[確約]
沢山の拍手で埋め尽くされた宮殿は、しばらくその様相を変えることはなかった。
それもやがて静けさを取り戻し、中央に集められた少女全員に分け隔てなく、シャニの賞賛の言葉が投げかけられる。再び打ち鳴らされた幾つもの手に見送られ、少女達は興奮冷めやらぬ内に自室へ戻っていった。
ナーギニーもまた部屋の扉を開き、一歩を進んだ囲われた空間にて、大きく息を吐き出した。自分はついにやり遂げたのだ……この満たされた想いは明日からの日々を耐える糧となろう。立ち尽くしたまま胸元の指輪にそっと手を添え、少女は化粧と汗を流す為に、髪をほどき浴室へ向かった。
バラタナーティアムの髪飾りは、太陽や月、ジャスミンを模した宝飾などが用いられる。ナーギニーは侍女に本物のジャスミンを所望していた。その花びらを湯に浮かべ、自身を浸してすっと息を吸い込んだ。途端鼻腔をくすぐる甘い芳香が、イシャーナに投げ渡された真白い風景を目の前に映し出してくれた。
──イシャーナ様は、私の想いを受け取ってくださっただろうか──?
挫けそうな時、不思議と必ず現れて、立ち上がらせてくれた温かな微笑み、捧げられた幾つもの贈り物にも愛情にも、礼として見合う程の時間であっただろうか。
身体を芯から温めてくれる湯の中で膝を抱え、少女は溜息とも安堵とも分からぬ空気を吐き出した。そうであれたことを願って、腕の中に得た自信と共に我が身をきつく抱き締めた。
湯浴みを終えたナーギニーは、用意されていた淡い水色のサリーに着替え、長い黒髪を乾かし、いつものように美しく編み込んだ。シャニが初めての昼食会で「どうぞごゆるりと我が地をご堪能あれ」と告げた六日間は、とうとう本日で終わりを迎えた。明日にも正午の宴は今までと同様に催されるが、それこそが『寵姫選良披露』の場となる。少女達に与えられるのは、天国であるか地獄であるか、どちらにせよナーギニーにとっては後者であることは否めないが。
夕食の時刻が迫り、本日も二度のノックが扉を震わせた。ナーギニーの応答に現れた二人の侍女の内、どうしてなのかどちらもシュリーではない上に、二人は食事のワゴンを引かずに入室した。
「シャニ様がお呼びでございます。お部屋へご案内を致します」
「え……?」
ナーギニーは我が耳を疑ってしまった。聞こえてきたことへの理解には時間が掛かり、けれど徐々に激しくなる鼓動が自らに知らしめる。
刺繍も舞踊も終えた今、断る理由は見つからなかった──。
「す、少し、お部屋の外でお待ちください……支度をして、参ります」
掠れた小声でも、侍女達は小さく頷いて静かに退室してくれた。キャビネットの引き出しに見つけた便箋とペンを急いで取りに走り、少女は心もとない指に力を込める。
『シャニ様からお招きに預かり、しばらく留守に致します』
何とかシュリーにメッセージを残したナーギニーは、回廊で待つ侍女に連れられ、不安を携えて自室を後にした──。
「待っていましたよ、愛しいお方」
シャニの部屋は黒宮上階西側の一室であった。扉を開いた途端、広い空間の真中で宝石だらけの両手が歓迎を示し、その背には眩しい程の西陽が差し込んでいる。
「お招きをいただきまして……大変光栄に存じます」
ナーギニーは震える声でおどおどと入室した。刹那背後で扉が閉じ、振り向けば侍女達の姿はもはやなかった。
「どうか緊張はなさらずに。上質の紅茶を用意しています。少し語らいになどお付き合いください」
肉感のある短い腕が、その身体で隠されていたテーブルセットへ、戸惑う少女を促した。
「は、はい……」
ナーギニーは自室同様、中央に置かれた二脚の椅子の片側に寄り添う。再び勧められて席に着き、目の前で意気揚々とお茶の支度をする王を見つめた。
寵姫選良披露を翌日に控え、このタイミングで呼ばれた意味はあるのだろうか。もしもシャニにナーギニーではない標的がいるのであらば、その前に弄べる対象を、全て吸い尽くしておこうとの算段か。
自分に与えられた部屋とは格段に違う、絢爛豪華な装飾も調度にも、目を奪われている余裕などなかった。これから明かされるであろう招待の理由に、全身の細胞が逃げ出したいと肌を突いた。
「さぁ、どうぞ。スリランカのカプセル・プランテーションから取り寄せた、厳選されたセイロン・ティーです」
目の前に差し出された高級なティーカップの中で、赤みのある液体が彼女の心のように揺らいでいた。
「ありがとうございます……戴きます」
何とか両手でカップを持ち上げ、唇に添わせるナーギニー。爽やかな酸味を帯びた茶葉の香りが、ほんの少しばかり動揺を落ち着かせてくれる。一口を含んで無事に茶器を戻し、強張った頬で「美味しいです」と微笑んだ。
「今日の舞踊は最高に素晴らしかった!」
王は少女の反応に満足し、そして日中得た満足の素を褒め称えた。
「ありがたき……幸せにございます……」
腰掛けたまま深い礼を捧げる。
「まるで舞い踊る天女のようでした。貴女の舞踊を拝見して、私は今一度確信したのです。明日選ぶべき姫は貴女しか有り得ないと!」
──……え?
興奮気味に立ち上がり、両手を掲げたシャニを咄嗟に見上げ、ナーギニーは驚きの余り硬直した。
「ナーギニー、明日……私の指名を受け入れてくださいますね?」
再び腰を下ろしたシャニの眼が、ゆっくりと穏やかさを取り戻しながら、少女の瞳の奥を探る。既に明日の喜びを示した眼差しに、ナーギニーは狼狽を隠すことが出来ず、と共に右手を取った王の掌に委縮した。
「どうか気を楽にして……きっと貴女を幸せにしてみせます。ご家族のこともご心配なく」
逆側の分厚い掌が、挟み込むようにナーギニーの手の甲に覆い被さる。やがてそれは彼女の精気を絡めとるが如く、淫らに撫で回した。
その頃──。
「ナーギニー……!」
彼女の部屋を訪れたシュリーは、テーブルに広げられた便箋に目を通すや、慌てて出口へ駆け出していた──。




