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「本日は……あの……沢山の贈り物を、本当にありがとうございました!」


 煌びやかなゾウの行進は、王宮を正面としたこの地の最北で左折し帰還となった。パンジャビ・ドレスの上着は緩やかな為、ナーギニーは誰にも見つからぬよう、内側にジャスミンの首飾りを隠した。王の見送り後早々に自室へ戻り、テーブルにそれを広げるや、優雅で甘美な香りが辺りを取り巻いた。


 そうして豊かな花の香に酔いながら、胸ポケットの封筒にしまわれたサファイアの指輪をそっと取り出す。夕食のノックが訪れるまでは、首飾りと指輪と手紙を順々に眺めながら、いつの間にか時が過ぎ去っていた。


 ワゴンと共にやってきたシュリーは、ナーギニーのひた隠そうとする悦びに気付いたようだった。「後で根掘り葉掘り聞かせてもらうわよ」そんな魅惑の目配せを送り、嬉しそうに退室していった。


『喜んでもらえて良かった。でも……迷惑ではなかったかい? どちらもシャニ様に知れたら大事(おおごと)であるには違いないから……』


 夕食後ベランダに立って、すぐに現れたナーガラージャへ深く捧げたお礼の返事は、毎夜の通りイシャーナの声で戻ってきた。が、それには悪戯(イタズラ)が過ぎたという反省が込められ、少々遠慮がちに沈んでいた。


「い、いえっ! とても嬉しかったです! 花の首飾りは上着の中に隠しましたので……香りが服に染み込んで、心地良いくらいでした!!」


 そんな意を汲み、ナーギニーはどれほど幸せに感じたかを、何とか伝えようと語気を強めた。いつの間にか大きくなってしまった声に気付き、慌てて口をつぼませる。外からの声を(いぶか)しんで隣室の少女がバルコニーに出てきてしまったら、またこのひとときは終わってしまう……昨夜の哀しみは出来れば一秒でも先に遠ざけたいと思っていた。


『ありがとう……ナーギニー』


 その呼びかけは、昨夜哀しみの後に得られたシュリーの声を思わせる(いつく)しみの深い声色だった。


「ありがとうございます、イシャーナ様……ですが、あの碧い宝石はきっと高価なお品だと思います。私などには……」


『いや……気にしなくて良いよ。ただ此処では指に飾ってもらえないのが残念だけど。スター・サファイアには力がある……良かったらお守り代わりに持っていてほしい』


「は、はい。大切に致します」


 この時ナーギニーは手の中に指輪を握り締めていた。どれだけその指に通したいと願ったことだろう。けれどやはり初めて此の地で会話を交わしたあの夜のように、自分の感情を優先してしまったら、心の奥底の(たが)が外れてしまう気がした。これ以上の幸せを望んではいけない……そんな想いが少女の鎖を引き絞り、更にがんじがらめにしようとした。


『ナーギニー……僕、は……』


 しばしの沈黙が流れ、途切れながらイシャーナの言葉が続いた。


『僕は、君を……──』


「はい……」


 消えてしまった先の言葉を、手繰り寄せるように零れた返事。しかしそれは残念ながら、あと一歩で彼には届かなかった。


『ううん、ごめん……何でもない。ところで……君には何人家族がいるの?』


 伝えたい事柄を無理に隠して咄嗟に問いかけたイシャーナの質問は、少女を遥か彼方に追いやっていた過去の自分に連れ戻した。


「は、はい……両親と祖母、兄と妹の五人でございます」


 五人──その五人の家族の為に、此処に居るのを忘れたか? 誰かにそう諭された気がして、ナーギニーの胸は突如押し潰されそうな痛みを発した。


『そう……五人もいたら、賑やかで楽しいだろうね』


「はい……」


 この返事だけ、ナーガラージャの瞳を見つめては返せなかった。


『ごめん、今夜はこれで帰るよ。それから……明日と明後日はおそらく来られないと思う。母の容態が少し良くなって、シャニ様が夕食を共にしたいと仰るので……何とか最終日の夜には来たいと思うのだけど……』


 今夜から三晩、イシャーナの居ない夜を越えたらもう最後の夜──告げられた衝撃は、この幸せな時間が永遠に続かないことを痛切に知らしめていた。


「……お忙しい中をありがとうございました。あの……お母様のご病気が、このまま良くなられますように……」


 深々と頭を下げ瞳を閉じる。掌の中の碧玉(へきぎょく)を強く握り締めて、ナーギニーは溢れる涙を必死に(こら)えようとした。


『こちらこそ、楽しい時間をありがとう。その言葉、母にはきっと伝えるから』


 イシャーナの声は今までで一番近くに聞こえた。ふと顔を上げたナーギニーの右の目尻に、チラチラと何かがひらめいて消える。


 宝石の如く輝く涙を一雫(ひとしずく)、ナーガラージャの細長い舌が、受け止めるように呑み干していった──。




「……素敵なプレゼントを戴いたのね」


 それから十五分程してシュリーも約束通り現れた。だが、夕食前の隠しきれない幸せが、既に落ち着いてしまったナーギニーの様子に、彼女はからかうような言葉はぶつけなかった。指輪と首飾りの渡された経緯だけを聞き、やや(かげ)りのある少女の面差しについては、敢えて問い(ただ)すことはやめていた。


「ジャスミンとサファイアには、どちらにも同じ意味があるのを知っていて?」


「え?」


 テーブルに並べられた白い花と碧い宝石、二つを優しく手に取ったシュリーは、温かな笑顔で隣のナーギニーを目に映した。


「『変わらぬ愛』……その(あかし)を、イシャーナ様はあなたに捧げた……これがどういう意味を表しているのか……今のあなたならもう分かるのでしょ?」


「……あ……」


 シュリーの心を探る眼差しに、ナーギニーの頬は熱を放ち染められてしまった。けれど瞬く間に視線を逸らしてしまう。イシャーナが伝えられなかった言葉の続きと、その後に紡がれた家族についての質問は、幾ら恋しても叶わぬことを突きつけられたように感じたからだ。そしてイシャーナ自身も──


「……イシャーナ様のお母様は、シャニ様から戴くお薬で生き永らえていらっしゃる身……私がその邪魔をするようなことは……」


「薬? ご病気なの? ……何か匂うわね……」


「シュリー?」


 つややかな唇に指を添えたシュリーの横顔は、何かを考え巡らせているようだった。


「まぁ、難しいことは気にしないで、とりあえずあなたの眠る時間を減らしたくないわ。早速刺繍を始めましょう」


 気を取り直すように明るい声を上げて、シュリーは裁縫道具を取りに席を立った。ナーギニーは(しお)れ始めたジャスミンの首飾りを大切そうに抱き上げ、指輪の収めた封筒と共に、寝台の枕元にそっと並べた──。




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