第4話 その名の意味
ギルバート・ヘインズはイキそうになっていた。
これまで辛く、苦しい戦いだった。あまりにも退屈でしょうもなさすぎるせいで萎えそうになる心と身体を、アンジェラのがんばれがんばれコールによって必死に奮い立たせながら、ここまで頑張って戦ってきた。
その苦労が今報われようとしている。
(最高だよ、アーヴィングさん)
デッキから一枚のカードをドローしながら、目の前に座る男のことを想う。今日初めて会ったばかりの、言葉もろくに交わしたことのない男である。
だが、ギルバートはこの男のことがたまらなく愛おしくなっていた。彼がこのトーナメントに挑んでいる理由も、その背負っているものも、なにひとつ知りはしない。だが、それが彼にとって譲れないものであることは、この最大級の攻撃を見ればすぐにわかる。
(アーヴィングさん。あなたの欲望に敬意と感謝を)
カードを額の前に掲げて、一瞬祈るように目を閉じる。
――これまで。
必死に堪えてきた熱い欲望だった。アンジェラと魔術回路を結んだことによって興奮し、暴発しそうになるソレをなだめつつ、ギルバートはここまでやってきた。途中、あまりにアーヴィングのテクニックが下手すぎるせいで萎えそうになることもあったが、それを乗り越え、ここまでやってきたのだ。
その甲斐があった。アーヴィングのこの攻撃呪文はまさに魂をかけた一撃。
(全力で迎え撃たなければ、負ける)
一瞬心を静め、自身の下半身を支配するマグマのようなそれを解き放つべく――ギルバートはその手札を切った。
攻撃呪文カード――〈雷火〉。
それはアーヴィングが選んだカードと同じものではあったが、ギルバートが手に持ったその枚数は、たったの一枚だけだった。
それに対して、アーヴィングが発動した〈雷火〉の数は四枚だった。
単純に計算して、アーヴィングとのその出力は四倍差。ちょっと算数ができる者なら誰だってわかる簡単な計算だった。
――だが。
呪文カードの効果は術者のマナの多寡によって上下する。確かにアーヴィングの保有マナ量はCランクの中でも上位に位置している。これだけの規模の攻撃を行うことができる者など、Cランクでは滅多にお目にかかれない。これはアーヴィングが相当なトレーニングを積んでいる証拠だろう。
――だが。
トレーニングを積んでいるのはアーヴィングだけではない。
アンジェラと初めて出会った十四歳の頃から今日に至るまで四年間。ギルバートは毎日欠かさずにアンジェラを召喚し、自身のマナを彼女に供給してきた。
悦びがあった。苦しみがあった。もうこれ以上は一滴たりとも出せないと思った夜は数知れず。だがそれでも、がんばれがんばれとこちらを奮い立たせてこようとするアンジェラの愛欲に応えるため、そして身体は悲鳴を上げてもそれでもなお満たされぬ自身の欲望を満たすために、ギルバートは今日に至るまでの道程をこの下半身で歩いてきたのである。
――だから。
負けられない。抱えている夢や欲望は違えど、その想いはこちらだって同じこと。
一瞬だけ、ギルバートは深く息を吸い込み、吐いて――
全身の魔術回路を一気に解放させた。
これまで抑圧されていた魔術回路はまたたく間に固く大きく励起した。ウィザードにとってマナは燃料で、魔術回路はそれを流し込むためのパイプである。魔術回路を極太にガチガチに励起させてやらなければ、これから飛び出すギルバートの溜まりに溜まったマナはあらぬ方向へとドピュッと飛び出してしまう。
(うッ!)
