第15話 そして出会ったその三人
「それでは買取金については口座に振り込んでおきましょう。ああ、そうだ。よかったら、お帰りになる前に店のほうも見て行ってください。うちの店はクソったれバーンズのところよりも品揃えがいいですよ。それと、掲示板もぜひご覧になってみてください。探索依頼や高価買取、トレード希望の情報が載っていますから、ヘインズさんのこれからに役立つことは間違いないでしょう」
そんなグレアムの言葉に興味を持ったギルバートは、帰る前にゴールドマン・カードショップの中を見ていくことにした。
いかにもやり手のビジネスマンらしく、なにもかもがバーンズ親子のところとは正反対の店だった。大きな窓から差し込む明るい光。幅広い通路と見やすいように工夫されたガラス棚。そして、店に押しかけてくるたくさんのお客さんたち。
(でも臭いだけは一緒なんだよね。どうしてカードショップってどこも似たような臭いがするんだろう)
汗っかきの太ったウィザードの脇を通り過ぎながらカードを物色し、背の高い棚の間を抜けたときのことだった。
ギルバートは、同じように棚の間を抜けてきた二人の人物とばったり顔を合わせた。
「あ」
ギルバートは思わず声を上げた。
「あら……」
その女性は上品に驚きの声を漏らした。
「……ちッ」
その男はいかにも忌々しそうに舌打ちをした。
ギルバートを含んだ三人の若いウィザードは互いに顔を見合わせた。
「やあ、奇遇だねえ! まさか君たちにこんなところで出会うとは!」
「……ええ、まったく奇遇ね。お元気そうでなによりだわ、ギルバート」
答えたのは、輝く金髪を大胆にショートカットにした女性だった。
顎下のあたりで切り揃えるショートカットは現代的すぎて、ともすれば下品ともとられかねない髪型だったが、目鼻立ちが美しく整った彼女の顔には女王様のような気品が備わっていた。
彼女は髪型と同じく、服装のほうも大胆だった。
なんとズボンを履いていたのだ。どうやら男性用の乗馬服らしい。ぴっちりとしたズボンは形のいいお尻と肉感的な太もものラインを扇情的なほどにあらわにしていた。上のほうも活動的で動きやすそうなぴっちりとしたブラウスを身に着けている。大きくて形のいいバストがこれまたあらわになっていた。
それらはあまりにも先進的なファッションだったが、彼女とそれなりに付き合いのあるギルバートには、彼女がそれらの服を女性の社会進出をアピールするためとか、男性を淫らに誘惑するためとか、そういった理由で着ているわけではないことが理解できた。彼女は単純にもっとも動きやすい格好をしているだけにすぎないのだろう。
彼女の名前はシェリル・トンプソン。ギルバートのイートン時代の同級生にして、その類まれなる美貌と才知にて、数々の男子生徒の心を撃沈してきた〈イートンの女王様〉だった。
彼女に憧れていた男子生徒の中でも特に勇敢な者たちは、特攻と討死を見事果たしているが、その戦死者数は英国の歴史におけるそれらを足した数と大差ない、というのがイートン男子生徒における共通認識だった。
そんな彼らの想いを知ってか知らずか、シェリルは、なにかの行事の際に一緒に働く男子生徒を指名する必要に駆られたときには、いつもギルバートを選んでいた。
そのせいで不要な嫉妬を買ったことも多々あるが、なんのことはない。彼女がギルバートを選んでいたのは、たんにギルバートが彼女に対してそういった類の感情を一切持っていないことを、彼女が知っていたからだった。
彼女の方も、ギルバートに対してそんな気はまったくなかったようで、それは周囲にもギルバートに対しても宣言していた。いわく、わたしたちはただのお友達なのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と。
「だけどねえ、シェリル。卒業以来、手紙の一枚も寄越してこない友達というのは、はたして本当に友達といえるのかな」
