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[終焉]

「シャニ……どうしてこのような暴挙に出た? 私はどんな恨みを買ったのだ?」


 全てを取り戻した『シヴァ』は、『パールヴァティー』の肩に手を置いたまま、横で立ち尽くすシャニに静かに問うた。記憶を奪い、人間界に命を授からせてまで成された意味を、シヴァには気付けていなかった。


「だから私はお前を(うと)んだのだよ、シヴァ……お前は万能でありながら、欠如した私を(いや)しめたのだ。(はずかし)め、(さげす)み、ただ(あわれ)みの(まなこ)だけを私に注いだ」


 シャニはこめかみに汗を光らせ、口惜しそうに(わら)った。


「私の眼が(よこし)まであることを知りながら、お前は息子ガネーシャの誕生披露に私を招いたのだ。この邪眼が見た物全てを壊すことを知りながら、お前達は私に息子を見てやってくれと願った。覚えているか? あの瞬間を……私の眼がガネーシャの眉間に合わされたあの時を……案の定我が眼はお前の息子の首を飛び散らせた。なのに通りすがりのゾウの首に()げ替えて、お前は私に幾ばくの非も与えなかったあの(とき)を──」


 シャニの奥歯がギリリと音を立て食い縛られた。


「私は皆の前で恥を掻かされたのだ。お前達の手前、誰も私を(わら)ったりなどしなかったがな。私はお前の手の甲に詫びの口づけを乞い許された。その時お前の眼を見たのだよ。偉大なる神は我が邪眼をもってしても壊されないとは驚きだったがね。……お前は憐みの眼差しを向けていた。その眼に呪いを掛け、次の時代、過去を失くした人間に生まれ変わるよう操作したのだ。そしてナーギニー……いや、美しいパールヴァティーにも同じ行為をした」


 シヴァの傍らに佇むパールヴァティーは、刹那哀しそうな瞳にシャニを映し込んだ。自分達がシャニを招いたのは、彼もまた神と呼ばれる立場にあったからだ。土星の神──シャニ。彼の邪眼が例え見た物を壊し尽くすといえども、客人にお披露目しない訳にはいかない。夫であるシヴァがどうにかしてくれるとは思っていても、息子の頭部が砕かれた時の衝撃は、計りしれなかったことは間違いない。それでも自分はもちろん、シヴァが彼を蔑むなど有り得ない……パールヴァティーは、そしてシヴァは、あの事件が与えた歪んだ末路に心の奥底で痛みを発した。


「パールヴァティー……私は貴女様のお顔を拝見し、この世で最も美しい女性を知ったのです……私は貴女様を手に入れようと決心した。随分と苦労して成し遂げましたよ……「破壊の邪眼」を「操る(すべ)」へと変えることに。あの琥珀は土星の輪を溶かした物……もうシヴァは気付いていたようですが……『星の欠片(カケラ)』と言われましたからな」


 シャニは諦めたように地べたに着き、胡坐(あぐら)をかいて溜息を零した。まるで自分を嘲笑うかのように。


「シャニ……残念だ。私も妻も憐みの視線など向けたつもりはない。が……そう思わせてしまった経緯は私に非がある。どうか……(ゆる)してほしい」


 そうしてシヴァは(いさぎよ)(こうべ)を垂れた。シャニは驚きで見開いた眼を震わせ、呆けたように口を開いた。これ程の所業を行ないながら、どうして復讐の炎を燃やさないのか、彼にはシヴァが理解出来なかった。


「もちろん妻に何かが遭ったのならば、そなたに何もしないでいられたかは分からぬがな」


 姿勢を戻し、付け足すように放った言葉は苦笑いを帯びていた。


 それを穏やかに見つめるパールヴァティーの瞳とかち合わせ、シヴァはにっこりと微笑んだ。彼女の腰に手を回し、ピタリと自分の身体に引き寄せる。


「既に時は満ちた。終わりを告げる時間だ。シャニ……存分にこの世を楽しんだだろう。『彼女』ももう返してもらうぞ」


 シヴァの視線は眼下のシャニから真っ直ぐ先へ移された。王の玉座の隣に坐す黒ずくめの動かない王妃を捉える。


「戻れ、ガンガー! そなたの宿るべき我が髪に」


 途端シヴァの頭に巻かれていたターバンが、生き物の如くスルスルとほどけた。その先端が王妃の黒いマント(チャドル)を絡め取り、白い羽衣(はごろも)を身に着けた女性の裸身が露わになった。見る見るうちに手程に小さくなった美女は、流れる紫黒(しこく)色の髪に吸い寄せられ、シヴァの頭上に収まった。


