チェックメイトと死からの帰り道
翌年杏は、京都の親戚の神社で働き始め、オレは留年し心理学部の4回生を再度履修した。
今度は就活も卒論も順調だ。
近しい人の死・喪失が精神に与える影響を自分になぞらえた記録と、自分が近々死ぬであろうという思いを心理学的に分析したものから、卒論は簡単にできあがり、カウンセリング方面の資格を取った。
就職先も、カウンセリング関係で、既にインターンとして経験を積ませてもらっている。
9月、京都に杏に会いに行ったら、末永さんが亡くなったと知らされた。享年52歳だそうだ。
来た、チェックメイトだ。
もしかしたら訃報を聞かずに年を越せるかも、なんて甘い夢を見ていた。
次は、オレたちの、番。
杏はちょっぴりおどけて、「うちの神社でお祓いしてく?」と訊いたが、オレは笑って遠慮した。
「せめてアンズと結婚して子作りしてから死にたいな」
とぼやくと頭をはたかれた。
東京に戻り、ひとり、下宿でパソコンに向かっている。
日下部穂佳さんの投書を読んでからこっち、ずうっと考えてきたことを実行に移そう。
次のページを開いた人には怨まれるだろうと思う。
だが同時に、これ以外に方法はないと同意してくださる方もあるのではないかと願っている。
人はどうせ死ぬのだ。
それが少し早いか遅いかだけ。
碑文を見た者がたった2人なら、2年以内に2人とも死ぬのだろう。
では、碑文をここに、公表してしまったらどうだ?
万葉仮名の原文と読み下し文をここに掲載すればいい。
2百47万人の登録ユーザーを誇るこのWeb小説サイトに。
てるてる神社の写真や、石碑の写真がきちんと撮れていたら、論文を書いたり、学術的なサイトにアップすることもできるだろう。
だがそれは、国文学科で、古事記・日本書紀を専門にしていた杏でさえ、無理だと判断したことだ。
考古学的に、石碑の年代測定くらいしてもらえればまだいいが、たわごとだと一蹴されるのが目に見えている。
2百47万人のユーザーのうち、何人が次のページを見てくれるだろうか?
見たら自分が年内に死ぬかもしれないと理解したうえで。
その数によって、オレと杏の寿命は延びる、かもしれない。
もし1万人の人々が見てくれたら、そのうちの誰か1人が死んでも、死因はこの碑文だとは言えまい。
10万人の人々が碑文を読めば、もうそれは、日常生活の中に埋没するに違いない。
死も、死に対する恐怖も、愛する人と共にいたいと願う気持ちも。
オレの話をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。しかし、あなたに残された手立てはただ一つしかありません。
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