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人生は上々だ -人生、山あり谷あり、舞台あり-  作者: 志村けんじ


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古典落語「青菜」

 あれから何日かが過ぎたが、オレはエイジに「あのこと」を聞けずにいた。


 それは単純に、あれ以上を聞くことが怖かったからだ。


 そんなオレの内心を知ってか知らずか、エイジもいままでと変わらないように振る舞っている、いつも通りの日常だ。


 変わったことといえば、オレは素人落語の寄席よせに上がっていた。


 落語のネタは、古典落語「青菜」だ。


 落語は植木屋がある屋敷で、庭木の手入れをしているところから始まる。


 落語の醍醐味といったら、やはり軽妙なひとり芝居に他ならない。


「植木屋さん、精が出ますなぁ」


 座布団に正座したまま左の方を向き、屋敷の主人の役から演じる。


「ああ。どうも。旦那ですか」


 腰を浮かして膝立ちになり、右側を向いてもう一人の植木屋を演じる。


「植木屋さんは、お酒はおあがりかな? よかったら、こっちで休みになさらんか」


 やんわりとした口調での屋敷の主人。


「いいんですかい! そしたらお言葉に甘えて」


 わざと大げさに驚いた演技をして、その嬉しさを強調する。


「さぁさぁ、こちらへどうぞ。おーい、奥や! お酒を持ってきてあげんなさい」


 少しだけ腰を浮かせて、また左側を向いて遠くの奥方に声を掛ける演技をする。そこから。


「これは上方の大阪の友人から頂いた、柳影やなぎかげというお酒です」


 ちょっと解説すると、この「柳影やなぎかげ」という酒は、みりんと焼酎を1 : 1で割った甘口の酒で、江戸では「直し」と呼んでいた。


「ほう。それでは、さっそく……。これは美味しいですなぁー」


 見えないお猪口(おちょこ)を右手に持ち、旨そうに柳影を飲む植木屋を演じる。


「そう言ってもらえると嬉しいねー。ささ。この鯉のあらいもお食べなさい」


 また屋敷の主人に成りきって、見えない「鯉のあらい」が盛られた皿を差し出す。

「ええ。いただきます。……これも冷えてて美味いなぁ」


 扇子を箸に見立てて、その見えない「鯉のあらい」を食べ、また大げさに美味しさを強調する。


「そうかい、そうかい。ときに植木屋さんは、菜もおあがりかな?」


 今度はどこか伺うような口調で植木屋に声を声を掛け。


「菜っ葉ですか? 実は大好物なんですよ」


 また大げさに「菜」が大好物なことをアピールして。


「それでは御馳走しましょう。奥や、菜を出してあげてください」


 なにか含みのある口調で奥方に声を掛けるのである。


「申し訳ありません、旦那さま」と、女の声色で奥方を演じ。


「え、なんだい?」


 少しだけ驚いた演技をして、また奥方の役になると。

 