今にも魔術回路の先っぽから漏れ出そうになるマナを必死にこらえながら、ギルバートは手に持った〈雷火〉へと意識を集中させる。
ギルバートの下半身から腕の周りにかけて濃厚な白い粘液のようなマナが噴き出していた。目に見えるほどの密度を持ったマナだ。それが腕の先へと螺旋を描きながら伸びていき、〈雷火〉の表面にまとわりついている。
これで〈雷火〉とギルバートのあいだの魔術回路は形成された。バキバキに固くなった魔術回路は〈雷火〉からギルバートへ、そしてギルバートからアンジェラへと深く繋がっている。
準備は整った。
ギルバートの魔術回路はすでにアンジェラの奥深くへと挿入されている。
(んっ、あぁんんっ、はぁはぁ……マスターのすっごく大きいですわ♡)
すでに甘い喘ぎを上げている最愛のソウルに向かって、ギルバートは静かに、そして最大限の熱をもって語りかける。
(……イクよ、アンジェラ)
(ぁあっ…んっ…よ、よくってよ……♡ わたくしの中にいっぱい出してくださいませ、マスター♡)
温かくこちらのすべてを包み込むようなアンジェラの声を聞いたその瞬間。
ドクドクッとギルバートのガチガチに励起した魔術回路が大きく脈打った。
(……ッ!)
手の先から脊髄、脳髄にかけて駆け抜ける甘い衝撃。頭の中でドロドロに白濁した液体がぶちまけられている。心臓は破裂しそうなほどにバクバクだ。
〈雷火〉が粉々に砕け散る。弾丸が装填され、撃鉄が起こされる。
〈雷火〉のエネルギーは魔術回路を通じてアンジェラの手に宿った。
(うふッ、うふッ)
マナの放出に伴う激しい苦痛と真っ白な快楽に全身を支配されながら、ギルバートは笑う。
ああ、最高だ。この力の奔流。我が最愛のソウルとのこの一体感。人馬一体などという言葉があるが、この感覚はそんなぬるいものではない。
生暖かい粘液でドロドロになりながら、裸になって全身をピッタリとくっつけ合い、互いのもっとも気持ちいい部分を激しくまさぐりあうようなこの感覚。
それは、ふたつの異なった精神がただひとつの輝ける星となって、宇宙の中心を目指す尊さだった。
そして、肉体の限界を超えて底知れぬ快楽の渦へと堕ちていく背徳感だった。
密接に繋がったアンジェラとともに絶頂へと上りつめながら、ギルバートはうっとりと恍惚の笑みを浮かべて、苦しげに口元を歪める対戦相手を見た。
(イキます、アーヴィングさん。感じてください……これが僕らの気持ちです)
そしてギルバートとアンジェラの互いの最高に気持ちいい結合点がピッタリと合わさった瞬間――
ギルバートとアンジェラは同時に絶頂した。
(な、なんだこれは……ッ)
ジョン・アーヴィングは絶望の淵に立たされていた。
ぶつかり合うふたつの巨大なエネルギー。均衡したのは一瞬で、すぐに相手のほうがこちらのそれを呑み込み始めた。
こちらがぶち込んでやった四枚重ねの〈雷火〉が、ギルバート・ヘインズの放ったたった一枚の〈雷火〉に押されていた。
(こ、こんなことがあっていいはずが、ないッ!)
だが現実に起こっている。
ジョンの頭は混乱していた。
十年以上も連れ添ったピクシーだった。やつに渡してやるマナの流れが初めてはっきりとわかった。おれはこいつとまだまだ上を目指せると思ったのだ。
なのに、なんだこれは。
おれとピクシーの〈雷火〉が負けようとしている。
こちらの〈雷火〉の出力は徐々に弱まりつつあった。まるでヨボヨボジジイの小便のようだ。いくらマナを込めて気張っても、その勢いはもはや死にかけている。
(だが、やつらの〈雷火〉の勢いときたら、まるで……)
そこでジョンは頭を振った。こんなときに結婚初夜のスーザンとのことを思い出してどうする。それにやつらのこの激しさときたらまるでケダモノで、お互いに初めてだったあの夜の自分たちとはまったく――
(違う違う! そんなこと考えてどうする!)
