焼けない頭
オチ担当:蒼風 雨静 それ以外担当;碧 銀魚
「皆様、ご愁傷様でした。」
扉を閉められた火葬炉を前に、藤戸と狭山は遺族へ向かって頭を下げた。
この湊火葬場では、毎日繰り返されている光景である。
「ご遺体が焼き終わるまでに、大体一時間半ほどかかります。ですので、骨集めは十五時前後となる予定です。準備が整いましたら、職員がお声かけ致しますので、それまではあちらの控室でお待ち下さい。」
藤戸が決まり文句の説明を遺族へ述べている。
だが、その隣で狭山は遺族の様子を密かに訝しんでいた。
遺族がたったの三人しかいなかったのだ。
しかも、その誰もが神妙な面持ちをしているものの、涙を流す者はいなかった。
まだ、ここに勤めて日が浅い狭山にとって、こんな遺族に出くわすのは、初めての経験だった。
女性職員が遺族を控室へ案内するのを見届けると、狭山が先輩である藤戸に声をかけた。
「藤戸さん、何であんなに遺族が少ないんでしょうか?」
藤戸は小さく溜息をついた。
「ああ、今火葬してる村本って人、近しい親戚がいないらしい。あの三人は、遠縁の親戚で、半ば仕方なく葬儀と火葬を行ったらしい。多分、面識すらあんまりなかったんじゃないか?」
火葬するに当たり、ある程度の資料と情報は斎場から渡される。
狭山はよく見ていなかったが、藤戸はきちんと目を通していたらしい。
「通りで、誰も泣いてなかったわけですね。俺、火葬の瞬間に誰も泣いてないなんて光景、初めて見ましたよ。」
狭山がそう言うと、藤戸はフッと小さく笑った。
「そんなに珍しいことじゃないぞ。むしろ、これからこういう事例は増えるかもな。」
「そうなんですか?」
「高齢化社会だからな。それより、事務所に戻るぞ。」
藤戸は話を切り上げて、事務所へ向かった。
村本の遺体を火葬している間、担当の藤戸と狭山はしばし休憩だ。
他の職員が入れ替わりで、火葬を終えた別の遺体を火葬炉から出し、お骨上げを行っている。
「……ちゃんと焼けるかな。」
ふと、コーヒーを啜りながら、藤戸が呟いた。
「何がですか?」
狭山が尋ねると、藤戸は顎で火葬炉のほうを示した。
「さっきの村本って人の遺体。」
「え?ちゃんと焼けないとか、あるんですか?」
狭山はここに勤めてまだ半年余りだ。
現在、十年以上先輩の藤戸に付いて、業務を覚えている最中である。
それだけに、わからないこと、知らないことはまだまだ多い。
「ああ、たまにな。」
藤戸は視線を落とした。
「へぇー、そうなんですね。若いと筋肉量とかが多くて、焼けにくいとか、そういう話ですか?」
今火葬している村本という遺体は、まだ四十代くらいの見た目だった。
なので、狭山は割と的を射たことを言ったつもりだったが、藤戸は首を横に振った。
「いや。」
「じゃあ、どんな遺体が焼けにくいんですか?」
不謹慎だが、こう言われると興味も沸いてくるというものだ。
「科学的な根拠とかある話じゃないんだけどな。」
そう前置きして、藤戸は語り始めた。
「病気を患っていた部分って、火葬しても焼けにくいんだよ、大抵。」
「病気を……?」
狭山は眉を顰めた。
「そう。例えば、肺癌で死んだ遺体は、肺部分が焼け残ったりするし、大腸癌だったりしたら、腹周りが焼け残ったりする。」
「そうなんですか?普通に考えたら、病気の患部って、組織とか細胞とかがダメージを受けてて、崩れてるから焼け易そうな気がしますけどね。」
藤戸は小さく頷いた。
「そうだよな。ところが、不思議と逆なんだよ。しかも、それだけじゃない。」
「え?まだ何かあるんですか?」
狭山は前のめりになった。
「病気だけじゃなくて、怪我をした場所ってのも、焼けにくいんだ。」
「怪我をした場所?」
「ああ。だから、俺達は骨折を経験した箇所は、焼き上がった遺体を見れば、一発でわかる。その場所だけしっかり骨が残るし、骨折は治癒しても骨に跡が残るからな。」
「へぇ~……骨折跡でそれだったら、怪我で亡くなった遺体はもっとはっきりわかるんですか?」
