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 舞踊大会第一夜目は開始早々のハプニングにも(かか)わらず、皆何事もなかったように計十組が約二時間、(とどこお)りなく舞踊を終えた。


 出場した娘達は泣く者あり笑う者あり、悲喜こもごもといった様子だが、夜祭りとして仕立てられた舞台にて、再び舞妓(デーヴァダーシー)に身を移し、大会後もたおやかな舞を披露している。明日・明後日に備える少女達は仮宿舎に集められ、寝付かれない寝台の上で夜明けを待った。


 タージ=マハルを囲むように配された松明(たいまつ)の外、人々は座り込んで酒盛りを始めている。ひときわ人数の多い一団は、もちろんシャニの(もと)である。クルーラローチャナ一族の男達は旅の疲れを見せることもなく、砂の城から運んだ珍しい果実や加工品を配っては、民に現実を忘れさせ、時を忘れさせ、終わることのない(うたげ)を盛り上げていた。


 これほど荒廃した大地においても、少なからずの平穏がある。そして今がその時であった。甘い酒に身を委ね、過去の地球を懐かしむ老人。若い夫婦は、炎に照らされ(くれない)の城と化したタージを眺めて、愛を語り合った。家族は今日だけの豊かな食卓を前に一家団欒の時を過ごし、ひとときの踊り子となる少女達は、おぼつかない未来に幸せな宮殿生活を見出そうとする……けれど『彼女』だけはそんな気分に浸ることなど出来ずにいた。目を背けずにはいられない、哀しい光景を見てしまった彼女には──。


 意識を失った身に母親の悔しさを打ちつけられ、運ばれていったラクシャシニーという年下の娘。彼女の瞳は必死というものをとうに通り越していた。そして周りに坐していた順番待ちの少女達の、舞台を見守るひたむきな表情。砂の舞台、それを見据える無数の眼。黄ばんだ白目を赤く血走らせ、大きく淫靡(いんび)な黒目がなめつけるように、自分の全身を覆い尽くす──想像するだけでも身の毛のよだつ思いがした。出来ることなら全てから逃げ出したい。だが、どうやって? 何処へ? 逃げたところで生きる(すべ)もない。奴隷か娼婦として身を売られるだけだ。家族の許へ泣いて戻っても、あの少女と同じ目に遭うだけかもしれない──それが分かっているこの今、目の前に立ちはだかる苦難を受け入れることしか、ナーギニーに道はなかった。


 長く細い質素な小屋の二列に並んだ寝台の一つに、彼女は身を横たえ震えながら魔の夜を過ごしていた。暗闇に浮かび上がる正方形の天窓には、まるで額絵に()め込んだようにまどかな月が見事に収まり、ナーギニーの白い頬をより一層白く照らす。寝返りを打つ度に鼓動が沈黙を崩し、目を閉じていることさえ困難に思えた。


 母親は怯えるナーギニーに「ただじっとして眠れば良い」のだと説き伏せ、自分の家へと帰っていった。今頃は家族全員で(なご)やかな晩餐を楽しんでいることだろう。退屈な時もなかったとは言えない小さな家ではあるが、独りこのように淋しく眠るよりは遥かに居心地の良い場所だ。


 外界との境界を薄い壁一枚で隔てる仮宿舎の中は、殺風景な折り畳みの寝台を並べただけの、全く仕切りのない薄暗い空間だった。さながら戦地に設置された急ごしらえの病院のように──いや、あたかも死体安置所か?──天窓の月光以外に光る物は、枕元に置かれた小さな輝光石のみだ。しかしそれは蒼白く壁を灯すだけで、隣の寝台までは見通すことが出来ない。闇の中を蠢く少女達の寝返りや息遣いは、ナーギニーを更に震え上がらせ、穏やかな眠りを妨げていた。


 壁の向こうでは音楽と喧騒に紛れて、人々の笑い声が聞こえてくる。ナーギニーを眠らせないものは大勢の少女達でもあり、また恐怖と好奇心をそそる夜の(うたげ)でもある。


「……ねぇ、どうしたの? 眠れないの……?」


 外からの大きな笛の()が響き、ナーギニーが反射的に肩をすくめた時だった。今まで寝息すら聞こえてこなかった右側の寝台から、(ささや)くような小さな問いかけと長い影が近付いてきた。


「……あっ……」


 夜の暗闇を集めたような揺らめきは、彼女に蚊の鳴くような過細い悲鳴を洩らさせた。


「あら、驚かせてしまったかしら……ごめんなさい。あなた、ずっと震えているようだったから」


 黒々とした塊だった声の主は、寄るにつれ月と石の光を浴び、徐々にその姿を現した。


 大人びた女の声が示す通り、褐色の肌に刻みつけられた顔も身体も、十代とは思えない色気の帯びた姿をしている。


「もしかして……あなた、ガネーシャ村のナーギニーでしょ? 隣で休んでいたなんて気付かなかったわ。わたし一度あなたに会ってみたかったのよ! ……ああ、ごめんなさい。自己紹介まだだったわね。わたしはガルダ村のシュリー。どうぞよろしく」


 『シュリー』と名乗った目の前の少女は、好奇心に満ちた瞳で食い入るように見つめていた。その熱視線に囚われたように、ナーギニーも大きな双眸を見開かせたまま、瞬くことも逸らすことも出来なかった。


 シュリーは当たり前の行為として握手を求め、初めて家族以外とこれ程の至近距離で相対したナーギニーは、余りの動転振りに一切の返答も身じろぎも出来なかった。そんな彼女の右手を取り、シュリーは一方的な握手を交わす。自分の他には五人の掌しか知らないナーギニーのそれは、驚くほど温かなシュリーの肌からいつしか熱を吸い取り、震えていた身も心も不思議と凪いで、今までに味わったことのない穏やかな境地が全身を巡った──。




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