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第20話 魂の交錯

(冗談じゃないッ! まさかこのタイミングで回復するなんて……ッ!)


 シェリル・トンプソンのまさかの復活に、ギルバートは顎先から大量の汗をこぼしていた。


 さっきまで〈赤竜のヴァーミリオン〉は暴走によって隙だらけになっていた。それでようやく見出した弱点を突くことで、試合を終わらせようとした矢先だった。


(シェリルの心はもう折れたかと思っていた……いったいなにが彼女を復活させたんだッ!)


 今になってシェリルのコントロールが戻ってくるなんてまったく予想だにしていなかった。


 ここで一気に決めようと全力で攻撃していただけに、その反動は激しかった。


(これは、さすがに、キツイな……ッ)


 一切の隙がなくなった〈赤竜のヴァーミリオン〉に追われるアンジェラを支援しながら、ギリギリと奥歯を噛み締める。


 すでにギルバートのマナのほうはだいぶきていた。〈徴税〉に〈賄賂〉、それに〈打ち消し〉。敵の攻撃から逃れるために発動してきたカウンター呪文カードのマナ・コストが、今になって重くのしかかってきていた。


(〈沼地の魔女〉を売って、大量の呪文カードを仕入れたのはいいけど、これじゃあマナのほうが追いつかないぞ)


 モーニングスターのようにぶん回される竜の尻尾からアンジェラを守るために、〈防壁〉を発動させて、ギルバートは荒い呼吸をする。


 アンジェラの周囲に出現した〈防壁〉は、しかし、ドラゴンが少し尻尾を振り下ろしただけでバラバラに砕け散った。ありったけのマナを込めたはずだった。今までの対戦相手のすべての攻撃を防ぎきった防御呪文だった。それがただの通常攻撃によって一瞬で破壊された。


(……ッ! この怪物めッ!)


 次のカードをドローして手札に加えながら、ギルバートは目の前に座る女のことを睨んだ。


(これが、〈竜使い〉シェリル・トンプソンの真の実力か……ッ!)


 ギルバートが睨んでもその青い瞳はもはや微動だにしなかった。


 ドラゴンというのは化け物だ。あらゆるソウルの中で頂点に位置する正真正銘のモンスター、それがドラゴンという存在なのだ。


 ならば、それを自在に使役する〈竜使い〉というのはいったいどういう存在なのか。


(本当に人間か……ッ!? なんていうマナ量だ……ッ!)


 本当に脳みそがマナでできているのではなかろうか。ここまでガンガン戦い続けているなんて、人間を辞めているとしか思えない。それほどのマナ量だった。


 脳みそマナ女がまた新たなカードをドローした。その口角がわずかに持ち上がるのを見て、そしてドラゴン並に巨大なその胸がわずかに隆起するのを見て、ギルバートは戦慄した。


(やばい……デカイのが来るよッ! アンジェラッ!)


 それは本能だった。絶頂に上り詰めるために必要不可欠な要素、相手の呼吸を読むスキル。そのスキルがギルバートに危険を告げていた。


 そして、その一撃は確かに来た。


 〈大地の恵み〉と〈原始の雄叫び〉。それに加えて、〈赤竜山脈の怒り〉という瞬間強化の重ねがけ。


 でっかく、強大に、そして凶暴になった〈赤竜のヴァーミリオン〉の一撃がアンジェラに向かって振り下ろされた。


 天災を思わせる〈赤竜のヴァーミリオン〉の一撃だった。


 その嵐が通り過ぎ去ったあとには、すべてが凪のように静まり返っていた。


 その中でギルバートは呆然としていた。


(……えッ?)


 アンジェラとのあいだにある魔術回路が消失していた。アンジェラの気配を、鼓動を感じ取ることができない。


(えッ、えッ、えッ……?)


 ギルバートがパニックに陥りかけた、そのときだった。


 萎えかけた魔術回路がまたにゅるりとなにかに挿入される感覚があった。


(げ、ほ……ッ。大丈夫、ですわ……マスター。致命傷は、避けました……)


(アンジェラ……ッ!)


