快適な暮らしに熱々のココア(三十と一夜の短篇第83回)
僕らは神さまを飼っている。
生まれた時、ひとりにひとつ。球体型AI端末(globe AI device)、通称「神さま」が配られるんだ。
本当は神さまを意味する言葉はGODだけど、そこは開発者のジョークだとかなんだとか。そのあたりの機微は難しくって、何でも知ってる神さまにもわからないみたい。
だけどさ。
「神さま、今日はなにをしたらいいかな?」
『運動時間確保のため、ウォーキングを推奨します』
神さまはなんだって答えてくれる。
だけどいつだって推奨で、つまりおすすめしかしないってこと。だからこのごろ、僕は僕のやりたいようにする。
「うん、わかった。お散歩ね」
昨日、神さまがおすすめしてくれた本に出てきた単語で返してみれば、神さまはピピッと電子音を鳴らす。
『ウォーキング、あらためお散歩。登録しました』
神さまは僕の言動を学びながら、僕といっしょに成長していく。だって僕の神さまだから。
「服装はどうしようか。傘は必要かな?」
『ただいまの気温、二十二度。降水確率七十パーセント。防水性の高い『日常服』での外出を推奨します』
神さまが発した音声は聞こえていたけど、僕が手に取ったのは防水じゃない布。
支給された『日常服』はもちろんあるけど、このあいだ神さまのおすすめ以外に読んだ古書『ファッション雑誌』から選んで取り寄せた服を着てみる。
「これがジーパン。なんだかごわごわしてる」
『ジーパンに防水性はありません』
注意を聞かない僕に神さまが言うけど、僕は気にしない。
「上は長袖のティーシャツ。昔は服の種類をアルファベットで分けてたのかな。ねえ神さま。AシャツとかZズボンもあるの?」
『ティーシャツに防水性はありません。ジーパンのジーはアルファベットのジーではなく、ジーンズパンツの略称です。ジーンズとはかつて人類が居住地ごとに国家を築き、個々の文化を発展させていた時代に』
長々と話し出した神さまを置いて、僕は部屋の扉をあけた。
割り振られた部屋を出ると、すこしひんやりとした空気が肌をなでる。
快適な温度と湿度に整えられた自分の室内で一生を過ごす人は少なくないと、神さまが『一般教養』として教えてくれたけど。
僕は断然、部屋の外が好きだ。
体温と同じじゃない大気は僕がここにいる、って教えてくれてるみたいだし、強すぎたり弱すぎたり、日によって時間によって変わる光も色もふしぎで面白い。
歩いてるうちにひんやりした大気が心地よく感じられて、部屋の中でウォーキングマシンに乗るよりよっぽど楽しい。
『本日の必要運動量の半分を超えました。経路を自室へと変えることを提案します』
「もうちょっと歩くよ。気分が良いんだ」
帰るよう促す神さまに伝えて歩いていると。
「神さま、神さま、教えてよ! 私はなにをするために生まれたの? どうしたら幸せになれる? 私ってなんなの、教えてよお!」
大きな声。
それもすごく感情的な。
神さまの見せてくれた『映画』のなかでしか聞いたことがないようなやつ。
『高音の騒音を検知。不穏分子です。ただちに距離をとってください』
僕の神さまがビイビイ警告音を鳴らすけど、僕は立ったまま声のするほうを眺めてた。
「大丈夫だよ」
『断定に至る要素が不足しています。ただちに距離をとってください』
「大丈夫。あのひとは僕を傷つけないから」
見つめる先、道ばたにうずくまるひとは頭を抱えて震えてる。たぶん、僕がいることにも気づいてないんじゃないかな。
そのすぐそばには『エラー、エラー。リセットしてください』と繰り返す神さまが転がってる。
『エラーメッセージを確認。ラボへの運搬要請を』
「運搬先を変更して。僕が運ぶよ」
マニュアル通りの音声を流す僕の神さまに言えば、神さまはキュルと音声を途切れさせて言い換える。
『運搬先の変更を確認。運搬用ホバーボードの提供を要請します』
地に落ちた他人の神さまを拾い上げた。『エラーエラー。リセットしてください』と繰り返すその神さまを抱えて歩き出せば、届いたホバーボードが倒れた人を乗せて僕のあとをついてくる。
『目的地を設定してください』
