妄想
このテレビ局内でのことは、ずっとあとからみどりさんから聞いた話なので、オレはこんなことがあったとはつゆ知らずに、エイジとの純粋な掛け合い漫才とはどんなものかと考えていた。
漫才には特に決まった約束事というの特にない。あるとすれば「時間が決められている」のがほとんどなのと、舞台中央にセンターマイクが置かれていることぐらいだ。それでも現在では、ピンマイクが完全に普及しているので、必ずしもセンターマイクの前にずっと居なければいけないという制約はない。
ただそれでも、ふたりでセンターマイクの前にそろって立つところから始まるというのは、お決まり中のお決まりである。
それでも数年前からは、そこで片方が少し遅れてくるという手法を取っているコンビもいる。
例えは、これがオレとエイジの場合だったらどうだろうか。おそらく、オレが先にセンターマイクの前に立つ方が自然ではないだろうか。
まず、オレがセンターマイクの前に立って、客席にいるお客さんに向かって挨拶をするところから始めると。
「どーも、ソルティドッグです。いや、すみません、相方の到着が少し遅れてまして。もう間もなく到着するとは思うんですが……」
そこにエイジが腕時計を見ながら、お客さんから見て舞台右袖から登場して。
「なにをやってんだよ、早く来なさいよ! もうお客様がお待ちです」
エイジはセンターマイクの前に立つと。
「どーも、すみません。時計が少し遅れちゃったみたいで」
と、エイジが言い訳をして、そこでオレが。
「そんな、みたいでって!? 時計なんてねー。ちゃんと普段からちゃんと合わせておきなさいよー!」
と突っ込んで、エイジが。
「えーーっ、そんなこと言ったって、家に時計が一つしかないのに、なにで合わせんですかー」
と、ここから太々《ふてぶて》しく答えていく。
「そんなもんは。テレビ見て合わせればいいじゃねーかよ!」
「残念でしたー。家にそのテレビがありませーん」
「じゃあ、時計やテレビが無くったって、いまはスマホがあるだろーが!」
「それも残念。スマホの充電がありませーん」
「そんな……だったら、ちゃんと充電しておけよなぁ!」
「残念。電気がもう停められてるので、無理ー」
「なっ……だったらお前、どうやって待ち合わせ時間を確認したんだよ!?」
「腹時計!」
と言って、エイジがドヤ顔を観客席に向ける。って感じか。
いや……。これだと話が広がらないし、おまけに時間が短すぎる。
じゃ、次だ。
オレが客席から見て舞台左袖からセンターマイクの前に到着。
「いやどーも、ソルティドッグのハゼ・ヨウイチです。いやすみませんねー、相方が少し遅れちゃってて」
「楽屋は一緒には出たんですけど、途中で腹が痛くなったって、そのままトイレ駆け込んじゃって……。たぶん今頃ウン……〇をしてるはずですが……」
「もしお客さんさえよければ、このままひとりで始めちゃってもいいんですけ……。折角なんで、僕の美声の歌聞きます? あっ……聞かない。それは遠慮する」
そこにエイジがズボンのベルトを締めながら舞台右袖から走ってきて、センターマイクの前に立ってだな。
「悪ぃ悪ぃ。トイレに紙がなくって!」
「汚ねーな! ちゃんとケツは拭いてきたんだろーなー!?」
「大丈夫! ちゃんときれいに拭いてきました」
とエイジが自信満々に答えて。
「でも、手を洗うのは忘れてきた」
とエイジはオレの顔を見てニンマリと笑ってだな。
「汚ねーな! 手ぐらいちゃんと洗ってこいよ!」
「うっそー。ちーゃんと手は洗ってきた! そんな手も洗わずに、お客さんの前に立つわけないじゃんー」
「なら、良かった」
オレはそれを聞いて安心して。
「ところでさー。相談があんだけど……」
とエイジが話を振る。
「こりゃまた突然だなー」
「でもこれが漫才のイイトコじゃんか!」
これだったら話も膨らんでいくな。そうしたら、この続きは……。
「で、その相談とは?」
「あの最近さー。スゲー好きなオンナが出来たの! なんかー、スゲー子犬みたいで可愛いの! ずっとその顔を見てたいんだけど、そんなわけにはいかねーよなぁー!」
「まぁ、そりゃ、そーだな。それでお前はどうしたいと?」
「だーかーらー! それをハゼに相談してんじゃんよー!」
ここで興奮して話すエイジに対して、オレは冷静に返していく。
「わかった。お前はその彼女のことが好きで好きでしょうがない。ずっとその顔を見ていたい」
「そーなんだよー! だからよー」
「そんなんだったら、もう一緒に住んじゃえばいいじゃねーかよ」
「そんなこと言われたって、その為には色々用意しないといけないじゃん。今の部屋じゃ住めないし、お金だって掛かるしよー……」
「そりゃあ、広い部屋に引っ越すとなれば、カネは掛かるよな」
「おまけに毎月の食事代は余分に掛かるし、抜け毛は多いし、段々デカくて重くなっていくし……」
「ん!? 段々デカくて重く……?」
オレはエイジのその言葉に首を傾げる。
「お前の言うその彼女ってのは、そんなにも大食らいなのか?」
「そーなんだよ! しかも朝晩2回のデートも欠かせないしよー!」
「お前さー。それはデートっていうんじゃなく、散歩っていうんじゃねーのかー!? なら、その彼女の名前を教えてくれよ?」
「彼女の名前はー、ゴールデンレトリバーのユキちゃん!」
「お前、それは子犬みたいじゃなくて、オンナじゃなくて、雌の子犬じゃねーか!? それにユキちゃんって、何処の家の子犬だよ!?」
これがオチでと。あとはふたり揃って頭を下げて。
「はい。ありがとうございます!」
と挨拶でと。これだったら、まずまずの出来かな。
ひとり、そんな妄想をしていた。