ジョンはブンブンと頭を振って邪念を振り払った。そしてそのことにわずかに安堵する。おれにはまだ余計なことを考えるだけの力がある。
全身の力を一点に集中させる。マナを魔術回路へ、自分の力をピクシーへ。今現在持てる力をすべて、相手の攻撃を押し返すためだけに注ぎ込む。
――だが。
止まらない。〈サキュバス狂い〉の放出は止まらない。その勢いはまるで荒ぶる種馬のごとく。興奮した野生の力がそのまま攻撃に転じたかのような凄まじさだった。
(……負ける)
歯を食いしばり、腹に力をこめて、二本の足で踏ん張って……相手の攻撃の凄まじさに千切れそうになるピクシーを必死に支えながらも、ジョンは悟りつつあった。
いや、悟る、ということなら、こんなことはとっくにわかっていたことだった。
自分には才能がない。トーナメントで上に登るために必要ななにかが欠けている。
このCランク・トーナメントにデビューしてからもう六年目になる。CからBに上がる者はたいてい二年目から三年目のあいだになにかを掴んでさっさと上にあがってしまう。デビューした新人の中には一年ちょっとでランクアップしてしまう者もままいるほどだ。そんな中で六年目というのはいささか薹が立ちすぎている。
そんな現実を認めたくなくて、なあに、中には十年かけてBランクにあがって今では世界トップランクの実力を持つ者だっているんだ、おれは彼と同じで大器晩成型なんだ、と自分を無理やり鼓舞させてここまでやってきたが、もうそろそろ潮時なのだろう。
自分には才能がない。そしてなにより情熱がない。
今までずっと思ってきた。
ちゃちな新聞社勤めで一生を終えたくない。妻と子に囲まれた安穏な生活の中に落ち着きたくはない。おれはまだ若いんだ、大空へとはばたきたいんだ。
――だってそれが男というものだろう。
そんな欲望を抱えて戦ってきたが、どうやら上の空を目指すために必要なのはそういうものではないらしい。
少しずつ霞んできた視界に映る男のことを思う。この男はおそらく自分が戦うことになる最後の相手だ。ああなるほど、最後に戦う相手としてこれ以上にふさわしい男はいないはずだった。
(〈サキュバス狂い〉か……なるほどな)
気づくのが少々遅すぎたが……この世界はおそらくそういうものなのだろう。目の前の男が狂ったような笑みを浮かべているのを見て、こういう男が上にあがっていくのだと戦慄を覚えながらも、ジョンの胸にはストンと落ちるものがあった。
――だが。
ジョンは正真正銘、最後に残った力を振り絞った。わずかに敵の攻撃を押し返す。
敵の攻撃はもうピクシーのすぐそばまで迫っていた。ほんの少しでも力を緩めたら、相方はこの力の奔流に呑まれて塵と化してしまうだろう。
こいつを失うわけにはいかない。新聞社での仕事はこいつがいるからこそ成り立っている。あらゆるところにこっそり忍び込んで情報をかすめ取ってくる仕事は、ジョンの他のソウルカードではできないことだ。もしもこいつを失ってしまえばジョンは失業。家族は路頭に迷うことになる。
だがそれだけではない。
こいつは十年以上……それこそ、妻よりも長く連れ添ったパートナーだった。雨の日も雪の日も、友と喧嘩した日、妻と結婚した日、娘が生まれた日――こいつはいつも自分のそばにいてくれた。
確かに自分は負ける。そしてトーナメントからは引退することになる。
だが大切なのはそんなことじゃない。
(おれは男だ。それもただの男じゃない。夫であり、父であり、そしてこいつのパートナーなんだ)
デビューしてから六年目。自分にとって一番大切なものにやっと気づくことができた。
一瞬苦笑いが浮かんで、そして消える。代わりに表れたのは、一人の男としての断固たる決意だった。
