第11話 〈ヌメドールの沼地〉とカード・ドロップ
ぐるぐると洗濯桶の中で撹拌され、それから一気にざぶんと冷たい石床の上に流しだされたような気分だった。
扉をくぐって目的地に転移したことは理解できるが、まだ頭がぐるぐると混乱して周囲の状況をしっかりと掴めない。
だがそんな状態でも、何度もここに来たことで身についたウィザードとしての本能が、ギルバートの身体を勝手に動かしていた。
(〈赤銅の衣〉発動――)
指が一人でに動いて、一枚の防御カードを発動させていた。鈍い光を発する蒸気のようなものがギルバートの全身を包んでいた。温かいお湯のような感じだ。
〈赤銅の衣〉は対象をあらゆる危険から守ってくれる防御カードで、ソウルに限らず人間も対象にすることができる。効果時間は一定だが、重ねがけをすることでその耐久力と効果時間を伸ばすことも可能だ。
Cランク・トーナメントではプレイヤーの身体に直接的な危害が及ぶことはないが、ここはタワーだ。どんな危険があるかもわからないこの場所では、〈赤銅の衣〉に代表されるプレイヤーの生命を守ってくれる防御系の呪文カードは必須のカードだった。
(しかしそれにしても……)
まだ体が揺れている感じがする。転移酔いだ。タワーの中には無数のフィールドがあり、それぞれに対応した扉をくぐることで目的の場所に転移することができるのだが、この感覚は何度経験しても慣れそうにない。まるで酷い船酔いだ。
まともに立つこともできなくて、ギルバートは冷たい泥の中に両手両膝をついて四つん這いになった。
「うう……吐きそうだ」
襲ってくる嘔吐感と戦っていると、耳元から声がした。
「マスター、大丈夫ですか? 吐きそうですか? 吐いちゃいましょうか? 吐いたほうが楽になるかもしれませんわよ」
自分の意思でカードから出てきたアンジェラだ。ほっそりとした白い腕に背中をさすってもらいながら答える。
「うう、そうかも……」
「はーい、それではあーんしてベロを出してくださいませ♡ わたくしの指を噛んではいけませんわよ。ちょっと苦しいかもしれませんが、いっぱい出してくださいねっ♡」
突然ぬるぬるとした指が喉の奥に入り込んできた。奥まで挿入された指で舌の奥をぐっと押されて、腹の底からなにかがせり上がってきた。
ギルバートはたまらずその場にぶちまけた。だが一回出したくらいではおさまらない。
「あらあら、まだ出そうかしら? いっぱい出したほうが気持ちいいのでこのまま全部出してしまいましょうね♡ 出しちゃえ出しちゃえ♡ あらあらまあまあ、すごいすごいっ♡ ほら、わかりますか? マスターのゲロゲローっていっぱい出てきてますわ♡」
「おえ……ごめんね、アンジェラ。いっぱい出して汚しちゃって」
「いいえ、お気になさらないで。だってマスターのですもの。全然汚くありませんわ♡」
「アンジェラ……」
長い銀髪の先にこびりついた吐瀉物を嫌がる様子をまったく見せずに、にこりと笑うアンジェラだった。控えめに言って天使だ。
「それにわたくし、今のでちょっぴり新しい快感に目覚めてしまったかもしれませんもの」
「アンジェラ……」
吐瀉物がついた髪先をくるくると指先でいじりつつ、恍惚と笑うアンジェラだった。控えめに言ってサキュバスだ。
「ところで君、結局、カートショップ出てからもずっと寝てたね」
口元を絹のハンカチでぬぐいながら言うと、アンジェラは頬を赤くした。
「そうしたほうがマスターのおいしいのが、たっぷり溜まるかと思いまして……ちょっとずつ味わうより、一度にドピュってしてもらったのを味わいたい気分でしたの♡」
こちらの腕に絡みついて尻尾をフリフリしてくるアンジェラに、なるほどそれもそうか、とギルバートは納得した。
ソウルは召喚コストのほかに、場に出しているあいだにもマナを少しずつ消費していく。その維持コストはソウルによって異なるが、たいていはソウルの維持コストがマスターの自然回復量を上回ってしまうことが多い。
アンジェラの維持コストはそれほど高くないが、どうせなら少しずつお漏らしするよりも、タワーでの戦闘で一気にマナをドピュっとするほうがお互いにとって気持ちがいいだろう。
だが、とギルバートは少しそこで顔を曇らせた。
その顔に不安になったのか、アンジェラが慌てて顔と胸を近づけてくる。
「ど、どうしたのですか、マスター!? 大丈夫ですか? シコシコしますか?」