「ルート案内はいらないよ。あの丘の向こうの小屋、あそこも神さまの整備工場だって。いつだったか神さま言ってたでしょ」
『専用の整備工場ではなく、「無神者」による機械類全般の修理を請け負う工房です。その工房について解説したのは本日より十三日前の午後一時十八分です。屋外での散歩を敢行中「あの建物はなに?」との質問に対しての回答として』
「走って行こう!」
長ったらしい神さまの音声を無視して走りだしたのは、どうしてかな。
神さまに聞けば答えてくれるだろうか。それとも、むずかしい機微ってやつで答えられないだろうか。
僕はどっちでもいいや、と思いながら全速力で丘を越える。
『心拍数の急激な上昇を確認。適度な運動の量を超えています。静止してください。静止してください』
ついてくる神さまの警告音声を無視して走れば、お腹の横がわが痛いし胸も苦しい。
だけどなんだか気持ちがよくて、そのまま小屋まで走っていった。
「っはあ、はあ。はあ……」
息を整える僕のそばで、神さまがぐるぐる回って僕の全身をスキャンしてる。
たぶん検査をしてるんだろうけど、結果を知らせる音声が聞こえる前に、小屋の戸が開いた。
ぬうっと現れたのは『日常服』じゃない薄汚れた服を着た人。『映画』で見た『おじさん』って呼ばれていた役者になんとなく似てる人。
ズボンに胸までの上の服がくっついて、肩から吊るす不思議な服。アルファベットのHに似てるからHズボンだろうか。
「なんだ、客か?」
おじさんは僕の後ろ、ホバーボードに横たわってぶつぶつ呻いてる人を見て眉毛と眉毛の間にしわを作る。
「うん。おじさん、修理をするひとなんでしょう?」
頷いて、抱えていた神さまを差し出した。
『エラー、エラー。リセットしてください』
誰かの神さまはまだ同じ音声を繰り返してる。
「……AI端末は専門外だが、まあいい。入れ」
くるっと背中を向けたおじさんは小屋の中へ。僕はホバーボードを引きつれてついていく。
小屋の中はすごくごちゃごちゃしていた。
僕に割り当てられた部屋と違って、小屋の中は色と物であふれてる。
生活に必要なものがどこにあるのかわからない部屋なんてはじめてで、すぐそばの棚に近寄ろうとしてたら。
「端末こっちにくれ」
「あ、はい」
おじさんに言われて僕は端末を部屋の真ん中の台に置いた。
ベッドにしては硬そうだけど、これがおじさんの好みの硬さなのかな。
そのとき、僕は気が付いた。
おじさんのそばに神さまが浮かんでない。僕の神さまは僕の頭のあたりにふわふわしてるのに。
「おじさんは神さまを持たないひとなんだね」
映画のなか以外ではじめて見た。
『AI端末は成人年齢である十五歳まで、所持が義務付けられています』
おじさんが返事をしないから、僕の神さまが代わりに答える。
おじさんは渡した神さまをぐるぐるつんつん、ぱかっと開けて何かしてる。そのせいかな、いつの間にか神さまはエラーコードを鳴らさなくなっていた。
「十五歳かあ。次の四月だね。僕は春生まれだから」
『四月一日午前五時八分に出生。現在は十四歳と十一か月です』
「神さまはいつ生まれたの?」
『無機物に出生日はありません』
「そっか。だったら僕と同じ、春生まれってことにしておこうか」
『質問の意図がわかりません。もう一度お願いします』
「質問じゃないよ、気にしないで」
『わかりました』
カチャカチャカチャ。
何かがぶつかるかすかな音を聞きながら神さまと話していると、おじさんが顔をあげた。
「……坊主は、なんでここに来た」
「神さまがここ、修理する場所だって言ってたから」
答えると、おじさんは指でこめかみをかく。あ、変な色が付いた。
「そうじゃなくて、放っておけば回収用のAIが来ただろう。そうすりゃAIは専門のラボへ、ひとのほうは収容施設に運ばれただろうに」
おじさんのなぜ、は難しい。
神さまはいつだって僕の質問にすらすら答えてくれるけど、僕は神さまにはなれないみたいだ。
「僕は神さまじゃないから、わからないよ。おじさんこそ、どうして神さまを持っていないの?」
『AI端末の所持が義務付けられているのは成人年齢の十五歳までです。それ以降の所持については努力義務となり、所有していない理由を説明する義務はありま』
