第7話 サブリナという女
サブリナ・バーンズ三十歳は、この店の主トムの娘であり、この店の実質的な跡取りでもある。
サブリナは、コルセットをきつくしぼった細いウエストの上に、レースとフリルをふんだんにあしらったドレスを着て、出している肌は顔くらい。首元から手首、足首までを覆うドレスに、さらに肘まで届く手袋を身につけて、わたくし、夫となるべき殿方以外には肌を出しませんの、といった格好をしていたが、やれやれとギルバートは首を振りたくなった。
確かにこれはトーナメントとカードに夢中の行き遅れらしい格好だ。まったく、何十年前のファッションなんだろうか。
(野暮ったいんだよね。昔は足首を見せたらそれだけで娼婦だって言われたらしいけど、いまどき娼婦じゃなくても膝くらいまでは普通に見せるよ)
今どきの女性はもっと先進的で実用的で動きやすい格好をしている。確かにドレスを着ることも多くあるが、それは晩餐会や舞踏会などの集まりのときに限られていて、普段の外出着などは膝丈か膝下のスカートにブラウスやジャケット、シンプルな帽子を合わせる格好、もしくはゆったりとしたワンピースを着るだけで、骨や内臓が変形してしまうコルセットなんかをつけたりはしない。
今どきの流行りは野暮ったいドロワーズやコルセットなんかではなくて、ブラジャーとパンティーなのだ。厳格な規則で知られるイートン・ウィザード・スクールの女子校生だって、膝丈のスカートにストッキング、ブラウスと校章入りのブレザーを着ていた。ちなみにイートン時代は、アンジェラにもよくその格好をさせていろいろと楽しんだものだった。
こういった短いスカートなどの、活動的なファッションの背景には、現代に入ってからの女性の社会進出がある。
産業革命と帝国主義による植民地支配によって、大英帝国の版図は大きく広がったが、その支配には効率的な情報収集と低コストな軍事力の行使、そして安全な交通が求められた。
たった一人の優秀なウィザードが強力なソウルを使えば、何千という兵士や将官に食事と給与を支払うことなく、簡単に他国を支配することができる。貿易路において海賊や盗賊が出ようともなんの問題もない。多大なる予算を弾薬や兵員に費やさずとも、ウィザードが一人いれば大抵の問題は物理的に解決することができる。それに情報活動においては、姿を消したり、人の心を操ることができるソウルは非常に有用だった。
だが足りない。男性のウィザードだけでは広大なる大英帝国の領土を維持するには圧倒的に数が足りない。
そこで女性ウィザードの登用が積極的に求められたわけなのだが、海賊や盗賊に出くわしたときに、袖がもたつくフリルだの、息もできないほど苦しいコルセットなんかつけていられない。カードをドローするたびに着替えなんてしていられないからだ。
このため必要性に駆られて、女性ウィザードたちの服装はどんどん先進化していった。
そしてそれを支援するかのように、夫の喪に服していた英明たる大英帝国女王が重く黒い喪服を脱ぎ捨てて明るい服を身に纏い始めたことで、この流れは一気に加速した。
英国の流行は上から下へと流れていくもの。下の者は常に上の者の服装や生活に憧れるものなのだ。
女王から貴族へ。貴族から上流階級へ。上流階級から中流階級、そして下層階級へと。
かくして、現代における大英帝国における女性のファッションの先進化は急速に進んでいった。
ちなみに、イートンやシュルーズベリーのようなウィザード・スクールが男女共学なのもこれが理由で、少ない教員でより効率的に多くのウィザードを育てようというのがその背景にある。一般人が通うパブリック・スクールにはそういった背景はないので、パブリック・スクールはいまだに女人禁制の男子の園だ。
(しかし、それにしても)
長いまつげをパチクリと瞬かせながらこちらを一心不乱に見つめてくるサブリナ・バーンズのファッションをあらためて観察する。普段からどんな服を着せればアンジェラに似合うだろうかと思考を巡らせているだけに、ギルバートの女性のファッション・センスはかなり磨かれている。
(ファッションは一巡するといっても、これをリバイバル・ファッションと言い張るのには無理があるよね)
確かにこういった昔ながらのコルセット、ペチコート、ドロワーズで身を包み、レースやフリルで華美に飾り立てた格好をするファッションは最近になってまた隆盛を見せている。そのため、現代は女性のファッションがもっとも多様的で自由な時代なのだと女性ファッション誌などには書かれているが……。
(だけどこういう格好って、若い女の子とか、結婚して落ち着いた女性に似合うものなんだよね)
上流階級の令嬢が社交界にデビューするのは十八歳で、結婚適齢期もだいたいその年頃とされている。女性ウィザードはスクールを十八歳で卒業するのと同時に結婚相手を探すことが多いが、それにしたってだいたい二十歳前後に結婚する。もちろん庶民の場合はまた話が違うし、人によっても事情がそれぞれあるから、仮に二十歳を過ぎて未婚だったとしてもすぐにそれをどうこう言うのはいささか問題がある。
だが、ミス・サブリナ・バーンズは三十歳。
おまけにカードおたくで、ファッション・センスが絶望的にダサいときている。
