブログを公認してくれる?」
なんとまぁ、行動が速い人だ。それをいきなり公認してくれだなんて。
「いや、公認と言われましても相方に聞いてみないことには……」
「だったらエイジくんに会わせてよ! アタシ、どっちかっていったらエイジくんの方が好きなんだよねー」
なんだよ!? この人もエイジのファンだってか!? やっぱり男は顔、顔が一番てか!? まぁ、いまに始まったことじゃないが、こうもエイジの方のファンだと公言されるとなんだか腹が立つ。
だが、次の小松川さんの一言ですべてが吹き飛んだ。
「ところでさー。ハゼくん、最近っていうか、3月ぐらいからちょっと調子悪いよね?」
またひた隠しにしていた鋭いところを突いてくる。
「さて……なんの調子でしょうか?」
この人はどこまでお見通しなのか。
「なんかぁ~。最初のときの振り切れた思い切りの良さが消えたよね。特にハゼくんが。エイジくんも、なんかそれに合わせて、ちょっと緊張しているみたい」
なんということだ!? ズバリ、オレの抱えていた問題点を言い当てた。
この人は、オレのスランプのことに気がついている。
「あの……何故そのことを?」
思わず素直に聞いていた。
「あれだよねー。あのハゼくんが、妙に気負ってた舞台からおかしくなったんだよねー。そこからふたりの掛け合いが微妙に嚙み合わなくなったっていうか」
やはりこの人は舞台でのオレたちをよく見ている。
「じゃあ、どうすれば?」
「じゃさ。エイジくんにも会わせて! 話はそ・こ・か・ら」
気を持たせるように、小松川さんは言う。
「そこからって……」
「ところで、認めたねー。ソルティドッグのハゼ・ヨウイチくん」
もはや。ここまで詰め寄られれば、断ることは出来なかった。