「うおおおおおおおおッ!」
恥も外聞もなく、守りたいものを守るためにジョンは己の魂を賭けた雄叫びを上げた。
一生に一度、人生の岐路であったウェストミンスターの入学試験でもあり得なかったほどの集中力を出して、今まで浮いていた残りの二枚の手札を動かす。〈石の国の戦士〉。〈赤龍山脈のドワーフ〉。ピクシーに力を割きすぎているせいで本来のパワーやスピードは到底発揮できないが、今はそれで十分。二体に狙わせるのは敵のサキュバスそのものだが、目的は仕留めることではない。
マナが十分に供給できていないせいで鈍重な亀のような二体の動きだった。今にもピクシーが〈雷火〉に呑まれそうなのに、ノロノロと敵に近づき大剣と斧をスローモーションで振りかざす。
それに対して、サキュバスは淫靡な笑みを浮かべて、さっと踊るように身をくねらせた。銀髪が空に広がり、黒いミニドレスが翻る。宙返り。サキュバスは戦士の頭にぽんと片手をついて、攻撃を躱した。
サキュバスは躱す瞬間、真っ白な太ももで大剣と斧を蹴りつけていた。戦士の大剣がドワーフを、ドワーフの斧が戦士の身体を切り裂いた。
だがそれでいい。それがよかった。
(ああ……よくやってくれた。ありがとう、戦士、ドワーフ……)
最後の力を振り絞ったせいでジョンの〈雷火〉は風前の灯火だった。徐々に薄くなりつつある意識の中で、しかし、ジョンは微笑んでいた。
派手な回避によって、サキュバスの片手から放たれていた〈雷火〉の射線がわずかに乱れていた。
それがピクシーの命運を分けた。
もうまともに体を支えることもできなくなって、ジョンはラウンド・テーブルの上にバタンと倒れ伏した。その瞬間、ピクシーが放っていた〈雷火〉の最後の灯火が消えた。
押し留めるものがなくなった。敵の〈雷火〉が轟音と閃光を轟かせて疾駆した。圧倒的なエネルギーの奔流が空を焼いて駆け抜けた。
だがその方向性はわずかに狂っていた。
ピクシーの片方の翅が焼かれた。燃え焦げて、一瞬で塵となる。だがそれだけだった。敵の〈雷火〉は稲妻のように空を焼き尽くし、そしてピクシーの一部分を奪い去っただけで幻のようにふっと消えていった。
目の前が闇に閉ざされていく。視界の片隅に対戦相手がワナワナと唇を震わせて呆然としているのが映って、思わず笑ってしまう。ギルバート・ヘインズは突然交尾相手を取られたオス犬のような顔をしていた。
(そんな顔をするなよ、ギルバート・ヘインズ。この試合、お前さんの勝ちだ。それで十分だろう?)
魔術回路で繋がった先でピクシーが空中をフラフラと漂っているのを感じる。どうやら相棒に大きな怪我はないらしい。ジョンは微笑んだ。
相棒と同じようにふらつきながらも、両肘を使ってなんとかラウンド・テーブルの上に体を持ち直す。
試合には負けたが、大切なものを守る勝負には勝つことができた。だから、もうそろそろ締めの時間だ。この試合の、そしてトーナメント・プレイヤーとしてのジョン・アーヴィングはもうここで幕引きだ。
勝敗はどちらか一方が戦闘不能になるか、降参を宣言することで決着がつくことになる。自分はもうこれ以上戦うのは到底不可能だが、それでも最後は自分の意思で進退を決めたい。この二本の足で初めてこのクリスタル・パレスに立ったときと同じように、最後は自分の足でここを出ていきたいのだ。
(ありがとう、ギルバート・ヘインズ。最後にお前と戦えてよかった)
ジョンはほんのわずかに残った力を振り絞って、その言葉を口に出すべく、重い唇を開いた。
「……こう――」
「ダメだあああああああッ! 諦めちゃダメだあああああッ!」
(えっ?)
