第1話:新生の哭き声
夜の帳が王都セレシアを深く包み込む中、城門の外れに佇む白亜の塔――「魂封印の塔」最上層の産室に、静謐ともいえる空気が漂っていた。
石造りの壁には至る所に刻まれた魔導陣が灯を落とし、床に埋め込まれた巨大クリスタルが淡い青緑色の輝きを放っている。
この塔は、長い時をかけて異世界からの転生者を迎え入れる“聖域”とされ、その存在と技術は王都の賢者会にも秘匿されてきた。
――その夜、その聖域で一人の新生児が生を受ける。
助産師フィオラの手が産声を探るように動き、女魔導師セリア――この魂封印の儀式を執り行うことを運命づけられた母親の胸元に、小さな命が呼びかけるような声を響かせた。
「――ああっ!」
あまりにも鋭い新生児の哭き声は、まるで百万の獣が咆哮するかのように産室を震わせた。魔導灯の炎が一瞬強くゆらぎ、壁に刻まれた刻印がほとばしるように光彩を放つ。
「この――生命の奔流は、一体…!」
フィオラが息を呑む。一方、隣に控える七歳の魔導師見習いミレイナは、母セリアから預かった幼きレオン・アルベルトを見つめながら、額に手を当てて魔力の波動を探知していた。
――通常の新生児の十倍、否、それ以上の魔力量。
ミレイナの心臓は高鳴り――だが、まだ言葉を紡ぐには幼い。彼女はただ、その異様なエネルギーに胸を押さえられるような思いを抱いた。
産声を受け止めるかのように、セリアは深い呼吸を一度だけ繰り返し、震える唇でわが子に名を呼んだ。
「レオン…アルベルト。あなたは、私の――」
声は途切れた。名を告げ終える前に、クリスタルの灯が一瞬白く閃き、部屋中を真珠色の残光が包む。
――これこそが、“封印の解放”の兆候。
伝承によれば、生まれ落ちた転生者の魂が封印を破る瞬間、塔のクリスタルは覚醒の光を放つという。
フィオラとミレイナは無言のまま身を引き、重厚な鎧に身を包んだ王都近衛騎士団員カイル・ローデルが静かに入室してきた。
「母上殿、そしてミレイナ嬢――報告を受け、急ぎ駆けつけました」
その声は厳粛だが、どこか安堵の色を含んでいた。騎士団は転生儀式の安全を確保し、適性検査を監督する役割を担っている。
カイルはレオンを抱くセリアの前に跪き、深く一礼した。
「王都よりの指令により、この子の適性検査を速やかに行う必要があります。――しかし一時の静養を優先し、儀式までは安静を保たれるよう推奨いたします」
彼の言葉に、セリアは小さく頷いた。母として、そして女魔導師として、この異例の存在を慈しむように赤ん坊を抱き締める。
レオンの瞳が淡く光る。前世の記憶――四十歳の配達員として過ごした日々の淡い残像が意識の底に揺れ、極上のコーヒーの香りや、夜の街角で交わした笑顔がほんの一瞬だけ蘇った。
しかし、彼にはまだそれを言葉で伝える術も、自我として受け止めるだけの成熟もない。ただ、胸の奥底に芽吹く「届ける」という本能だけが確かに存在していた。
――僕は、誰かのもとへ――
レオンの指先が、母の首元に下がる「魂封印のペンダント」にそっと触れる。その瞬間、ペンダントが温かく脈打ち、封印の模様が微かに浮き上がった。内なる力と外界の魔力が調和し、赤ん坊の身体が一層安定を取り戻す。
産室の静寂の中、ただ一つ、レオンの規則正しい呼吸だけが柔らかなリズムを刻んでいた。
――これが、“異界転生学園最強譚”の夜明けの鐘。
セリアは胸元でレオンを抱きしめながら、未来へ向けた決意を胸に刻む。
「あなたはただの赤ん坊じゃない。運命を背負いし者よ――」
その声は静かだが、生まれ落ちたばかりの命を揺るがすほどの深い確信に満ちていた。
やがて静かな廊下から、学園関係者のざわめきが聞こえてくる。
適性検査の準備が進む中で、レオンの新たな人生がゆっくりと幕を切って落とす。
母の腕の中で安らぎを覚えながらも、魂の奥底では既に“覚醒”の兆しが確かな輝きを帯びて――。
――いま、始まる。