言い逃れはできない。彼女はすでに一線を超えてしまっている。
(かわいそうな人だなあ)
そんな彼女を純粋に気の毒に思う気持ちがギルバートにはある。
だがそんな気持ちを知ってか知らずか、今日もサブリナ・バーンズは絶好調だった。
「あらあら、まあまあ! ヘインズさんったら、今日はアンジェラさんを出していませんの?」
瞳の中に星を浮かべて、ずいっとこちらに一歩踏み込んできたサブリナから、正確に一歩分、ギルバートは身を躱しながら答えた。
「ええ、まあ。彼女は今、おねむの時間なんですよ」
「あら、それは残念! ねえ、ところでヘインズさん。お願いがあるんですけれど……」
「ダメです」
またずいっとこちらに踏み込んできたサブリナの厚化粧からギルバートは身を引いて、にべもなく断ったが、それに構うことなくサブリナはまた距離を詰めて、熱に浮かされたように口を開いた。
「お願いなんですけれど、あなたのアンジェラさんを少しだけ、ほんの少しだけ使わせてくださらないかしら? ああ、あの子ときたら! サキュバスなんて普通は猿並みの知能と能力しか持たないのに、あなたのアンジェラさんは高度な自我と知能があって、しかもトーナメントで通用するだけの戦闘能力と特殊なスキルまで持ち合わせていてもちろんそれはギルバート・ヘインズさんあなたのマスタースキルの高さによるところも大きいのですけれどそれ以上にヘインズさんとアンジェラさんの互いの心を通わせた動きがデビューから八連勝を重ねるだけの結果につながっていて――ああッ! もし、あの子をわたくしが使ったらどうなるのかしら! ねえ、ヘインズさん? ギルバート? ギル? お願いですから、後生ですからあなたのサキュバスをわたくしに使わせて――」
「ダメです」
「そんなことおっしゃらないで……ねえ、お願いですから。もちろんその分のお礼はしっかりといたしますわ。もしお望みでしたら、わたくしのコレクションの中から珍しいブロンズカードを何枚か進呈しても構いません。もしそれ以上のことをお望みでしたら、そうですわねえ……ギルバートさんなら、わたくし、構いませんことよ?」
勝手にこちらの手を取って年増女らしいだらのしない胸元に引き寄せてくるサブリナに、ギルバートはますます憐憫の情をかけた。かわいそうに。この人は自分の肉体的魅力が僕のアンジェラに勝るものだと思っているらしい。頭がどこかおかしいんだろう。
白い絹手袋に包まれたサブリナの手を力ずくで振りほどきながら、ギルバートは端的に今日の用向きを告げた。
「サブリナさん、今日は〈雷火〉とブランクカードを買いに来たんだけれど」
「あらあら、まあまあ! わたくしとしたことが、ふふっ、失礼いたしました。そうですわよねえ、かの〈サキュバス狂い〉がまさか他の人に自分のサキュバスを使わせるわけがありませんものねえ。もしそんなことがあるとしたら、たとえばそう……Bランクの賭け試合で自分のカードを手放してしまったときくらいかしら?」
「……」
厚化粧の口元を歪めて愉悦の表情を浮かべる、本当に気持ちの悪い女だった。
サブリナ・バーンズ三十歳――ウィザード・トーナメントにおけるその二つ名は、〈蒐集家〉。
父であるトム・バーンズの二つ名とカード・コレクションを引き継いだ彼女は、現役バリバリのBランク・プレイヤーであり、その腕前とデッキ構成は現在のギルバートを軽く凌駕する。
ギルバートが黙殺していると、サブリナ・バーンズは父親そっくりの欲深ゴブリンの笑みを浮かべた。
「ふふ、楽しみですわ……ヘインズさんがBランクに上がってくるのが。生ぬるいCランクと違って、Bランクにはいろんなルールの試合があるんですのよ。自分のデッキを賭けた試合や、公式ではありませんけれどお互いの手足を賭けた試合ですとか。そういった裏の試合ほど珍しいカードが出回るものですけれど……あら、まだギルバートさんには早いお話だったかしら」
うぶな少年をからかうようにこちらの顎を指先でひと撫ですると、サブリナはこちらの注文を満たすためか、店の壁際に設置されたガラス棚へと向かっていった。
その行き遅れらしい垂れたお尻を見ながら思う。
(変態親子だ)
まったく、頭が湧いているんじゃないかというようなアンジェラへの執着心だった。
先程のサブリナが述べたように、アンジェラはサキュバスには珍しい特徴を持ったソウルだった。そういうユニークな能力を持つソウルはドワーフやハイヒューマン、インプやゴブリンといった種族に限らず、ままいるものなのだが、〈蒐集家〉の二つ名が示すように、トムとサブリナのバーンズ親子は、そういった珍しいカードや希少価値の高いカードに異様な興味を示す。この店に並べられている多種多様なカードも、トムとサブリナが半ば興味を失ったカードたちが店頭に並んでいるだけであって、本当に強力なソウルや呪文カードは親子の秘蔵コレクションとそのデッキの中にこそあるという噂だった。
熱に浮かされたようなサブリナの興奮っぷりに、やれやれと首を振る。
彼女がこちらの注文したカードを探しているあいだ、暇潰しと気分転換を兼ねて、ガラス棚の中に収められたカードたちを眺めていくことにした。