鞍馬山くらまやまで、牛若丸が出でまして……。その名を九郎判官くろうはんがん……」


 と答える。


「では、義経にしておきなさい」


 と、奥方も屋敷の主人も意味がわからないことを言うので、植木屋はなんのことかと首をひねる。


「いやぁー、申し訳ない植木屋さん。菜はもう食べてしまって無いそうだ。誠に失礼した」


 屋敷の主人は、深々と頭を下げて植木屋に謝るのだが。


「ええ、それは全然構わないのですが……。さっきから「鞍馬山くらまやま」とか「義経」っていうのはなんのことですかい?」


 植木屋は少し顔を突き出して屋敷の主人に尋ねる。


鞍馬山くらまやまと義経というのは、あれは私と家内で使ってる隠語でね。菜はもう食ってしまったから、名は九郎。菜は食ろう。そう教えてくれたんだよ」


 解説すると「菜はろう」が「名は九郎くろう(判官)」である。


 ちなみに本来の古典落語では、「隠語」は「隠し言葉」になるのだが、現代にわかりやすくする為そう変えさせてもらった。


「だからわたしは、よしとけの言葉を、義経に変えて、義経にしときなさいと言ったわけだ」


 と植木屋に説明した。


「なるほどー。あっ、旦那。あっしも、柳影の義経になりましたんで、この辺で失礼させていただきます」


 これは「酒(柳影)をよしとけ」という意味だ。


「そうかい。どうもご苦労様でした」


 こうして植木屋は、妻が待つ自分の長屋に帰ってきたわけだが、ここから植木屋とその妻を演じる。


「おう。帰ったよ」


「あら、お帰んなさい」


 妻の声は先ほどの奥方の役より、少しだけ高い声色だ。


「今日の晩飯はなんだい?」


「イワシだよ」


「イワシかぁ。さっき旦那のとこでご馳走になったのとはえらい違いだな」


「なんだい? お客さんのところで、何かいただいてきたのかい?」


「あぁ、それがな」


 ここで植木屋は妻に、先ほどご馳走になった話と、その隠語の話をする。


「へぇー。そういうことかい。そんな洒落たことをする人もいるもんだね」


「まぁ、お前には、そんな芸当はできないだろうさ」


「何言ってんだい。あたしだって、それぐらいできるよ」


 妻は自信ありげにそう答える。


「本当かよ? お、なんだよ! 向こうから、クマの野郎が来やがったぜ! よーし、あいつに酒を飲まして、さっきの隠語遊びをしようぜ」


 嬉々とした目で植木屋はそう言う。


「よしときなよ。お酒は高いんだから」


 右手を大きく前に振って、妻はそれを否定。


「ケチケチすんなよ。お前はオレが呼ぶまで、次の間にいるんだぞ」


 次の間というのは、隣部屋のことだ。


「何言ってんだい。この長屋は、みんな一部屋なんだから、次の間なんかあるわけないだろー」


「だったら、そこの押入れに入ってろ」


「いやだよー。こんなに暑いのに」


 妻は扇子を広げて自分の顔を扇ぐ。


「いいから早く入ってくれよ。もうクマが来ちまうだろ」


 植木屋は妻を無理やり押入れに押し込んで、向こうからきたクマにさり気なく声を掛ける。


「やぁ、植木屋さん。精が出ますなぁ」


 そう。植木屋なのは自分で、これではあべこべだ。


「何言ってんだ 植木屋はお前じゃねーか! オレは大工だ」


 大工のクマは、少し声色のトーンを落として演じる。これがなかなかに難しい。


「あっ、そうでした、そうでした」


「なんだよ、その喋り方は? この暑さで、頭がおかしくなったのかよ」


「まぁ、とにかく精が出ますなぁ」


「いやいやいや。実は精なんか出ていないんだよ。さっきまで昼寝してたからよ」


 これだと予定とは違う。


「そ、そうでしたか……。ときにクマさん、お酒はおあがりかな?」


「なんだよ!? さっきっからあらたまって。オレが酒好きなのは、お前もよく知ってるじゃねーか」


 この植木屋と大工のクマを演じ分けるのはやはり難しい。


「これは大阪の友人から届いた柳影というお酒です。どうぞおあがりを」


「えっ!? いいのかい? その柳影っていうのは、こっちのいうところの直してだろ? じゃあ、遠慮なくいただくと……って!? なんだぁー、こいつは普通の酒じゃねーか!」


「まぁまぁ。この鯉のあらいもどうぞ」


 と、「鯉のあらい」ならぬ「イワシの塩焼き」の乗った皿を差し出す。


 クマは差し出された目の前のイワシの塩焼きの尻尾を指でつまんで植木屋に見せる。


「また鯉のあらいも何も、これはイワシの塩焼きじゃねーかよ!」


 そう言って、「イワシの塩焼き」を食べる。


「まぁまぁ。ときにクマさんは、菜はおあがりかな?」


「菜は嫌いだ」


 これまた予定外だ。


「えーっ、なんだよ!? そらまたどうして?」


 思っていた予定と全然違う。


「子どもの頃から、菜は大っ嫌いだ!」


 これでは話が違う。これだと「隠語遊び」のオチに繋がらない。


「それは、ひでぇじゃねーか! 酒飲んで、イワシ食って、最後の菜は嫌いだなんて、ひでぇ話じゃないか! 噓でも、好きだって言ってくれよ!」


 植木屋はそう叫ぶ。


「なんだ、そりゃ!? わかった、わかった。菜は好きだ」


 ここで軌道修正だ。


「それではご馳走しよう! 奥や菜を出してあげてください」


 また上品を装って妻を呼ぶ。


「奥? そういや今日は奥さんは留守なんだな?」


「おーい! 奥や」


 植木屋にやっと呼ばれた妻は、満を持してと押入れから出てくるのだが。


「旦那さま……」とひたいの汗を袖でぬぐいながら、汗だくの妻が出てくる。


「びっくりしたぁー!」


 もちろん、そんな処から出てくるとは思っていなかったクマは、これまた大げさに驚く。


「そんな処に入って、何してんだよ!? 汗びっしょりじゃねーか!」


 大きな声を出すと、やっぱり植木屋の声色になってしまう。


 妻は植木屋に言われた通り。


「鞍馬山より牛若丸が出でまして、その名を九郎判官くろうはんがん、義経……」


 と言うのだが、クマは。


「なんだぁー!? 義経!? あのー。えーっと……そしたら……。弁慶にしておけ」


 これが古典落語「青菜」の最初から最後のオチまでの話だ。


 このオチの「弁慶」とは、上方(関西地方)の言葉では、「人から御馳走されること」意味していた。


 その由来は、奢ってくれる大尽だいじんを「義経」に見立て、その近くにいる取り巻きを「弁慶」と呼んだことだそうだ。


「お後がよろしい様で」


 この古典落語「青菜」の話は、古典落語をよく知っていなければ少々難しい内容だったかもしれない。


 これを何十回と一人で練習したが、最初に「古典落語のネタ」をしたときは、エイジとふたりでやってなんとか成立できたことも、一人でやるとなるとなかなかに難しいものである。


 まだまだ一人芝居での演じ分けての掛け合いや、表情や声色の出し方などの研究も必要だ。


 とにかくなんでもいい。エイジとふたりで上がっていく為の、そのきっかけが欲しかった。



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