神さまの音声はおじさんの手のひらで遮られて、ちいさくなった。
「別に隠すことでもない。俺にはAIの神さまは要らなかった、ってだけのことだ」
「じゃあ、この仕事も自分で選んだの?」
十五歳になれば神さまが、それぞれの適正に合わせて仕事を割り振ってくれる。けど、神さまを持たない「無神者」は何だって自分で決めるらしい。
「まあ、そうだな」
「そうなんだ! どうやって選んだの? 無神者は誰に聞いて物事を決めるの?」
機械の修理に適性がある、って自分でわかるものなんだろうか。僕も神さまに言われるまま、いろんな作業をすることがあるけど、どれに適性があるかなんてわからない。
カチャカチャ、カチャ。
動かしていた手を止めて、おじさんは布で拭った。
「俺だって神さまじゃねえから、わからねえよ。ただなんとなく、さ」
「なんとなく?」
神さまが言わない言葉。だけど不思議と耳にやさしい言葉。
「ああ、なんとなく。壊れた機械を修理してな、また動くようになるのを見るのがなんとなく、好きでな」
「ふぅん」
はっきりしてなくて、よくわからない答え。けど、僕はなんとなく悪くないように思う。
なんとなく、がおじさんの神さまみたいなものなのかな。
おじさんはきれいに元通りの球体に戻した神さまを突いて「データの復元をしてくれ。壊れたやつは復元しなくて良いから、AIの稼働に影響が出ない範囲でできる限り」と指示を出す。
ブゥン、とうなった神さまは転がったまま『優先項目、稼働。データを復元します』と復唱した。
「さて」
もうおじさんの仕事が終わっちゃった。見てたけど、よくわからなかったな。
ちょっと残念に思っていると、おじさんは壁にかけた工具のなかから片手サイズのポットを手に取った。
どぼぼ。水道の水を入れて、棚をかきわけ取り出したのは四角い何か。
ポットを上に乗せて突起をぐるっと傾けると、チチチチ、ボッ! と火が踊る。
「わあ! これ、ほんものの火? あ、あったかいね」
「おい、火傷するぞ!」
映像でしか見たことのない火が面白くて指で突こうと思ったら、おじさんが大きな声を出した。
「火傷?」
「……あー、火傷も知らないのか。まあ、AIの言うとおりに暮らしてりゃ、しないかもな、火傷」
『火傷とは、熱による皮膚や粘膜の損傷の総称です』
「ってことだ」
そう言って、おじさんは棚をあさってコップを並べ始めた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
並べたコップに茶色の粉を入れて、お湯を入れて、スプーンをさして。
「ほら、ココアだ。混ぜて飲め」
「え、僕の?」
そうだ、とも違う、とも言わずにおじさんはホバーボードのひとのところへ行ってしまう。
横になったままぶつぶつ言ってたそのひとをホバーボードに座らせて、コップを持たせる。
「まあ、ゆっくり飲めや」
それって僕に言ったのかな、それとも座ってるひとに言ったのかな。
聞く前におじさんはコップの中身を飲み始めちゃったから、僕もぐびっと飲んでみた。
「あつっ!」
熱の塊が飛び込んできて、熱いままお腹に落ちていく。
「はは! だからゆっくり飲めって言ったろ」
笑うおじさんを見つめて、僕の目はまばたきを忘れたみたい。
「すっごく熱かった。神さまがいつも出してくれるココアと違うんだね」
『ホット飲料の適温は六十度から八十度とされています。沸騰した湯はそのままでは飲用に適しません』
「火傷、する?」
僕がドキドキしながらたずねると、おじさんはくっくとのどをならす。
「混ぜて、ゆっくり飲んでみろ。あったかくて甘いから」
言われたとおりスプーンでぐるぐるかき混ぜて、そうっと飲んでみる。
「……はあ」
なんでかな、肩の力が抜けて息がもれた。
あったかさは吐いた息といっしょに出ていっちゃいそうなのに、僕のお腹はほかほかしてる。
「……はあ」
おんなじように息を吐いたのは、倒れていたあのひと。
うつむいてちびちび、コップの中身を減らす姿はさっきまでと違って、ずいぶん落ち着いているみたい。
「あったかいもん飲んで、のんびりすりゃあ、だいぶ気持ちは落ち着くってもんよ。あれこれ考えるには、まず落ち着かないとはじまらねえからなあ」