ギルバート・ヘインズの悲鳴のような、熱烈な声援のような大声だった。
「諦めたりなんかしたらダメだ、アーヴィングさんッ! 僕たちの試合はこれからだッ!」
(えっ、えっ?)
バンバンとラウンド・テーブルが叩かれ、上に乗った冷たい飲み物がこぼれて、ジョンの腕にかかる。その冷たさに意識が少しはっと目覚めた。
「さあ立って、立つんだジョンッッッ!」
わけがわからない。ギルバート・ヘインズはラウンド・テーブルの上に突っ伏しているジョンと同じ高さに頭を落として、狂ったようにテーブルを叩いていた。
そのときだった。
糸のようにか細くなっていた魔術回路の先で、二体のソウルの輝きが急速にその光を失い始めた。
(……ま、まさかッ!)
――断末魔。
〈石の国の戦士〉と〈赤龍山脈のドワーフ〉。
ジョンをここまで導き支えてくれた二体のソウル。
魔術回路から伝わってきたのは彼らの末期の悲鳴だった。
(う、嘘だろ……だって、だって……もう勝負はついたじゃないかッ! なんで、どうしてッ!)
ジョンは震えながら手を伸ばして、再びその言葉を口にしようとした。
「こ、こうさ――」
「いいよ、アーヴィングさんッ! すごくいいッ! もうちょっと、もうちょっとでイケるから、がんばれがんばれアーヴィングさんッ!」
蚊の鳴くようなこちらの声を遮って、ギルバート・ヘインズは汗を撒き散らしながら叫んだ。その暗い瞳には爛々とした光が宿っている。艷やかな頬は上気して絶頂したように真っ赤だった。
(絶頂……? いやまさか、こいつ……こんな激しい戦いの中で感じているのか……ッ!?)
その事実に気づいた瞬間、ジョンの手は力を失ってパタンとテーブルの上に落ちた。どこか遠くで審判が早く降参を宣言するように叫んでいるのが聞こえていた。ああ、確かにその通りだ。試合はどちらかが戦闘不能になるか、降参を宣言することによってのみ、決着がつく。ジョンは場に出ているソウルをすべてカードの中に戻して戦闘不能の意思を示すか、降参を周囲のすべてに聞こえるようにはっきりと大声で宣言するべきなのだろう。
だがそんな力はもうジョンには残されていなかった。
吐き気がしていた。暗い視界に白い光が瞬いている。体は悪寒で凍えそうなのに、頭は沸騰して脳が溶けそうになるほど熱い。マナを限界以上に振り絞った結果の虚脱状態だったが、それだけではなかった。
こんな状態になるまで戦うことに快楽を覚えている者が今自分の目の前にいる、という事実にジョンは吐きそうになっていた。
(こ、こんなやつに勝とうとおれは自惚れていたのか……ッ)
胃からの強烈な逆流感に、ジョンはたまらず吐いた。試合前に口にした妻のお手製のお菓子が未消化のまま、テーブルの上にドロドロに広がった。その海の中に腕と頭を沈めながら、ジョンはそれでも手を伸ばそうと必死だった。
(た、頼む……もう降参だから……降参するから、あいつだけは、あいつだけは……)
「ああ、もう……僕はもう……ッ! ……あッ!」
溜まりに溜まったなにかを盛大に出すような男の喘ぎが聞こえた瞬間だった。
最後に一本だけ残った魔術回路の糸がプツンと途切れた。
(これは)
ソウルとの繋がり。
相棒との絆。
青春時代をともに過ごしたやつとの最後。
消滅していく。すべてが闇へ消えていく。
――落下。真っ暗な闇の中へとすべてが落ちていく。
暗くなっていく意識の中で、ハアハア、という声がどこかから聞こえてきた。
「ああ……よかったよ、アーヴィングさん……特にあなたのピクシーの具合は、ちっちゃくてキツキツですっごく締め付けてきて……うふッ、最高でした」
――〈サキュバス狂い〉。
その二つ名の真の意味をジョン・アーヴィングが悟ったのは、彼が目覚めて自分はすべてを失ってしまったのだと気づいてからのことだった。
そしてそれは妻と子を抱えて養っていかなければならない男としては、あまりにも遅い気づきであったのだった。
「し、試合終了……」
審判による宣言がなされたが、周囲は静まり返ったままだった。