「いや、違うんだ。ううん、シコシコはしたいんだけれど、違うんだよ」
唇を噛み締めて、自らの無能を嘆く。
自分の自然回復量がアンジェラの維持コストを上回っていれば、一日二十四時間三百六十五日、死ぬまでずっと一緒にいることができる。
だが、それは今のところかなわない。
ギルバートとアンジェラのレベルアップは同じペースだ。ギルバートが成長することで自然回復量を増やしても、アンジェラもまたレベルアップすることによって、その維持コストは大きくなっていく。
ちくしょう、僕にはまだまだ力が足りない。力が欲しい、とギルバートが再び両手両膝をついているときだった。
「大丈夫ですわ、マスター」
肩にそっと――
アンジェラの手が置かれる。耳元にふっと、その温かい声が聞こえてきた。
「大丈夫です、マスターはすごいですもの。強くなります。わたくしもマスターも今よりずっと強くなりますから。そうしたらすごく気持ちいいことをいっぱいしましょう? すごい高いところまでイッてしまって、そのまま一生戻ってこれなくなるくらい気持ちいいこと――ねっ、よろしくて?」
「アンジェラ……」
肩に手を置かれ――乳搾りをされる牛さんのように、四つん這いで気持ちいいところをスリスリシコシコしてもらいながら、ギルバートはアンジェラの気遣いに感謝した。
「……いかがなさいますか? マスターの魔術回路、おっきしてきましたが、このままドピュドピュしますか?」
「うん、する。するけど――それはあいつらとヤッたほうが良さそうだね」
立ち上がって向こうを指差すと、アンジェラはあら、という声をあげて立ち上がった。ホルターネックのミニドレスに包まれた豊かで張りのある双丘がゆさりと揺れた。
ギルバートが指差した方向には巨大なカエルのソウルが数体、のそのそとこちらを目指してやってきていた。
ジャック・フロッグ――子牛ほどの大きさのカエルの姿をした、魔物系のソウルだ。
基本的な動きは遅いが、時折派手な跳躍をするのと、その長い舌を伸ばしての攻撃には注意が必要だ。
ギルバートは一瞬で周囲の地形とアンジェラのユサユサと揺れるおっぱいを確認した。
現在、ギルバートとアンジェラがいるのは湿った泥に毒々しい緑が繁茂する沼地だ。
空を飛ぶことができるソウルにはあまり関係がないが、ギルバートにとっては一歩足を動かすとするたびにブーツを泥から引き抜かなければならないため、戦闘や移動の際には注意が必要となる。
純粋にカードの扱いに集中できない厄介なフィールドだった。
敵のジャック・フロッグは全部で三体。見える範囲に他に敵はいないが、いつなにがあるかはわからない。余裕をもってできるだけ早めに倒したい。
一瞬で戦術を組み立て、それを実行に移す。
ギルバートはアンジェラに突き刺していた魔術回路から一気にマナを出した。
「んぁっ!? ちょ、ちょっと、マスター、そんないきなりダメですわ……♡」
尻尾をビクンビクンと痙攣させ、長い銀髪を揺らしてイヤイヤするアンジェラだったが、それはギルバートも同じことだった。オールバックにキメた髪が乱れるほどに痙攣しつつ、下半身を揺らして指示を出す。
(くッ……アンジェラ、左から回り込んで殲滅だ。一気にイこう)
(もう~、マスターってば、強引なんですから……)
不満げに頬を膨らませると、アンジェラはたんっと地を蹴って高く舞い上がった。
左から踊るように回り込んでジャック・フロッグの頭上から急襲。真っ白な太ももが閃めいた。
一発の蹴りでまず最初の一体が落ちた。ジャック・フロッグの急所は無防備に晒したその頭部だ。ギルバートのマナを込めて攻撃力を増加した蹴りはカエルの頭を一撃で潰した。
ゲコゲコと慌てふためく残り二体のカエル。
そのうちの近いほうに次の攻撃を仕掛けた。
長い舌が鞭のように襲いかかってくるが、最小限のステップで踊るように躱す。
二撃目は空気を切り裂くような鋭い蹴りだった。アンジェラのつま先が二体目のカエルにめり込む。頭部がなにかの果物のように弾けた。
三体目も似たようなものだった。スルリと躱して、サッとステップイン、あとは蹴りで沈めて、はい終わり。
「はい、お疲れさまでした♡」
「こいつらで気持ちよくなろうかと思ったけど、準備運動にもならなかったね」
ジャック・フロッグは〈ヌメドールの沼地〉に出現するソウルの中では一番の雑魚だ。