「これもおじさんの仕事なの?」
僕が聞くと、おじさんは眉毛と眉毛の間にしわを寄せた、変な顔。
もしかして質問がわからなかったときの神さまもこんな顔をしてるのかな、なんて思っちゃう。
「おじさん、機械を修理したでしょ。それから、この飲み物で僕らも修理してるのかな、って」
僕はどこも壊れてなかったけど、あのひとはさっきと違って落ち着いているみたいだもん。
そう言ったら、おじさんは「ああ」と頷いた。
「まあ、似たようなものかもしれんな。気持ちのメンテナンスだ」
「気持ちのメンテナンス?」
気持ちはメンテナンスできるものだったろうか。
不思議に思っているとおじさんは、僕の手から空になったコップをとりあげた。
「わかんなくても問題ねえさ」
「神さまに聞いてもわからないかな?」
どうだろう、と僕の神さまにたずねようとした僕の鼻をおじさんがつまむ。
「やめとけ。お前の神サマの具合が悪くなっちまう」
「そうなの?」
「たぶんな」
くしゃ、と僕の髪をなでておじさんの手が離れていく。
「ほら、もう帰れ。そろそろ午後の勉強の時間だろう」
『現在の時刻、午後二時三十分です。現在地より自室へ徒歩で移動した場合、午後の学習開始時間の三分前に帰宅が可能です』
神さまにも促されて、僕は小屋を出た。雲に覆われた空は暗くて、湿度の高い大気にぶるりと震えた。
ついてきたのはおじさんだけ。
「あのひとは?」
「もうしばらくメンテナンスが必要だろうからな。まあ、俺と午後のティータイムだな。そのころにゃ、AI端末も復旧作業が終わってるだろうし、本人が帰りたくなったら帰るだろ」
ぽつ、と落ちてきた雫のせいで僕は返事をしそこなった。
「雨か。持ってけ」
おじさんが放ってよこしたのは黒い棒。あわてて受け止めて、布が巻かれたそれをじっと見た。
ぱた、ぱら、と落ちてきた雨がぶつかっては弾けてる。
「傘だよ。開き方、わかんねえか?」
『傘。旧式の雨具です。金属の支柱に撥水性の高い布を貼った構造をしており』
神さまが解説しはじめるのを聞いて、僕は慌てて傘をペタペタ触ってみた。
さらりとした布地の一部に引っ掛かりをみつけて、引っ張った。はらりと広がった布地のなかに手を突っ込んで、金属の棒についた出っ張りを思い切って押すと。
ボン。
意外と勢いよく傘が開いて、僕の頭に影を落とす。
「開いた!」
「おお、よくわかったな」
「映画で見たことあったから」
答えながら、僕の胸はなんだかあったかくなる。肌寒いはずなのに、どうしてだろう。
「……また、来ても良い?」
気づいたらそうたずねていたのは、たぶん、胸のあたたかさのせい。
眉をあげたおじさんの顔は何を意味してるんだろう。神さまが教えてくれない表情の意味を知りたくて、でも知りたくなくて、おかしな気持ち。
「傘返しに来ないつもりか?」
そう言われて、くもり空のうす闇がパッと晴れた気がしたのは、どうしてなんだろう。
「ううん、来る! 明日の運動の時間、僕ここに来るから!」
「ああ。じゃあ、今日はもう帰れ。雨が降り出したから、冷え込むぞ」
おじさんは僕に背を向けた。
「うん! 僕、明日来るからね! きっとだよ!」
振り向かないままひらひら手を振って、おじさんは小屋に帰っていく。最後に「そうだ、その服イカしてんな」とだけ残して戸が閉まった。
胸の温かさはぐんと増して、火傷しちゃいそう。でも、嫌な熱さじゃない。
「神さま、僕らも帰ろう」
『現在の時刻、午後二時三十四分です。現在地より自室へ徒歩で移動した場合、午後の学習開始時間の変更、あるいは移動用ホバーボードの手配を提案します』
「じゃあ、走ろうか!」
神さまの提案をどちらも蹴って、僕は傘を持ったまま丘を駆け降りる。
風が傘を押し上げてすごく走りにくいし、はじめて持つ傘は雨をまったく防げていない。
だけど、どうしてかな。
僕は笑ってた。
「メンテナンス、僕もされてたみたいだ」
重いなんて思ってなかった胸がとても軽くて、僕は速度をあげる。
置いていかれた神さまが後ろで何か言っているけど、雨の粒にぶつかりながら、かまわず駆けた。
「今日はすっごく気分が良いや、なんとなくね!」