クリスタル・パレスの常ならば、審判による試合の決着が宣言されたあとは歓声と怒号が飛び交い、勝ち馬に乗った者と負け犬に賭けていた者のあいだで悲喜こもごもの叫び声が聞こえるはずだった。実際、こちらと同じタイミングで試合が終わった様子の隣のテーブルからは爆発したような悲鳴が聞こえてきている。
だがそれが、ギルバートのラウンド・テーブルの周囲だけは静寂に満ちていた。審判も、汚い格好をした観客たちも、すべては凍りついたように動かない。
そこで息をしているのはギルバート・ヘインズただ一人だけだった。
「うふッ……ああ、とてもよかった……」
吐瀉物の海の中で溺れ死んだようなジョン・アーヴィングを見下ろしながら、ギルバートはゆっくりと立ち上がった。その途端に、その光景を眺めていた周りの者たちはうッ、と一斉にうめいた。
彼らの視線は一様にギルバートの下半身へと向けられていた。プレイヤーの一方が意識を失うほどの激戦を終えたばかりだというのに、ギルバートのそれはあまりにも元気すぎた。
おぞましいものを遠巻きにするような周囲の視線を気にすることもなく、ギルバートは指先に挟んだ一枚のカードにチュッと口づけをする。
クリスタル・パレスの天井を通り抜けて、白い光が舞い降りてきた。その光はギルバートのすぐそばでふっとかき消え、その中から一体のソウルが姿を現した。
「お疲れさまでしたわ、マスター。すっごくかっこよかったですわよ♡ えらいえらい♡」
黒いミニドレスに包まれた豊満な双丘を枕にして、アンジェラに頭を撫でてもらいながら、ギルバートは屍となったジョン・アーヴィングと試合会場に微笑みかけた。
「それでは皆さん、ごきげんよう。僕らはお先にロンドンへと戻らせてもらうよ」
アンジェラの愛撫は頭から乳首、そして下腹部へとだんだんと降りてきていた。激しい試合を終えて優しくこちらを労るかのようなその手つきに、ギルバートの魔術回路はまた励起しようとしていた。
このままではまた欲情してしまう。ギルバートは呆然とする観客たちをその場に残し、試合会場をあとにした。
アンジェラをそばに伴ってクリスタル・パレスの出口に向かう。黒いミニドレスを盛り上げる豊満な谷間にこちらの片腕を挟んで、上下にスリスリと嬉しそうに擦るアンジェラに向かって話しかける。
「ねえ、アンジェラ。僕また我慢できなくなっちゃった。家に帰ったらさ、また一緒にシようよ」
「あら、マスターったらまたピュッピュしたくなってしまったんですの? もう、しょうがないんですからっ♡」
片腕に押し付けられる柔らかく大きなアンジェラの感触に、ギルバートの魔術回路はまた固く大きく膨らんでいた。それに下腹部ではドバドバと新たなマナが再生産されている。ああ、まったくもう。この欲望はあんなに激しい絶頂を迎えてもなお衰えることがないらしい。
こちらの下半身に巻き付くように伸ばされたアンジェラの黒く艶めかしい尻尾を感じて思う。
(……あのピクシーのせいで余計に欲しくなっちゃったな)
先端がハート型になったこのアンジェラの尻尾には、とある特別な効果がある。注射針のようにこれをピクシーに使ったときの感覚を思い出すと、ゾクリと背中に興奮が走った。
(とっても気持ちいいマナだった……うふッ、やっぱりトーナメント・プレイヤーになったのは正解だったな)
ペロリと真っ赤な舌先で唇の端を舐めて思う。
他の道もあった。穏やかでそれなりに満ち足りた人生を送る選択肢も確かにあった。
だがそれではイケない。ギルバートのこの欲望は普通の生活では到底満たされない。
ギルバートはアンジェラとの交わりに欲情する。強い敵とぶつかり合うことに興奮する。自身の高まった欲望をアンジェラに、そして強敵にぶちまけることに、このうえない快感を覚える。
そしてこれらの快感は、自身とアンジェラが強くなり、マナの放出量が増え、戦う相手が強力になればなるほど絶大なものとなっていく。
(Cランクでこんなにも気持ちいいなら……Aランクに上がったときにはどうなっちゃうんだろう)
ときめく心臓から下半身に向かってドクンドクンと血液が送り込まれていく。
Aランクに上がることそのものは目的ではない。それはあくまで手段にすぎない。
ギルバート・ヘインズの目的はいつだってただひとつ。
(戦うことって気持ちいい……ッ!)