「あら、そう思うんだったら、あなたのほうから送ってくれればよかったのに。わたし、あなたは手紙を書くのが上手だったように覚えているんだけど?」
「こいつはまいったね。いや、僕のほうはあの愉快な学生生活をおさらばしてからというもの、なにかと忙しくてね。それは君のほうも先刻ご承知のことだったと思うけれど?」
「ああ、そういえばそうだったわね……お祝いを言うのが遅れてたわ。八連勝おめでとう、〈サキュバス狂い〉さん。先日の試合運びはとても見事だったわ」
「なんだ、君、僕の試合を観ていたの。ああ、そういえば、僕もお祝いを言うのを忘れていたな。君も八連勝おめでとう、シェリル・トンプソン。僕も君の試合は観ていたよ。さすがは〈竜使い〉トンプソン伯爵家の末裔。その名は伊達じゃあないね」
ギルバートが試合を観ていたと言った瞬間だった。
シェリルの青い瞳が稲妻のように激しく光った。
だが、そんな心の動きを隠そうとしたのか、シェリルはギルバートからすぐに顔をそむけて、もう一人の男のほうに向かって話しかけた。
「ごめんなさい、わたしったら、あなたには挨拶もしないで……こんにちは、ダン・ギャラガー。あなたもお元気だった?」
イートン男子生徒ならばそれを見るために人殺しだって辞さない、シェリル・トンプソンの微笑みを向けられたその男は、しかし、仏頂面で答えた。
「……まあまあだ、トンプソン。あんたも元気そうでなによりだ」
全然そんなことは思っていないような皮肉げな口調で答えた男は、ダン・ギャラガー。
ギルバートとシェリルの同級生で、燃えるような真っ赤な髪をした男だった。
ダンは背が高くて、真っ直ぐに背筋を伸ばせばギルバートを見下ろせるほどの身長の男だったが、とんでもない猫背のせいで目線はギルバートと同じくらいだった。港湾労働者や荷運び人のように姿勢が悪くて、どこか育ちの悪さを感じさせる雰囲気だった。
それにギルバートよりもずっと痩せていた。汚れた服の上からよく見てみれば、しなやかな筋肉がしっかりとついているのがわかるのだが、一見しただけではそこらへんの浮浪者のようにダンは痩せていた。
ならず者のように荒んだ顔つきをしたダンに向かって、ギルバートはにこやかに笑いかけた。
「ダン、元気かい? 君、ちゃんと食べてるの? なんだか顔色が悪いぜ」
「……余計なお世話だ、ヘインズ」
その視線だけで人を殺せそうなほど強く睨みつけられたギルバートは肩をすくめた。
「まあ、元気なのはよくわかったよ。そういえば君も九連勝おめでとう、〈赤毛〉のダン。さっそく新聞であだ名をつけられたみたいだね。それもイートンの頃とまったく一緒じゃないか」
一応お祝いを言ってやると、ダンはよく磨き上げられた店の床にけっと黄色の唾を吐いてなにか呪詛らしき言葉をぶつぶつとつぶやいていた。
「……それでは、わたし、ちょっと用があるから。このあたりで失礼するわ」
もう話すべきことはなにもないと判断したのだろうか。
シェリルがそう言うと、ダンも出口の方へと足を向けた。
ギルバートはそんな二人の背中に明るく声をかけた。
「それじゃあ二人とも、ごきげんよう。次に会うのは――クリスタル・パレスでかな?」
「……」
「……」
シェリルもダンも何も言わず立ち止まった。その背中からは何を考えているのかはわからなかったが、ただ彼らの服の内側でデッキホルダーにおさめられたソウルらしきものが蠢き出した。
二人のほうからマナが一気に溢れ出してきた。三人がいるこの空間がぐにゃりと歪むような力だった。
「……」
その力の凄まじさにギルバートが思わず黙り込んだときだった。
背後からいささか興奮気味の声が聞こえてきた。
「おい、あれは――〈竜使い〉じゃないのか」
「ん? ああ、本当だ! よく見れば、〈サキュバス狂い〉に〈赤毛〉のダンもいるじゃないか! 三人とも今売り出し中のルーキーたちだぞ……すごいな、今のうちにサインもらっておこうかな。三人ともまだCランクだけど、今にもっと有名プレイヤーになるはずだ……」