藤戸は頷いた。
「資料を見るまでもなく、致命傷がどこかわかるな。」
「凄いですね。」
狭山は素直に感心している。
「だから、交通事故とかで亡くなった遺体は、少し高めの温度で焼かないと、あちこち焼け残るんだよ。」
「マジですか!?」
流石に狭山の顔が引き攣った。
「ああ。通常は1100℃くらいで焼くが、1500℃ギリギリまで温度を上げないと、いけない時もある。火葬炉のメンテナンスしている会社には、怒られるんだけどな。」
火葬炉は高温で使い続けると、頻繁にメンテナンスが必要になる。
場合によっては故障の原因にもなりかねないので、注意を受けることがあるのだ。
「致命傷になる怪我とかしてたら、やっぱりそこは燃え易そうな気はするんですけどねぇ……ってことは、今日の村本って人の遺体は、事故死なんですか?」
「狭山……おまえ、ちゃんと資料を読めよ。」
流石に藤戸が注意した。
「す、すみません。」
狭山は慌てて資料を見た。
死因は頭蓋骨骨折による脳挫傷。
どうやら、階段から落ちたらしく、致命傷以外にもあちこち骨折レベルの怪我を負っていたようだ。
「これは……確かに、あちこち焼け残りそうですね。」
「そう思って、さっき温度を上げておいた。まぁ、理由はそれだけじゃないが。」
藤戸はさらっと言った。
聞きようによっては、迷信のような話だ。
だが、少なくとも藤戸はそれを信じて働いているらしい。
「そう言えば、これは蛇足だけどな。」
不意に藤戸が話の向きを変えた。
「なんですか?」
「知り合いの植木屋が言ってたんだけどな。病気になった木も、焼却処分しにくいらしいぞ。」
「え?木って病気になるんですか?」
狭山は目が点になっている。
「そりゃ、なるよ。木を病気にする細菌とか、ウイルスとかもいるし、折れた枝から腐っていくこともある。その辺は人間と一緒だよ。」
「そうなんですね。全然知らなかったです。」
「で、植木屋はその治療の為に一部を切ったりするらしいんだが、治療の為に切り落とした患部の枝とか幹はどうにも焼けにくいらしい。」
「焼け残るんですか?」
「下手したら、火が点かないそうだ。病気で枯れた気を伐採して、焼却処分をする時なんかは、結構苦労するんだとさ。」
「へぇ~、植物も動物も、そこは同じなんですかね?」
「そうかもな。」
藤戸はコーヒーをぐっと飲み干した。
「さて、そろそろ焼き上がる頃だろ。兼田さんが出してくれるだろうから、その間にお骨上げの準備をするぞ。」
「わかりました。」
狭山も手元のコーヒーを飲み干した。
兼田というのは、火葬炉の扱いを担当している専門の職員だ。
当然だが、火葬直後の火葬炉は高温の為、遺体を取り出すのには、それ相応の技術がいる。
兼田が火葬炉から遺体を出し、前室と呼ばれる火葬炉の前の部屋で台車に専用の取っ手を取り付けて、集骨室に藤戸と狭山が運ぶ算段になっている。
だが、その時だった。
「藤戸さん、ちょっと!」
事務室に駆け込んできたのは、兼田だった。
「兼田さん、どうしました?」
「すみません、ちょっと見てもらっていいですか?」
兼田の慌てようは尋常ではなかった。
藤戸は険しい表情になり、早足に事務所を出た。
「あっ、待って下さいよ!」
慌てて狭山が後を追った。
火葬炉の前室には、先程焼き上がったばかりの村本の遺体が、台車に乗せて置いてあった。
その前で、兼田と藤戸が渋い表情で立っている。
「どうしたんですか?」
狭山は台車に近づいて……
そこで、一瞬息が止まる思いをした。
「これって……」
村本の遺体は、綺麗に白骨になっていた。
頭を残して。
「藤戸さん、どういうことなんですか、これ……」
村本の遺体の頭は、低温で焼けた焼死体のように、皮膚が焼け焦げた状態で残っていた。
額から下は綺麗に白骨になっているのだが、まるで帽子でも被っているように、頭だけが焼け残っていたのだ。
藤戸は溜息をついた。
「……嫌な予感はしてたんだ。だから温度を上げたのに。」