クリスタル・パレスの外に出たギルバートは、目にハートマークを浮かべて絡みついてくるアンジェラを感じながら、ロンドンへの帰途についた。
ガタンゴトンと揺れる列車内で、ギルバートはアンジェラの柔らかな胸を枕にしてウトウトしながら思う。
(今日は帰ったらアンジェラにたくさんマナ供給をするとして……明日はちょっと忙しくなるな。バーンズの店とタワーに行かなきゃ……)
すでに今日の試合のことはギルバートの頭の中は消えつつあった。それより次の試合に備えてやるべきことが山のようにあった。
明日はまずカードショップに行って今日の試合で使ってしまった〈打ち消し〉と〈雷火〉を補充する。いや、〈打ち消し〉はカードショップで購入すると高いから、バーンズの店ではブランクカードだけ買って、タワーでドロップを狙うことにしようか。いやいや、でもでも、〈打ち消し〉はブロンズカードにしてはドロップ率が低いからやはりカード・ショップで購入することにして、それよりはアンジェラと自分の経験値を得るためだけにタワーに行くほうがやはり――
とそこまで考えてから、ギルバートはあくびを大きくひとつした。
(まあ、明日のことは明日考えればいいか)
ギルバートはアンジェラのホルターネックのミニドレスを盛り上げる豊満な双丘に手を伸ばした。たわわに実るふたつの果実をたっぷりと堪能しながら、ウェーブがかった長い銀髪を手繰り寄せてその匂いをいっぱいに嗅ぐ。
アンジェラの髪に顔を埋めていると、彼女はなにもかもがわかっているかのようにこちらの頭をよしよしと撫でてくれた。
母と姉と妹と恋人と愛人がひとつになったような安心感と快楽にギルバートはあっという間に呑まれていく。
尽きることのない欲望と快楽。
果てなき絶頂と堕落。
ギルバート・ヘインズは上り詰めていく、あるいは堕ちていく――最愛のサキュバスとともにウィザード・トーナメントという名の螺旋階段をどこまでもどこまでも。
◆フレーバーテキスト
〈石の国の戦士〉
なんのために戦っていたのかは思い出せなくても、その魂の在り方はかの国のそれと同じだった。
〈赤竜山脈のドワーフ〉
「ヘイホー! ヘイホー! おれたちゃ屈強、山脈ドワーフ。掘削と鍛冶で鍛えたこの肉体に敵うものなんざ……ん? ありゃなんだ?」
〈ピピンの森のピクシー〉
「無邪気って言葉を辞書で引いてごらんよ。残酷って言葉の意味がわかるから」
――顔が焼き爛れた旅人の言葉。
〈氷牙〉
ノルドランの氷河は愚かな船乗りたちに牙をむく――比喩ではなく。
〈雷火〉
イグニアの魔術師は少年期にこの術を覚える。成人し、壮年期を迎え、やがて老人となっても、彼らはこの術を磨き続ける。彼らは知っているのだ。基本こそが奥義であることを。
〈打ち消し〉
「で?」