 聖なる河ガンガーの守り神。彼女を手に入れ操ったシャニは、インドのあらゆる水脈を一手にこの城へ集め、(ぜい)を尽くす源を得ていたのだ。


「行こう、パールヴァティー。君を取り戻した私はもう、他には何も要らない」


 彼女ごと(きびす)を返してシャニ達全てに背を向けたシヴァは、宮殿の出口を目指し歩き出した。うな垂れたシャニも、言葉を失くした家族も少女達も家臣達も……一同を置き去りに外へ出た。


「シヴァ様、何処へ……?」


 基壇から階下へ降り、王宮との間に流れる人工河へ向かう。不思議そうに尋ねる彼女に、シヴァは楽しそうな(おもて)を寄せた。


「君と「再会」出来たあの墓廟だよ。アグラの街のタージ=マハル。全てを終わらせるには最高の場所だと思わないか?」


「全てを……」


 やがて辿り着いた岸辺で、シヴァは水面(みなも)の煌めきに呼びかけた。


「いい加減遊んでないで出てくるんだ。やっと我が家へ帰れるぞ」


 その声が河の流れの狭間へ差し込まれた時、水は急激にうねり、底から押し上げられるように黒い物体が盛り上がった。両宮程の高さまで貫かれた闇の塊は、まさしくドールからの襲撃を救ったあの黒い塊であった。


「あ……もしかして、ナーガラージャ?」


 パールヴァティーの問いかけに、即座に反応し頷く闇。そのまま鎌首を地面まで下げ、二人はその頭上に乗り込んだ。


「あの時あなたが助けてくれたのね……ありがとう、ナーガラージャ」


 お礼の言葉に喜びを示すが如く、シュルシュルと長い舌を出して見せたナーガラージャは、西の方向へ進み出した。


「この分なら夕刻には着くだろう。終わらせるには良い時間だ」


 向かう先の見えないドームの壁は、ナーガラージャの鼻先が触れた刹那、散り散りに砕け陽光に溶けた。久し振りに見る外の大地は以前と変わらず、ただ淀んだ見通せない空と、風に流される砂のみであった。


 水面を滑るように這いずるナーガラージャのスピードは速く、既にあの砂に呑まれた合流地点(サンガム)も間近に迫っていた。


 静かな街(アラハバード)を遠目に見下ろし寄り添う二人の身体が、大きな影にすっぽりと包み込まれる。見上げれば巨大な大鷲が羽ばたき、その首元には常に少女へ輝きを与えてくれたあの麗しい微笑があった。


「シュリー!」


 パールヴァティーの呼びかけに応えるが如く、風斬るように大鷲が華麗に降下し、シュリーが目線に現れた。


「全てを思い出せたのね、パール」


 懐かしい呼び名に、ふと胸の詰まる想いが溢れ出す。一つ大きく頷いたパールヴァティーは、彼女がどれほど自分にとって大切な存在であったかを思い出した。


 我が親友にして、夫シヴァ神の心許せる友『ヴィシュヌ』神の妻『ラクシュミー』。


 シュリーという名は彼女自身が好んで使っていた愛称だった。


「シュリー、本当に……本当にありがとう。お陰でガネーシャの許へ戻れるわ」


「彼も元気にしているから安心して。あなたが全てを取り戻せたのは、きっとその深い愛情故なのでしょうね」


 ラクシュミーもまた、過去を振り返り胸を熱くした。パールヴァティーが次の世に転生するという直前、パールヴァティー自身もシャニの呪いに気付いていた。「この眠りについてしまったら、目覚めた時には全てを忘れてしまう……ごめんなさい、シュリー。きっと貴女のことも……」そう言って涙ながらに必死に詫びた面差しも、ついにその瞬間「さようなら、シュリー……」そう哀しそうに呟かれたことも──だからこそ自分も人間界に転生し、彼女と出逢える機を待ったのだ──親友を失うなど、彼女とて耐えられる現実ではなかったのだから。そして同時に我が身を誇らしく思う。シヴァまでもが記憶を奪われていたという怖しい状況に、光明を差し込めたのは自分だ。取り返しのつかない結末に惑わされず、事なきを得られた。(註1)