 叫ぶよりも早く、ギルバートは切り札のひとつである〈回復の光〉を発動させた。


 回復系のカードはめったに手に入らない代物だ。ソウルや人間の傷や病を癒やすカードはもともとの希少度が高く、またそれを求める人や社会や団体が多いことから、入手難易度は非常に高くなってしまっている。


 ギルバートが大枚をはたいて手に入れたブロンズカードの〈回復の光〉は、傷ついたアンジェラをわずかに癒やすことしかできなかった。


(ちっくしょう……ッ)


(……ご心配なさらないで、マスター。大丈夫です、わたくしはまだ戦えますわ……だって……わたくしたちは、まだ、達していないんですもの……)


 魔術回路の先から伝わってくる彼女の強がりと本音に、ギルバートは拳をラウンド・テーブルに叩きつけた。


 そうだ、確かに彼女の言う通りだ。


 自分たちはまだ達していない。絶頂にまで達していない。


 ――だが。


 あまりにも苦しい道だった。傷つかなければ進めない茨の道だった。


(せめてブロッカー役のソウルカードがもう一枚あれば……僕の選択は間違っていたのか……?)


 ここに来るまでにあり得た無数の選択肢のことを思う。


 だがそんなことは、今さら言っても詮なきことだった。


 すべてのリソースをアンジェラ一枚にのみ費やしてきた。時間も、金も、マナも。己のすべてをアンジェラのみに費やしてきた。


 今のギルバートのデッキはアンジェラをメインに、というより、アンジェラを活かすことのみを前提として構築されている。


 それもそのはずだった。アンジェラあってのギルバートだった。アンジェラがいなければ、そもそもギルバートはウィザード・トーナメントなど目指していなかった。


 彼女とともに絶頂へと上り詰める、さもなければ死ぬと覚悟した道だった。


 知人から嘲笑を浴びせられた道だった。家族の誰からも祝福されない道だった。


 でも、それでも……自分はこの道を彼女とともに進むと決めたのだ。


 孤独な人生だった。


 乾いた人生だった。


 それが彼女に出会ったことで、すべてが潤った。


 ならば歩んできた道を振り返ってどうする。


 あったかもしれない他の選択肢に脇目を振ってどうする。


(この道を信じて進むって決めたんだ……ッ!)


 ギルバートの身体からマナが一気に放出される。白く濁ったミルクのようなそれはシェリルの顔に向かってドピュッと飛んだ。


 彼女の肩がビクリと震えた。


 ――だが。


 相手は〈竜使い〉の末裔。化け物を操る怪物にして、代々歴史に名を刻んできた生粋の魔物。


 一度は切れたはずのマナだった。


 一度は折れたはずの心だった。


 それがこの土壇場にきてさらなる復活を遂げていた。


(まだ強化呪文を発動できるのか……ッ!)


 コオォォッ……と、大きく息を吸い込んだ〈赤竜のヴァーミリオン〉のマナはいまだかつてないほどに強化されていた。


(……上等、じゃあないかッ!)


 カードを数枚まとめてドローしながら、眦に力を込めて相手を睨む。


 シェリル・トンプソンは額に大粒の汗を浮かべていた。金髪のショートカットをビショビショに濡らして、荒い息をついていた。ブラウスはびっしょりと濡れて、豊かに突き出した双丘にピッタリと張りついている。そのせいで、シェリルの下着ははっきりと浮かび上がっていた。


 普通の淑女ならば、即座に胸を隠して、羞恥に顔を覆う状況だった。


 だが彼女がカードを操るその手つきにはいささかの淀みもなかった。


 〈竜使い〉シェリル・トンプソンの青い瞳は、自身の進むべき道がしっかりと見えているかのように揺るぎなかった。


 ビリビリと身体の芯が揺さぶられる感覚があった。


 何百万回とアンジェラにマナ供給をしてきたが、これはギルバートにとっては初めての感覚だった。


 これまでの本能に身を任せるだけの快感とは違う、新たな感覚だった。この正体がなんなのかはわからない。だがギルバートの五感は周囲のすべてを感じ取るかのように研ぎ澄まされていた。


