第2話:幼き日の目覚め
柔らかな朝日が産室の窓を淡く染める頃、レオンはまだ語る言葉も覚束ないまま、小さな瞳をゆっくりと開いた。
頬を伝う母の温かな手の感触は、昨夜の混乱と覚醒の余韻を優しく包み込み、赤ん坊にとってはそれが全ての世界の始まりであった。
「……んむぅ」
――何かを訴えようとするけれど、声はまだ届かない。
レオンの意識には前世の配達員だった日の記憶がぼんやりと滲み、洗い流されたばかりの水滴のように揺れている。
だが、その揺らぎの中に、確かな想い――慣れ親しんだ通り道、仲間との会話、温かいコーヒーの香り――がほんの一瞬だけ映り込むのだった。
──誰かが、僕を待っている。
目に映るのは、母セリアの優しい瞳。そして自分より少し年上に見える少女、ミレイナの顔。
彼女は心配そうに小さな額に手をかざし、微笑みを浮かべた。
「おはよう、レオン。よく眠れた?」
ミレイナの声には、まだ届けられぬ言葉への慈しみがいっぱいに詰まっている。
彼女は小さな枕元に腰掛け、自分の膝を上手に調整して、赤ん坊がより安定するようにそっと抱き上げた。
その瞬間、レオンの内奥で何かが跳ねた。
前世の記憶のひとかけらが、まるで鍵穴に吸い込まれるようにすっ、と収まる。
それは「安心」という名の感覚で、胸の奥から体中にじわりと広がった。
「……うぅん」
かすかな唸り声を上げたレオンを見て、ミレイナは優しく頷いた。
その声色に安心したのか、周囲を取り巻いていた魔導クリスタルの光が一瞬だけ穏やかに揺れる。
──ここが、僕の居場所だ。
内なる声がそう告げたとき、産室の扉が軽くノックされ、瞳に見慣れぬ顔が映り込む。
王立騎士団の若き剣士が報告を携えて現れた。
「母君、申し訳ありません。王都より、追加の護衛が到着しました」
小柄な少女に抱かれている赤ん坊に対し、剣士は深い礼をしてから室内を見渡す。
母セリアとミレイナは安心させるように微笑み返し、レオンはその両者の視線を浴びながら、自分でもよくわからない温かな誇りを胸に刻んだ。
やがて、母の頬が紅潮しながらも厳かな声で語りかける。
「レオン、これからは様々な試練が待っているでしょう。だけど、君はどんな困難でも乗り越えるはずよ」
言葉はまだ直接には届かないが、その熱意と愛情は赤ん坊の心に深く刻まれる。
そして、レオンは指先ひとつで母とミレイナ、剣士の胸元に軽く触れた。
──僕は、ここで生きていく。
前世の配達員として培った執念と、一途に人を想う心が、混じり合いながら新たな生命の内側で静かに燃え上がっていた。
小さな胸から聞こえてくる鼓動は、これから始まる長い旅路への約束――まだ言葉にならない未来の誓いを秘めていた。