「わたしは一旦主人の許へ戻るわね。「ひと仕事」を終えたら、ガネーシャと一緒にいらっしゃい。あなたの好きな人参ケーキ(ガジャール・ハロワ)を作って待っているわ」


「ひと仕事……」


 その言い(よう)に、パールヴァティーは途端頬を赤らめた。これから自分が果たすべき役目を改めて認識せずにはおられなかった。


「ラクシュミー、本当に助かったよ。それから遅くなったが……約束の品だ。貸してくれてありがとう!」


 そうしてシヴァは胸元から取り出した包みを、ラクシュミーへ軽やかに飛ばした。ガネーシャの刺繍絵が施されたパールヴァティーからの贈り物。見事に受け取ったラクシュミーは、にこやかにその手を振り、神の乗り物(ヴァーハナ)である大鷲(ガルダ)を旋回させて、北の方角へ去っていった。


「さぁ、行こう。私達の使命が待っている」


「はい、シヴァ様」


 ガルダの姿が見えなくなるまで二人は腕を振り続け、再び速度を上げたナーガラージャの上から、少女達が旅した砂の道を(さかのぼ)った。ドールに襲われた木々の領域、楽しく休息を過ごしたタマリンドの林。鮮やかなマンダリン色を灯し始めた黄昏(たそがれ)の頃、西の地平線にあの懐かしい街並みと、神聖なる墓廟のシルエットが浮かび上がった。




挿絵(By みてみん)




「ナーガラージャ、此処でいい。先に帰っていてくれ」


 墓廟の基壇に二人を降ろしたナーガラージャは、シヴァに優しく(おとがい)を撫でられるや、シュルリと舌を出した後、砂の大地に沈んで消えた。


「さ……これからは君の力が必要だ」


 柔らかく支える手に導かれ、コクリと小さく頷くパールヴァティー。シヴァと共に墓廟の中へ歩み入る。やがて宵闇が降れば、あの祭りの夜、思いがけず出逢えた紫色の世界が心に甦る。いや……あれはシュリーの計らいだったのだろう。お陰でナーギニーは恋を知った。そして全てを知ったパールヴァティーは……──


「これで足りるだろうか?」


 内部中央、八角形に(かたど)られたホールの中心には、王妃ムムターズ・マハルの参拝の為の(ひつぎ)が置かれている。その上に何処から生み出したのか、ベンガルトラの毛皮を数枚重ね、シヴァは優雅に抱き上げたパールヴァティーを、ゆっくりと腰掛けさせた。


「私の力は、貴方様を満たすことが出来るでしょうか?」


 正面にしゃがみ込んだやや下から見上げる慈愛の瞳に、震わされる戸惑いと不安の眼差し。


「きっと存分に注がれることだろう。触れずとも伝わってくる、光に満ちた愛が見える」


 シヴァは温かみのある微笑みで彼女を勇気づけた。首筋に手を伸ばし、引き出したスター・サファイアの指輪を、白く細い指先へそっと通してやる。その上半身をおもむろに倒させ、棺の上に寝かされたパールヴァティーの真上に、自分の身も横たえた。


「お慕い申し上げております、シヴァ様。今までもこれからも……」


 ──そして、いつまでも──


「私もだよ、パールヴァティー。ずっと愛している──」


 再び捧げられた甘い口づけは、彼女の体内を燃え立たせながら駆け抜けた。それはより一層濃厚な愛の雫(アムリタ)となり、触れ合うパールヴァティーの唇からシヴァの内奥(ないおう)に戻された。


 女神が宿す愛の力(シャクティ)は、神の力の源となる。


 愛し合う二人の天上から、雨の音色が降り注ぐ。まるでタージ=マハルのてっぺんから溢れ出るようなガンガーの調べ。彼らが準備を終える頃には、砂の地表は海と化すだろう。


 そして──


 シャクティを得たシヴァは踊る。踊りの王(ナタラージャ)として世紀末(カリ・ユガ)を終わらせる為のターンダヴァを。


 無に戻したこの星を、創造神ブラフマーに(ゆだ)ねよう。創り上げられた世界創造初期(クリタ・ユガ)は、再びヴィシュヌ神に紡がれるだろう。




 これは終わりではない──始まりなのだ。




 雨は河となり海となり、全ての混沌を呑み込んだ。


 しかし(そら)は晴れ、あの砂の城で見上げた久遠(くおん)の星空を取り戻していた。


 箒星(ほうきほし)が流れては消え、また流れゆく。


 それは廟床(びょうしょう)の大理石に広げられた、彼女の濃紺のサリーにも似ていた──。




挿絵(By みてみん)




       [ अंत ─ 完 ]




[註1]ナーギニーに「さようなら、シュリー」と言われ、シュリーの心が動いたシーンは、第三章五話目[一変]の以下の場面にございます。


>「それじゃ、ナーギニー。明後日ねー!」


「あ……うん、さようなら、シュリー」


 ──さようなら、シュリー。


 ナーギニーの他愛もない挨拶がシュリーの耳に届いた時、彼女の心の片隅にある小さな何かに触れた。それを少女に気付かれぬよう、シュリーは懸命に走り続ける。

 ・

 ・

 ・

 ──あなたはわたしが守るわ……わたしが、必ず──


 自分の(いだ)く固い決意を、改めて胸に刻みつけた。




◆以降は2015年に連載していた際の後書きです。


 この度は約一年の連載にお付き合いくださいまして、誠に有難うございました!