 敵のマナが膨れ上がるのを感じる。ドラゴンの顎門から膨大なエネルギーが放たれようとしているのがわかる。


(いい……)


 ギルバートの欲望は新たなる境地に達しようとしていた。


 相手の鼓動がわかる。考えていることがわかる。この一撃ですべてを決めたいことがあますことなく理解できる。


 苦しい道だった。


 誰からも理解されない道だった。


 歩んできたこの道の正しさを証明したい。そのために勝ちたい。


 いや、それも少し違う。


 ただただ単純に勝ちたい。誰にも負けないほど強くなりたい。


 ――そしてずっと願っていたものを手に入れたい。


 〈サキュバス狂い〉ギルバート・ヘインズ。


 〈竜使い〉シェリル・トンプソン。


 ――二人の道が、交差した。


 竜の顎門から膨大なエネルギーが射出された。


 〈竜の息吹〉――〈赤竜のヴァーミリオン〉のスキルにして、ドラゴン種族のソウルカードすべてに共通する最強の炎。


 その一方で、サキュバスの指先から凄まじい量の乳白色のマナが放出される。


 〈打ち消し〉〈打ち消し〉〈打ち消し〉〈打ち消し〉――呪文、召喚、ソウルのスキル……そのすべてをかき消す万能の呪文にして、発動のタイミングがもっとも難しいカウンター呪文カードの四枚重ね。


 その二つの巨大なエネルギーが交錯した。


 ぶつかり合う魂の波動。


 紅蓮の炎と白濁した閃光。


 そして弾ける巨大な衝撃。


 衝撃が大気を震わせ、振動がクリスタル・パレスの蒼穹を揺るがす。


 エネルギーの波紋がはるか遠くまで伝播し、余震のようなそれがようやくおさまったのち数瞬後――


 勝利を確信したのはシェリル・トンプソンだった。


(勝った……ッ)


 敵のサキュバスは満身創痍だった。白い肌は裂傷と火傷によって、赤黒く染まっていた。ドクドクと流れる赤い血は流れ落ちるそばから淡い燐光のマナとなって霧消していく。


 サキュバスがマナと体力を激烈に消耗していることは明らかだった。マスターから新たなマナを供給されればまだ持つかもしれないが、それも不可能だろう。


 シェリルの目の前で、ギルバートはひきつけを起こしていた。マナ切れによる痙攣症状だ。椅子の上でガタガタと全身を震わせながら、ギルバート・ヘインズは白目を剥いていた。


 まるで地獄に逝きかけているようなその様子に、シェリルは再度確信した。


(勝った……この人に勝った!)


 疲労が限界に達していた。


 今にも椅子から転げ落ちそうになる自身の身体を必死に支えつつ、シェリルはヴァーミリオンに最後のマナを込めた。


 長かった。ここに来るまで長かった。それは一生が一瞬に凝縮されたようなひとときだった。


 精神的不安による立ち上がりの遅さ。


 中盤、自身の焦りによって敵にリードを許してしまったこと。


 そして心が折れ、ヴァーミリオンが暴走し、そのせいでマナ切れを起こして招いてしまったピンチ。


 だがそこからの超回復によって、シェリルは自身が新たな成長を遂げたことをひしひしと実感していた。限界を超えた。そう言っても過言ではないだろう。


(――なれる。わたしはまだまだ強くなれる。ううん、なりたい。わたしはもっと強くなりたい!)


 ぐっと拳を握りしめて、ヴァーミリオンに最後の指示を下す。


(仕留めなさい、ヴァーミリオンッ!)


 だが、シェリルが自身の勝利を確信し、最後の一手を叩きこむべく最後のマナを自身のソウルに供給した、その瞬間だった。


 ――にやりと。


 ギルバート・ヘインズがそんなふうに笑った。

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