杏の推測、憶測、当てずっぽう
「日下部穂佳さんのことを教えてください」
これだけは知っておきたいと、オレは第二の質問をぶつける。
「いつからこちらに戻っていたんですか?」
「アンタらが来るちょうど一年前の夏に、家族で戻ってきた。お婆ちゃんが亡くなって家を更地にして、もうこっちとの縁は切ろうと日下部さん、穂佳さんのお父さんは考えていたのに、1年足らずでね。娘が大学生活に精神的に参ってしまったと言っていた。穂佳さんがおじいちゃんに会わせてと口走るようになって、この土地で療養させたいって」
聞いている杏は口を手で押さえて驚きの表情。
「日下部家はうちと同じ、元々は氏子の中心的立場で知らん仲じゃなし、引っ越し先探しなんかも手伝わせてもらったんだが」
「穂佳さんは禁足地で自殺未遂、ですか?」
あの時警官が口走り、末永さんが口止めしたこと、それはきっと、穂佳さんのこと。
「ああ、こっちも気をつけていたんだが、もう少し発見が早ければ……」
穂佳さんを想って黙祷しているような沈黙の後で、杏がためらいがちに尋ねた。
「こちら、風葬の習慣がありませんでしたか?」
末永さんは如実に狼狽えた。
「ありましたよ。昔はね。富之池の窟屋の近くで、縊死を形どって……」
「桃香が吊るされたように、まるでてるてる坊主のように」
杏はほんの少し言葉に棘を含ませた。
「そうですね。だから禁足地というわけで」
末永さんはその棘を飲みこんだようだ。
「死んでからでも、日ノ御子や先祖の想いに添おうとして、ぶら下ったんでしょうね……」
「まあ、死んだらぶら下げてくれという遺言の場合もあり、遺族のほうが日ノ御子のお供をしてほしいと思う場合もあったでしょう。現在の法律では許されませんがね」
末永さんのこの言葉を聞いて杏は、言いにくいことを教えてくださってありがとうございましたと頭を下げた。
それは、この面談の終了をも意味していた。
オレは暇を告げた後でふいに思いつき、
「今、碑文を知っている人は何人いますか?」と訊いてしまった。
「3人でしょう。ここにいる私たち3名」
末永さんはそう言って、目の笑わない笑顔を寄越した。
近鉄線最寄り駅まで徒歩で戻って杏をカフェに引っ張り込んだ。
「風葬って、突然、どういう思い付き?」
この質問を浴びせるために。
杏が自分よりわかっていることに嫉妬するわけじゃないが、恋人となった今では情報は共有したい。
「穂佳さんは自殺したいと思った。精神的に追い込まれていた。お祖父ちゃんに会いたかった。禁足地に行って首を吊った。たくさんある自殺の方法の中でなぜそうしたのかなって」
「あ、そうか、どこかで聞いてたのか、昔は死んだら富之池のあの松の枝にぶら下げてた、なら、死ぬなら首吊り、場所はあそこが一番だって」
杏は自分の考えを払拭したいように顔をしかめて小刻みに首を横に震わせてから弱々しく答えた。
「もしかしたら、お祖父さまが亡くなられた時、見てしまってた」
「見て? 風葬を? そりゃ無理だろ、末永さんも言ってた、違法だ」
「火葬する前に一晩とか。お通夜のお棺が空っぽだったとして誰か咎め立てする?」
「ご近所あげてそういう土地柄だとしたら、あり得るか。そう考えたほうが、お祖母さんの『てるてるさんの無念に添うことができた』って発言に似合う気もするな」
「樹は超常現象が嫌いでしょ? どうやって桃香があの短時間にてるてる坊主にされたか考えてみてよ」
「白い布も縄もその場にあったってことか?」
「祠か裏の窟屋に保管してあるんでしょう。風葬の真似事はもしかしたら今も行われているし、首吊りによる自殺者も、他の地域より多くなってるんじゃないかしら」
「そういえば、警察官が自殺をよくあることだなんて言ってたな」
「桃香は、そんな自殺者と間違われたんじゃないかな? 神社にお参りして富之池で白装束を羽織って実行するのが神様の元に行くお作法だとされてたとして、桃香はあのてるてる坊主の道で、また貧血を起こして倒れてしまった。誰かが見つけて、近道を使って祠の前まで運んだ」
「バカげてる、倒れた人を見つけたら救急が先だろ、死ぬ手伝いしてどうする?」
「白帝山に入るのもあの道を歩くのも、自殺者しかいないと思い込んでいたら? 古代のご先祖さまたちのように、死ぬほうが楽だと考えていたら? 祠の前で死なないと日ノ御子のいる来世に行けないとか言われていたら?」
「……」
オレはもう言い返せなかった。
桃香は襲われた痕跡はなく、宗教儀礼のように恭しく吊るされていたのだから。
心の中には「狂信」と「共同体幻想」という言葉が浮かんできたが、そんなものに桃香が殺されたと認めるより、碑文の呪いのほうがいいとさえ思った。
杏はまた違った推論をたてる。
「それとももしかしたら、碑文を見て死ぬのは年に1人だから、日下部穂佳さんのご家族が、桃香を身代わりとして先に殺そうとしたとか」
「それこそ荒唐無稽で日下部さんに失礼だ」
これにはすぐさま反応できた。
オレは改めて自分の恋人であるはずの杏の顔を眺める。
「じゃ、人が死んでいくのは人為的なことで、碑文の呪いじゃないってことだよな? オレたちは安全だ」
「甘いわね。穂佳さんは大学で苦労してたって話は聞いてないわ。優等生だったって。あの投書も、日本語下手でも筋は通ってた。樹も理性的に書いてるって言ってたじゃない」
「ああ、文面として、それほどメンタルにきてるようじゃなかった」
「手紙と夏休みの間に何があったかよ」
「単位落としたとか?」
軽口を言ったら杏がうっすら笑ってくれた。
「樹じゃないんだから。私は、穂佳さんが碑文を解読しちゃったんだと思ってる」
「解読? オレたちに依頼しておいて?」
「自分でもトライするでしょ。それに万葉仮名はネット検索すれば一覧表くらい簡単に出てくるわ。理系の彼女が『暗号みたい』って書いてたんだから興味は惹かれてたはず」
「そうか……、やっぱり内容理解しちゃ、ダメなんだな。逃げ道なしか……」
「それで一度は書いた投書をしまっておいた。ご家族が見つけて遅れて投函した。それが一年遅れで私たちに届いた」
「わかったよ。アンズはオレより頭が切れる。霊感も強い」
「樹にしかできないこともあるわ」
「何?」
「私が自殺しようとしたら絶対止めて。SOS信号出したらどこからでも飛んできて両手で抱きしめて」
「もちろん。そんなことならお安い御用」
杏を守るためなら何でもすると、オレはこの時心に決めたんだ。