 途中トータル二ヶ月程のお休みを頂きましたが、最後までお目通しくださり幸せに存じます*


 こちらの物語はご存知の通り「インド神話」をモチーフにしておりますが、そちらに精通していらっしゃる方であれば、初期部に殆どの正体が分かってしまうストーリーでございました(苦笑)。


 まず「シャニ」ですが、彼は実際インド神話でも「シャニ」という名前で登場する「土星の神」です。


 ちなみに今作の彼のミドルネーム「アシタ」も、ラストネーム「クルーラローチャナ」も、神話上の彼の別称であります。


 シャニが神の名であると気付けば、彼の一番有名な神話はすぐに明らかになります。


 ガネーシャの誕生披露に招かれ、見てやってくれと懇願されたシャニが、その邪眼でガネーシャの頭部を破壊してしまったこと・シヴァが通りすがりのゾウの首と()げ替えたことが、今回使用させていただいた神話の一部でした(ガネーシャの首がゾウになったのは、他にも説がございます)。

 

 「ナーギニー」のみ美しく編み込まれた黒髪から名付けておりますが、「シュリー」もヴィシュヌ神の妻「ラクシュミー」の最もポピュラーな別称、「イシャーナ」もかなりマイナーですが「シヴァ」神の別称の一つでした*


 ただひたすらインド好きであった「十代後半から二十代の自分」に捧げた様な物語でありましたがw、少なからずの皆様にお楽しみいただけましたのは本当に嬉しいことでございます♪


 ですがどうぞこれを機に、もしインドへ行ってみたいと思われましても、出来る事なら女性の方はお一人では旅をされないでくださいませ。


 私は四度訪印しているのですが、父の知人の娘さんが酷い事件に巻き込まれ、絶対一人では行かないでほしいと懇願されておりまして、自由旅行の時でさえも友人を誘って旅をしました。


 それでもチェンナイの安宿で、危うく襲われかけています(あちらは男性一人で、こちらは女性とは云え二人であった為に、大騒ぎしながら何とか追い払うことが出来ました)。


 最近もインドでのレイプ事件が毎日の様に報道されておりますが、実際には遥か昔から起きている陰惨な問題です・・・悲しいことに。。。


 ですがそんな地でありながらも、今作の様な純愛が存在していてほしいと願います。


 そうでなくとも神話や古典文学には、深い愛情が存在しているインドなのですから*


 そのような恋物語がインドにも、そして日本の皆様にも、溢れることを祈りつつ・・・お忙しい年の瀬に最後まで本当に有難うございました!


 どうぞお身体にお気を付けて、また素敵な一年をお迎えくださいませ☆



   朧 月夜 拝




【追悼】


 今年(当時は2015年でした)八月末に、アフリカのスワジランドという国で、国王の新しい花嫁を選ぶ伝統的な儀式「リード・ダンス」に向かう途中、交通事故で二十人もの少女達が重傷、三十八名の方がお亡くなりになりました。


 この時初めて拙作の様な「王の(めかけ)を選ぶ為、大勢の少女達が舞踊を披露する」国がある事を知りまして、驚いたと共に、そのような国が現代にも存在することに愕然と致しました。


 この国ならずとも未だ自由恋愛の出来ない地は多く存在致しますね・・・いつの日にか、愛する人と結ばれることが当たり前の世の中になってほしいと、心から祈るばかりです*




【追記】


 以前の完結後『Momo色サーカス』でも沢山のイラストをお贈りくださいました希都様から、こちらの作品にもステキなイラストを戴きました☆


 他の読者様にも人気のありましたシュリーはもちろんですが、特にシャニを気に入ってくださったそうです(笑)。


 或る意味なかなか可哀想な顛末となりましたシャニですが、希都様のお陰で救われたのではないでしょうか?

 

 希都様、誠にありがとうございました<(_ _)>

 心より感謝申し上げます(*^_^*)



   朧 月夜 拝




挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)




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