てるてる坊主の下り道
「日陰で休ませてやってくれないか? オレはもう少し調べたいことがあって」
桃香を石段横の木陰に下ろして啓斗に託した。
「メンバーが体調壊してるのに、もういいだろ?」
啓斗はリーダーの責任を急に感じたのだろう、撤退気分だ。
「石碑の裏に、池に出る下り道があるんだ。オレはそこを探検したい」
「探検だと?」
啓斗が気色ばむ。
莉彩は、熱中症かしら、貧血かしらと言いながら、桃香の額に手を当てたり、濡れタオル欲しいとか聞いて、優しいお姉さんポジを発揮しながら、オレたちの諍いに割って入ってくれた。
「まあ、桃香は今すぐ下山できる状態でもなし、樹は好きにすれば? 私たち持ってきたお昼食べちゃったから、桃香も食べれるくらいに回復したらお腹に何か入れたほうがいいし、杏もお腹空いたでしょ」
そう言われて、自分は昼食のことなどすっかり忘れていたと気付いた。
「あっちの道はかなり細い下り坂で、オレはそのまま下山したいと思う。宿集合にしてもらえるか? 違う登山口に出るんだろうが、タクシー使ってでもホテルまでたどり着くから。富之池っていうそうなんだが、どれだけ下るかわからんし、そこからまたこの神社まで登ってきたくはない」
「なあんか、わがままだなあ」
啓斗がぼやいた。
「うら若き女性3人のナイトを俺1人に押し付けるってわけか」
嫌味ではあるが、啓斗の機嫌は通常運転に戻っていた。
まあ、一回生から意気投合して2人でこのサークルを立ち上げたんだから、気心は知れているわけだ。
オレはさっきの啓斗たちのラブシーンにあてられたのか、少しでいいから杏と2人きりになってみたいという願望から、こんな発言をしてしまっていた。
「アンズは桃香が心配か? もしできたら、一緒に来てくれると助かる。知らない山で単独行動はちょっとね」
「わがままだよね」
杏はいつも通り冷たい。
「樹くんもここでお昼を食べて、その間に桃香が元気を取り戻して莉彩たちと下山するって言ってくれたら、そっちに行ってもいい」
ーーーーー
午後2時過ぎ、杏とオレは富之池に向かった。
下りの山道には点々と、てるてる坊主が吊るしてあり、道案内をしてくれているかのようだ。
だんだん道幅が広がり2人並んで歩けるようになる。
傾斜がなだらかになったところで黙りこくっていた杏に話しかけてみることにした。
「なあ、アイツらとの別れ際に桃香はなんで、オレを守って、だなんて言ったんだ? 守られるべきは桃香のほうだろ?」
表情は冴えなかったがおにぎり1つ何とか食べ終えていた桃香を思い浮かべて杏に尋ねた。
「あの子が倒れたのなんでだと思う?」
杏は質問で返してきた。
「貧血だと思ったが?」
「ショック性の脳貧血。あの子、碑文の内容、もう9割がた理解してるから」
「そうなのか!? すごいな」
「知らないほうがよかったでしょうけど」
「恐いの苦手なのに、どうしてあんなに協力してくれるんだ?」
「そこからわかってないの?」
杏は呆れたようだが、説明したくはないと歩を進めた。
「感謝はしてる」
そこで会話が途切れる。
杏に対して、実は好きなんだ付き合ってくれ、なんて言える雰囲気じゃないよなとオレは肩を竦めた。
碑文を読んでしまったから、もしかしたら年内に死ぬかもしれない。
いや、誰だって今日明日に死ぬことだってある。
オレは自分の気持ちを隣の女に伝えたいのかどうなのか、言わないまま死んでも構わないのか思い巡らして、ま、いいかと思った。
今はただこの、ふたりでいられる時間を楽しもうと。
無難な話題に戻してみた。
「ちょっと離れてるけど、神社に池があるのはあるあるだよな?」
「ええ、昔は禊をしたりご神水取ったりしたから」
「なんでそんなに詳しいんだ?」
「親戚がお宮さんなだけ。自分に霊感があるとは思ってないし、何となく嫌な雰囲気の場所とか空気が清浄なところ、とかがわかる程度」
「ここはたくさん血を吸ってる山だって言ったよな?」
「うん、たくさん人が死んでる」
「さっき、てるてる神社の南西方向に武尊峰っていうのが見えて、古代の古戦場があるって出てきたんだけど、関係ある?」
「あると思う。きっと、あの石碑も関係ある。不意に矢を受けて無念だって死んだ神様のお墓」
「そんなこと書いてあったか?」
「あった。不意の弓受けたればって」
「アンズもほとんどわかってるんじゃないか」
杏はそれには答えず、「樹くんの名前って、高木神さまと何か関係ある?」と聞いてくる。
「いや、ないはず、流行ってるからつけたとか言ってたし。何の質問?」
「高木神が天から落とした矢に当たって死んだ神様もいたからちょっと気になっただけ」
「日本神話で言えば、名字の白鳥のほうがちょっとヤマトタケルに近いよ。祖先がタケルの古墳の近くに住んでたらしい」
「そうなんだ……」
杏の表情を読むのに忙しく、視界の上の端にチラチラするものがあると認識するのが遅れた。
布のようなものがファサリと額を撫でる。
「うわっ」
手で払いのけながら見上げると、何のことはない、てるてる坊主だった。
杏は、目を丸くしててるてる坊主に見入っている。
「大きいね。20センチくらい? だんだん大きくなってる気がする」
「あ、そうかもな。石碑の後ろのなんて、手のひらにのるくらいだった」
「次のはもっと大きい、とか?」
杏の声は期待しているのではなくためらいがちだ。
オレは自分の気分を変えるためにも、「池に近づいてる印なんじゃないのか?」と努めて明るく答えた。
十数歩離れているだけの次のてるてる坊主は同じ大きさにしか見えない。だが5個前の坊主と5個先を比較したら、サイズ差はかなりのものだろう。
どれも顔はなくのっぺらぼう。
頭の中になぜか、姉の赤ん坊、姪が生まれた途端に布に包まっていた姿が浮かんだ。
山を下りるにつれて、てるてる坊主はだんだん、姪がはいはいを始めた頃の大きさ、つかまり立ちの頃、初めて歩いた頃のサイズになっていく。
大きなてるてる坊主は気味が悪い。
夏だというのに、汗が冷えたのか、背筋がうすら寒く感じる。