「これって、脳挫傷で死んだから、頭が焼け残ったんですか?」
狭山が尋ねると、藤戸は首を横に振った。
「それだけだと、頭蓋骨が陥没しているにも拘わらず、綺麗に残る程度で済む。これだけ派手に焼け残ることはない。」
「じゃあ、何で?」
藤戸は視線を、遺族が待つ待合室のほうへ遣った。
「さっき、遺族の方と少し話したんだが、この村本という人は、結構な馬鹿野郎だったらしい。」
「はぁ?」
突然出てきた暴言に、狭山は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「子供の頃から、人の物を盗るわ、すぐに嘘をつくわ、暴力を振るうわで、手が付けられなかったらしい。成人してからも、しょうもない犯罪で何度も警察行きになっていて、親が死んでからは、親戚連中誰も関わろうとしなかったそうだ。」
「はぁ……」
「で、最期は嫌いな人のマンションでピンポンダッシュをして、逃げる途中に階段で足を滑らせ、転落死したそうだ。」
「……死因が、ピンポンダッシュって……」
狭山が知り得る限り、最も間抜けな死に様であった。
「でも、それと焼け残った頭と、どういう関係があるんですか?」
狭山が質問すると、藤戸はうんざりしたように口を開いた。
「ほら、よく言うだろ。“馬鹿につける薬はない”とか、“馬鹿は死んでも治らない”とか。」
「えっ、そういうことなんですか!?」
「そういうこと。」
藤戸は苦笑いをした。
言葉を濁してはいるが、要するに、致命傷レベルで頭が悪い奴だから、頭が焼け残ったということだ。
しかも、1500℃近くで焼けないレベルで。
「たまにあるんだよ、これ。馬鹿な奴ってのは、いつの世も一定数いるからな。」
「ええぇ……」
まだここでの勤務の日が浅い狭山にとっては、衝撃の事実であった。
だが、藤戸のどこか慣れた反応を見ると、確かに珍しいことではないのだろう。
「それで、どうするんですか、これ?このまま遺族のところへ持って行くんですか?」
狭山が如何にも嫌そうに尋ねると、藤戸は首を横に振った。
「そんなわけにはいかんだろう。仕方がないから、頭部だけ撤去して持って行く。遺族には、頭蓋骨骨折の影響で、頭部の骨は燃え尽きたということにする。」
藤戸はそう言うと、お骨上げ用の箸で、額から上の骨を砕き始めた。
器用に焼け残った部分のみを切り離すと、兼田が金属製のお盆を持ってきて、そこに乗せた。
「どうするんですか、それ?」
「残骨灰と一緒に、寺で処分してもらう。さっきも言った通り、たまにあることだから、向こうも心得ている。」
「マジですか……」
狭山はあからさまに青ざめていたが、藤戸も兼田も、淡々と焼け残った頭を処理している。
「狭山、気持ちはわかるが、そんな表情で遺族の前に出るな。ここは辛気臭い場所だが、俺達は辛気臭い顔を遺族に向けるわけにはいかないんだ。何があってもな。」
藤戸にそう言われ、狭山はハッとした。
「わ、わかりました!」
狭山は掌で自分の顔を叩き、気合を入れ直した。
その後、村本のお骨上げは恙なく終了した。
元々、遺族は積極的に火葬に来たわけではなかったので、頭蓋骨のことを説明しても、何も突っ込まれることはなかった。
「それにしても、本当にビビりました。」
業務終了後、狭山は喪服を着替えながら藤戸に言った。
「今日の村本の頭のことか?」
藤戸も着替えながら答えた。
「はい。あんなにしっかり残るもんなんですね、お馬鹿の頭って。」
狭山がそう言うと、不意に藤戸は着替えの手を止めた。
「いや、あれはまだマシなほうだぞ。」
「え?」
「村本より馬鹿な奴なんて、ザラにいるからな。」
「え……」
狭山も着替えの手が止まった。
「あれは、見ないほうがいいと思うが……この仕事を続けていたら、まぁ、いつかは出くわすだろうな。」
「……」
「大丈夫。そのうち慣れる。」
藤戸は喪服をロッカーに片付けた。
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