第2話 地球から300億光年離れた惑星に飛ばされたわけだが
半身を起こすと見渡す限りの草、草、草。膝上の高さの藁色の草が一面に広がっている。ところどころに緑の潅木とバオバブのような大きな木。写真でしか見たことないサバンナの風景。だが違和感がある。例えば遠くの方で縦縞の鹿が群れて草を食んでいる。シマウマじゃなくシマシカがだ。立ち上がって周囲を見渡すと、剣や盾やらが草の中に埋もれて落ちている。
腹があまり減ってない。ということはそれほど遠い場所ではないはずだが。
「ここは・・・どこだ?」
『ここは地球から300億光年離れたとある惑星です』
頭の中に声が直接ひびく。声がするほうを見ると、そこには等身大の美少女メイドが立っていた。あれ?スマホから飛び出して実体化しやがった。それに300億光年?
「状況の変化についていけないんだが・・・まさか『異世界転移しました!剣を装備して街を探してください!』とは言わないだろうな?」
『クスッ、この惑星に人はいません』
少し安堵する。異世界転移された挙句にここで一生実験生活です、なんて言われた日には絶望するしかない。俺には高校生の妹がいるのだ。
「一つ一つ確認したい。質問いいか?」
『その前に私を名付けてください。もう赤の他人ではないのですから』
「そっちの宇宙ではなんと言う名前なんだ?」
『私たちは5次元時空に住んでるんですよ?4次元時空の音声や地球の文字で表現できるわけないでしょう』
「じゃあ、スマ子だ」
『どういう意味ですか?』
「スマホの中にいた女の子だからスマ子」
『なんて安直な!ていうかかわいくないし!他のにしてください!』
「かわいいとかかわいくないとかそんな感性は地球人と同じなのか?」
『地球人の言葉、文化をしっかり調べました。日本語のかわいいという概念は完璧に理解してます。あ、そうそう日本のマンガ・アニメ・ラノベは面白いですね。本能的な面白さと知的な面白さをバランスよく取っています。ただし最近チート物がはやってるのはいただけません。そんなに簡単に強くなれるわけないのに』
「お前の名前の話だ。じゃあ一字変えて澄子はどうだ?水や空気が透明な様を表す名だ」
『澄子ですか、うん、いいんじゃないかな。まあ実体がこの宇宙にはないわけですし、そういう意味では透明な存在なのかもしれません。うん、では今から私は澄子と名乗ります』
「で質問だ。俺にはお前・・・澄子が実体化してるように見えるのだが?」
『あなたの頭の中にある装置を埋め込みました。その装置は通信、計算、記憶、時計などの機能があります』
「通信、計算、記憶、時計・・・スマホが頭の中にって感じか・・・・って勝手に俺の頭をいじるなよ!」
『ここには電源がありません。スマホだとバッテリー切れで二日で使えなくなります。そうすると私たちはあなたと会話できない上に諸々のサポートもできません。ならば頭の中に通信装置を入れてしまえってことになったわけです』
「それで脳の調子が狂っておかしくなったらどうするんだ?」
『そんなへまはしません。それに便利ですよ。あなたはいつでも私たちと会話できます。目覚まし時計にもなるし、1億桁の掛け算も暗算でできます。感謝してほしいくらいです!』
「!?」
『私の姿はその脳内装置から脳の視覚野に直接投影してます。実体が無いので私に触ることはできません。Hなことをしようとしても無駄です!』
「しねーよ!澄子がメイド服を着てるのはなぜだ?」
『あなたが私に好意をもってもらって話を聞いてもらうための演出です。あなたは自覚がないようですがコスプレ好きなようですから』
「いつのまにそんなことまで調べたんだ」
なんというあざとい演出だ。一目見たときからかわいい、かわいいと思ったはずだ。澄子は最初から俺の理想とする顔・スタイル・服・声の完璧な容姿で現れたのだ。彼女いない歴=年齢の俺の純心をもてあそびやがって!
「次の質問だ。ここはどこだ?」
『だーかーらー地球から300億光年・・・』
「それはさっき聞いた。問題はどうやってだ。物質は光速を超えられないはずだ」
『その通りです。あなたをいったん情報化して5次元時空に取り込み、ここに再構築しました。これであなたは宇宙をまたにかけて活躍できます。かっこいいー!』
「ちゃかすな!情報化とはどういうことだ?」
『原子レベルで一度分解して、その構成情報を5次元時空に取り込みました』
「原子レベルで一度分解?・・・俺の体を原子レベルで一度・・・分解・・・ってそれ一度俺死んでるじゃねーか!」
気を失う直前の全身の痛みは原子レベルで分解されたからだろう。究極のバラバラ殺人だ。
『うん。そして復活の呪文で生き返ったわけです』
「澄子の冗談は笑えねーんだよ!」
つまり地球にいた俺の肉体を分解して原子構成情報を5次元時空に送信記録し、300億光年かなたのこの惑星でその構成情報に基づいて再構築したということらしい。言ってることはわかるが本当かよ?