「ああ、なにしろこのままいけば三人とも、デビュー以来負けなしでBランクにあがることになる。もしそうなれば、十年ぶりのことだぞ」
「けど……」
「ああ……そろそろ彼らのあいだで星の奪い合いが始まる頃だろうな」
Cランクの試合の組み合わせは勝ち星の所持数と実力の差を鑑みて、それらがなるべく近い者同士が戦うよう、運営側によって決定されることとなっている。
現在の戦績は――
〈サキュバス狂い〉ギルバート・ヘインズ、八連勝。
〈竜使い〉シェリル・トンプソン、八連勝。
〈赤毛〉のダン・ギャラガー、九連勝。
誰がいつどこでぶち当たってもおかしくない状況にあった。おまけに三人が三人ともイートンの卒業生で、しかも互いに顔見知りときている。新聞が派手に騒ぎ立ててもまったくおかしくない。そうなれば、玄人かマニアしか注目しないCランク・トーナメントであっても、かなりの注目を集めることになるだろう。
ひそひそと聞こえてきたそんな周囲の声だったが、それをかき消すかのようにシェリルは輝くような金髪をさっとかき上げた。ダンは気に入らなさそうに鼻を鳴らした。
だが、そんな二人が足音を荒くして店の外へと出ていこうとした、そのときだった。
二匹のインプがすぅーっと店の中に入り込んできた。インプたちはなにかを探すようにキョロキョロしていたかと思うと、こちらのほうへとパタパタ飛んできた。
「これは……」
「……」
二匹のインプはそれぞれ封筒をひとつずつ持っていた。一通がギルバートの手の中に落とされた。もう一通はシェリルのほうだった。封筒を見れば、そこにはウィザード・トーナメントの封蝋がされていた。
中身は見るまでもなくわかった――次の試合日程だ。
それがまったく同じタイミングでギルバートとシェリルに渡されたということは……。
ギルバートはシェリルを見た。
シェリルはギルバートを見た。
思わず笑みがこぼれてしまった。シェリルの宝石のようにきらめく金髪と肉感的な姿態に視線を這わせながら、ギルバートは自身の下半身に熱いものが集まるのを感じていた。
「うふッ、うふッ、うふッ……」
「……わたし、あなたのその下品な笑い方が昔から嫌いだったわ、ギルバート・ヘインズ」
冷たい一瞥をこちらに投げかけたシェリルは振り返ることもなく、そのまま店の外へと出ていった。
「……ふん」
鼻をひとつ鳴らしてこちらをちらりと見ると、ダンもシェリルに続いて店を出ていった。
二人を見送り、その姿が人混みに紛れて完全に見えなくなってから、ギルバートはずっと握りしめていた拳をやっと解いた。
手のひらは汗でびっしょり濡れていた。おまけにブルブルと震えている。
(すごいマナだったな)
二人の服の内側で蠢いていたソウルの気配を思い返す。〈沼地の魔女〉以上に強力なマナの波動だった。
(あれと戦うことになるのか)
そんな戦慄を覚えながら、まだ震えている手で封筒を開けてみると、シェリルとの試合の日程は一週間後となっていた。まだまだ間があるかと思っていたが、意外にすぐだった。
「……」
ギルバートは店の奥へと引き返して、そこで帳簿らしきものをつけていたグレアムに声をかけた。
「ねえ、グレアムさん。さっきの買い取り金の話だけれど、やっぱり口座振り込みはなしにしてくれないかな。今すぐ欲しいカードがたくさんあるんだけれど。特に呪文カードで」
「えっ? ええ、それはもちろん構いませんが……」
「なにか?」
「……ヘインズさん、あなた、鼻血が出ていますよ」
「えっ?」
鼻の下に手を当ててみると、なるほど、確かに血がついていた。どうやら興奮しすぎて出てしまったものらしい。
「……」
指についた血をじっと見つめてチュパリと舐めてみる。するとそれは鉄の味がした。
血と鉄。
それは戦いの味だった。
「……うふッ」
そして笑ったギルバートをグレアムは気持ち悪そうに見ていたのだった。