アンジェラのパワーやタフネスはブロンズカードの中では中の下レベルだが、ジャック・フロッグの能力値はそれよりもさらに低い。ギルバートの使役精度にマナによる強化を加えて急所を打ち抜けば、ジャック・フロッグなんて一撃で仕留めることができる。
ギルバートはぬかるむ泥から一歩ずつブーツを引き抜きながら、ご機嫌で尻尾をフリフリするアンジェラとジャック・フロッグの残骸へと近づいていった。
無残に破壊された三体のジャック・フロッグだったが、グチャグチャになった残骸はすでに分解が始まっていた。残骸は淡い燐光をあげて霧のように消えていく。
消えたあとには、静かにゆっくりと燃える人魂のようなものが三体残されていた。サレンダー・ソウル――戦いに勝利したことによって、今、相手のソウルはこちらに屈服している状態になっていた。
目の前で揺らめく三体のサレンダー・ソウルを眺めながら、ギルバートは少し迷った。
持ち物の中にはバーンズの店で購入したブランクカードが入っているが、それをジャック・フロッグ相手に使うというのはちょっとした賭けだ。
「でもまあ、運試しってことでやってみようか」
「マスターったら大胆ですわね♡」
アンジェラは頬に手を当てて尻尾をクネクネさせた。
ギルバートは一枚のブランクカードを持って、一体のサレンダー・ソウルの前にかざした。
すると一瞬、サレンダー・ソウルがぼうっと燃え上がった。それからすうっとブランクカードの中へと吸い込まれていく。
手の中のブランクカードがピカッと光って熱くなった。何も描かれていなかった表面にゆっくりと文字と絵柄が浮かび上がってくる。
――〈ヌメドールのジャック・フロッグ〉。
ブランクカードの表面に刻み込まれたのはそんな文字だった。文字の下には鈍そうなカエルの絵が描かれている。
タワー内のソウルを倒すとそのソウルはサレンダー状態となる。それをブランクカードに取り込むことによって、ウィザードはそのソウルの力をカード化することができるのだが……。
「ジャック・フロッグのソウルカードか……要らないなあ」
鈍そうな目をしてこちらを見ているジャック・フロッグの絵を眺めて、ため息をついてしまう。
サレンダー状態になったソウルがどんな形でカード化されるかは、はっきりいって運次◆第だ。
アンジェラのようなソウルカードになるのか、〈雷火〉のような呪文カードになるのか、それとも〈カエルのヌルヌル油〉や〈回復薬〉といったアイテムカードになるのか。
魔術大学の研究者たちの中にはその確率や過程をいろいろと調査している検証班もいるようだが、今のところ目ぼしい結果は得られていないらしい。タワーに挑むウィザードのあいだの噂ではソウルに与えるダメージを調整するとか、カード化する前におまじないを唱えるとか、戦わずともコミュニケーションによってソウルからの好感度を上げれば味方になってくれるとか、様々な話が飛び交っているようだが……。
「どれも噂の域は出ないしね。結局のところは目当てのカードを引くまで試行回数を上げていくしかないんだけれど……」
引いてしまったカスカードを放り投げたくなる衝動をぐっとこらえる。
目当てのカードが欲しいのならばそれが出るまでひたすら戦闘とカード化を繰り返していくしかない。それはわかっている。だが、ブランクカードにかかる費用だってタダではないのだ。
たとえば、今ギルバートが引いた〈ヌメドールのジャック・フロッグ〉だが、こいつをカードショップで売ったところでその値打ちは二束三文にしかならない。そのため、新たなブランクカードを買うための資金には到底足りない。
無駄にブランクカードを使ってしまったことで、今のギルバートは赤字状態だった。
「〈カエルのヌルヌル油〉が引ければ高く売れたんだけどな……」
〈カエルのヌルヌル油〉はいろんなことに使えて便利だということで、女性ウィザードのあいだで大人気のアイテムカードだ。特に、バーンズの店に持っていけば三十路の未婚女が高く買い取ってくれると、ハンターたちのあいだでは評判になっている。
あれが引ければ〈打ち消し〉を買う資金になったのになあ、とギルバートが肩を落としていると、アンジェラが頭を撫でてくれた。
「よしよし、気にしない気にしない。わたくし、いいカードが出るまでマスターのためにいっぱい頑張りますわ♡ ねっ? ですから次のソウルを探しましょう?」
「アンジェラ……」
よしがんばろう、と思ったギルバートなのだった。