「ちょっと待て。いくら5次元時空でも4次元時空の300億光年と同じ距離を移動しなければならないはずだ」
『いえ、4次元時空は実は折り畳まれてます。なのであなたにとって300億光年の距離があっても私たちからするとほんの少しの距離しかありません』
「空間が折り畳まれている・・・ワープ航法・・・」
ワープ航法はかつて様々なSFで説明された、宇宙空間を折り畳んで何光年も離れた遠距離を一瞬で移動する仮想技術のことだ。最近では当たり前すぎて説明を省略されることが多い。
『そう、考え方はそれと同じです。でも4次元時空の住人が4次元時空を折り畳むのはそもそも無理があるんですけどね』
たまに澄子のバカにしたような言動が癇に障る。
「魂とか関係ないのか?」
『おや?おやおやおや?将来のノーベル物理学賞受賞者がそんなこと言っていいんですか?生命は物質のみから構成されてますよ』
「頭じゃわかっているさ。わかっているが、俺は本当に俺なのか?」
『原子構成はまったくそのままです。記憶もそのまま。だからあなたはあなたです。違いは頭の中に装置を埋め込まれたくらいですよ』
「勝手にいじりやがって」
『超便利になったはずなんですけどね』
「元の俺の体はどうなった?いくら原子レベルで分解したとしても質量保存の法則があるはずだ」
『うん、水にしました』
「水?」
『そう。水素と重水素と酸素に再合成してゆっくり反応させて水にしました』
「俺の部屋は水浸しってことか?」
『いえいえ。お風呂場から排水しておきました』
「俺の元肉体が水になって今下水管を流れているのか・・・」
俺は両膝と両手をついて落胆した。死者に対する冒涜だ、と澄子を非難しても、今までの会話でわかるとおりこいつには地球人の常識が通用しない。それに俺は生きている。的外れな非難だと言われかねない。
「俺は地球に戻れるのか?」
『実験に成功したら戻しますよ』
「クソ!そうやって強制的に実験をやらせようって魂胆なんだな!」
『フフン、まあそういうことです』
「そもそも実験テーマは何なんだ?」
『4次元時空知性体がピンチになったときどのように反応するかを観察することです』
「はぁーーー!?そ、それが実験テーマだと!」
『そう』
「その実験体が俺だと?」
『そう!』
「その実験がいつまで続んだ?」
『私たちが満足するまでです。実験データはたくさんあればあるほど良いですからね』
「はぁーーー!?聞いてねーし」
『だって聞かなかったし。こういうのを報酬で目がくらんだ、と表現するんですよね?日本語で』
「・・・」
俺の呼吸が荒くなったのがわかった。
「ピンチってどんなのを想定しているんだ?」
『そりゃ命に関わるような絶体絶命のピンチに決まってます』
「つまりこれから俺は命の危険に晒されるような絶体絶命のピンチの連続ということなのか?」
『その通りです。よかったですねー、退屈な人生でなくって』
「よかねーよ!」
オレの呼吸は荒くなったままだ。やばい、吐き気を催してきた。
「なぜそんな実験テーマなんだ?」
俺はなおも食い下がった。
『4次元時空の物理現象はもう理解してしまったので興味がありません。ほとんど予想通りでした。しかし複雑にシステム化された知的生命が刺激にどんな反応するのかは実験してみないとわかりません。確率的なふるまいをするなら実験データをたくさんとってその確率分布を調べないと真実にたどりつけない』
「そのためには地球人の体や脳の構造も調べないといけないはずだ」
『予備調査はやってます。いずれ詳細な調査をする予定です』
「俺を解剖するってことか?」
『ちゃんと元に戻すから心配御無用!』
「・・・」
吐き気だけでなく、今度は頭が痛くなってきた。
『実験を続けながら、あなたには高次元宇宙の観測手法を基礎からみっちり教えてあげるというのです。何も損はないでしょ』
「その報酬の件だがやっぱり断わる」
『え?なぜ?』
「おれ自身が上げた成果じゃない」
『そりゃそうでしょ。金も女も名誉も捨てることになりますよ』
「いいさ、そもそも分不相応だ」
『その思考は理解できませんね。ひょっとしてあれですか?地球人の歴史を書き換える立場に怖気づきましたか?』
「そうじゃない。ただ単に俺が研究してあげた成果じゃない、と言っている。それではアンフェアだ」
『アンフェアねぇ。人類はみな平等ですか?そんなことはないでしょう。日本人に生まれてラッキーだったことはたくさんあるはずです。あなたは気づいてないようですけど。一方で西アジアの内戦地域に生まれ、わずか二歳で戦闘に巻き込まれて死んだ人生もあります。そんな現実にフェアを求めてどうします?』
「極論だ」
『事実として根拠がある極論です。無視できないはずです』
「澄子だって最近のマンガアニメはチート物がはやってつまらないって言ってただろ」
『たしかに』
「俺が高次元知性体に新理論を教わったらそれこそチートだ。つまらない人生になってしまう」
『そうですか。そうきましたか。言ってることは理解できますが、その反応は想定外です。地球人というのはもっと利己的かと思ってましたが。これもデータとして考察の対象になりますね』
「だから実験体を他にヤツにするってのはどうだ?」
これが俺が本当に言いたいことだった。しかしあっさり却下された。
『それはダメですね。もう特異点をあなたの脳に固定してしまいました。これを動かすのは時間的ロスが発生します』
「おい」
『はい?』
「特異点を・・・何だって?」
言葉ははっきり聞こえた。なぜか澄子の声は明確に意識に刻まれる。これは記憶の機能がある脳内装置のせいかもしれない。澄子の言葉ははっきり覚えているが俺はどうしても受け入れたくなかった。
『あなたの頭の中の脳内装置のさらにその中に特異点を固定してます。その特異点は5次元時空とつながっており、そこを経由して私たちとあなたは通信してます。あなたの記憶はリアルタイムに5次元時空のストレージに退避してます。あなたが見たもの聴いたもの考えたこと触った感触まですべてデータとして保存してます』
特異点とはある物理量が無限大になる空間領域のことで、例えばブラックホールの中心では相対性理論上の曲率が無限大になる。澄子の言葉をどうしても受け入れたくないのは、通常そのような場所で人間は生きることができないからだ。なぜならば超強力な重力でペチャンコになる。
「なぜ俺は生きている?」
『さぁ?』