呪いは着々と
桃香のいる大病院への運転中に末永さんがオレたちに訊いたのは、「その、お参りされたお宮さんはどんな神様をお祀りしてるんですか?」ということだった。
杏が「残念ながらわからなかったんです。それで手だけ合わせて帰ってきました」と答えた。
「そうでしたか、そうでしたか」と末永さん。
「あの……」
オレは末永さんの調子に合わせてとぼけることにした。
「オレたち、来た道を戻ればよかったんですよね、大切な禁足地に入ってしまい申し訳ありません。富之池の祠の神様は畏れ多い方なんですね?」
「いやあ」
バックミラーに映る末永さんの瞳は冷たい。
「地元では弁天様だと言われとります。赤い鳥居に赤い祠ですから。嫉妬深い女神様ですわ」
井の頭公園のボートに乗るとカップルが別れるのも弁財天さまのヤキモチだとかいう都市伝説もあるが、禁足地にされたことはない。
禁足にするなら白帝山全体を入山禁止にしないとダメじゃないか。
てるてる坊主の道で神社と池を繋いでおいて、禁足地と言われても納得はできない。
だが、こんな疑問も病院について桃香の病室に入ったら吹き飛んでしまった。
桃香は脳貧血を起こした時よりも白い顔で、チューブをたくさんつけられて横たわっていた。呼吸数、血圧、脈拍の数字だけがたまに上下する。
桃香の両親には病院から連絡が行ったらしいが、杏は廊下に出て詳しいことを電話報告している。
そこへ、なぜかそれまで同室していた末永さんを、看護師が呼びに来た。
「末永さん、穂佳さんが!」
オレはハッとした。ほのか? 日下部さんか?
距離を置いて後を付け、上の階の、中から嗚咽が響く病室に辿り着いた。扉横のネームプレートは間違いなく、日下部穂佳。
どういうことだ?
あの投書が書かれたのは去年のゴールデンウィーク、今年のじゃない。
彼女はずうっとここに、入院していた?
ガラリとドアが音をたて、目を泣き腫らした母親を息子らしい人が支えながら出てきた。
「あ、オレ、白鳥樹と申します。穂佳さんとは同じ大学、同学年で……」
と言ったが、ふたりは会釈をするだけで通り過ぎた。
次に出てきた末永さんは、酷い目つきでオレを睨んでいた……。
日下部穂佳が、死んだ……。
桃香の病室に戻ると、啓斗と莉彩が合流していた。
「樹、そんなに速く歩いてたの? 桃香、やっぱりアンタたちと下山するって追いかけたのよ?」
莉彩の言葉は衝撃だった。
体調悪いのにたったひとりであの道を下ってきて、オレと杏に追いつけなくて、末永さんの手下にてるてる坊主にされた、というシナリオがオレの頭に浮かぶ。
うしのくび石碑を解読してしまった、ただそれだけのために。
杏は悲しさより悔しさに堪えるように両こぶしを握り、パイプ椅子に座って震えていた。
オレは何と声を掛けていいかもわからず、日下部穂佳がこの病院に入院していて、たった今息を引き取ったことだけ告げた。
「呪いは成就するのね……」
莉彩の呟きが、桃香の人工心肺装置の音に紛れる。
警察がオレたちを1人ずつ呼び出し、別室で事情聴取し始めた。
オレは、どこまで何を話していいのかわからない。
鳥居のところで末永さんが警官を叱り飛ばしていたように、警察も手下かもしれないじゃないか。
だが、啓斗が「日下部さんの投書は警察に渡した」と言うから、下手な隠し立てはしないほうがいいと思い、自分が体験した事実のみを話した。
4人の事情聴取が済んだのはもう深夜で、啓斗と莉彩はホテルに行ってもらった。チェックアウトと荷物回収のために。
意識のない桃香の前で、杏とオレ、またふたりきりだ。
「警察に、桃香と交際していたのかって聞かれちゃったよ」
他に何の話題も見つけられなかったオレはこんなことを口にした。
「付き合ってたらよかったのに。桃香、ベタ惚れだったのに」
え、誰が誰に、と耳を疑った。
「ニブチン過ぎる。1回生の時に啓斗と樹くんがこのサークルを作ろうとした。彼女の莉彩はすぐOKした。私はなぜか霊感があるらしいからって啓斗に誘われた。断るから一緒に付いて来てって桃香に頼んだのに、桃香は部室で会った樹くんに一目惚れ」
「それで、あんなに……」
可愛いし優しいし、こんないい子はいないと思う。でもオレの目は杏に惹き付けられてしまっていて。
「オレは……」
「言わないで。今は聞きたくない。桃香が元気になるまで」
遮られて逆に不思議に思った。オレが告って杏がいつもの調子でバッサリ、嫌いって言えば済むことだ。そう予測したから口に出しかけた。
聞きたくないのは、答えがノーではない可能性があるからじゃないか?
だが、その後はもう何の会話もできず、お互いパイプ椅子に縛り付けられたような気分でうつらうつらした。
杏は上体を桃香のベッドに預けていたから、少しは眠れたのだと思う。
翌朝、桃香のご両親が到着して、東京への転院手続きなどを進めた。
警察の捜査は、現場に第三者の足跡も痕跡も見つけられず、かといってオレたちに桃香殺害の動機もなく、杏とオレ3人の痴情のもつれだと思いたいようだったがそんな事実もないという状態で止まっていた。
最初に白帝山で会った警官が「実は自殺も迷宮入りもよくあることなんで」と呟いて、オレはまた末永さんにドヤされるだろうにと同情したが。
東京に戻り、オレたちはサークルの解散を決めて、啓斗と莉彩とは疎遠になっていった。
碑文を読んだ者と読んでない者との温度差みたいなものができてしまっていて。
杏とは、桃香の新しい病室でよく顔を合わせた。
オレは自分が桃香をこんな姿にしてしまったという自責の念から、足しげくお見舞いに通っていた。
杏は、あれやこれや話すうちにオレのことを、樹と呼び捨てにしてくれるようになった。
それでも付き合おうという言葉は決して出ない。オレも蒸し返すことはできなかった。
桃香は、意識が戻っても半身不随は残るだろうと言われていたが、結局意識を取り戻すことはなく、4回生になりたての頃に他界した。
オレは、何をどう考えていいのか何もわからなかった。
オレのせいで桃香が死んだことだけわかる。
てるてる神社に行ってから9か月、どう生活してきたのかわからない。就活も卒論もペンディング状態。
スマホに入っているハズのうしのくび石碑やてるてる神社の写真は軒並み歪んでいて、見切れていたり、赤いもやがかかっていたり、何が映っているのかわからなかった。
てるてる坊主を撮った記憶があったがデータごと消えている。
杏があの場で「磁場が狂ってる」ようなことを言っていたが、こんなこともあるのかと驚くばかりだった。
卒論の新しい題材を見つける気力もない。
このままでは卒業が1年遅れるのは必至、就職など考えられるはずもない。