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人生は上々だ -人生、山あり谷あり、舞台あり-  作者: 志村けんじ


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コンビ解散

 「前説」の前日の晩、やつはこの先の期待に胸を躍らせ、明け方近くまで大いに飲みまくった。


 もちろん、仕事の入りは午後4時となっていたので、当然それを見越してのことだったので、充分に余裕はあった。


 アパートに帰って、ベッドで寝たのが明け方の6時ぐらい。そのあと目を覚ましたのが、お昼を回って午後の2時ぐらいだったから、「()り時間」にも充分に間に合った。


 局に着くと、前日の夜に別行動だった相方は、もうずいぶんと先に着いて待っていたようで、局内には入らずに玄関のロビーで一人エイジを待っていた。


 受付で警備員に確認を取って局内に入り、楽屋が用意されているわけではなかったので、廊下でチーフADと簡単な打ち合わせをして、「取りあえず盛り上げてください」とだけ言われ、本番前の「本番」に臨んだ。


 時間になり、スタジオに観客が入れられると、その光景を見て緊張が走った。

 いわゆる、武者震いというやつだ。


 いよいよ観客の前に立ち、前説を始めるや、きのうの酒のお陰か冗舌に口が動く。

 相方もリズムぴったりに口を合わせてくれている。


 エイジは、きのうの酒にだけでなく、観客の前の自分の饒舌(じょうぜつ)に酔いしれた。


 その後、そのまま番組の収録終わりを待って、関係者に挨拶を済ませたあと、帰り支度をしながらエイジが独り言のように能天気にくだらない話をしていたときだ。

 それまで黙って話を聞いていた相方が、突然に予想していないことを口走った。


「なぁ、エイジ。オレたち、もう解散しねー?」そう言った。



 その「解散」という言葉に内心「ドキッ」としながらも、なにかの聞き間違えだと思いすぐに聞き返した。


「解散って!? お前さー。冗談なら、もっと面白いこと言えよなー。まったく、お前もまだまだだよなー」エイジはしゃがれた声で、そう冗談で返した。


 エイジがそう思ったのも当然だ。コンビ結成以来、相方とはケンカなどしたことはないし、それ以前にケンカというのもしたことがなかった。


 それでも相方は冗談つもりではなく、真剣だった。


 それは相方の顔を見てすぐにわかった。目がまったく笑っていないし、表情かおも真剣そのものだったからだ。


「なんだよ!? ジョーダンは顔だけって約束だろー?」


 ここで単なる冗談にしてしまって軽く受け流してしまえば、このまま何事もなかったかのようにこれまで通り旨くいくはずだと、エイジは瞬間的にそう思った。


 コンビ芸人の相方同士のケンカなんてよくある話だし、いままでそういうことがなかった方がおかしい。


 それにコンビ結成当初からのネタでも、ファニーフェイスのイケメンのエイジが、坊主頭でブサメンの相方をイジるというのが、よくある常套の漫才のネタでもあり、それがコンビの一つのウリでもあった。


 これも漫才の中の一節だと、そう信じたかったのだ。


「お前さー!? ヒトが真面目に話そうと思ってるのに、よくそんな軽く返せるよな?」


 エイジのその場しのぎの為の軽い返しは、最悪なことに相方に「火に油を注ぐ」こととなった。


 万が一、もしかしたらこれが『ドッキリ』の一幕ではないのかと、辺りを見まわし隠しカメラを探してはみたものの、そんなものがいまの自分たちにあろうはずもない。


 冷や汗、激しい心臓の鼓動。エイジが言葉を絞り出す。


「なぁ、まず落ち着けって。取りあえず、冷静に話し合おうぜ」


 なんとかこの場を取り直そうと、必死に動揺を隠してエイジが問い掛ける。


「その解散するにしても、それなりの理由っていうのがあるだろ? ほら離婚話みたいにさ」


 この場で、単なるカップルの「別れ話」ではなく、夫婦の「離婚話」に例えたというのが、いかにエイジが真剣だったということなのだが、このときにはその気持ちは相方には伝わってはいない。


 もちろんエイジにも、その相方の気持ちがわかってはいなかった。


「こんなこと、単なるケンカや冗談なんかじゃ言えないよな。エイジ、お前さ。将来のことって考えたことあるか?」


 相方は真っ白な天井を見つめ、真顔で聞いた。


 たぶんだが、その言葉の中に「すべての意味」が詰まっていたはずだ。


 しかしこのときに、ただ解散を避けたいだけのエイジには、相方のその真意が理解できなかったようだ。


「考えてるさー。オレたちまだまだこれからじゃんか。これからオレたち、もっともっと売れてくんだろ。それ以外ないってー」


 そう答えたエイジではあったが、正直言って具体的な将来のことなど、これまで一度も考えたことなどはなかった。


「それじゃ聞くけど、お前きのうの夜なにしてた? たぶん舞い上がって、ただ飲み歩いてたんだよな?」


 相方にはすべてがお見通しだった。


「お前、気づいてるか? プロになってこの4年、ちっとも給料ギャラが上がってないこと。普通に働いてる奴ら、もっと貰ってるんだぜ」


 確かに、たまに芸人になる前の仲間たちと飲んだりするときには、早くテレビに出てくれよと、いつも奢ってもらってばかりいる。


 誰かと外で食べたり飲んだりするとき、自分でカネを払うのは、ファミレスと『合コン』のときぐらいだ。


  特にエイジの原動力でもある「常に人気者でいたい」「常にオンナにモテていたい」という願望を叶えてくれる『合コン』については、週に2回のノルマを課しているから、いつもカネは残らず、当然ながら貯金もない。


「それにもう言うけどよぉ。高校んときから、お前一度も漫才やコントのネタ、思いつきはあっても、考えたり作ったりしたことないよな? そういうところ、全部オレ任せだったじゃねーかよ。違うか?」


 相方が言ったことはもっともで、すべてがその通りだった。


 結局、エイジは一番のトモダチだった相方を『お笑い芸人の道』に誘っておきながら、その後のほとんどを相方に任せっきりにしていたのだ。


「確かにツッコミとしてのお前の才能は認めるよ。瞬間的っていうか、瞬発力がある、周りを引きずり込むようなあの喋りは正直スゲーって思ってる。でもだったら、その相方は、別にオレじゃなくてもいいんじゃね?」


 相方が自分のことをそんな風に思っていたことを、エイジはその瞬間(とき)初めて知った。


 エイジは漫才のネタのとき以外では、いつもその場で思ったことを適当に話していただけで、いつもそんな不用意なツッコミにも応えてくれていた相方を心から信頼していた。


 その信頼関係が、ここで壊れようとしている。


 それは次に相方が放った一言で、決定的となった。


「正直言うとさ。一緒にいると、なんかかん(さわ)るんだよ! 限界なんだよ、もうお前とコンビ組んでんの!」


 返す言葉はなかった。生理的に受け付けないと、そう言われたのも同様だ。


 そのあとのことはよく憶えていない。エイジがテレビ局を出たのは、相方が帰ってからずっとあとだった。


 その後、事務所を交えて何度か話し合ったものの、和解には至らず、桜散る春に、コンビは解散。


 相方は、放送作家見習いとして新しい道に踏み出し、エイジは新しい相方を探すということとなった。

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